サイネリアのせい


 ~ 十二月二十三日(土祝) Night-time ~


   サイネリアの花言葉 いつも喜びに満ちて



 クリスマス。

 一つの奇跡が鐘を鳴らすと。

 世界は金色に光り輝き。

 二つの笑顔をピカピカと染め上げる。


 二人はまるで絵本の中の王子様とお姫様。

 見開きのページを挟んで優しく見つめ合い。

 いたずら天使へ本を閉じてとお願いすると。

 みんなに隠れてキスをするんだ。



 …………だから、いたずら天使さん。

 どうか俺の話を聞いて欲しい。

 君は今宵の影の主役。


 町中の王子様とお姫様の絵本を閉じて歩かなきゃいけないの。

 そんな席でのんびりくつろいでちゃいけないの。



「こわいっ! 怖いんだけど!」

「こっ、怖がってんじゃねえよ道久! 俺なんか全然……」

「じゃあ隼人が確認してきなさいよ!」

「ごめんなさいすげえ怖いです!」



 どこの世界に、こんなホラーなクリスマスを過ごす高校生がいるのやら。

 見つめる先にはからっぽのお皿とグラス。

 その隣に置かれたナイフとフォークが今にも動き出しそうで。


 お店の隅に固まる男女。

 気付けば俺を力強く抱きしめてる白い腕。


 …………あなたにも苦手な事があったのね、カンナさん。



「やれやれ。何を非科学的なことを言っているのだね、諸君」


 いや。

 よく見れば、岸谷君だけは席に着いたままだ。


 そんな岸谷君。

 フライドチキンで光る口元を恵比寿さまのように優しくにっこりさせて。

 どっこらしょと丸いお腹を揺すりながら颯爽と席を立つと、僕らの方へ笑顔を向けた。


 落ち着いていて、いつもかっこいいなあ岸谷君は。


「安心したまえ。君たちの想像力には感嘆を禁じ得ないけど、これは藍川君の小粋なジョークさ」


 岸谷君がうふふと微笑みながら、額に落ちた髪を指で掬ってサイドに流すと。

 チキンの油できらりと輝きを増した髪が、凛々しくパリッとセットされた。


 大人な岸谷君のおかげで落ち着きを取り戻した時。

 同じタイミングで、自動ドアから真っ赤なリボンの女の子がちょこんと顔をのぞかせた。


 ん? どなたかな?

 今日は貸し切りだよ?


 女の子は俺を見て、真ん丸おめめをぱちくりさせた後。

 天使の席へ、おしゃまにふふんと腰かけた。


「ひょっとして、藍川君の戯れに付き合って楽しんでいたのかな? だとしたら、僕の方が大人気ないことをしましたね。でも、ご覧の通りこの席にはぶひっ!?」


 なんと、ダンディーな岸谷君にしては珍しい。

 ふごっと鼻を鳴らして驚いたまま、よろよろと椅子に崩れ落ちちゃった。


「岸谷君、違う違う。その子、外から入ってきちゃったんだよ」

「あ……、な、なるほど! いやいや、これはリトルレディーのいたずらに一本取られてしまった!」


 ほっとお腹を撫で下ろした岸谷君。

 そんな彼のてかてかに光る頭の向こうから、女の子のお母さんと思しき女性が申し訳なさそうな表情を浮かべてお店に入って来た。


 ……軽い色に染めたグランジロング髪。

 それを大人っぽくハーフアップに結った、少しタレ目な優しそうなお母さん。


 だれかさんにそっくりで。

 思わず絶句してしまいました。


「すみません、この子が勝手に……。ほら、さっきのお兄ちゃんはいないでしょ? 分かったら、もう帰るわよ?」

「…………おにいちゃん! いたよ!」

「え? ……おお! さっきの女の子か!」


 俺の横から声を張ったのは、六本木君。

 みんなが見つめる中、六本木君は女の子に近寄って。

 リボンの頭をくしゃくしゃと撫でてあげるのです。


「急にいなくなっちまったから心配したんだぜ?」

「だって、あのね! お母さんがいてね! あたしを呼んでたの!」

「まあ……、なんてこと? 本当にこのお兄さんなの?」


 ……三人で急に盛り上がり始めちゃったけど。

 ええと、察するに。

 駅前で六本木君が連れまわしてたのがこの子なの?


「お兄さんが一緒にいてくれたと聞いたのですが、この子が指差す方にどなたの姿もなくて。……やっとお礼できます。本当にありがとうございました」

「いえいえ。お嬢さんが急にいなくなったから心配していたんですけど、ほんとに良かった。……まったく、このお転婆め!」


 六本木君が女の子の頬をつつくと。

 真っ赤なリンゴが照れくさそうにはにかんで。


 そんな幸せな世界に、渡さんが優しい笑顔を浮かべながら足を運ぶと。

 みんなも自然と温かなテーブルを囲むように近付いて行った。


 照れくさそうに、そして少し誇らしげに六本木君の袖を摘まむ渡さん。

 彼女よりもっと赤い顔をして頭を掻く六本木君。


 女の子の真っ赤なほっぺが、二人を幸せな光で包んで温めて。

 みんなの心をぽかぽかとした優しさで満たしてくれました。


 でも、俺はちょっと気になって。

 穂咲によく似たお母さんに聞いてみました。


「それにしても、どうやってここにたどり着いたんです?」

「ええ、この子があたしの手を引いて、こっちだよって。……ふふっ、お散歩気分で付き合ってあげたら、まさか本当に見つけてしまうなんて」


 ほんと?

