第11話 谷底で生まれた風
声が聞こえぬほどの距離に将軍は退き、ただし弓矢をつがえた状態で二人を見守っている。
弦朗君は無事な左肩を岩場にもたせ掛けて座り、サウレリはその前に片膝をついた。
「大丈夫か?」
「ああ…」
「お前に嘘をつかせたな、肩の傷の件で――すまない」
「どうということはない」
言葉とは裏腹に蒼白な顔をした弦朗君を前に、サウレリはしばしの沈黙の後、やがて口を開いた。
「税率の件だが、やはり三割は無理だ。せめて二割五分に押さえて欲しい。だが、もしそれが認められたら――」
サウレリはためらっていたが、やがて苦し気な口調で続けた。
「妹が十五を過ぎたら、烏翠に送って王宮に仕えさせる」
――この兄を許してくれ。
サウレリは、ツァングで自分の帰りを待ちかねているであろう妹の顔を思い出し、胸が張り裂けそうだった。弦朗君も彼の気持ちが伝わったのか、眉根を寄せ、左手でサウレリの右手を取った。
「そなたが可愛がっている妹御を――瑞慶宮に送ったら最後、一生を王宮の籠の鳥として過ごさせることになる。大空を飛ぶ若鳥の翼を折って、籠に閉じ込めるのと同じことだ、サウレリ」
「わかっている」
「私は『山房』という名の籠の鳥だが、そのような運命だと諦めもついている。だが、妹御は違うだろう。人質として生きるには若過ぎる」
「言うな、俺の手札はそれしかないのだ。妹も、『姫』と呼ばれる身分に生まれた以上は、そのような運命をも甘受せねば。それに、瑞慶府にはお前がいる。もし将来、妹が瑞慶府に行ったら、俺の代わりに妹を守ってやってくれないか?」
サウレリは覚悟を決めているようだが、内心の辛さは覆い隠しようもなかった。彼の意を汲んだのか、弦朗君は劣らず真剣な顔で頷いた。
「その時が来て私がまだ生きていたら、必ず。だが、税率が減ったとしても、厳しい条件には変わりがない」
「お前がラゴに来て三日経つが、やはり烏翠が主、ラゴ族が従である事実は動かない。悔しいことだが。それに、ラゴが烏翠に一歩でも譲ったことが北方一帯に知られれば、彼等のラゴを見る目も厳しく、侮りを込めたものになるかもしれない。だが、一時の屈辱を耐えてみせよう。そして、いずれは――」
一族の矜持を押さえつけ、一時でも烏翠の前に膝を折らなければならないラゴ族の若者を、弦朗君は痛ましげに見つめていたが、何かを決意したかのような表情で、相手を引き寄せるとその耳元で囁いた。
「新たに押し付けられた割増しの分は、蓬莱南道のほうで補うがいい、サウレリ」
「…どういうことだ」
「蓬莱南道を通る来州は、臨州と並ぶ難治の地だ。瑞慶府に対する反感がもとから強い。開国以来従ってきたラゴ族も明州や来州の山間部に住んでいる。いよいよもって窮したら、私の名を出して彼等を頼れ。私自身にはさして力もないが、彼の地には知己もいるゆえ」
「いや、それは……」
密輸の教唆に他ならないが、そのようなことが漏れたら王への謀反と同じ、彼の命などあっというまに潰えてしまう。
「だめだ、それだけはできない。お前が死んでしまう。誠意は受け取るが、聞かなかったことにしておく」
「サウレリ…」
「もう言うな」
拒まれた弦朗君はしばらく下を向いていたが、やがて顔を上げ無理に微笑んだ。
「承知した。とにかく、そなた達の条件を、私は王に伝える。それで王が納得するかはわからぬが、我が命に代えても、最善を尽くそう。おそらく、妹御の瑞慶府行きという条件が加わったからには状況も変わり、王の側近たちが受け入れるべく動くだろう。もう不毛な争いは終わりにせねば……」
そして、弦朗君は懐から節を取り出し、水平に構えて宣言した。
「王命を賜りし烏翠の使者、すなわち光山弦朗君は、ラゴ族の族長代理サウレリ・トジン・パーリとここに仮の和約を結ぶ。これが正式な和約となるか、破約となって再び戦になるかは、瑞慶宮の判断を待ってのこととする」
サウレリは頷き、一度立ち上がると弦朗君に丁重な拝礼を行い、再び膝をついて口調を改めた。
「弦朗君さま」
「サウレリ」
族長代理は、はじめて敬語をもって相手の君号を呼んだ。
「仮に結びし烏翠との和約により、御身を烏翠にお返し申し上げる」
「……」
弦朗君は、寂しそうな目をしていた。
「諱で呼ぶなと言ったのは、確かに私だが…」
「そう、あなたを二度と諱で呼ぶことはしない。ラゴも烏翠もなく、等しく照らす月光のもとで過ごしたひと時は、生涯忘れぬ。だが、ひとたび別れたならば、遠く離れた場所で月を見上げて思い出す、互いにただそれだけの存在でいるのが、我等ふたりのあるべき姿だろう」
「あるべき姿か。……そなたと再び月を見ることができるかはわからぬが、もし叶うとすれば、そのときは詩歌を詠もう」
「ああ、お互いにできれば戦場ではなく、月下で
仮の和約が破れ、もし再び戦場で若草色の蝶が舞うのを見れば、今度はそれを踏みにじり殺してしまうかもしれない――。だが、サウレリはそれを口に出すことはしなかった。
弦朗君は劉将軍を呼んで証人とし、彼の前でラゴの条件を再び確認した。そして付き添われて将軍の馬に乗り、岩場を街道に向かって下りていく。馬上から何度も、弦朗君は振り返ってこちらを見ていた。彼の若草色の肩掛けが色のない街道に鮮やかに映え、まるで蝶がゆっくりと谷を渡って山を越え、自分の生まれたところに帰るようだった。
サウレリもやはり馬上から知己を見送っていたが、やがて相手が完全に視界から消えると「帰るぞ」とサライに呟き、ぽんぽんと胴を叩いてやりざま馬首を巡らした。
彼は、胸元がちくりとするのに気が付いた。襟に手を入れると、痛みの正体は
谷底から生まれたばかりの乾いた風が、ふっとサウレリの脇を通り抜け、手のひらに乗せた髪を散らしていった。
【 了 】
最後まで読んで下さってありがとうございました。
なお、本編の後日談として短編『古歌』がございます。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054886036265
また、『罫線のないノオト』に本作の解説・所感などを書きました。あわせてご一読賜れば幸いです。
https://kakuyomu.jp/my/works/1177354054883089882/episodes/1177354054884165520
戦場を渡る蝶 ――翠浪の白馬、蒼穹の真珠 外伝2 結城かおる @blueonion
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