Ride 7

 今日は天気が悪く、午後から雨が降る予報だ。降ると分かっていてわざわざバイクには乗りたくなかった。乗れない乗れないと思っているとストレスが溜まるから無理矢理に頭を切り替えることにする。いつもは一緒に帰れない梨緒を遊びに誘ったのだ。

 電車一本で都心に行き、プランなく賑わいのある駅で降りる。そうしたらなぜか麗華と夜駒までついてきた。二人ともバイクで通学したくせに、である。

 平日だというのに駅周辺は人で混み合っていた。サラリーマンやOLもいれば、若者に外国人までいて種々様々だ。

 雲の黒みが増してきて、いまにも雨が降りそうだった。降る前にどこかへ入った方がいい。

 梨緒と相談して駅の東側に行くことにする。信号を二つほど越えたらほぼ歩行者天国になった道が伸びている。通りには飲食店、雑貨屋、ネットカフェなど色々なショップが並んでいた。

 ゲームセンターも多く、同じ系列店なのにいくつもの店舗に分かれて営業されているところがあった。その一つで、白熱した戦いが繰り広げられることとなる。

 パズルゲームの筐体で麗華と夜駒が忙しなくレバーとボタンを操作していた。

「勝ちですわ! これで四勝三敗三分け!」

「クソ~、あとちょっとで勝ち越せたのによ~」

 悔しがる夜駒の肩を梨緒が優しく──しかし強い意思を宿して触れ、イスからどかせた。彼の代わりに座った彼女の赤縁メガネが光る。

 異様なオーラをまとった相手に対して麗華は少々物怖じしていた。

「な、なんですの、ワタクシとやるっていうんですの?」

「…………」

 梨緒は多くを語らなかった。長い前髪とメガネレンズのせいで彼女の真意は読み取れない。黙して硬貨を投入し、スタートボタンを押すのみだ。ゴクリとツバを飲みこんだ麗華も続く。

 ゲームスタートをした途端、梨緒の両手が高速で動作した。画面上では間断なくカラフルなブロックが積まれていく。麗華の方と比較するとスローモーションと早送りぐらい差があった。

 呆気にとられたふうな麗華は負けじとゲームレバーをさばく。

「ちょこざいなっ! ワタクシがこんな小娘に負けてたまるかですわっ!」

 気迫をみなぎらせて追い上げるべくブロックを積む。

 梨緒はというと途端に操作をやめ、は膝に手をやる。

「フフッ、諦めたですの? この試合、ワタクシの勝──」

 梨緒の積んだブロックが連鎖により消滅していく。ほとんどが消え、代わりに麗華の画面ではブロックが下から加算された。天辺部分がどんどん上がっていき、全体がブロックに覆われる。梨緒側の画面にWinの文字がデカデカと表示された。

 スタートしてから終わるまで、目にも留まらぬ早さのスピード決着である。

 茫然自失状態の麗華がうなだれる。そんな彼女を夜駒がどかした。

「どけ、ヘタクソ。梨緒ちゃん、女のコだからって真剣勝負では俺も手加減しないぜ」

 ──大口を叩いた一分後、彼は口から魂を吐いて撃沈した。

 床に膝をついた麗華と夜駒は現実を受け入れられないかのように青ざめている。彼らの前に立った梨緒には威厳があった。その図はまるで王と平伏する奴隷のようだ。

「どうしてそんなにゲーム上手いの?」

「ゲームっていうか、コンピュータに関係することはわりと得意なの。私の家はあんまりお金がないんだけど、高校進学したお祝いで両親が奮発してパソコンを買ってくれてね。ムダにしないためにのめりこんだら自然と色々できるようになって」