 そんなことあるの?


 丸くなった目を自覚しながら女の子を見つめてみたら。

 ふふんとおしゃまに説明してくれるのです。


「だってくりすますの夜は、女の子の夢がなんでもかなうんだよ?」

「おお……、そうなんですか。お兄ちゃん、今まで一度も女の子になったことないから知らなかったよ」

「じゃあ、おおきくなって女の子になれたらいいね!」

「それはいいなあ。おっきくなるのか小さくなるのかまるで分かんないけど」


 ぽかぽかな白いテーブルの周りに色とりどりの笑顔が咲いて。

 お花たちの笑い声と共に、有線から楽しい音楽が始まって。


 カンナさんがお母さんに席を勧めると。

 店長は厨房にケーキを取りに行って。

 日向さんがお皿にフライドポテトを取り分けて。


 不思議なゲストさんを囲んで。

 ようやくクリスマスパーティーが始まりました。


 ……でも、ポテトにケチャップをかけてあげている日向さん。

 そんな彼女の事を、女の子はじっと見つめているのです。


「ほい、できあがりっと! ちょっと冷めちゃったな。でも、今日は寒いからしょうがないっしょ!」

「寒い? じゃあ、お花のお兄ちゃんが風邪ひいちゃうかも」

「お花のお姉ちゃんなら有名だけど、お兄ちゃん見たの? そりゃレアっしょ!」

「駅の前のね? おっきなくりすますツリーのとこに、こーんなおっきなお花を持ってるから顔が見えないお兄ちゃんがいてね? 風邪ひいちゃうなーって」


 …………お花を持ったお兄さん?


「日向さん! それって!」


 俺が声を張るよりも早く。

 日向さんは上着も羽織らず駆け出して。

 駅の方へとあっという間に消え去りました。


「……健治君、すっぽかしたんじゃなかったんだ」


 俺がそうつぶやくと、神尾さんがキラキラした瞳で頷いて。

 そうだったね、二人が上手くいくように、あなたは望んでいるんだよね。


 とは言え、まだ駅前にいるといいけども。


「あれ? 一人、帰っちゃったのかい?」

「ケーキですか。……大声で泣きながら帰ってくる可能性あるので、日向さんの分も持ってきてあげてください」


 店長さんは俺の言葉に頷いて。

 真っ白なショートケーキが乗った大きなお盆をテーブルへ置くと。

 数を確認したカンナさんが怒り出しました。


「あほんだら! 昨日からどうなってんだよてめえの目は。今度は一個多い……って! これはちげえ!」

「数なら合ってるよ? 冷蔵庫の中に、一つ余分にあったんだ。だからこの女の子にあげようと思って」


 いつも優しい店長さんの心配り。

 でも、お母さんは慌てて席を立って。

 申し訳なさそうにお辞儀をするのです。


「いえ、そういうわけには……。あたし達はもう失礼しますので」

「そうなのですか? では、どうぞお持ち帰りください。カンナ君、ケーキ用の箱あったよね。あれを一つ…………、カンナ君?」


 店長の振り向く先で、首まで真っ赤にしてプルプルと震えるカンナさんの姿。

 ……ああなるほど。

 そういうことなのね。


「そ……、それ、あたしが作ったお前の分のケーキだよ! 他のとちげえだろ!」

「え? 僕の分? なんだ、それなら差し上げても問題ないよね」


 いつものように微笑みながら厨房に戻って、自分でケーキ箱を取ってきて組み立てているけども。

 ねえ、店長。店長ってば。


 あなたが箱に詰めようとしてるケーキ、なんか、ハート形のマジパンがやたらといっぱい乗ってますけど。

 ピンク色の生クリームもハート形にこんもり盛られて、なまめかしいのですけど。

 

