Ride 8

 東京の西側に広がる山並みはバイク乗りにとって絶好のコースだった。蛇のうねりの如く伸びる道はバイクに乗ることの楽しさを教えてくれる。

 天辺に広がる夜空には雲一つなかった。久方ぶりの晴れだ。しばらく雨の影響で気持ち良くバイクに乗れなかった欲求を魅希は今夜爆発させるつもりだった。

 山道の途中に設けられた駐車スペースには合計一〇台のバイクが止まっている。道の方には一定の間隔でデビルハックのバイクが並んでいた。それが進むべきコースを表している。

「勝負は五対五。一位から一〇位を決めるポイント制だ。一位なら一〇ポイント。二位なら九ポイントと減っていき、一〇位は一ポイントになる」

 勝負のルールを説明する鷹道。夜だというのにサングラスをかけていた。金髪のオールバックをクシで撫でつける。

「ゴールにいち早く辿り着いてポイントを多く稼いだ方が勝ちだ。負けた方はチーム解散」

 以上だ、と彼は締めくくった。

「なにか質問はあるか?」

「コースにいる奴らが俺らを妨害するんじゃないのか」

 緋劉も黒髪をオールバックにしていた。よく見ると額の左には切り傷の痕がうっすらとある。昔に負った傷らしかった。

「妨害があった場合はこっちが全員失格でいい。奴らにもきつく言ってある」

「きつく言ってある」

 鷹道の隣に麗華が並んで復唱する。今夜の彼女はピンクで花柄の着物ドレスにピンクのライディングシューズというハデな格好をしていた。

「たった五人のくせに逃げずに来たのは褒めてやるよ」

「褒めてやるよー」

「だがな、勝つのはうちのチームだ。関東最大を舐めんじゃねぇぞ」

「舐めんじゃねぇじょー」

 鷹道が真剣に啖呵を切れば切るほど麗華のせいでギャグになる。笑うべきところではないのに、たまらずに魅希は吹き出してしまった。他の三人も一緒になって笑い出す。さらにデビルハック側の四人も肩を震わせて笑いを堪えていた。

「なんなんだ、お前はっ!」

 振るわれた腕を麗華はすんなりとかわす。そして彼の背後へ周り、指先で肩を突いた。

 鬱陶しそうに彼は振り向く。

「あぁっ?」

「オバケですわぁ~っ!」

 白骨と化した彼女を目の前にして鷹道の絶叫が木霊した。そんな彼のサングラスをヒョイと取り上げてしまう。

「テメェッ! 返せっ!」

 ヒラリヒラリと身をかわす麗華が、あらあら、と微笑した。

「女のコみたいに可愛らしい顔をしてますわ」

 怒りに震える彼は女顔と言えるほど美青年だった。サングラスがなくなると威圧感が急激に減少して見える。たぶん舐められないようにサングラスをかけるようになったのだ。

 やっとのことでサングラスを取り返した彼がそれをかけ直す。

「ふざけやがって! やる気あんのかテメェら!」

「やる気ある人~?」

 魅希がみんなへ問いかけると梨緒一人が模範的な挙手をした。双眸は月明かりを映してきらめいている。梨緒はいいコだねぇ、と頭を撫でてあげたら、頑張るよ、と気合をアピールした。