「ハッキングっていうのもできたりして?」

「うん、やろうと思えばできるよ」

 こともなげに言って天使のような悪魔の笑顔をする。これ以上踏みこんではいけない気がして魅希は、そうなんだぁ、と相づちを打つしかできなかった。

 麗華と夜駒はまだ彼女を崇拝している。二人へゲンコツをしてやった。

「いつまでやってんのよ」

 カシャカシャリ。シャッター音が聞こえた。見ればゲーム筐体の影から太いレンズが突き出ている。一眼レフを茶髪ロン毛の中年男が構えていた。

「あっ! いつかの盗撮ブタ野郎っ!」

 魅希が跳びかかろうとしたら狭い通路を器用に抜け、階段を転がり落ち、人混みへ紛れた。太っているわりに逃げ足だけは本当に早い。

 いったい何者なのだろう。今回は自分だけではなく、麗華や梨緒もファインダーに収めていたようだ。尾行されていたかと思うと気味が悪かった。




 天気は例によって不安定だった。降水確率が四〇パーセントとあり、いまのところどうにか降らずに堪えている。降らないのならバイクに乗りたかったが、お金を稼がなくてはガソリン代も払えない。久しく給油で満タンにしていなかった。

 雨が降るかもしれないし、ガソリンを節約するためにも電車と徒歩で田尻酒店へ向かう。今日、ダメ元でまた店長に時給アップ交渉をしてみようかと本気で考えた。

 捕らぬタヌキの皮算用をして魅希は悪どい笑いを浮かべた。余裕ができた分でグローブ買ってライディングシューズも新調し、遠くにも遊びに行って──と考えていたら目的地を通り過ぎてしまった。

 いけないいけない。下劣な考えを振り切って道を戻る。

 いや待てよ、と改める。シューズはまだいまのが使えるから、メンテナンス用の工具を一新しよう。安物よりも高価な物の方がネジやボルトが傷みにくくなる。

 ベストな答えを導き出していたら店を再度通りすぎてしまっている。こんなことに没頭して通い慣れたバイト先を見落とすなんて我ながらバカみたいだった。店頭を往復するところを田尻は見ていただろう。きっとからかわれる。

 今度こそ田尻酒店の前で止まろうと注意深くした。しかし、またも通過しかけてしまったのには理由がある。

 店名の書いてあった軒先テントは破けて見るも無残になっていた。店頭のガラスは一枚残らず割られている。店内は酒臭く、棚は倒れ、商品はことごとく破砕されていた。レジが床に転がっていて中身を抜かれている。

 田尻は丸イスに座ってタバコを吹かしていた。

「よう、おはよう、鐘乃ちゃん」

 なにごともないような態度の彼に魅希は顔を強張らせる。

「なにがあったんですか。こんなめちゃくちゃになっちゃって」

「いやぁ、やられちゃったよ。暴走族っての? 最近のガキってスゲェのな、ものの一〇分でこのありさまだぞ。あのエネルギー分けてほしいわ」

 心の底から感心しているようで、悲観や失意の色はなかった。

 壁にはステッカーが貼ってある。コウモリの翼を槍が貫いたシンボル──デビルハックの仕業だ。どうしてこの店が襲われたのか。疑問が湧いてから数秒を要さずに結論に達する。

「アタシのせいだ」

「なぁに言ってんだ。あのガキどもが悪いんだろ」

「違うの、店長」

 ごめんなさい、と発する声が震えた。

 デビルハックのことは緋劉に任せ、自分は知らぬ存ぜぬで通そうなんて考えが甘かったのだ。彼らはハネウマについて探りを入れている。陽丘学園の生徒を捕まえてちょっと脅せば情報などいくらでも入手できるはずだ。そこで出てくるのはハネウマのリーダーが自分──鐘乃魅希だということである。魅希がそれを容認していようがしていまいが関係ない。デビルハックにとっては敵チームと繋がりがある対象であれば充分なのだ。

 そしてそれは間違いなく効果があった。取り返しのつかないことをしてしまった罪悪と虚無の念に制される。

 時給アップ交渉? アタシはどうしようもないバカだ。

 歯を食い縛り、拳を石のように固める。自らの考えの至らなさや愚かさ、デビルハックへの怒りといった感情がゴチャ混ぜになってグルグル巡った。

 タバコを灰皿に押しつけた田尻に肩を優しく叩かれる。

「いいんだ、どうせ潰そうと思ってたところだ。これで腹をくくれる」

 床に落ちていた夫婦の写真を彼は拾った。

「死んだ女房ともこの店をデッカクするって約束してたんだけどな」

「アタシが学校をやめてでも手伝う。奥さんのためにもお店を大きくしよう、店長」

 それは魅希の本心だった。それぐらいしなくては申し訳が立たない。

 彼は首を振る。

「この店はおしまいにする。短い間だったがありがとうな、鐘乃ちゃん」

 またあとで連絡するわ、と言って彼は居住部へと入っていった。

 気にした様子を見せなかったのは彼の優しさだろう。おそらくデビルハックは魅希の名をこの場で出している。魅希が原因なのは田尻も察していたに違いない。少々頼りない中年のオジさん程度に思っていた田尻の人間性に触れて自分の浅はかさが恥ずかしくなる。

