Ride 4

 開け放たれた廊下の窓からセミの鳴き声が遠慮なく流れこんでくる。けたたましい音色は暑苦しさを倍増させた。バイクに乗っていないと気温の高さは許容しがたい。

 化学室から二年二組へ戻る途中、掲示板前に佇む青年がいる。

「なに黄昏ちゃってるの」

 横に並ぶと青年──緋劉は掲示物へ目をやった。

 プリントには緋劉と梨緒の名が印字してある。美術部で書いた絵がコンクールに出展されるらしい。梨緒の万能さはともかくとして、緋劉の成果は意外すぎる。話には聞いていたけど本当に絵が得意なのだ。すごいじゃん、と素直に褒めてやると緋劉は照れ臭そうにした。

 それより、と言って彼は誤魔化そうとする。

「伊波の方はどうだ」

「う~ん、それなんだけどねぇ」

 ツーリングは大成功だったはずなのに、あれ以降は梨緒と話す機会が減っていた。むしろ意図的にこちらを避けているようだ。知らないところでなにかがあったとしか考えられない。元気がないことから、あまり良くないなにかが起きたのだろう。

 こうも避けられてしまうと対処のしようがなかった。せめて相談してくれたらいいのに、と嘆息する。強引に接触しても彼女の場合は逆効果になりそうだった。

「魅希さまあああああぁっ!」

 絶叫に近い発声に魅希はスッと横へ動いた。脇を擦り抜けた麗華が緋劉に激突して転がる。

 激昂したのは緋劉だ。

「ッテェな、この野郎っ!」

「乙女に向かって『野郎』とは失礼しちゃうですわ!」

「オメェのどこが乙女なんだ!?」

「キーッ! ワタクシ、堪忍袋の緒が切れましたわっ!」

 二人の乱闘が始まる。呆れ果てた魅希はそれを放置することにした。いちいち付き合っていたら次の授業に遅れてしまう。ただでさえ教師に目をつけられがちなのに、巻き添えは勘弁だ。

 二年二組の戸を開けかける。

 いつか見た光景がそこにはあった。梨緒を三人が取り囲み、一人のヤンキー少女が胸倉を掴んでいる。他のクラスメイトはまだ化学室から帰ってきていない。

「なんなの、その目つき。マジムカつくんですけど」

 唇を噛み締めた梨緒は相手の目を見据えて黙っていた。魅希が助けてあげるのは簡単だが、ここはあえて見守った。頑張れ、と胸中で強く想う。

 意を決したように彼女は言葉を紡いだ。

「もうこういうことやめてください。先生に言いますよ」

 魅希は静かにガッツポーズをする。恐かっただろうに、よくぞ言った。接してくれなくて不安だったが、やはりあのツーリングはムダではなかったのだ。

 パンッ、と梨緒の頬が弾かれる。

「はぁ? ちょっと魅希さんにかまってもらったからって生意気なんですけどー」

「私は別に──」

「るせぇっ!」

 赤縁メガネを奪われ、床に投げ捨てられる。彼女らの暴挙はそれに留まらず、メガネを容赦なく踏んづけた。プラスチックの折れる小気味良い音がポキポキと響く。おまけに集団で髪を引っ張るわ平手打ちするわでリンチ状態だ。

 我慢の限界だった。頭部の毛穴がザワつき、身震いする。

 壊さんばかりに魅希は戸を開いた。

「アンタ達、いい加減に──!?」

 ヤンキー少女らのイジメが一時中断されている。視線の先は一ヶ所に集中していた。

 ただ一人、梨緒の襟首を掴んで睨みつけている者がいる。

「本当に生意気ですわ、女狐め。みんなでボコボコにしましょうですわ」

 魅希は助走をつけ、疾駆した。机へ跳び乗り、それでもなお全力疾走をやめない。

 標的へ向けて跳躍する。

「この腐れガイコツがぁっ!」

 ちゃっかりイジメに参加していた麗華の首元へドロップキックをかます。全体重をかけて踏みつけて着地した。足の下で彼女は虫の息だ。

 続けてヤンキー少女を指差す魅希。

「アンタらもこうなりたくなかったら二度と梨緒にちょっかい出さないことね」

 誰からともなく彼女達は逃げ、机やイスを引っくり返しながら教室を去った。

「魅希様に踏みつけられるのも、ス・キ」

 足元で恍惚としていた麗華を蹴飛ばして遠ざける。

 梨緒はうずくまり、バラバラになったメガネを掻き集めて泣いていた。彼女をこんな目に遭わせた奴らが許せなかった。いまからでも追いかけて殴ってやりたくなる。

 せっかく勇気を振り絞って反抗したのにあんまりな結果だ。

「梨緒は弱くない。むしろ強いわ、本当よ」

 不登校にもならず堪え続けていたのだ。弱い者だったらそれができるはずがない。少なくともヤンキー少女よりは断然強いと言える。イジメをする人間なんて結局は弱い者なのだ。心のどこかで恐れているから腕力でどうにかしようとする。なんとも滑稽な存在だ。