 バカにされたと感じたらしく、鷹道はバイクのハンドルを殴りつけた。

「舐めんじゃねぇっ! ぶっ殺すぞっ!」

「やめとけ、鷹道」

 ハネウマのメンバーを見渡した緋劉が口元を緩める。

「こっちはケンカチームじゃねぇ。お前がキレればキレるほど滑稽に見えちまうぞ」

「うるせぇっ! んなことは分かってるっ!」

 舌打ちをした鷹道が黒いネイキッドバイクにまたがった。

「勝負をする前に一つ訊かせろ」

 緋劉の問いかけで鷹道はメットをかぶるのを中断する。

「モスドラっていう麻薬にチームが毒されてねぇか?」

「うちはヤクはやらねぇ。アンタの代からずっと売人上等だ」

「だが現にお前んところの奴が売りさばいてたらしいぞ」

「俺は仲間を信じる。アンタと違って裏切らねぇ」

 そうか、と肯いて緋劉は踵を返す。

「お前、チーム拡大しすぎて統率しきれてないんだろ」

 一言に、鷹道は固まった。黒のフルフェイスメットをかぶり、緋劉を見据える。

「逃げたアンタには言われたくねぇよ」

 それは感情を押し殺したような声だった。




 スタートの合図は鷹道の弾いたコインが地面を跳ねる音だった。一〇台が一斉に発進する。

 まずはストレートに伸びる道だった。上りでも下りでもない。リードをしたのは夜駒のレーサーレプリカバイクである。さすがに直線は速い。すぐ後ろに緋劉と鷹道がついていっている。三台がトップ争いを始めた。

 魅希は真ん中ぐらいの順位で追走する。ここは山だ、いまはまだトップを譲っておいていい。バックミラー越しに後ろを見ると梨緒も健気についてきていた。ムチャはしないようにと忠告しておいたから大丈夫だろう。

 第一コーナーが見えた。赤いテールランプが光り、減速をする三台。同時に車体を左に倒して曲がる。夜駒は滑らかなコーナリングでスムーズにコーナーを越えた。緋劉は対照的で、力任せな運転によりカーブした。鷹道も負けてはいない、隙さえあったら抜こうという意思が見え見えである。

 カーブからの立ち上がりで夜駒と緋劉が接触する。一瞬だけ蛇行した二人はすぐに安定した走りへ回復した。夜駒が左手を振って抗議をするようなジェスチャーをした。緋劉も蹴りをかますかのような動作をする。味方同士なのにトップをとらせまいとしていた。

 あ~あ、アイツらデビルハックとの勝負なのを忘れてる。

 彼らの辞書に協力という言葉は載っていないのだ。もちろん魅希も協力をしようとは思っていなかった。目指すは栄誉ある一位の座だ。

 次は細かく曲がりくねった道。これは魅希に有利だった。軽い車体を右へ左へ体重移動し、トップ集団へグングン迫る。鷹道の後ろへピッタリつけた。さらなるコーナーでインを攻めると三人を一気に抜き去る。

 急な上り坂が出現した。ギアを落として突入する。低速ギアのパワーの強さには自信があった。ますます差が開き、魅希は頭一つ抜き出る。ところがすぐ横を黒い影が迫った。鷹道が追い上げてきたのである。

 トンネルが迫った。入る直前で彼に抜かれ、中でますます差は開く。勝負はトンネルの先だ。

 出口を抜けるとU字に近い急カーブがある。ここはよく事故が起きるコーナーだった。スピードを殺さなくてはまず曲がれない。鷹道もブレーキをかけてテールランプを光らせている。

 魅希はあえて速度を落とさなかった。そのままの勢いでコーナーへ向かい、彼をまた追い抜く。鷹道の瞳は、信じられないとでも言いたげだった。ガードレールとの距離が縮まる。あそこを越えたら崖下に転落である。

 フロントをイン側に突っこんだ魅希は車体を斜めにし、ようやくリアブレーキを踏む。後輪がスケートリンクを滑るように流れた。普通ならそのまま転倒してしまうところ、魅希は絶妙なバランスを維持する。頃合を見計らって体勢を立て直した。再び回転をするリアタイヤが地面を噛んで後ろへ蹴り飛ばす。加速。一気に引き離し、直線へ出た。

 こうした走りは林道やオフロードコースを走っているうちに身についたものだ。特に山奥での木々が密集した走行は瞬時の臨機応変なドライビングテクニックが必須だった。そういうところで走るのに慣れてしまい、いつしか舗装された道路では物足りなくなっていた。

 魅希にとっては、いまスローモーションで走っているような感覚だった。

 直線の道が続くと分が悪い。後ろの三人がすぐ後ろにまで来ている。否、四人だ。彼らの後ろから異様な加速で迫ってきた。バックミラーでその者のヘッドライトの光が広がっていく。