 田尻酒店をあとにした魅希の瞳は、一つの意志の炎を灯していた。

 駅へ向かう道のりで名を呼ばれたような気がして振り返る。どこにいるのかと思ったら、大通りを挟んだ向こう側の信号で赤縁メガネの少女が手を振っていた。

 信号が青になるのを待って近づく魅希。

「どうしたの、梨緒。こんなところ来ちゃって」

「私の家、この近くなんだよ」

 初耳で、そうなんだぁ、と言いながらも視界の端に映るが気になって仕方がなかった。

 梨緒はいつもに増してニコニコしている。緑のキュロットのポケットからサイフを出した。その中から彼女は一枚のカードを取る。

 じゃーん、と見せてきたのは免許証だ。長い前髪をヘアピンで留め、大きな目が見えるように撮られた顔写真が印刷されている。その表情は緊張半分、嬉しさ半分といったところか。

「原動機付自転車の免許、取っちゃいましたぁ~!」

「すごい、いつの間に? 全然教えてくれなかったじゃん」

「へへへ~、ビックリさせたくてね」

 鼻の頭をこすって彼女は照れている。

 そういえば最近、なにかを隠しているふうではあった。これで合点がいく。だいぶ前には免許取得するのを決めていたのだ。梨緒が喜んでいると自分まで幸せな気分になれた。

 魅希のは普通自動二輪免許だったが、自分も免許を取ったときは胸が躍ったものだ。父の援助により一六歳になる前から教習所に通い始め、卒業検定を受けるのみという状態になっていた。一六歳になると同時に最短で合格して免許を取得したのである。

「これに乗るの?」

 梨緒の傍らには中型車よりは一回りか二回り小さいバイクがある。ネイキッド車を縮めたような緑色の原付だった。全体的に古ぼけていてホコリっぽい。

「うん、パパが昔乗ってたのをもらったの。だけど壊れてるから動かないんだ。それで魅希ちゃんに相談しようと思って」

「見た目はしっかりしてそうだから、ちょっとばらして組み直せば大丈夫じゃないかなぁ」

「本当に? この子、走れるようになる?」

「きっとね。ていっても、アタシの家だと工具類がいまいちだから緋劉にも協力させないと」

 ケータイで連絡をすると夕方にはバイトが終わるらしい。先に家に行っていていいと言われ、魅希と梨緒は原付を引いて歩くことにした。彼の家であればここからそう遠くはない。着いて少々すれば夕方で緋劉も来るし、ちょうど良かった。

「緋劉君ってどんなバイトしてるの?」

「いまはガソリンスタンドだってさ」

は?」

 勘のいい梨緒は言葉の言い回しにすぐ感づいたようだ。

「アイツ、数ヶ月の間に五つぐらいはクビになってんのよ。バカよねぇ」

 ああ、となんとなく理由が分かったらしい彼女がニヤける。

「今回のは続くといいね」

「さぁねぇ。兄貴の友人が経営してるスタンドって言ってたけど、変人的な体質だもんなぁ」

 緋劉は突っかかってくる者に暴力してしまってすぐクビになるのだ。接客が死ぬほど向いていないが、高校生ができるバイトはだいたい似たようなものしかない。そこで見かねた兄友が声をかけてくれてガソリンスタンドで働くようになったのである。

 緋劉の家は中古バイクショップだ、何度か来たことがある。二階建てで、一階が店になっていた。ガレージは一階の一角を占めている。彼の父に事情を説明すると快く中へ入れてくれた。

