二
Ride 5
通勤ラッシュで混んだ道を鐘乃魅希はスイスイと擦り抜けていく。二五〇ccで、しかもオフロードバイクの細身だと車と車の隙間を抜けるのは楽だった。
前で車が詰まっているのを確認し、速やかに路肩へ進路を変更する。渋滞知らずのバイク様様である。車内でイライラしている社会人を尻目にどんどん進んだ。
私立陽丘高等学園まであと少しというところでその軽快な走行はストップする。路肩に停車したバイクが二台もあった。いつもであれば道路中央へ戻って通過するところだった。そうしなかったのは一台が知っている物だったからだ。魅希もその手前で停車する。
四〇〇ccだというのにムダに重量のあるアメリカンバイク。朝日を反射して車体が黒光りしている。シルバーのメタリック部はよく磨かれていて鏡の代用になりそうだった。
歩道には二人の青年がいる。
一人はいかにもヤンキー崩れという感じで鼻ピアスをしていた。オレンジ色の制服ズボンは
もう一人はモスグリーンの制服ズボンを着た陽丘学園の生徒だ。ワイシャツのボタンは全開で、肌着にグレーのタンクトップを着用している。
鼻ピアスの青年に絡まれているのは守賀緋劉だった。鼻ピアスの方は首をグネグネ動かしながら、なにかを喚いている。おそらくくだらないイチャモンだ。対する緋劉は無言でクッキリとした瞳を向けていた。
鼻ピアスは彼が誰なのか分かっていないようだ。デビルハックの元初代総長と知ったら腰を抜かすかもしれない。確かに黒髪中分けで装飾もなく、一見すると平凡な男子高校生だった。魅希がアドバイスして普通っぽくするのを手伝ったのが功を奏している。
ハンドルに寄りかかってニヤニヤしながら観察していると彼がこっちを見た。やっと気づいた。彼はばつが悪そうにし、頬をポリポリと掻く。
「テメェッ! なによそ見してやがんだっ!」
車の走行音を上回るボリュームで鼻ピアスが怒鳴り散らした。それとともにタンクトップの襟を掴み上げる。あーあ、やっちゃった。合掌。
瞬時に緋劉の眉間にシワが寄り、相手の頭をわし掴みにする。
「馴れ馴れしくしてんじゃねぇっ!」
あまりの豹変ぶりに鼻ピアスは面を食らったようだ。彼に為す術はなくガードレールに激突させられる。鈍い響きに魅希は思わず目をつぶった。ひ~、痛そう。たった一発で鼻ピアスはノックダウンする。鼻血を噴出させて地面へ突っ伏した。
ガイコツに変化する者や女に目がないナンパ男など変なのが多いけど、普段普通で途端に凶暴になる緋劉はある意味で最悪な人種だ。
彼は黒のフルフェイスメットを装着する。
「面白がって見てただろ」
「ま、ね。加勢してほしかった?」
いいや、と言って彼がまだ倒れている鼻ピアスに目をやる。
「最近、ここらまで鳳凰学園の奴らが足を伸ばしてやがる。鐘乃も気をつけろよ」
「なぁに、心配してくれんの?」
緋劉が考えるようにする。
「そうだな、お前は心配いらないか」
「ちょっと、それどういう意味? アタシだって、れっきとしたか弱いレディーよ」
しなを作ってみせる。ハハハと笑った彼はアクセルを捻った。うやむやにして逃げるつもりだ。そうはさせまいと魅希も急いでそのあとを追う。
鳳凰学園、か。先日、ホームルームの時間に教師が言っていた。陽丘学園の生徒が無差別に絡まれる事案が発生しているとのこと。被害に遭った生徒から聞くには、誰かを捜しているふうだったという。迷惑な話だ。ヤンキーはヤンキー同士でぶつかって潰し合えばいい。
二年二組の教室へ入り、おはよう、とみんなへ挨拶をする。
それまでざわついていた室内がピタリと静寂に包まれた。ガラス玉みたいな目でこちらをチラチラ見て話している。ヤンキー、暴力、金髪、というワードのみ辛うじて聞き取れた。
伊波梨緒のイジメ解決以後、魅希の悪い噂が流れている。ヤンキー少女らの話に尾ひれがついて、まことしやかに極悪な人間像が作り上げられたのだ。気に食わない者はすぐ殴るだとか男子の全身の骨を粉砕させただとか、噂を挙げれば切りがない。
イラついて抗議しても一様にヘラヘラして取り合ってくれなかった。友達作りがますます困難になった現実にさいなまれる。
「おはよう、魅希ちゃん」
うなだれて席につくと梨緒がニコニコしていた。クラスで──いや、もしかしたらこの学校唯一の癒しの存在に荒んだ心が和んでいく。
彼女は長い前髪越しにも分かるぐらい満面の笑みをしていた。かなり上機嫌で、鼻歌まで歌っている。魅希もつられ、つい口元が緩んだ。
「なになに、なんかいいことでもあったの?」
「へへへ~、秘密~」
「なによー、教えなさいよー」
唇をとがらせる魅希に、また今度ね、と彼女は一蹴する。