 背後に寄った日章旗柄のバイクはとうとう横へ並んだ。排気量に差がある、ここは先へ行かせようと思ったところ、バイクが傾いてこちらに急速接近した。

 接触。重量の軽い魅希の方は大きく体勢を崩してしまう。ハンドルがとられ、タイヤが横滑りした。転びはしなかったが、失速をしてしまう。後ろにいた緋劉と夜駒を巻きこむ形。危険な運転だった。下手をしたら自分自身も事故りかねない行為だ。

 その隙に鷹道が先頭へ踊り出た。続いてデビルハックの残りの者が前へ並ぶ。しばらく道は狭く、完全に経路を塞がれた。

 しくじった。確かに走行者同士でのぶつかり合いは妨害とは違う。コーナーリングで当たってしまうこともあるし、ルール内での行いだ。日頃、こうしたラフプレイのあるレースをしていなくて盲点だった。

「大丈夫かいっ、魅希ちゃん!」

「問題ないわっ! それより、アイツらどうにかしないとっ!」

 夜駒へ声を張る。ゴールまでの距離はそう長くない、S字カーブが一つと山肌に沿った急カーブがあるのみだ。その先はすぐにゴールとなる。このまま五人全員に先を許しては負けが確定してしまう。そうかといって前へ抜ける隙間はなかった。

 しょうがねぇ、と緋劉が前方を指差す。

「我孫子っ! 俺と突っこんで道作りやがれっ!」

「お前と協力するのは気に食わないけど、それしかねぇか!」

 二人がデビルハックの壁にフロントを差しこんで道を開けようと言うのだろう。

 魅希はそれを阻止する。

「ダメよ!」

 コースはS字カーブへ差しかかった。

 この勝負はポイント制である。仮に壁を突破して魅希が一位になり、緋劉と夜駒がどうにか四位か五位に入着したとしよう。しかし後ろには麗華と梨緒がいる。彼女らがいまから追いつくのは難しい。ざっと計算すると二六ポイント対二九ポイントで負けとなる。しかも壁はわざと速度を落としていて、先頭の鷹道との距離は広がっていた。魅希が一位を狙えるかすら怪しい。勝つには魅希が一位となり、緋劉と夜駒に上位へ食いこんでもらわなくてはならなかった。

「アタシが急カーブ直前でアタックかけるわっ! 二人とも自分が勝つことだけ考えて!」

「でもそれじゃ魅希ちゃんがっ!」

「いいからっ!」

 S字カーブが終わる。残るは緩いカーブから真逆に曲がる鬼のコースだった。

 魅希は一気に加速してフロントタイヤを敵の壁の隙間へねじこむ。フロントフェンダーが車体にガツガツぶつかってもハンドルをとられないようにした。さらにスピードを上げて強引に中央から分断させる。

 緩い左カーブが終わろうとしていた。前方の山は林になっている。まだだ、まだ早い。魅希は速度を落とさなかった。本来ならもう次のカーブに備え、傾けたバイクを立てなくてはならないところだ。そこをわざとカーブを膨らむような走行をした。

 デビルハックのバイク二台モロとも道路の外──山側へ押していく。敵の壁は崩れ、道が開いた。緋劉と夜駒がすかさず割りこむ。彼らは一瞬こちらを心配そうに見たが、先程の魅希の発言を思い出してか前を見据えた。そう、それでいい。

 魅希らの集団はカーブを膨らみすぎたため、これ以上のスピードを出せば激突しまうだろう。だから敵二台はブレーキをかけるしかなかった。魅希の後ろを周り、位置を入れ替えて曲がる以外にない。全ては狙い通りだった。

 敵二台が最後の急カーブへ連なる道に進路をとるのに、魅希はそのままガードレールへ突っこんだ。前輪を浮かせ、後輪で跳ね上がる。樹木の枝葉をバキバキ折って木々の間を通過。土の地面を低速ギアで登っていく。幸い林の密度はそんなになく、ほとんど直進できた。薄暗い山中で走るべき道を瞬時に選定して山頂に辿り着く。

 下りだ。スピードが乗っかり、上りよりも反射神経を要する。左右にブレまくるハンドルは腕力で制御し、滑ったり跳ねたり暴れる後輪は目まぐるしく重心を変えて乗りこなした。