 魅希の家の車庫よりも広く、パーツや工具、組み立て途中の車体なんかがあちこちにある。空調が利いていて快適だ。オイルの匂いさえなければここに住めそうだった。

 とりあえず必要そうな工具を片っ端から集めていく。

 緋劉が帰ってきたのは間もなくしてだった。半袖TシャツにGパンという簡素な格好だったが、シャツのデザインがおかしかった。ハトが豆鉄砲を食らっているところがコミカルに描かれている。彼がどうしてそのTシャツを買ったのかは分からない。

 触れないでおくのが吉と踏んで魅希は、お疲れ、と手を上げる。

「例の件だけど、やっぱアタシも参戦することにしたわ」

「そうか、巻きこんで悪いな。無理しなくてもいいぞ」

「別にアンタのためにやるんじゃないわよ」

 デビルハックのことはもはや彼一人の問題ではなくなっている。自分と緋劉であれば負けはしないだろう。それに勝って今後学校に迷惑がかからなくなるなら周りの信頼も得られそうだし、勝負にしたって嫌いではなかった。

 長めのトルクレンチを肩に担いで彼は原付の方へ歩む。

 ガレージに入ってきたのは一人ではなかった。ロングのワンピースに麦わら帽をかぶった麗華が恥らいながら後ろ手を組んで現れる。頬がほのかに赤くなっていた。三歩ほど遠慮深げに歩き、花柄ミュールの爪先で落ちていたボルトを蹴る。

「来ちゃった、ですわ」

「帰れ」

「あ~ん、魅希様つれないですわ。せっかく手伝いに来たのに~ですわ~」

「いや、本当に帰って。これホント、ガチで」

 努めて真剣な顔つきで言ってみせても彼女はイヤイヤと身をよじって食い下がった。魅希は肩を落として諦める。こうなると何度追い払っても邪魔をしてくるだろう。

 作業が遅れるのを念頭に置いて早速始めてしまおう。

「へぇ、梨緒ちゃん、原付免許取ったんだぁ!」

「これに乗ろうと思うんだよ」

 夜駒が自然に梨緒と会話していてズッコケそうになる。

 声にならない声を出して抗議するも夜駒はとぼけ顔だった。

 深呼吸をしたのちに二人の招かれざる客を指差す。

「どうして麗華と夜駒が来てんのよ!」

「あ、俺が呼んだ。まずかったか?」

「緋劉うううううぅぅぅっ!」

 悶絶。もうダメだ、なにかドッと疲れた。

 ガレージの床に座りこんでタイヤの具合をチェックする。

「なんで余計なの呼んだのよ、バカ~」

「どうせなら全員でやった方が楽しそうだと思ってな」

 魅希は眉を上げて目を見開く。彼がそんなことを言うとは予想外だ。初対面の緋劉は触れるモノ全てを破壊し尽くしそうなオーラをまとっていた。人は変われば変わるものだ。この調子ならガソリンスタンドのバイトもクビにならずやっていけるだろう。

 どうなっても知らないわよ、と言うと彼はニヤリと笑んだ。

 話し合いの結果、中途半端にいじるよりは全部ばらしてオーバーホールをしてしまおうとなった。慎重かつ大胆に各部品を外していく。

 麗華が腕組みをして車体を値踏みするようにした。

「原付なんてダサダサですわ」

「そうかな? 私は結構可愛いと思うよ」

「せめて鬼ハンにしないと見ていられないですわ」

「おにはん?」

 梨緒が初めての用語で悩んでいる。麗華の知識には極端な偏りがあった。族車を一から組み上げてしまうほどだからメカニックとしては一流だけど、なんでもかんでも族車にしたがるのが玉にキズだ。

 魅希は麗華へメガネレンチを投げつけてヒットさせた。

「余計なことを教えんでいい。梨緒も真に受けちゃダメよ」

 ブレーキキャリパーを分解していく。状態は思った以上に良く、外気に晒されていた部分を磨けば問題なく使えそうだ。

 黄色いフレームから部品を全部取り外した。緋劉が持ち上げて引っくり返すなどし、チェックをしていく。状態がどうか訊くと彼はそれを置いた。

「歪みもないし、サビも少ない。問題なさそうだな」

 フレームに歪みがあるとハンドルがブレたりして転倒しかねない。異常がなくてひとまずホッとする。緋劉と麗華に統括させて各自でできる作業を分担した。

 幕開けはワイワイと雑談をしていた五人だったが、地味な作業が続いてそれもなくなっていく。事務的なやりとりと工具を置く金属音にたまに独り言みたいなのが聞こえてくるだけだ。