廊下の方でガラスの割れる音がした。女子の悲鳴。廊下へ顔を出すと絶叫して暴走する男子がいた。バットで次々にガラスを割り、壁にも打撃を加えている。
リノリウムの床を見覚えのある小ビンが転がった。
「魅希ちゃん、あれってもしかして……」
「アタシも同じこと考えてた」
梨緒を暴行しようとしたあの青年と雰囲気がどことなく似ている。自分らの知らないところで黒いモノが蔓延しようとしているように感じられた。他の生徒は暴走男子を高みの見物している。人間、自分に関係がないと思いこむと能天気なものだ。
ついに彼は駆けつけた教師も殴りつけた。数人の教師に取り押さえられるまでその蛮行は続けられたのであった。
車庫のシャッターに手をかけて一気に引き上げる。ガラガラと音を立てたあと室内に午後の日射しが満ちた。ハイパーシェルにカギを挿しこみ、スイッチをONにする。ヘッドライトとブレーキランプ、ウインカーをチェックした。問題なし。
一旦OFFにして外へ向けて引き回そうとする。
いつからいたのか母が戸口に立っていた。ストラップを付けた金縁メガネを外して首にぶら下げる。先程まで仕事をしていたのだろう。彼女は洋書の翻訳者で、最近は特に忙しいらしい。
わざわざ出てこなくていいのに、と魅希はタコ口になって一人ごちる。
母の表情はいつもと変わらず、ほのかに険があった。
「どこに行くかぐらい教えてから行きなさい」
「バイトよ、バイト。もう子供じゃないんだからいちいち言わなくても別にいいでしょ」
「一〇代は充分子供よ。だいたいアンタはいつも知らないところにフラッと行くじゃない」
的確な指摘に二の句が告げなくなる。母と口ゲンカをしてはダメだ。人生経験の差で、話せば話すほど言いくるめられる。きっと正しいことを言っているから逆にイラ立たせられた。
魅希は半ば無視をして、アタシ行くから、とバイクのハンドルとシートに手を添える。
前を通り過ぎようとすると母が、学校から電話があったわ、と言った。
「アナタが校内で暴力事件に関わった、て」
心当たりがあるのは梨緒をイジメていたグループのことだ。だいぶ日が空いているのに、いまさら教師に告げたらしい。しかも自分達に都合がいいように説明したのだろう。
弁解を試みる。
「それはアイツらが悪くて──」
「今回は要注意として不問にしてくれるって。けれど、次なにかあれば停学か退学処分にせざるを得ないと言っていたわ」
言い訳はさせまいと言葉を遮られた。
学校も大ごとにしたくないのだ。暴力事件が起こるイメージを持たれると来年度の志望者数に影響が出かねない。私立である限り、それはかなりの痛手となる。
知ったことか。そんなものは大人の都合であって自分には関係がなかった。だんだんイライラが膨らんでくる。大人はいつだって自分勝手に解釈し、真実を捻じ曲げ、都合のいい行動をするのだ。母に至っては聞く耳すら持ってくれない。
「アタシは悪くない」
「そんな小学生みたいなことを言うんじゃないの。しっかり反省しなさい」
「反省? 学校でのことなんてなにも知らないくせに」
「それはアンタがなにも話してくれないからでしょう」
プツンと自分の中でなにかが切れる。子供のころから何度も話そうとしたことはあった。それなのに母はいつも仕事仕事で取り合ってくれなかったのだ。
鬱憤が爆発した。母を睨みつけ、自らの金髪を一束つまんでみせる。
「じゃあ知らないでしょ。この髪だって、いっつもうるさく言われるのよ。赤ん坊のときが黒だったし、親二人とも生粋の日本人だから」
「それは、仕方がないわ。そういうこともあるのよ……」
珍しく彼女の発言に淀みが表れる。
魅希の言葉は止まらない。普段から腹の底に溜まっていたモノがセキを切ってドバドバと噴出する。頭で考えるより先に口を出た。幼少時に遊んでくれなかったこと、勉強漬けだったこと、授業参観や運動会に来てくれなかったこと──まだまだある。
「だいたいアタシって母さんや父さんの本当の子供じゃないんじゃないの」
直後、黙りこくっていた母が腕を振った。
「めったなことを言うんじゃないのっ!」
双眸が充血し、唇はフルフルと震えている。
ぶたれて痛む頬を押さえもせず、魅希は母へ怒気をぶつけた。
「母さんなんて大っ嫌い!」
バイクを駆け足で引いて道に出るとすぐさまエンジンをかけてシートに跳び乗る。バイト先に着くまでの間、運転は酷く荒れた。空は曇り、まるで自身の心中を反映しているようだった。
母はなにも分かっていない上に、なにも分かってはくれない。思えば、幼少時代からずっとそうだ。父が死んで以降は特にゆとりを許さなくなった。いま考えると両親は二人で一つ、ちょうどいいバランスだったように思う。自分が家を出たいと望むようになったのも父の死後だった。一家の均衡が崩れ、付随する災厄が全部自分に降りかかっているようにさえ感じられる。