「楽しいいいぃ~っ!」

 いつ転倒してもおかしくないスリルとバイクで山を掌握できている感覚が最高だ。

 木々の隙間から最終コーナーを曲がってくる者が見えた。先頭は鷹道で、そのあとに緋劉と夜駒が続いている。

 山の中腹に来た魅希は手頃そうな倒れた樹木へ向けて加速した。乗り上げ、そこからバイクは発射する。接地部をなくしたタイヤが高速で空回りして大きく高鳴った。浮遊感。メットや体に枝葉がバチバチ当たって痛かった。

 やがて木々の背を超えた高度に達し、空間がパノラマとなる。。

 魅希はハンドルから手を離して腕を広げた。闇夜に浮かぶ月光の明かりを浴びて空の散歩を満喫する。下方ではトップ争いをするバイクあった。

 ハイパーシェルは放物線を描いて落下を開始する。胃が持ち上がり、ジェットコースターみたいな感覚があった。ハンドルを改めて握って着地へと備える。ガードレールの上を越えた。

 衝撃。自らの膝にもクッションを利かせてインパクトを和らげる。リアブレーキをかけ、道路を横切るようにスライドした。ヘッドライトをゴールの方へ向けて車体の向きを変える。

 後ろには鷹道がいた。驚愕の表情は魅希を愉快にさせる。

 直線、アクセルを捻り、ギアを次々に上げていった。ハイパーシェルのトップギアは六速だ、二五〇ccでも短距離を勝ち抜く速度は出る。

 デビルハックの構成員らが待つゴールが無数のヘッドライトで照らされている。粘る鷹道を振り切り、魅希は堂々一位でそれを通過した。やんわりとスピードを緩めつつ、ギアを落としていく。

 二位に鷹道、三位と四位に緋劉と夜駒が大差なくゴールした。勝負の参加者が間髪なく訪れる。案の定、麗華と梨緒はビリだった。麗華は本物の暴走族に囲まれて興奮したらしく、意味もなく蛇行運転をしてロケットカウルを振っている。

 普段そんなに運転が下手ではないのに、どうりで遅かったわけだ。

「世露死苦ぅですわぁ~!」

 到着した彼女がバイクにスタンドをかけて停止するとシートに立つ。天を指して、あたかも自分がナンバーワンであるかのような仕草をする。それをデビルハックの構成員は唖然として見ていた。正しいリアクションだ。

 麗華よりだいぶ遅れて梨緒もゴールする。それを魅希が迎えた。緑のフルフェイスメットを脱いだ彼女を抱き寄せる。

「完走、おめでとうっ!」

「私、全然追いつけなかったよぉ~! あのね、あそこのカーブで──」

 梨緒は興奮冷めやらぬように身振り手振りを加えて感想を述べた。

 原付で、しかも初心者の彼女が負けるのは至極当然だ。完走することに価値があった。

「でも楽しかったでしょ?」

「うん、楽しすぎた!」

 ニッコリとする梨緒。この場にいる誰よりも明るく晴れやかになっていた。

 対照的なのはデビルハック勢である。順位は決まった、計算は簡単だ。ハネウマが一位・三位・四位・九位・一〇位で二八ポイント、デビルハックはそれ以外の着順で二七ポイントだ。

 鷹道は黒いメットをアスファルトへ叩きつける。

「納得いかねぇっ! そこの女! テメェ、山をショートカットしやがったな!」

「したけど、コース外れちゃいけないなんて言ってなかったでしょ?」

 公的なプロのレースでもない野試合だ、ゴールにさえ着けばどんな道を行こうが勝手である。鷹道は街のケンカで「急所を狙ったからいまのはズルイ」と言っているようなものだった。