 梨緒、と声をかけて肩に手を添え──跳ね除けられる。

「もう私のことは放っておいてくださいっ!」

 悲痛な訴えだった。弾かれた手を魅希はもう片方の手で押さえる。手の痛みよりも胸の奥がとてつもなく痛んだ。なにも言葉が出てこない。

 自分のせいで彼女は傷つくハメになったのだ、嫌われて当然だった。

 クラスメイトが帰ってき始める。変に注目して騒ぎになるのは梨緒も嫌に違いない。

 ごめんね、と振り絞って言い、自分の席につくのが精一杯だった。




 放課後の駐輪場は閑静だった。キーホルダーの束を指にかけてハイパーシェルを探す。魅希は大きく溜め息をついた。憂鬱すぎてバイクに乗る気が失せている。こういうときに事故を起こすのだろうか。バイクに乗っても感覚が分離してしまってフワフワするのだ。

 あの日から一週間、梨緒は一切口を利いてくれなかった。挨拶すら無視された。イジメの現場を見かけても助けに入ると余計に嫌われそうで入れなかった。

 彼女とはこれで終わってしまうのかと思うと息が苦しくなる。ツーリングはあんなに楽しかったのに現況を受け入れられない。

 そうなのだ。梨緒を勇気づけようとしていたのに、いまは魅希が彼女を必要としていた。否、当初から無意識に欲していたのだろう。だから期末試験結果の場で話しかけたのだ。彼女の内にあるなにかに惹かれていた。

 梨緒は自分を許してはくれないだろう。

 再び溜め息をつくとどこかでカメラのシャッター音が鳴った。バイクの列を見渡しても誰もいなかった。どうせ麗華だと思っていたのに跳びついてくる殺気がない。

 魅希は五感を研ぎ澄ました。

 物音。

「そこよっ!」

 地面を目がけて爪先を振るう。

 弾力のある感触が足を伝わってきた。地面へ仰向けに寝そべり、一眼レフを構えていたのは丸々と太った中年男だ。グフッ、と呻いた彼はその拍子にまたカシャリとシャッターを切った。照準されているのは魅希のスカートの中である。

 魅希はワナワナと震えた。

「盗撮ブタ野郎っ!」

 容赦せずにブヨブヨの腹を何度も蹴りつける。痛い痛いと喚いてもやめてやらない。人のスカートの中をなんだと思っているのだ。スパッツをはいているからって気持ちの良いものではない。現像されてナニに使われるかと思うと虫唾が走る。

 なにごとですの、と来たのは麗華だ。

「聞いてよ! コイツ、アタシのこと盗撮したのよっ!」

「なんですって!? それはけしからんですわっ!」

 麗華も怒気をあらわにした。彼女も女だ、盗撮をされる屈辱は分かってくれるらしい。

 彼女と気が合ったのは出会って以来、初めてだった。

「もっと言ってやってよ。こういう奴は常習犯になるからしっかり痛めつけておかないと」

 太った男に馬乗りになった彼女が首にかけたカメラのストラップを引っ張る。

「ワタクシに早く見せなさいですわっ! 物によっては言い値で買いますわっ!」

 おい、コラ。麗華に期待した自分がバカだった。殴りつけるのと同時に太った男へも打撃を加える。滑り落ちたカメラは衝撃でフィルム部の蓋が開いた。感光完了だ。

 麗華はカメラへ腕を伸ばす。

「あぁぁ~、魅希様の股間写真がぁですわぁ~……」

「まだ言うか、コイツは」

 彼女の首に腕を極め、チョークスリーパーをする。

 腕の中でバタバタと暴れるのを腕力で制した。

「どう? ギブ? ギブ?」

「No~No~ですわぁ~!」

 なかなかしぶとい、落ちるまで粘るつもりなのだろうか。そっちがその気なら、と魅希はさらに力を込めていく。

 麗華が腕を叩いた。

「なに? さすがのアンタもギブアップ? ──ん?」

 彼女の指した方向には太った男がいた。似合わない茶髪ロン毛を振り乱して逃げていく。隙を見て逃亡したのだ。

 麗華を解放し、待ちなさい、と魅希は追った。カメラを壊したぐらいで許してやるつもりはない。女の敵には社会的な制裁が必要だ。

 距離はなかなか縮まらない。見かけによらず逃げ足が早かった。それに逃げ道を熟知しているようだ。入念に下調べをしたか、幾度となく侵入して犯行を繰り返していたかのどちらかだ。