 とうとう堪えられなくなった夜駒が意味のない雄叫びをした。

「なんかCDでもかけようぜ。あんだろ、そういうの」

「TVならあるぞ。この時間だとろくなのがやってないだろうけどな」

「気晴らしになるならなんでもいい」

 ガレージの角に置かれた液晶テレビを緋劉が点ける。天気予報がやっていて、明日も曇りだと言っていた。続いて「THE日本企業」という番組が始まる。前に観たことがあった。ベンチャーから大企業に至る日本の会社を取材し、紹介する内容のものだ。

 あまり面白くはないのに、ついつい観てしまった。

「──本日ご紹介するのは、あの万能薬AHMで有名なアルマハト製薬──」

 その会社名を聞いて真っ先に思い出したのは麗華の事故だった。高慢ちきな女の顔を思い出して魅希はむくれる。

 画面に社長への取材シーンが映った。挨拶をしてソファに腰かけたのは肩幅が広くガッシリとした体つきの男だ。黒いスーツは窮屈そうだった。男は大山康徳おおやま やすのりと名乗った。

 違和感に魅希が手を休める。

「ねぇ、梨緒。この会社の社長って最近代わった?」

「ううん、何年も前からこの人みたいだよ」

 頭を捻って過去の記憶を呼び起こそうとする。あの運転手は確か女のことを「社長」と呼んでいた。それなのに実際の社長は男だ。この食い違いはなんなのだろう。

 しかし傘下に無数の会社がある大企業である。あの女はその中のどれかに所属する社長なのだろう。第一、いまや世界を代表する製薬会社の社長にしては若すぎた。

 アルマハト製薬は落ちぶれた既存会社を吸収・買収して改善し、その業界でのシェアを着実に拡大していく。自動車、電子機器、電気・ガス、銀行、建設、情報・通信などといった業界を網羅していた。企業全体従業員数は約一〇万人で日本トップだとTVで説明している。

 かけ離れすぎた世界に自分とは関係なさそうだなと興味が一挙に薄れた。梨緒だけは熱心に番組を観ている。どこでも真面目なコだった。

「お~い、みんなこれ見てくれよ~」

 トイレへ立った夜駒がノートを片手に戻ってくる。

 顔を上げた緋劉が瞬時に真っ赤になり、それを奪い返すようにした。

「な~に? アタシにも見せてよ」

「ダメだ」

 背後に隠し、緋劉は断固として見せようとしてくれない。

 魅希は麗華へ目配せし、彼へけしかけた。ガイコツ化した麗華が一気にゼロ距離まで接近。彼の両手を掴む。

 必死に暴れてみても麗華の前では無力だった。

「やめろっ、テメェッ! 殺すぞっ!」

「魅希様、確保しましたわ」

「こっちに投げて」

 フリスビーの要領で飛んできたそれをキャッチする。どれどれとページを開いた。

 中には丁寧にコマ割りがされて描かれた絵があった。いわゆるマンガというものだ。少年マンガ調の絵柄で、ファンタジーに属するストーリーなのだろう。主人公と思しき青年が世界を平和にするためバケモノと戦っていた。絵は未熟なものの、表現力やストーリーはいい。

 グッタリと緋劉がうなだれている。

「いつから描いてたのよ、こんなの。結構面白いわよ」

「小学生のときから少しずつだ」

 読まれてしまってはどうしようもないと観念したのか彼はあぐらをかいて座りこんだ。

「友達に見せて楽しんでもらったのがきっかけで描いてたんだ。それからしばらく描いてなかったが、またちょっと描いてみようと思ってな」

「アンタってとことん変わってるわ」

「悪いか」

「褒めてんの」

 ノートを作者に返してやる。同じ学校に通ってほとんどのことを把握したつもりでいたけど、まだまだ知らないことがありそうだ。それは緋劉だけではなく、他の者にも言える。魅希はそれを知りたくもあり、知るのが恐くもあった。知らない方がいいということも世の中にはある。