 第一、厳密には山はショートカットではない。樹木の乱立した舗装されていない山を上り、また下るというのは通常は遠回りするに等しかった。

 関東最大の暴走族を率いているだけあって、それが理解できぬほど頭が悪いわけではなさそうだ。鷹道は苦渋の表情をしながら悔しさを堪えている。

 そしてサングラスをかけた彼が背後に控えた仲間へ向き直った。

「本日をもってデビルハックを解散する! 以上!」

 あちこちから抗議の声が上がるも、彼は相手にしない。なにも応えないリーダーに呆れ、悲しみ、構成員が次第にいなくなっていった。

 残ったのはわずか数人だ。特に鷹道を慕っている者達なのだろう。その場にはもはや関東最大を名乗れる者は誰一人いなかった。

 無言だった鷹道が魅希を睥睨する。

「全部テメェのせいだ」

「ケンカ吹っかけてきたのはアンタでしょ」

 彼はかぶりを振った。それから自分を見据えていた緋劉に詰め寄る。

「今年の初め、この女に負けてから緋劉さんはメンバーやそこらの奴に衰えたと好き勝手言われた。そのすぐあとにチームを抜けたんじゃ逃げたって思われるに決まってる」

「鷹道……」

 緋劉の胸元が硬く握った拳で軽く叩かれた。

「いまだ現役の走りをするアンタが衰えたなんて俺は信じねぇっ! どうしてチーム抜けたんスかっ! 教えてくださいよ!」

 悲哀の表情に満ちた鷹道の拳を握って緋劉は下ろさせる。

 緋劉がハネウマのメンバーを見やった。

「お前はここにいる奴らと走ってなんも感じなかったか」

「そんなの、俺には──」

 戸惑う鷹道が言葉を区切る。

 闇に鋭利な光がきらめいた。黒い特攻服の青年がサバイバルナイフを握っている。その全身は小刻みに震え、目つきや顔つきが不自然に硬かった。口の端からは一筋の唾液が垂れてテラテラと光っている。

 来る、と思ったときには緋劉に向かって狂ったように絶叫し、彼は突進してきた。

 血液がほとばしる。刃を伝って鮮血が流れ、こぼれ落ちたそれは地面へ赤い花を咲かせた。

 ナイフの先は緋劉には届いていなかった。寸前で立ちはだかった鷹道が素手で凶器を握ったのだ。握力により、刃は彼の手の皮膚と肉を少々裂いて止まった。

 特攻服の青年が意図しない結果に困惑してか得物を離す。

 鷹道はナイフを捨て、彼の襟首を掴み上げた。

「テメェ、なんかやってやがるな」

 問いに青年はアワアワとあやふやな言葉を発するだけだ。首をブルブル振って口角から泡を吐く。目の焦点は合っていない。

 ケガを負った血まみれの手で鷹道は顔面を殴りつけた。

「デビルハックは薬物ご法度だバカ野郎っ!」

 血の雫とともに青年が吹っ飛ぶ。それを即座に追いかけてまた殴った。襟を握って逃がさず、何度も何度も執拗に痛めつける。鷹道の血液が彼の顔をどんどん赤く染めていき、本人の傷を大げさに見せた。

 鷹道は大きく拳を振りかぶる──その手首を緋劉が掴む。

「それぐらいにしておけ。チームはもう解散したんだろ」

 ようやく攻撃が治まった。荒い息遣いをする鷹道が特攻服の襟を離すと青年は地に落ちる。そのポケットから透明な小ビンが転がった。

 鷹道は残っていた構成員に伸びた青年を連れ帰るよう命じる。ここにいるデビルハックだった者は彼一人となった。

 小ビンを拾う魅希。コルクはなく、中身は空だ。

「たぶんモスドラよ。本当にアンタのところで流してるんじゃないの?」

「言っただろう、うちは薬厳禁だ。ましてや売人になるなんてもっての他だぜ」

 黒い特攻服の袖を引き千切った彼はそれを手の傷に巻きつけた。

 ただ、と付け加える。

「最近は俺も全体を把握できてなかった。モスドラをどっかのグループが流してるとは聞いてたけどな。まさかチーム内が汚染されてたとは笑えるぜ」

「やっぱりまとめきれてなかったか」

 緋劉に彼は首肯で返す。

「だから俺は緋劉さんに戻ってきてほしかった──いや、チームなんてどうでもいい。ただアンタとまた楽しく走りたかったんだ」

 関東のチームと衝突し、吸収しては膨らんでいったデビルハックを一人で仕切っていくのは困難だったというのは事実だろう。緋劉が戻れば上手くまとまったかもしれない。しかし、いまになって自分の希望が別のモノだったと鷹道は気づいたらしい。