一軒家の駐車場にバイクを止めてスタンドを下ろした。メットを腕にかけて裏口のドアを開ける。おはようございま~す、と言いながら土間みたいな作りになっている通路を進んだ。荷物は途中の和室へ置き、壁のフックにかかっていた茶色のエプロンを身に着ける。
手首に通したヘアゴムを抜き、セミロングの髪をポニーテールにしてくくった。
「おや、鐘乃ちゃん、またイメチェンかい」
「アタシはもともとこれが地毛なんです」
毛髪がすっかり薄くなった恰幅のいい中年男が現れる。
「俺も染めてイメチェンしてみっかな~」
「毛根全滅しますよ」
家と学校の中間辺りでバイトを探していた魅希には好都合な店だ。時給九一〇円は決して高くはないものの客は少なく、気楽にできるのが良かった。それになるべく母から自立した生活をするには贅沢は言ってられない。
土間を直進して建物の表側に周ると店内へ出る。壁際や中央の棚には所狭しに酒類とツマミが陳列されていた。家の半分は酒屋のスペースだ。通り道は人一人がやっと通れる幅しかない。
今日も店は閑散としている。
「なんか運んでおく物あります?」
「ああ、そこに納品が来てるんだわ。倉庫しまっちゃってくれる?」
レジの脇に缶ビールが箱で積んであった。魅希は腰を落として一気に全てを抱え上げる。
エプロンを外し、薄汚れた丸イスに座って休憩に入った田尻がタバコに火を点けた。
「いやぁ、いつも悪いね。本当に助かるわ~」
「それなら時給アップしてよ」
「それとこれとは話が別だぁな」
タバコを吸い、すぼめた唇から煙を噴く。
ケチ、と言い放って速やかに店内奥の倉庫へビールを運ぶ魅希。レジへ戻ると田尻はタバコを灰皿に押しつけていた。
「鐘乃ちゃん、ここに来てどんぐらい経つっけ」
「高校進学してちょっとしてからだから一年少々かな」
「もうそんなにか。重い物を運ぶ仕事だから女のコは採用するつもりなかったんだけどなぁ」
それは幾度となく聞いたことだった。
バイト募集の貼り紙があり、飛びこみで面接を希望したら渋られたのを覚えている。酒類は重量があると説明されたから、魅希はたまたま傍にあったビール瓶をケースで五つ軽々と持ち上げてみせた。彼は驚嘆し、採用が即決まったのである。
店の原付で配達もできるおかげで、いまは重宝してもらっていた。魅希も自分に合っていると感じていて、店長も気のいい人ゆえ気に入っている。
「鐘乃ちゃん雇って大正解だったよ」
「けど最近お客少なすぎません?」
「近くに大手小売チェーン店ができやがったからなぁ」
彼が二本目のタバコを口にする。
「奴らズルいんだよ。物量に物言わせて安く仕入れやがるから値段で勝てやしねぇ」
限られた数の商品しか仕入れられない個人経営店は不利だった。客は近所で買うのなら安い店を選ぶのが道理である。わざわざこの店に買いに来る者は稀で、ほとんどは昔からの常連で切り盛りしていた。
太ももをパシンと叩く田尻。
「えぇい、こうなったらヤケだ! 酒、全部飲んじゃおう!」
「そんなことしたら色んな意味で潰れるでしょっ!」
「鐘乃ちゃんも一本いっとく?」
「未成年にアルコールを勧めないように」
店長がこんなのでこの先、店がもつのかと不安になってきた。またバイト先を探すのも面倒だ、簡単に倒産してもらっては困る。田尻にはどうにか頑張ってほしかった。
レジ横にあるデジタル時計のアラームが作動する。客への配達時間がセットされているのだ。注文表をチェックすると缶ビール三ケースとあった。すでに名札の添えられた商品が足元に用意してある。これぐらいであれば原付でも行ける。
「アタシ行ってくるんで店番お願いします」
運ぼうとしたら店頭に田尻が出た。手の平を上にして空を仰いでいる。
「雨だぁな」
「ゲェ、最悪~」
「いいよ、二輪だと危ねぇから俺が軽トラでちょっくら行ってくるわ」
短くなったタバコを灰皿へ転がし、駐車場へ向かう。
商品を車へ積んで彼を見送る頃には雨は本降りへと変わっていた。レジを載せた机に肘をつき、店の外を眺める。バケツを引っくり返したような雨が周囲の雑音を掻き消していた。
レインスーツは常時置いてあるが、天気が悪いとバイクを清々しく乗れない。メットは雨粒で視界が悪くなって危険が伴う。いくら好きでも雨の日の運転は不快でしかなかった。
バイトが終わったらドライブをしようとしていたのに今日はもう乗り回せないと思うと手足がムズムズしてくる。母との一悶着で溜まったストレスをどこで発散すればいいのか。
「あぁっ、もうっ、コンチクショウッ!」
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