 オーバーホールも終盤だ、パーツの組み立てに入っている。フレームを軸に着々と組みこんでいった。エンジン、タンク、シート辺りが加わると見た目はバイクの姿になる。

 どんどん形になっていくのを見て梨緒は感嘆した。大きな瞳をキラキラと輝かせる。

「ありがとう、魅希ちゃん」

「礼ならコイツらに言いなよ」

「そうだけど、そうじゃないの」

 彼女は他三人があーだこーだ言いながらバイクを作っていくのを微笑ましく見つめた。

「私ね、友達になる前はみんな恐い人だと思ってた」

「アタシ達が?」

「だってそういう噂聞いてたから」

 、という部分にミソがあった。二年になって麗華が勝手にハネウマとしてチームにしたあたりから暴走族みたいな間違ったイメージを持たれるようになった気がする。

「でもいい人達だった。正直、いまだに変な感じがするけどね」

「変なってどんなよ」

「ああいま私、有名人と話してるんだぁ、て。友達なんだぁ、て」

「アタシら、そんないいもんじゃないじゃん」

「魅希ちゃんが廊下の掲示板前で初めて話しかけてくれたとき、私無視したでしょ? 驚きもあったけど、本当はあのときとても嬉しかったの」

 梨緒は平気でこういうことを言う。普通なら聞いているこちらが恥ずかしくて死にそうになるだろう。彼女が言うとくすぐったくて心地良かった。

「だから、ありがとう。あのとき私に話しかけてくれて、ありがとう」

 もし彼女と接点を持たなかったら、卒業まで一言も交わさずに終わったかもしれない。

 魅希は、どういたしまして、と応じて天パー頭をクシャクシャにしてあげた。本当は違う。礼を言わなくてはならないのはこちらだ。評判の落ち切った自分と友達でいてくれる梨緒には精神的に救われている。

 アタシも、と出かかって涙腺が緩むのを感じた。近頃、すっかり涙もろくなってしまった。唇を噛んで堪えるのがやっとで、彼女に礼を言い出せない。

「おい、ゆっくりだぞ。倒したら殺すからな」

「分かってんよ、うるせぇなぁ」

 緋劉と夜駒が車体を持ち、メンテナンススタンド代わりにしていたビールケースから下ろす。ガソリンを入れれば完了だ。薄汚れたバイクだったのがすっかり見違えた。ヘッドライトや緑色のタンクもピカピカで光沢がある。使えない物は全部取り替えたから活き活きとして見えた。

 促された梨緒がセルのスイッチを押しこんだ。一度でダメでもくじけなくていい。二度、三度と試す。するとエンジンが呼応し、活動を開始した。

「オーバーホール完了ですわぁ~っ!」

 全員でハイタッチをし、喜びを分かち合う。シャッターを開けると外はすっかり暗くなっていた。疲労感はあれど、やって良かったと思える。

 梨緒がブレーキを握ってシートにまたがった。小柄な車体は身長の低い彼女にフィットしている。スイッチ類の位置やギアの変え方は夜駒が教えた。彼女は抜群の頭脳を持っているから覚えるのは容易だろう。

 梨緒はすぐにも走り出したそうだった。

「どう、またがった感触は」

「すごいパワーを感じる。これで私もレースに出られるね」

 まぶしい笑顔を向けてくる。魅希は耳を疑った。

「レースって、デビルハックとの勝負のこと?」

「うん。だって私もハネウマのメンバーだもん」

 校庭での一件を彼女もしっかり把握していたのだ。他三人と顔を見合わせると緋劉が首を左右へ振った。魅希もそれに同意する。

「あのね梨緒、すっごく危ないのよ? とーっても恐いんだから。梨緒みたいな、ちまっこい小動物が行ったらすぐ食べられちゃうの。分かった?」

「私もみんなと走りたいの」

 彼女の姿勢は頑ななものであった。ダメだと言ってもヒッソリついてきて勝負に乱入しかねない。そうなると逆に危険なことが起きかねなかった。

 麗華が続く。

「魅希様が参加するなら私も出ますですわ」

「なんだよ、俺以外全員行くの? んじゃ、俺も行ってやるかぁ」

 渋々といった感じで夜駒も参加表明する。

 なんだかんだでハネウマフルメンバーで臨むことに決まってしまった。関東最大の暴走族との対決だというのに、なぜか緊張感はなかった。

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