Ride 11
休日の捜索も虚しく、バイクは手がかり一つ掴めなかった。学校も電車通学である。一方、梨緒と夜駒も電車だ。壊れたバイクはまだ直らず、複数台を所持する夜駒も魅希を警戒してバイクには乗ってきていない。
電車の窓外には午後になっても青空が広がっている。その下をドライブしたらどんなに気持ちがいいことか。バイクがないと毎日が本当に退屈だった。
「今日どっか寄っていかない?」
魅希の誘いに梨緒は申し訳なさそうにかぶりを振る。
「ごめんね、今日はちょっと……」
「ははぁ~ん、さては男でしょ」
「えっと、うん、まぁ」
彼女の小柄な体を肘で突いた。
「おとなしそうなくせに、梨緒もやり手ねぇ。どんな相手?」
訊いても梨緒は苦笑いをしてうやむやにする。
「それじゃ、私はここで降りるから。また明日」
彼女がいつもと違う駅で降りる。そこは初めて彼女とツーリングをした帰りに送った駅だった。家も遠くなるのに、なにかが妙だ。
ドアが閉まる直前に魅希は電車を降りた。それを止めようとする夜駒もついてくる。彼の制止も聞かずに魅希は彼女を尾行した。
着いた先は大学病院である。白く角張った建物へ彼女が入っていく。見失わないよう魅希も自動ドアをくぐった。イスや受付があちこちにあり、沢山の人が行き交っている。
梨緒がどこへ行ったのか歩きながら見回したら彼女は売店から出てくるところだった。鉢合わせ。彼女が驚いたようにする。
アハハハ、とから笑いをした魅希は、ごめん、と頭を下げた。
「しょうがないなぁ、魅希ちゃんは」
彼女は苦笑い混じりながらも柔らかい表情をする。
中庭のベンチに三人座って話すことにした。円形に植えこみが整備されていて芝生もある。日射しにより緑がよく映えた。
「パパが末期ガンで入院してるの」
第一声が衝撃的過ぎて魅希は喉が詰まる。
「去年の終わり頃に容態が悪化してね、最近は山を越えて絶対安静なんだ」
辛いことを言わせているようで胸が痛んだ。去年の終盤といえば魅希が期末試験で梨緒に勝ったときだ。やはり勝てたのには理由があったらしい。
青空を仰いで紙パックのジュースを飲む夜駒へ抗議の目を向ける。
「アンタ、知ってたんならどうして早く教えなかったのよ」
「止めたのに魅希ちゃんが強引に尾行したんだろ~」
責任の一端は自分にあるものの、こんなことなら彼女のデリケートな問題に足を踏み入れようとはしなかった。
梨緒が、大丈夫だよ、と言って笑う。
「夜駒君は前に私が病院を通りがかったところで偶然会ったの。そのときに、ね」
彼女の方がかえって飄々としていた。気を遣われるのも逆に嫌なのかもしれない。
魅希は変に気を遣いすぎないように努めて質問をする。
「梨緒が陽丘学園を志望したのって、ここが近いから?」
「さすが魅希ちゃん、勘がいいね」
常日頃から彼女が本気で上を目指せば有名校に余裕で入れると思っていた。ここであれば学校の帰り道で、毎日でも寄れる。
できるだけパパの傍にいてあげたいから、と言う梨緒。
「お金はなかったけど、私に惜しみない愛情を注いでくれたんだ。だから今度は私の番」
看護婦に車椅子を押してもらう患者が庭を行く。激しく咳こむ者もいた。のどかな風景とは裏腹に彼らは辛そうだった。
梨緒は伏し目がちになる。
「病気なんてこの世からなくなればいいのに」
「アタシも幼いころに死にかけたらしいから本当にそう思うわ」
「私と似た立場の人って世界中にいるよね」
彼女が足をプラプラと振った。
「私、絵描きになるのが夢だったんだ。でもパパの件があってからは、世界中の病気を治したいって考えるようになった」
「じゃあ医者を目指してるの?」
「ううん。それだと限られた人達しか治せないから」
彼女の足が止まる。
「アルマハト製薬に就職したいの。それから、安くていい薬を作るんだ」
薬を開発すればそれ一つで数多くの患者を救える。万能薬AHM《アルハイルミッテル》はあれど、一般人が手にするには高価すぎた。安価な物を開発すれば世界も変わると彼女は考えているのだろう。
紙パックのジュースを飲み干した夜駒がそれを握り潰す。
「けどあそこはスカウトで新入社員を決めてるから難しいっしょ」
「そうなんだよね。だからものすごく勉強して、模試も頑張って目立たないとダメなんだ」
「天才って呼ばれる人材を集めまくって、度を越えた青田買いが前に批判されてたっけな」
夜駒は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「アンタ、ヤケに詳しいじゃない」
「俺の親、二人ともあそこの社員なんだよ」
食いついたのは梨緒だ。
「良かったら今度、ご両親と話だけでもさせてもらえないかな」
