Ride 2

 本来、乗用車を収容できる車庫にはオフロードバイク一台しか置いていなかった。おかげでスペースは余っていて、整備をするのに不自由はない。

 赤いタンクにワックスをかけると滑らかな光沢が生まれた。我ながら惚れ惚れするバイクだ。マイナー車のため、一五年の生産に終止符が打たれているなんてとても思えない。

 父が所有者だった頃、魅希はオフ車がカッコ悪く感じていた。それが乗り始めて良さに気づき、見方が一八〇度変わった。どこへでも連れていってくれる最高の相棒だ。

 メンテナンスがもうちょっとで終わるというところで壁がノックされた。母だ。

「何時までバイクいじりなんてしてるの。そんなことする暇があるなら勉強しなさい」

「待ってよ、ネジ増し締めしたら部屋に行くから」

 母には毎度辟易させられる。口を開けば、勉強しろバイクに乗るな、だ。なにか文句を言われそうで、顔を合わせるのすら嫌になってくる。

 それに比べて父は優しかった。大抵のことは許してくれたし、優しくしてくれた。母に怒られたときはいつだって父に泣きついたものだ。小さいときにはよくこのバイクの後ろに乗せてもらったり、林道に行くこともあった。

 中学を卒業したらハイパーシェルを譲ると約束してくれた。急にそんなことを言い出したのは、なにか予感があったのかもしれない。卒業の直前で信号無視のトラックに跳ねられて父は事故死した。バイクも半壊。

 ボロボロのバイクを魅希は必死になって直した。そうすることで父の魂がよみがえるかのように思えたのだ。それなのに母は中古ショップに売り払ってしまった。あのときは、鬼はこの世に存在するのだと思った。しばらく口もきかなかった。

 ショップの店長に誰にも売らないよう頼みこみ、バイトをして買い戻して現在に至っている。母には今度売ったら肉親とも思わないときつく言っておいた。それが功を奏して、なんとか売られることは免れている。ただしバイクに乗るのは頑として反対されていた。

 もはやバイクのない人生は考えられない。こんなにも愛しくて力強い存在が他にあろうか。他のなにを捨ててもバイクは守り抜く覚悟だった。

「魅希って友達いないでしょう」

 ドライバーを回していた手を止めて顔を上げる。頬が引きつった。

「アタシだって、友達の一人や二人ぐらい……」

「そう? アンタ、中学以降は一度だって家に連れてきてないじゃないの。来るとしたら変なガイコツのコだけで」

 痛いところを突いてくる。確かにまともに友達らしい友達がいたのは小学校卒業までだ。中学進学してから、ついうっかり生来の気性の荒さが表立ってしまい、誰も遊んでくれなくなった。一人は気楽で、別にそれでもいいと割り切ったまま高校に進学したのである。

 なぜだろう、友達がいないと指摘されて妙に焦燥感が湧いてきた。

「バイトよ! バイトで忙しいから友達と遊んでないだけ」

 精一杯の強がりだ。

「あら、そう。じゃあバイトが休みの日に連れてこられるわね」

「と、ととと当然よ。い、いっぱい、いるもの……」

 声は死にかけたカトンボみたいにどんどん細っていく。

 工具を片づけながら心臓がバクバクしていた。バイトが忙しいというのはもちろん建て前だ。単に、家に呼べるような関係性の知人などこれっぽっちも思い浮かばなかった。




 朝の道路は通勤する車も多くて、スムーズに擦り抜けて走るのはそれなりのテクニックがいる。大通りを駆け巡り、乗用車の先頭に辿り着くと見知ったバイクが三台、前を走っていた。

 三台が過ぎたあたりで信号が赤に変わり、魅希は止まらざるを得なかった。

 青になるのをいまかいまかと待ち、信号が変わったと同時にスタートダッシュをかける。バイクの加速性能は乗用車のそれを大きく上回る。一気にトップスピードまで持っていき、前のバイクを追走した。

