第3話 タフラ・マージャ
実のところ、ラゴ族と烏翠の関係が軋んでいるのは、ラゴ族出身の盗賊が辺境を荒らしたとの名目で、烏翠が「討伐」と称してラゴの地に兵を進めたばかりか、ラゴから烏翠に入る品物に今までより遥かに高い入境税をかけてきたからである。
ラゴ族もラゴ族で、ここ数年は雑穀の収穫高が低いばかりか狩りの獲物も減り、飢えた者が盗賊に変ずるという事態に、サウレリ達ラゴの統率者も頭を抱えていたところであった。そこへ烏翠から兵を送られ税を重くされては、一族ぐるみで立ちいかなくなってしまう。
はじめはささいな小競り合いから始まった両者の対立も、段々と大ごとになり、ついには死者も出る事態となった。数で勝る烏翠の軍も、ラゴ族の遊撃戦と勇猛さには手を焼いている。サウレリが男を拾ったのも、二廟付近での戦いが混戦となり、烏翠が退却した後の見回りに出ている最中のことであった。
「――立てるか?」
サウレリに声をかけられた若者はやっとのことで立ち上がったが、すぐに頭を押さえて蹲った。眩暈がするらしく、気分の悪さを耐えているようであった。差し伸べたサウレリの手を振り払い、きつい視線を相手に投げかけて、再び立とうとする。だが、できない。
「意地を張るな」
サウレリは彼をたすけ起こし、だが思案気な表情になった。どうやって彼を連れ帰ろうか?この様子では、歩くのはおろか、一人で馬に乗るのも難しそうである。そこでオドアグに自分の愛馬を引いて来させ、馬の耳に囁いた。
「サライ、悪いな。少々重いかもしれんが、我慢してくれ」
「サウレリ。後ろに乗せて万一…」
部下の警戒する声に、サウレリは一笑した。
「襲われたらどうすると?気になるならば、お前が斜め後ろからついて見張ればよい」
そしてオドアグに手伝わせ、馬に二人乗りとなった。後ろの若者は言われるがままサウレリの身体に腕を回し体重をその背に預けたが、ぐったりとしていて、ひどく気分が悪そうである。
「大丈夫か?揺られて辛いだろうが、我慢せよ」
背後の人質に注意し、ゆっくりと慎重に手綱を操りながらサウレリは長い坂を下っていく。
――それにしても、ふらりと戦場に紛れ込んできたような……。いったい何者だ?
「神の眼」にほど近いラウニャの邑は、今回の紛争における前線の砦となっていて、サウレリも本来の族長治所のツァングではなく、ここを拠点に陣頭指揮を執っていた。
サウレリ等が邑の門をくぐると、人々が集まってきた。みな安堵した様子で、一族を守るサウレリに感謝と労いの視線を向けたが、彼が後ろに乗せている人物の風体を見るや、空気があっという間に硬く、重苦しいものに変わった。しかし注目されている当の本人は、眼を閉じたきり周囲の刺々しい視線に気づいてもいないようだった。
「
年老いた
「『神の眼』の近くで拾った。おそらく烏翠の者だが…」
邑長は眼を細めた。
「身分の高い者に見えますな、人質になさるつもりで?」
「そうなるだろうな」
「…どうなさるかはむろんサウレリさまにお任せしますが、この邑に長く置かれぬほうがよろしいかと」
「何故だ……ああ、そうか」
ラウニャは五日ほど前、烏翠の兵に急襲され、邑人を十人以上も喪っているからであった。
「どうするかはまだ決めておらんが、長居はさせぬつもりだから安心するが良い」
ほっとした様子の邑長の後ろから、息せき切って走ってきた中年の男がある。
「邑長、族長代理――盗賊を捕らえました!」
「おお…」
遅れて、十数人の集団が遅れてやってくる。馬上のサウレリには彼等が良く見えた。真ん中に取り囲まれているのは、縄をかけられた男が三人、その縄の端を持ち武器を手にした邑の男が十人ばかり、その後から大きな袋をかついだ少年が小走りについてきている。
サウレリはオドアグに背後の若者を降ろさせ、自分も馬から飛び降りた。目の前に連れて来られた盗賊たちはやはりラゴ族で、捕り物で傷を負い精魂尽き果てたのか、揃って悄然としている。
「ラゴ族だな、どこの邑の者か」
「アンバヤです」
縄を持った男が代わりに答えた。
「アンバヤか――」
サウレリの顔が曇ったのは、そこがとりわけ飢えの厳しい邑であることを知っていたからである。交易の安全を脅かす盗賊は重罪だから、本来は処刑すべきであるが、しかし――。
「わかった。処決はひとまず猶予し、すまないが彼等を閉じ込めておいてくれぬか。この邑も苦しいだろうが、彼等にも食べ物を分けてやって欲しい」
それから袋の中身を問うと、持っている少年は返事の代わりに袋を逆さにした。いくつもの品がこぼれ出て、地面に転がる。
「あっ…」
声を上げたのはサウレリと、いつの間にか眼を開けたのか、オドアグに身体を支えられた若者であった。
「よもや…お前のものか?」
振り返って問うサウレリに、男は肯定の返事をした。
そこで改めて品々を検分すると、まずサウレリに眼を止めさせたのは、銀の留め具がついた、若草色の細長い布である。
――戦場の蝶。
幻影かと思ったあの羽ばたきは、幻影ではなかった。さらに布を手に取って目を凝らすと、質の良い厚手の絹地に、山と日輪を戴く白い烏の徽章が刺繍されている。ついで立派な拵えの佩剣、翡翠の佩玉、銀の煙管、そして節。サウレリの記憶によれば、白烏の紋章は官もしくは王家のものだったはずである。
「――ではお前は王族か?」
問いかけるサウレリに、ややあって男が口を開いた。
「そうだ。……私は現王の従弟にして、
正直に名乗ったことには感心させられたが、山房の当主すなわち直系王族と聞いてサウレリは眉をひそめた。一方、男は安堵の吐息を漏らす。
「ああ、良かった。国君よりじきじきに命を賜った節が…」
「節?ということは、お前の役目は…」
若者すなわち
「私は烏翠の王の命を受け、ラゴ族に遣わされた交渉の使者だ」
「本当か?では、出会ったときなぜ言わなかった?」
問われた者は、肩をすくめた。
「節も何も、身の証しを持っていないのに、使者と言って信用してくれるだろうか?それに、そなた達の正体もわからぬとあっては…」
それもそうだと呟き、節を片手にサウレリは考え込む。となれば、彼を虜囚扱いすることはできない。多少は烏翠の言葉を解す邑長はもとより、解さぬ人々も、かたずを飲んで二人のやりとりを見守っている。
「わかった。俺はサウレリ・トジン・パーリ、先代の
サウレリは挑むような目つきをした。
「我等はお前達に『蛮族』とも揶揄されるラゴ族だ。そして烏翠とラゴはいまや断交寸前、使者とはいえ、事ここに至っては手段を選んでおられん。お前を人質とするか、もしくは首を落として烏翠に送る可能性があることを承知しているな?」
「無論のことだ、覚悟はできている」
一向に動じず微笑む若者を見て、邑人も彼の命が助かったらしきことを知り、その場には微妙な空気が満ちた。
「邑長、そなたの家を我が宿りにしているが、この者も連れて行くぞ。まずは話してみないことには…」
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