戦場を渡る蝶 ――翠浪の白馬、蒼穹の真珠 外伝2

結城かおる

第1話 若草色の翅

 金属の響き合う鈍い音、軍馬のいななき、人間の怒声や呻き声、濃厚な血の匂い――青年が身を置く空間は、そんなもので満たされていた。


「サウレリ!左翼が退き始めました!」

 自分を呼ぶ声に青年は振り向くこともなく、眼前の敵の胴を剣で薙ぎ払った。そのまま馬首を翻し、後ろから切りつけてきた別の兵と、刃をがつんと合わせる。

「…この」

 自分の味方が総崩れとなる前に、敵勢を何とか追い払わなくてはならないが、敵将はなかなかに老練な戦い方を仕掛けてくるので、戦闘力は高くとも経験と数で劣る彼の手勢は、押され気味となっている。おまけに戦っているのは足元の悪い岩場で、雨まで降り出してきた。


 このまま勝負をかけ、敵陣に切り込んで敵将の首を挙げれば――。


 だが、青年はすぐにその考えを捨てた。敵将は老人であったが、鋭い眼光といい、堂々たる体躯といい、そして自ら先陣に立って自分達ラゴ族を蹴散らした技量といい、明らかに只者ではないようだった。


 群がる兵の刃を掻い潜り、頭を一振りした青年は、視界の隅に奇妙なものを捕らえた。

「――?」

 若草色もあざやかな一羽の蝶――。ひらりと翻り、だがそれは一瞬にして消えた。

 ――なんだ?

「くそっ…」

 常ならぬものに気を取られていたせいで、わずかにびんを削がれてしまった。ラゴ族随一の腕を誇る自分が、何という不覚か。


 敵軍に思うさま後退させられ、自陣が総崩れとなる寸前、敵の老将が大音声で呼ばわった。

「良い、しんがりにはわしが立つゆえ、ひとまず退け!ラゴ族よ、今日のところ命は預けておいてやるが、わが烏翠うすいの要求を呑むべく返事をせねば、今度は殲滅せんめつしてくれるぞ」

 敗色の濃い敵を深追いせず、巧みに自軍を操りながら追撃を防ぎ、鮮やかに退却していく手腕。


 ――情けでもかけるつもりか。皆殺しにされるほうが、ましだ。


 青年は斬られた左腕を押さえ、屈辱に身を震わせながら、敵将の後ろ姿を見送っていた。

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