第10話 決闘

 「…劉将軍」

 弦朗君の呟きに、将軍と呼ばれた男は眉を上げた。

「お迎えに参じました、弦朗君さま。ご無事で何よりです」

「…サウレリ、この者は私を殺すつもりはない。古い年上の友人だ」

 その「友人」は、単騎で国境を越え、密かに彼を探しに来たらしい。いっぽう、サウレリは弦朗君をそっと脇におしやると、腰の剣を抜き放ち、獲物を見つけた狩人のごとき笑みを浮かべる。


「老いぼれが……あの戦闘では不覚を取ったが、ここで会ったが百年目だ」

 そこまで言うと、ラゴ族の若者はふと眉をひそめた。

「二廟にはラゴの見張りがいただろう。どうやって越えてきた?」

 将軍は答える代わりに、剣を一度大きく振って見せた。サウレリの両眼に、怒りが燃え上がる。


「おのれ…ラゴの土地にのこのこ出てきたこと、後悔させてやる!」

「小僧、後悔するのはお前のほうだ。その御方から離れろ、大人しく引っ込んでおれ。さすれば命までは取らぬ」

「…サウレリ、彼を侮って剣を交えるな。ここは…」

「うるさい!」


 冷静さを失ったサウレリは耳元で囁く弦朗君を突き飛ばし、剣を構えて将軍を窺う。弦朗君は地面に転がり、立とうとしたが肩の傷が堪えるらしい。動けぬまま左手を反対側の肩口に伸ばし、額に汗を浮かべ唇を噛んだ。

「年寄りの冷や水が、笑わせてくれる。馬を降りろ!」

「面白い、一騎打ちということか、受けて立ってやる。お前さえ殺せば、ラゴなど烏合の衆にすぎん」

「サウレリ……劉将軍!」


 弦朗君の止める声など聞かず、軽々と馬を飛び降りた劉将軍にサウエリが突進した。素早い身のこなしと鋭い剣さばきがサウレリの戦い方とすれば、将軍はやや重いが力みなぎる刃を縦横に駆使し、容赦なく敵に打ち込んでくる。

 剣を合わせるのは初めてだったが、サウレリの予想以上に老人は手強かった。剣戟の音が空谷にこだまする。加齢による膂力の衰えは技量が十分に補い、サウレリは劉将軍の鉄壁な構えを崩すことができない。ついには懐に飛び込もうとしたが、難なくはじき返され、思わずよろめいた。


「くっ…」

 すかさず襲い掛かる刃をすれすれにかわすのがやっとで、反撃の糸口を掴めぬままサウレリは間合いを詰められ、ついに片膝をついてしまった。自分の頭上に鈍く光る剣が迫って見える。


 刹那。

 また、あの若草色の蝶が視界をかすめ、何かが自分に覆いかぶさった。

「なっ……」

 鳥が羽交いのもとに小鳥を庇うように、自分の頭を抱え込むがごとく守ってくれているのは、弦朗君だった。サウレリの襟元にばらばらと落ちてきたのは、斬られた彼の髪――。

「光山さま!」

 劉将軍も驚きの声を発し、剣を引いた。弦朗君は身体をサウレリから離したが、なおも彼の前で左腕を広げ、劉将軍を遮っている。


「劉将軍、駄目だ。私かサウレリかそなた、今ここで三人のうち誰が死んでもラゴと烏翠は泥沼の状態になる。だから…」

「その者から離れてください、生かしておいては……それに、弦朗君さま、あなたの肩の怪我は?まさかラゴ族にやられたわけではありますまいな?」

 血がにじむ弦朗君の背中、劉将軍の疑惑に満ちた視線にサウレリは身を固くしたが、弦朗君が落ち着き払って答えた。

「むろん、過日の小競り合いで射られたものだ。傷口が開いてしまったが、大事ない。この者に手当を受けたのだ。それより将軍、そなたとてラゴと戦うのは本意ではないはずだし、いくらラゴ族が意に従わぬといっても、そして我が烏翠が数で勝るといっても、まさか本気で彼等を全滅に追いやるつもりではあるまい?」

「若君――」

 劉将軍は迷っているようだったが、やがて剣を鞘に納めた。サウレリものろのろと身を起こす。


「顕秀――いや、烏翠の使者と二人きりにさせてもらえぬか?いまラゴ族からの返答を伝える。案ずるな、使者に危害は加えぬ。ラゴ族の名誉にかけて誓おう」

 劉将軍は眼を細めて、諾否の返事をしなかったが、代わって弦朗君が答えた。


「もちろんだ。烏翠の使者として、族長代理からの返答を聞こう」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る