 緋劉が言うには、鷹道は彼を中学時代から慕っていた者だ。ともに愉快な時間を過ごせればそれで良かったのだろう。チームを作り、思わぬ方向に動き出してしまった時点で解散するべきだったのである。余計なしがらみが鷹道を狂わせたのだ。田尻酒店の件もあり、ボコボコにしてやろうと考えていた魅希だったが、そんな気はとっくに失せていた。

 胸中で仕返しできなかったことを田尻に謝る。

 やれやれだ。そろそろ帰る準備をしようとしていたら、麗華がバイクのシートの上でメモ帳を開いてなにかを書いていた。

「なにやってんの、アンタ」

 背後から忍び寄り、魅希はそれを奪う。

「か、返してくださいですわっ!」

「なになに、『願望ノート』? ふぅん、面白そうね」

 取り返そうとする麗華から軽快なフットワークで逃げ回りながら読む。

 本日の日付が書かれて丸印のついたところには、「敵対グループとのバイクレース」とあった。願望が叶ったら印をつけているらしい。他のページにも目を通してみる。

「ダメッ! それ以上はダメですわっ!」

「いいじゃない、別に減るもんでもあるまいし」

 くだらないモノが大半で馬鹿にしていたら、とあるページで魅希は硬直した。かなりの枚数を使って全部魅希に関するモノが書いてあったのだ。

 魅希とのデートやキスはまだ可愛い方だ。「性交をする」だの「夜這いをする」だの生々しい願望がいくつも列を成している。しまいには「結婚をする」「子供を作る」と書いてあった。

 背筋に鳥肌が立つ。

「アンタ、こんなこと考えてたの」

「あ、あくまで願望ですわっ。こういうことをしたいなぁ、という」

「させるかっ!」

 掴みかかろうとすると麗華が俊敏に回避した。

「堪忍ですわ、魅希様っ!」

「待ちなさい、コラッ! ここで殺して埋めてやるっ!」

 麗華は逃げ、梨緒を盾にした。彼女をこちらに突き飛ばしてくる。魅希はそれをキャッチし、動きを封じられた。その間に夜駒の方へ向かっている。追えば、次は夜駒が突き飛ばされてきた。夜駒は腕を開き、タコみたいな口をして肉薄する。それを蹴り飛ばして魅希は麗華を追った。しかしそこに彼女はいない。闇に紛れてどこかに隠れたらしい。

 コンチクショウめ、どこに行ったのよ。

 必死の形相で探していたら鷹道が笑った。

「緋劉さん、俺ちょっと分かったかもしれない」

「なにがだ?」

「緋劉さんがそこにいる理由」

 メットをかぶった彼はバイクにまたがってエンジンをかけた。拳を掲げた彼は親指を立てる。

「最高のチームッスね」

 言い残し、鷹道の黒いネイキッドバイクが轟音を発した。テールランプを点滅させ、あっという間に走り去っていく。

 なにが最高なのだろうか。最高のバカということか。釈然としない気持ちにさせられる。そもそも魅希はチームとしてやっていこうとは考えていない。それもこれも麗華が自分勝手に決定したことだ。まともなのは梨緒のみである。

 まぁ、レースは楽しかったからいっか。

「さぁて、アタシもぼちぼち帰りますかね」

 大きく背伸びをして柔軟する。天を仰ぐと星が無数にまたたいていて綺麗だった。山奥とはいえ、東京の夏でもこんなに星が見えるのかと感嘆する。いままで夜にドライブをしても走ることと甘い物ばかりに意識がいっていて気づかなかったのだ。