 外壁に囲われた陽丘学園の校舎が見え始める。前方の三台が最終コーナーをカーブして見えなくなった。曲がった数十メートル先が校門だ。このまま走ったのでは追いつけない。

 魅希はハンドルを切らず、直進してガードレールに突っこんだ。前輪がフワリと浮き、後輪がガードレールを蹴る。車体が高々と空中を走り、歩道を越えて外壁に乗り上げた。さらにジャンプをし、緑生い茂る木々の間を抜ける。右手下方にこちらを見上げる三人の姿があった。

 着地。サスペンションと膝で衝撃を全て吸収し、再び地面を駆ける。四人で決めたゴールラインをトップで突破し、バイク専用駐輪場に到着した。

 それぞれが停車をし、メットを脱いでバイクを降りる。

 アメリカンバイクに乗っていた青年──守賀緋劉もりが ひりゅうは呆れがちに溜め息をついた。

「今日は勝てると思ったんだがな」

「ちょっとやそっとリードしたからって勝てるわけないでしょ。アタシは天下御免の魅希ちゃん様よ?」

 そうだな、と緋劉が中分けにした黒髪をポリポリと掻く。

 そんな彼を跳ね除けて挨拶をしてきたのは夜駒だ。

「さっすが魅希ちゃんだね。俺、惚れ直しちゃったよ」

「ッテェナ、コラッ!」

 ブチギレた緋劉が夜駒にいきなり殴りかかる。

 これさえなければまともに見えるんだけど、と魅希は苦笑した。緋劉は高二の初めに転校してきた青年だ。元々は関東一の暴走族総長と言われていたらしく、敵の多さが災いして特異体質になってしまったという。誰かにぶたれたり軽い衝撃を受けるだけで普段の温厚さがなくなってキレるのである。

 緋劉がいままでと違う自分になりたいと言っていたから魅希がアドバイスして普通っぽくさせてはいた。いまのところ周囲にはなんだか恐いオーラが出ているけど目立たない人というふうに見られているだろう。

 伝説を知っているヤンキーらもまさか暴走族総長だった緋劉がおとなしく学校生活をしているとは露知らず、ここにいる青年の凶悪さに気づいていない。

 緋劉からの攻撃をかわしつつ夜駒は下級生をナンパしている。夜駒は夜駒でよく分からない人間だ。入学当初からまとわりついてきて、チャラチャラしているのにケンカもバイクの腕も緋劉に匹敵する。彼の過去にもなにか裏があるように感じられた。

 腕に黒髪の少女が絡みついてくる。極めつきはこの麗華だ。なぜか古き良き(?)不良に憧れてバイクも族車に改造してしまっている。

 今日はガイコツではなく人間の姿になっていた。目はやや細く、口元に微笑をいつも浮かべている。まともな性格であれば日本美人と言えた。

「白熱しすぎてワタクシ、朝からビショビショですわ」

「汗でね」

「魅希様にドライなツッコミされるのも、ダ・イ・ス・キ」

 あ、ガイコツになった。どうも興奮が一定以上に達するとガイコツ化するらしいと分かってきた。藤堂家特有の特殊能力というのは厄介なモノだ。

 なんだかんだと騒がしくも四人で昇降口へ向かう。他の生徒は微妙な距離を置いて遠巻きに眺める視線を送ってきた。ハネウマだ、とあちこちから聞こえてくる。

 麗華が勝手に四人をグループ化して名づけたのがチーム「ハネウマ」だ。魅希はなぜかリーダーにされている。最近はシンボルマークも考え中だとかで、まんま“跳ねている馬”ではどこぞの車のエンブレムになってしまうから即却下しておいた。

 緋劉と夜駒は相も変わらず罵声を浴びせ合っている。

「アンタらちょっとは静かにしてなさいよ」

「だって魅希ちゃん、コイツしつこいんだよ」

「俺はチャラチャラしたナンパ野郎が嫌いなだけだ」

「あぁ? それを言うなら俺だって真面目ぶった偽善者は大嫌いだぜ~?」

「誰が偽善者だ、コラ」

「だからやめなさいっての、アンタらはもう」

 ただでさえ夏場の廊下は暑苦しいというのにやめてほしかった。

 進学してから麗華を筆頭に変なのが寄ってきて大迷惑だ。中学のときと比べて変化があったが、彼らを友達とは思えないし、思いたくもなかった。

 あぁ、まともな人間と友達になりたい。切に願っていたら同級生の少女が数人寄ってきた。握手してください、と言われて応じるとキャーキャーと騒ぎだす。

 これは、友達、なのか?

