スノーフレークのせい
~ 十二月十九日(火) フルーツポンチ ~
スノーフレークの花言葉 乙女の誇り
たしか、おばあちゃんが藍川家にやって来たのは昨日の午前中。
だと言うのに、今朝までに合計三時間は正座させられて。
そんな俺を盾にして。
おばあちゃんの雷を回避するラッキーガール、
そんな穂咲は、軽い色に染めたゆるふわロング髪をサイドでゆったり目にお団子にして。
そこにスノーフレークを束で活けている。
まるでガラス細工のような美しさ。
ベルのように下がる真っ白な花は整然と六枚の花びらで形作られ、その花びらの先端に浮かぶ緑色の模様が、まるで人の手によって描かれたように美しい。
そんな素敵なお花を揺らした穂咲が。
とっても素敵じゃない顔で居間に腰かけてます。
「どしたのさ」
「朝ごはん、パンじゃなかったの」
……それでふてくされてるの?
でもおばあちゃんが来ているわけですし。
和食になるのもしょうがないだろ。
「おばあちゃんが作ったの?」
「ううん、ママが作ったの。ごはんとお味噌汁と、お魚が二匹合体したやつ」
「ひらきは一匹です」
はあとため息なんかついて。
そこまで気分が落ちますか。
でも穂咲は急にぱあっと笑顔を浮かべると。
興奮しながら椅子から立ち上がった。
「あ! でもでも、一品足らないって言いながらおばあちゃんが玉子焼き作ってくれたの! 絶品!」
「へえ。何が絶品?」
「コンブ!」
「え?」
玉子焼きって言ってなかった?
「すこうし出汁が引いてあるのがいい感じ」
「あ、そういうことか。結局純和風なのね」
「そうなの。コンブを入れたら和風になるの。バジルを入れたら洋風になるの」
左手をコンブっぽくへにゃへにゃ揺らして。
右手で葉っぱを持っているジェスチャーをして。
そんなことされましても。
「……話に追いつけません。なんの呪文?」
「昔、おばあちゃんが教えてくれたの。でも、ママがバジルは嫌いなの。ちっちゃな虫が葉っぱについてたのを見て苦手になっちゃったの」
ううむ、今日はいつにも増して脈略が無いね。
おばあちゃんと一晩過ごしたせいで幼児退行しましたか?
そんな、思い付いたことを順繰りにしゃべる穂咲を呆れ顔で眺めていたら。
店先から悲壮な声が響いてきました。
「お母さん、どうぞゆっくりなさっていてください!」
「あら、ご迷惑?」
「迷惑とかでは無くて、朝ごはんに続いてお店の手伝いまでされては、私の気が休まりません!」
「……気が休まらないとはどういうことです、
穂咲を連れ立って店に顔を出してみたら、ちょうどおばさんがやらかしたタイミング。
敬語って使い慣れてないとこんな悲劇を生むんだね。
下手に丁寧な言葉を使おうとしたら、間違えて本音を口走ったご様子。
気が休まらないって。
正直にもほどがある。
しまったって顔を俺達の方に向けたって、助けようがないです。
自分で何とかしてください。
そんなおばさんを鼻息で一蹴すると。
おばあちゃんは自前のかっぽう着姿で店先に出て行って。
そしてちょうど足を止めたお客様に、慇懃なお辞儀をし始めました。
「ようこそいらっしゃいませ」
接客を始めたおばあちゃんを見て、おばさんが慌てているけども。
でも、口を挟むわけにもいかないらしく。
俺の方を見てなにやらジェスチャーを始めました。
……なになに?
俺が?
おばあちゃんを?
デストローイ?