 顔を下ろすとみんなも夜空を見上げていた。神聖で静寂な空気が辺りに漂う。ああもう帰るんだな、と寂しさが去来した。なにかみんなと離れるのが惜しい気分になったのだ。

 どうしてだろう。自分に問いかけても答えは返ってこなかった。

「それですわあああぁっ!」

 突如として涌いた麗華の叫びが周囲に反響する。

「ビックリさせるんじゃないわよっ!」

 頭頂部へ鉄槌を下してやる。

 ズンッと沈みこんだ彼女は人差し指を立てた。

「星マークですわ! 五人だから五芒星をハネウマのシンボルにしましょうですわっ!」

「だから、アタシは別にチームとか──」

 真っ先に拍手をした梨緒に言葉を中断させられる。拍手は麗華の案に賛成する意思表示だった。いくら梨緒が相手でも、これに関して魅希は譲れない。

 諭してあげようとしたら、夜駒が手を打ち鳴らした。次いで緋劉までも乗っかる。どうもどうも、と麗華は拍手に応えた。

 みんなのなにかを期待するような視線がこちらへ集中する。

 魅希は口を「へ」の字にし、腕を組んでそっぽを向いた。

「勝手にしなさい」

 星空のもと、ワッと歓声が沸いた。


 軒先テントのあったところにはライトアップ可能な看板がデカデカと掲示されている。「定食屋&居酒屋TAJIRI」と書いてあった。店頭のショーウィンドウには焼き魚定食などの食品サンプルが飾られている。無残にも割られてしまったガラス戸に代わって木の格子戸があり、和の雰囲気を演出していた。傍らには赤提灯までかけられている。

 田尻にすぐ来てくれと呼ばれたと思えばこれである。

 魅希は格子戸をガラガラと開けた。中はシンプルな作りで、カウンター席が五つとテーブル席が四つあるだけだ。カウンターの内には茶の調理服を着た田尻がいる。

 魅希の頭上には疑問符が湧きっぱなしだ。

「いらっしゃい、鐘乃ちゃん。いやぁ、助かった。仕込み終わらなくてよぉ」

「え~っと、お店復活したのはいいけど、これ酒店じゃないよね」

「いいだろぉ? ザ・定食屋って感じで」

「酒店大きくするっていう奥さんとの約束は?」

 みそ汁の味見をしようと小皿に口をつけた彼が停止する。

「いや、死んだ女房とも定食屋とか居酒屋でもいいなって話してたんだ、うん」

「なんか前に聞いた話が変わってきてない……?」

「嫌だなぁ、疑ってんの~? ちょっと話し忘れてただけだってぇ~」

 確かにそういうこともあるだろう。いちいち枝葉の部分まで物事を話す必要性はない。だがなにか奥歯に物が詰まったような違和感がある。

 そそくさと魚の下ごしらえに取りかかる彼へ疑惑の視線を送っていたら戸が開いた。田尻と同年代ぐらいの中年男で、よぉ、と挨拶をする。酒店時代に見かけたことはないが、どうやら昔馴染みの友人らしい。開店を祝う酒を一升瓶で持ってきていた。

 彼をカウンター席へ促した田尻は嬉しそうだ。

「久しぶりだな。わざわざ開店を祝ってくれるたぁ泣けるねぇ」

「いい店じゃねぇか。これなら出ていったカミさんと子供も戻ってくれるんじゃねぇか?」

「あ、バカ!」

 焦ったように中年男の口を手で封じる。田尻は口角をひくつかせつつ、こちらへゆっくり目を向けてきた。それにジト目で返す魅希。

「店長、どういうことかしら~?」

「その、なんていうか、死んだって言っておいた方が影があってカッコイイかな、て」

 非難する視線に堪え切れなくなったらしい彼は、テヘッ、とウインクをしてベロを出した。そういえば襲撃されたとき、「どうせ潰そうと思ってた」とも言っていた。あれは魅希に責任を負わせないものだと解釈していたが、襲撃前から改装を考えていたからではないだろうか。

 一時は自分のせいで奥さんとの約束まで壊してしまったと深刻に考えた立場がない。今日だって働いてお金を返すと言う覚悟で来たのだ。真剣に悩んだ自分がバカらしかった。

 魅希の両腕がワナワナと震える。

「テヘッじゃないわよっ、クソハゲッ!」

 たっぷりと肉を蓄えた頬へストレートパンチが炸裂した。

 存分にお仕置きをした魅希は時給アップさせることも忘れなかった。

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