 ……クリスマスの奇跡。

 女の子の夢はなんでも叶うんでしたっけ。


 でも、「子」じゃない女性は夢を叶えるためにひと工夫しなきゃいけないんだね。



 いつものキメ台詞が飛び出すことを想定して耳を塞いでいた俺のすぐ横で。

 盛大なため息をついたカンナさん。


 蓋を閉じようとしていた店長から箱をぶん取ると。

 真っ白なショートケーキも一つ詰めてあげました。


「……そっちの派手なのは酒使ってるから、お母さんが食いな。おまえの分はこっちの白い方。……ほら、またいつでもお母さんと遊びに来な」


 カンナさんが渡したケーキ。

 女の子が大事そうに抱えると。

 お母さんは本当に申し訳なさそうに、それでも心から嬉しそうにお礼を言って。

 二人仲良く、少し雪がちらつき始めた町へと帰って行きました。


「てめえはほんとに……」

「ああ、そうだった! ごめんね、わざわざ作ってくれたケーキを……」


 すっかりしょげてたカンナさん。

 それがふふっと笑い声を漏らすと。


 ……飛び切りの笑顔で、店長の手を引くのです。


「てめえはいつだってそうだ! おら! 自分たちの分、ケーキ作るぞ。てめえは心を込めてあたしの分作るように」

「ああ、うん。美味しいのを作ってあげるから、期待してくれていいよ」


 振り回されるように連れていかれる店長さん。

 厨房に消えると楽しそうな笑い声が聞こえてきて。

 ……そんな時、神尾さんがぽつりとつぶやいたのです。


「……すごいね。あの子は本当に天使だったのよ」

「え?」


 胸に手を組んで。

 幸せそうな微笑で。


 彼女は、俺の目を見つめながら言うのです。


「だって、あの女の子が全部解決してくれたんだよ? 渡さん達も、日向さんも、店長さんたちも」


 …………本当だ。



 雪のちらつく街へ帰って行ったいたずら天使。

 でも、彼女はいたずらな子じゃなくて。


 ほんとはみんなと遊びたかっただけで。

 最後には素敵な笑顔を届けたいと願う。



 優しくて、ちょっぴり寂しがり屋な女の子なんじゃないのかな。



「……ショートケーキ。美味しく食べてくれると良いね」



 駅前の方を見ながら呟くと。

 神尾さんは優しく頷いてくれた。




 ~🌹~🌹~🌹~




 ちょっと照明を落とした、オレンジ色の夜。

 お店の中は、幸せな笑顔に満ちて。

 クリスマスパーティーらしい暖かさに包まれていた。


 日向さんの隣には、健治君が座っていて。


 カンナさんは嬉しそうに、ちょびっとずつケーキを味わって。


 六本木君はいつものように渡さんと小さなことで言い合いをして。


 そんな皆を、幸せそうに神尾さんと岸谷君が見つめてる。



「…………なんか、不思議だった」

「不思議?」


 天使ちゃんの代わりにプレゼントを持って来た穂咲の前に、ショートケーキと紅茶を置いてあげながら呟くと。

 よっぽど寒かったんだろう、ほっぺたを真っ赤にさせた穂咲が見上げてきた。


「みんなケンカしてて、あんなに寂しかったのに。でも、天使がみんなを幸せにしてくれたんだ」


 穂咲の隣には、俺が選んだプレゼントの空箱。

 そこからテーブルに出された、サイネリアの鉢植え。


 その青い小花をツンと突きながら、俺が話す不思議な体験を聞いていた穂咲は、いつものトーンでぽつりとつぶやいた。


「別に不思議じゃないの」

「え? 不思議だよ」

「だって、あたしは寂しいの嫌だなって思ってたの」

「…………うん? それが?」

「だから、みんなが笑顔になると良いなって願ったの。クリスマスの夜は、女の子の夢がなんでも叶うの。……なんにも不思議じゃないの」


 そう言いながら俺を見つめる瞳に、テーブルのロウソクの光が瞬いて。

 君を見ていると、今、世界の誰もが幸せな時間を過ごしているんじゃないのかなって思えてしまう。



 ……サイネリア。


 その花言葉は、『いつも喜びに満ちて』。



 俺のプレゼント、君に届いて良かったなって思う。



「あ、これをあげるの。なんでかプレゼントがもらえなかった憐れな道久君に」

「酷いね。一瞬で気分が台無しです」


 やれやれ、こんな夜でも君は変わらないんだね。

 俺をがっかりさせることについては世界一だ。


 そんな穂咲が押し付けてきたクリスマスプレゼント。

 ブルーの包みに白いリボン。


 包みを開いた俺は、この言葉を止めることなどできなかった。


「…………やっぱり、不思議な夜だよ」

「ぜんぜん不思議じゃないの」


 すべての諍いが、夢のように消えていく。

 俺は真新しいマフラーを首に巻きながら、さっきと反対の事を考えていた。


 やれやれ、君はいつでも変わらない。

 俺を幸せな気持ちにさせることについては世界一だ。


「……ごめんね。前の、木に引っ掛けて傷んじゃったから。これ使っていい?」

「もちろんなの」


 マフラーからは、いつもの香りがして。

 隣にいるだけで落ち着く香りがして。


 にこにこしながらサイネリアを突く君の目に、幸せな笑顔をマフラーでこっそりと隠す男の子が映ってる。


「わざわざ取りに行って、寒かったろ。紅茶、暖かいうちに飲めば?」

「うん」

「ケーキもどうぞ」

「あ、それはいいの」


 …………ん?


 そう言えば、いつもと違って俺のショートケーキにはイチゴが乗ったままだけど。


「いいのって、なにが?」

「だって、ケーキ、一個食べちゃったの」

「……どこで?」

「内緒なの」


 そう呟きながら、しーっと口に一本指を立てた穂咲の赤いほっぺたに。

 きっと、光の加減で錯覚しているのだろうけど。

 見覚えのある、ピンクの生クリームがちょっぴり付いているように見えた。


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