 校舎の裏側へ周りこみ、塀へよじ登ろうとしている。カッコ悪くも越えると鈍い音が響いた。着地に失敗して尻餅をついたらしい。

 一拍遅れて魅希が塀に乗り上げると彼は車に乗りこんだところだった。出発。

「クソッタレーッ!」

 罵声を浴びせても止まらない。諦めるしかなかった。

 悔しさが残り、植えこみの石を蹴り飛ばす。校舎の壁に当たってそれはコロコロと転がった。その様すらムカついて追い打ちのシュートをしてやろうとする。

 寸前で止めたのは集団の話し声が聞こえたからだ。

 陽丘学園敷地内の角には使用されていない旧体育館倉庫がある。そこへ男女五人のグループが入っていった。知っている顔がいくつもある。そのうちの一人は梨緒だった。

 いつもと違う不穏さを感じて魅希は倉庫へ近づく。

 古くてボロボロの体操マットへ梨緒が倒れていた。傍には無数に千切られた紙が散乱している。そこに描かれた模様から察するに、コンクールに出展されるはずの絵だった。

 汚い金髪の青年が彼女を見下ろす。

「なんかさぁ、俺らのこと舐めてるんだってぇ~?」

 梨緒の頬をペチペチと叩く。周りで見ているヤンキー少女らはクスクスと笑った。

 うつむいて梨緒は沈黙している。それが気に食わなかったのか、頬を叩く力が徐々に増していった。

「シカトってか? うわぁ、マジムカつくわ~」

「…………」

 何度ビンタされても彼女は揺るがない。次第に頬は真っ赤に染まっていった。

 魅希は痛いほど拳を握り締める。すぐに助けてあげたいのに梨緒に嫌われているのを考えるとあと一歩が前に出ない。

 青年のテンションはエスカレートしていく。

「はい、キレた、俺っちキレちゃったよ~!」

 ウオーッ、と叫び声を上げる。倉庫内にある跳び箱や踏切板、平均台やボールのカゴなど、ありとあらゆる物を蹴り飛ばした。

 ヤンキー少女らが、やっちゃえやっちゃえ、と声援を送る。

 また叫んだ青年が梨緒を押し倒し、制服の胸元を力任せに開かせた。生地が破れ、彼女の肌が露出される。下着に包まれた胸が丸見えだ。これには梨緒も叫んだ。胸を両手で押さえて隠そうとするも阻止される。

 辛抱強く抵抗をしていると一際に強く彼女の頬が打たれた。

 大きく見開いた瞳から大粒の涙がこぼれる。力はすっかり抜け、茫然とするのみだ。もはや反発する意思は感じられない。

 ついには下着にまで指がかかった。

 魅希は鉄製の扉へ強烈な拳を打ちこむ。扉はヘコみ、裏側にも凹凸ができた。髪が総毛立つのを感じる。無数の黒い粉が舞って金髪へ変貌した。同時に体の奥底から力がみなぎってくる。