「あの、良かったら今度一緒に遊ばない?」

 思い切って言ってみたら、みんな困ったような恐がるような反応をした。

「どっか行けですわーっ!」

 応えを聞く前に麗華がみんなを追い払ってしまう。

 とりあえずゲンコツをくれてやった。しかしあの感じだともっともらしい理由で断られていただろう。ファンはいても友達はやはりいなかった。

 緋劉と夜駒はいまだにケンカしているし、麗華は男女問わず威嚇して遠ざけようとしている。もはや収拾がつかない。この三人につきまとわれているのが、そもそも友達ができない主な原因なのではないだろうか。これは本当に家へ友達を一人も連れていけないかもしれない。

 魅希は思った。コイツらをどっかにやらないとアタシは手遅れになる。




 しくじったー。パソコン室でパソコンの授業なのに間違えて別の教科のノートを持っていってしまった。鐘が鳴るまであと数分しかない。二年二組の教室に戻ってノートを取ってパソコン室に行くのにどう計算しても一分以上はかかる。魅希は全力で廊下を走った。

「鐘乃! 止まれ!」

 生徒指導を担当している体育教師に制止をかけられる。時間がないのに面倒な奴に引っかかった。陽丘学園は身だしなみのチェックが厳しい。髪を染めるのは許されていなかった。

 彼は短いポニーテールにした黒髪をジロジロと念入りに検査してくる。

「どうやらちゃんと染めてきたみたいだな」

 魅希の地毛は金髪だというのに信じてもらえず、ちょっと前に黒染めしたのだ。証拠となる赤ん坊のころの写真は黒髪で、園児の途中あたりで金になった。後者の写真は認めてくれなかったのだ。両親も生粋の日本人で髪は黒。説得に足る材料はなくて黒くするしかなかった。

 昔から金髪のせいで絡まれることが多く、黒くするのには抵抗はないものの、どうせまたすぐから面倒臭いのだ。

 行って良し、と許しを得て二年二組の教室の前までダッシュした。

 中から話し声が聞こえてくる。わずかに開いた戸の隙間から覗くと梨緒がヤンキー少女三人に囲まれてからかわれている。天パーの髪をグシャグシャにされ、赤縁メガネも取り上げられていた。されるがまま。早くパソコン室へ戻らないといけないのに気まずいところに出くわしてしまったものだ。

 一呼吸をし、戸を開ける。

「おやおや、なにしてんの?」

 精一杯の気づかなかったフリをして一直線に窓際の自分の机に向かった。ノートを手にする。

 このまま無視をしてやり過ごすのは性に合わなかった。一対複数というのも気に食わない。

 ヤンキー少女らは黙したままだった。

「なにしてんのって訊いてんの」

「いや、なにっていうか、魅希さんがいるのにいつもテストで一位になって生意気だと思って」

 これには魅希もムカッとくる。

「アタシを言い訳のダシにすんなっ!」

 ヤンキー少女ら全員にチョップで鉄槌を食らわせてやった。軽くやったのに、やたらおびえて逃げていく。やれやれだ。

 梨緒は床に落ちた赤縁メガネを拾い、レンズを拭いた。うつむいてなにも言わない。こうした態度も標的にされる要因になるのだろう。

「なんでアイツらにやり返さなかったの?」

「反抗すれば面白がられるだけですから」

「だからってなにもしなかったら同じことの繰り返しよ」

「強い人には分からないんですよ、弱い人間の気持ちなんて」

 早口で発された言葉に魅希は首を振って否定する。

「アタシだって小さいときに病弱で死にかけたことだってあったのよ。すごい弱かったの」

「本当ですか?」

 魅希は肯く。あまり覚えてはいないが、いつもベッドに寝ているしかなかったのはおぼろげに記憶にある。そのあとどうやって元気になったかはすっぽり抜け落ちていた。でも体が弱いと心も弱くなって悲観的になってしまう気持ちは理解できた。