バカ言いなさんな。
それに、別に止める必要もないんじゃないかな。
凛とした、一見とっつきにくいおばあちゃんではあるけれど。
丁寧にお客様のご希望を聞いて。
詳しくお花の説明をして。
俺もお花の勉強してるのに、まだまだと思い知らされる。
名前の由来とか、古典文学の一節に登場したこととかまで知っているなんて。
……そのお話が面白いものだから、通りすがりの皆さんが足を止めて。
そしておばあちゃんのやたらと詳しいお花の知識に揃って感嘆の声。
町のお花屋さんなんて、店頭で売れることなんかほとんどなくて。
通販と配達で成り立っているようなものなんだけど。
それがこの大賑わい。
こんなの見たことないや。
とは言え、呆けてなどいられない。
お話を堪能したご近所の皆様。
お花を抱えて一斉にレジへ来たもんだからさあ大変。
包んだり、ブーケにしたりとおばさんは大忙し。
穂咲にも声をかけてレジを打ってもらってなんとかお客様をさばいていく。
そんな喧騒の中、俺はひたすら熱い拍手をおばあちゃんに送っていた。
「みっともない。おやめなさい、道久さん」
「いやいやいや! 凄い知識量! 尊敬です」
手放しで褒めると、おばあちゃんは涼しい顔で目を背けながら。
「これくらいできねば店になど立ちません。……とは言え、私などまだまだ浅学。自分の息子の職業に興味が湧いた程度、横好きのようなものですよ」
などと、少しだけキツネ目に寂しさを湛えて穂咲たちを見つめた。
……いつもおばあちゃんの横にいるだけで、背筋が伸びる。
お花の勉強、増やそう。
お客様の気持ちになって、どう説明されたら楽しいか、しっかり考えよう。
……大人には、見習うところのなんたる多い事か。
そんな、しっかりした大人に感心していたら。
しっかりしていない大人の、みょうちくりんな悲鳴が店内から響いた。
「ひゃみぃ!」
「あ、あたしがそっちやるの。ママはラッピングしてるの」
「……ありがとね、ほっちゃん」
そんなやり取りをしながら狭いレジ裏でポジションを変えて作業しているけど。
俺は、低温室に顔を半分突っ込んでいた穂咲にひそひそと声をかけてみた。
「……なに、いまの」
「ちっちゃな虫がいたの。ママ、苦手なの」
ああ、そんなこと言ってたね、さっき。
………………ちょっとまて。
「虫なんて、花屋やってたらいくらでもいるでしょうに」
「そうなの。だから一日に何回か、ママはここで最期の聖戦を強いられているの」
「そんなにしょっちゅう開催されないよ、ハルマゲドン」
……冗談で返したものの、驚きで一杯だ。
おばさん、結構有名なスタイリストだったって母ちゃんから聞いたことある。
なのに、嫌いな虫と隣り合わせの仕事を選んだなんて。
ようやくお客様がはけたところで、思わずおばさんに声をかける。
「虫、苦手なのに。なんでお花屋さんになったの?」
急に質問したもんだから、おばさんは目を丸くさせて。
でも、すぐにいつものなにか企んでるような笑顔へころっと変えながら。
「そりゃあ、愛じゃない?」
そんな返事をしながら、店先のおばあちゃんへ急いで駆け寄って行った。
おじさんの仕事だから、こっちを選んだのか。
なるほど、乙女の誇りという訳だ。
……大人には、見習うところのなんたる多い事か。
おばあちゃんの素敵な所を見習って。
おばさんの素敵な所を見習って。
俺も早く一人前にならないと。
そんな思いで、店先で押し問答を繰り広げる二人をじっと見つめ続けた。
………………
…………
……
「あ、穂咲ちゃん。その白いお花下さいな」
「はいなの」
いや、君の頭からスノーフレークを直接すぽんと抜いて包まれても。
俺が慌てて新しいお花を持っていくと、店内にいた皆さん揃って大笑い。
おばあちゃんの効果で、何となく堅苦しい表情をしていたお客さん。
それが穂咲の頓狂な動きを見て、お腹を抱えて笑ってる。
これはこれで、素敵な事なのかも。
……でも、これは見習いたくありません。
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