「言ったわよね、そのコにちょっかい出すなって」

 我ながら低い声が出た。怒りが限界を超えて顔の筋肉が引きつる。

 ヤンキー少女の一人が細い眉をひくつかせた。

「はぁ? それがなに? ていうかアタシら、もうアンタのファンやめっから」

 そんな彼女の服の袖を他の少女らが引っ張って、ヤバイって、と告げる。

「なにビビッてんの。今日、こっちには男がいるから平気だってば」

 こういう人間だから嫌いなのだ。持ち上げていたかと思えば、なにかの拍子に手の平を返して下に見てくる。自分では敵わないと見るや他人に頼って仕返しをしようとする。

 友達になってほしいと一〇〇億円を積まれても即却下する自信があった。

 コイツからやっちゃって、と少女が青年を促す。彼は興奮しているようで、鼻息を荒くした。

 唐突に突進してくる──まるで闘牛だ。魅希にはハッキリとその姿が見えている。タイミングを合わせてカウンター気味に顔面を打ち抜いた。

 青年が吹っ飛んで跳び箱を崩しながら倒れる。

「アンタ達もやられたい?」

 ヤンキー少女らは信じられないようで、青年の名を何度も呼んだ。ムダだ、本人の勢いがプラスされたパンチは生半可な威力ではない。当分は目を覚まさないだろう。

 少女らを押し退けて梨緒のもとへ歩み寄ろうとする。

 背後で歓声が上がった。鼻血を垂らしながらも青年が立ったのだ。双眸は爛々としていて生気に満ちていたが、焦点は合っていない。確かに手応えがあったのに不自然だった。

 呆気にとられ、今度の突進はかわせなかった。あっという間に壁際に持っていかれ、衝突する。肺から呼気が漏れた。想像していたよりもずっと力が強い。全力の魅希は男のそれを凌駕する。緋劉や夜駒にだって力比べで負けないのだ。それなのにこの青年は異様な力を発揮している。異様としか言いようがなかった。

 彼は体に頭を押しつけ、腹部にパンチの連打を浴びせてくる。

「ウルルルルルルルルアアアアアァアァアァッ!」

 狂ったように絶叫しだした。

 魅希は腹筋に力を入れて腕を掲げる。

「調子に乗るなっ!」

 首の裏へ肘を突き刺した。短く呻いた彼はすがりつくようにしてズルズルと崩れ落ちる。どんなに腕力があろうとも意識を失わせれば木偶の坊だ。

 ヤンキー少女らが悲鳴する。我先にと逃げ出そうとするものだから彼女らへ向けて青年を放り投げてあげた。見事命中。全員で彼を引きずって退却していく。

 ケンカで勝とうなど一〇年早かった。

「文句がある奴はいつでもかかってきなさい!」

 中指を突き立ててやる。余程の強い味方がつかない限りは再戦しようとは考えないだろう。これで懲りて梨緒にも手を出さなくなるはずだ。

 床をなにかが転がってくる。ヤンキーグループの落とし物だろうか。手にスッポリと収まるサイズの小ビンである。中には特になにも入っていなかった。

 そんなことより梨緒だ。彼女は視線を合わさず、体操マットの端をギュッと握っている。

「大丈夫? ケガはない?」

「どうしてですか……」

「え? どうして、て」

 涙に濡れた顔を彼女が向けてくる。赤く腫れた頬が痛々しかった。

「放っておいてくださいって言ったのに、どうして来たんですかっ!」

 もっともな意見である。あんなに強く言われていたのに無視してしまった。彼女が怒るのも肯ける。これ以上、迷惑をかけるのはダメだ。イジメもなくなるだろうし、梨緒に関わるのはやめようと決意する。

「ごめん。どうしても見過ごせなかったの」

 それじゃアタシ行くね、と言って魅希は出入り口へ歩を向けた。

 その手を掴まれる。彼女の小さな指が皮膚にめりこんだ。細かい震えが腕に伝達される。

「恐かった……すごく恐かったです!」

 彼女の両目から涙が止めどなく流れだした。

 胸の奥が締めつけられ、反射的に魅希は彼女を優しく腕で包みこんだ。

「梨緒がもっと強くなるまでアタシが守ってあげる」

「鐘乃さんが……?」

 か細い声の問いかけに、うん、と返事をする。

 その代わりと言っちゃなんだけど、と魅希はあえておどけた表情を作った。

「アタシと友達になってくれない?」

「嫌です」

 即答の槍に胴体を貫かれる。嫌です嫌です嫌です、と脳内でエコーがかかった。

 口をポカンと開けて後ろへ倒れかかる。寸でのところで持ち堪えられたのは、そんな応えも想定していたからだった。

 アハハハ、とから笑いをする。

「そ、そうだよね。アタシなんかが友達じゃ──」

「守ってくれなくていいです。だけど友達にはなります」

 魅希は金魚みたいに口をパクパクしてしまった。我が耳を疑う。いま彼女はなんと言ったのだろう、どういう意味なのだろう。

「それって……」

 問いかけに梨緒はにこやかに肯いた。それはつまるところそういうことだ。小学校を卒業して以来、一人として友達のできなかった自分に胸を張って友達と言える者ができたのである。感謝してもしきれなかった。