 授業開始の鐘が鳴る。しまった、遅刻だ。

「早く行くよ!」

 梨緒の手を掴んで魅希は猛ダッシュした。彼女は走るのが不得意なようで、何度か転びそうになりながらパソコン室へ辿り着く。

 幸い先生はまだ来ていなかった。空いている前の方の席に梨緒と座る。

 授業が始まって驚いたのは、彼女はパソコンも得意だということだ。

「よくそんなことできるわね」

「覚えちゃえば簡単ですよ」

 その覚えるというのが難しいのだ。魅希はコンピュータや機械が苦手で、特にボタンがゴチャゴチャ付いているのはダメだった。バイクも最近はコンピュータ制御の物が普及しているが、アナログな方が好きだ。コンピュータはいざというときに信用できない。

「ねぇ、ここはどうやるの?」

「ああ、それは右クリックをして──」

 結局、授業内容のほとんどを梨緒に手伝ってもらった。

 彼女と接してみて分かったのは、頭が良すぎる、ということだ。見た物は瞬時に暗記してしまうし、頭の回転も速い。並の人間ではついていけなさそうだ。

 そうした特徴とおとなしい性格が相まって人を遠ざけてしまうのだろう。だからといって決して悪いコなわけではない。むしろ良さそうなコだった。

 魅希の脳内で電球がピコーンと光る。彼女であれば、まともな友達になれるかも?

 昼休み、魅希は積極的に動いた。梨緒を探して隣に座り、自分から話しかけた。一にも二にもコミュニケーションが大事だ。好都合なことに麗華や夜駒は職員室に呼び出されている。緋劉が対面に座ったものの、彼なら邪魔にはならない。変に衝撃さえ与えなければ無害だ。

 聞けば、緋劉と梨緒は同じ美術部で顔馴染みらしかった。

「だからね、梨緒はすごい能力を持ってるんだから堂々としてればいいのよ」

「でも私はやっぱりなにも抵抗しない方が得策というか……」

 他のことはわりと明朗に話してくれるのに、イジメのことになるとウジウジし始める。根本的な部分で自分とは考え方が違った。ウジウジするぐらいならぶつかってしまえというのが魅希のモットーだ。

「緋劉もなんか言ってやってよ」

 黙りこんでいた彼は、ああ、と首肯する。

「イジメは俺も経験がある。当時は小学生だったけどな」

「なにそれ、意外。アンタがイジメられてるところなんて想像もつかないわ」

「俺はおとなしかったんだ。なにをされても我慢をしてて、それがイジメッ子からすると面白かったみたいだ。それでも俺は別に気にしなかった」

「そこらへんまでは梨緒のケースと似てるわね」

「しばらく経ったある日、俺は一番大事にしてたオモチャを壊された」

「それでも我慢してたの?」

「もちろんボコボコにしてやった」

 まるで参考にならない。

「そんなことだろうと思ったわ」

「体格は良かったしな。それから口コミで対立する奴が増え、キレやすくなったように思う」

 なんとなく緋劉がいまの体質になったのが分かった。元来の性格はおとなしいのに敵が多くなってキレやすくなることで自己防衛をしていたのだろう。中には命の危険を伴うようなこともあったかもしれない。瞬時に戦闘モードへなる必要があったのだ。

 そうしていまでは肩を叩かれる程度の衝撃でキレる体質になってしまったと考えられる。まさか梨緒にそんな変人になってもらうわけにもいかない。

 う~ん、と考えた魅希は一つの案を思いついた。

「梨緒、明日空いてる?」

「えっと、土曜日ですよね。遅くならなければ大丈夫です」

「そ、じゃあ駅前で待ち合わせね」

「どこか行くんですか?」

「それは明日のお楽しみ~」

 イタズラッ子のように魅希は笑った。

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