 はう、と謎の声が喉から出てくる。

「はぁうあぁ~……」

 膝から脱力し、生暖かい液体が肌に落ちた。それが自分の涙だと理解するのに数秒を要した。

「なんでアタシ泣いてるのぉ~……」

 驚いた様子だった梨緒がクスリと笑んでハンカチを出す。よしよし、と涙を拭いてくれた。早々に、友達っていいな、と思えた。

 いつまでも情けない姿は見せられない。セーラー服の袖でグシグシと顔を拭う。涙と鼻水で顔面はグチャグチャだ。梨緒も同様だった。

 二人して泣いているのがおかしくて笑ってしまう。彼女も一緒になって笑った。

 梨緒のポケットからなにかがこぼれる。マットの上に落ちたのはデフォルメされた三毛猫のキーホルダーだった。

「持っててくれたのね」

「初めてバイクに乗せてもらったあの日からずっと持ってました。勇気が出る気がして」

 これまた泣かせることを平然と言う。それとも自分の涙腺が緩んでしまったのだろうか。

 彼女はキーホルダーを胸に抱く。

「私も鐘乃さんみたいに強くなれますか」

「もちのろんよ。いまだって梨緒は強いって思ってるよ、アタシは」

 でもね、と条件を付ける。

「その『鐘乃さん』っていうのと敬語をやめてくれない?」

「だけど鐘乃さんは鐘乃さんだし、敬語じゃないと恐れ多くて」

「アタシはどっかの殿様かい」

 叩かれていた方とは逆の頬をツンツン突く。

「嫌ならアタシが梨緒のことイジメちゃうわよ~?」

「えぇっ!? それは困りま──じゃない、困るよ」

 言ったあと尻すぼみに、魅希ちゃん、と付け加えられた。恥ずかしそうにモジモジしている。

 世は満足じゃ。ハッハッハッ。

 高笑いをしていると彼女の目が上へ向けられた。魅希はハッとする。そうだった、梨緒にも髪の黒い色素が落ちて金髪になるところを見られたのだ。

 慌てて両手で隠す。

「えーっとこれはなんというかその、いま流行ってるすぐ落ちる黒染めっていうか──」

「綺麗な髪」

「へっ?」

 素っ頓狂な声を発する。

 梨緒の指が金髪をサラサラと撫でた。

「私、魅希ちゃんがどんな体質でも気にしないよ」

「梨緒……」

 ああどうしてこのコはこんなにもいいコなんだろう。

「いいなぁ、こんな滑らかな髪で。私なんてヨレヨレだよ~」

 ストパーをかけても一日で戻っちゃうんだぁ、と梨緒は自らの髪を指でクルクル巻いている。

 魅希はその頭をクシャクシャと撫で回した。

「そんなに巻いたら余計にパーマがかかっちゃうわよ」

「あ、そっか。魅希ちゃん、頭いい」

「アンタに言われると皮肉にしか聞こえないっつーの」

 なんでー、と梨緒は本当に分からないふうに小首を傾げている。

 一緒に立って倉庫を出ると息を切らせた夜駒が駆けてくるところだった。

「おいおい、なにごとだよ」

「アンタこそどうして来たのよ」

「俺は変な奴らの痕跡を逆流したんだ。なんかあったのかと思ってさ」

 彼の視線が下へ落ちる。地面にはヤンキー青年を引きずった跡がハッキリと残っていた。

「あれ? そのビンってなんだっけ」

「知ってるの?」

 ヤンキーグループが落としたらしい小ビンだ。誰か心当たりがあるのかと思い、なんとなく持ってきてしまったのである。あの青年の強さとなにか関係しているのではないかと女の勘が告げていた。

「いんや、忘れた。どっかで見た気がするんだけどなぁ」

「役に立たないわね~」

「それで、二人とも無事?」

 珍しく彼は心配そうにする。

 魅希は梨緒と肩を組んだ。

「平気、もう済んだわ」

「なにが済んだんですのっ!?」

 どこから涌いたのか、麗華が割りこんでくる。神出鬼没にもほどがあった。

 麗華は和柄のハンカチを、キィィッ、と噛み締める。

「悔しいですわっ! こんな小娘に魅希様の操を奪われるなんてっ! 泥棒猫っ!」

「小娘ってアンタ、アタシら同学年でしょうが」

 ついでに言えば操も奪われていない。なにを勘違いしているのやら。

 梨緒がポカンとして困惑している。

「気にしないで。は、いつもこんなんだから」

 やれやれとアメリカ人みたいな仕草で麗華は肩をすくめる。

「とりあえずハネウマ入団費として五万で許してあげますわ」

「アタシの友達にたかってんじゃねぇっ!」

 殴り飛ばすと麗華の潰れた声が大空に木霊した。

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