「いんや、やめておいた方がいい。梨緒ちゃんが思ってるほどいいもんじゃないさ。それに、ほとんど家には帰ってこないしなー」
両親に愛されて育った梨緒ちゃんは幸せ者さ、と彼は寂しげに呟いた。
いよいよ焦りが出てくる。このままでは本当にバイクと再会できないのではないかと不安にならざるを得ない。そんなのは嫌で、途中で学校をサボッて近辺を探ることにした。
今日は一段に太陽光が強い。大通り沿いを当てもなく歩いていると排気ガスが相まって肌から汗が滲み出てくる。バイクに乗っていれば忘れられる暑さも歩きだと苦痛でしかなかった。
どこか涼しいところで少し休憩でもしようかと考えあぐねいていると銀髪の少年が木を物欲しそうに仰いでいた。ふとこちらを見てくる。それからまた木を見上げた。それを二度ほど繰り返し、魅希もならって木を見る。
カブト虫が止まっていた。東京の街中にも案外いるものだ。
少年は梨緒よりも小さい背丈で虫網もなく、まず届かない。あれを代わりに採ってほしいのだろう。女子の平均身長よりは少し高い魅希でも腕を伸ばしただけでは届かなかった。ただジャンプをすれば問題はない。軽く反動をつけて跳び、カブト虫の腹をつまむ。
はい、とあげると少年は破顔した。魅希は驚愕する。彼が傍らに置いていた木箱を持ち、生きたままカブト虫の背にピンを刺したのだ。箱の中へ留めて完成である。他にも蝶やクワガタが標本になっていた。いくつかの昆虫はまだ手足や羽根を動かしている。
「僕、こうやってジタバタしてる虫見るの好きなんだぁ。マヌケだよね、どうせ木枠からは出られないまま一生を終えるのに必死に動いててさ」
子供の無邪気さというのは恐ろしい。薄気味悪ささえ感じるものの、昆虫採集という行為は一般的である。注意するわけにもいかず、そう、と相づちを打つに留めた。
この子はいったいなんなのだろう。不可思議な空気をまとっていた。小学校はまだ夏休みに入っていないはずだ。自分と同じくサボッたのだろうか。それとも複雑な家庭で育っているかだ。幼さの残る顔立ちに薄茶色の瞳、八重歯が日でキラリと光っている。
そこで、あれ、と思った。
「アンタ、前に会ったことあるわよね」
「うん、あるよ。バイクのお姉ちゃんでしょ」
そうだ、麗華が事故を起こしたときに心配してくれた少年だ。銀髪だったからハッキリと覚えている。独特の雰囲気があり、それでいて壁を感じない人懐っこさがあった。
少年が立って頭上を見上げる。
「もっといないかなぁ、カブト虫」
「山奥じゃないし、そうそういないでしょ」
言って隣の木へなにげなく視線を移すと黒い物体が動いていた。
「いたっ! あれそうでしょ!?」
「え? どこどこ?」
魅希が指し示してやると彼は表情をパァッと明るくする。採って採って、と少年が跳ねる。つい魅希もテンションが上がってしまった。子供は自由でいい。なにも考えず、いまというときを楽しむのが仕事だ。その元気を少し分けてもらったような感じがした。
二匹目のカブト虫をピンで留める少年へ訊く。
「アンタ、なんて名前なの?」
「
「涼斗ね。アタシは鐘乃魅希」
なんの接点もないはずなのに、なんとなく彼とはまた会うような予感がしたのだ。陽丘学園の周囲に住んでいるのであればあり得なくはない。
着信が鳴る。涼斗のケータイにメールが来たらしかった。
「僕、そろそろ行かないと」
「うん、車に気をつけなさい。今度会ったら、バイクに乗せてあげるわ」
「本当に!? 今日はないの?」
「ちょっと、ね」
苦笑する。次に会う日までにバイクを見つけておかなくては約束を破ることになる。子供との約束を破るのはよろしくない。なにがなんでも探し出すと決意を固める。
涼斗が駆けていき、振り返りながらこちらへ腕を振った。白の半袖パーカーが上がって脇腹がチラリと見える。そこにアザのような古傷の痕があった。見間違いだろうか。嫌な感じがし、見間違いであってほしいと魅希は願った。
ビート板を両手にしっかり掴んでバタ足する。数秒、水に顔をつけては上げて息を目一杯に吸いこんだ。それからまた顔を水につける。スタート地点からは永遠に感じられたゴールがやっと目前に来た。タッチ。相棒であるビート板を岸に揚げ、魅希はプールサイドへ足をかける。ズッシリと体が重く感じられた。
ラップタオルで顔を拭く。ベンチでは麗華が見学していた。
「アンタが体育見学なんて珍しいじゃない」
「もぅ、魅希様のエッチ。分かってるくせにぃですわぁ~」
「気色悪い言い方するなっ!」
体をくねらせているのがまた腹立たしくて反射的に手が出る。
「生身に魅希様のコークスクリューは利きますわぁっ!」
そういえば今日もガイコツになっていない。自分と絡むとだいたい変貌するというのに変だ。
「魅希様にワタクシの秘密、教えてさしあげるですわ」
「いや別に聞きたくないし」
「酷いですわっ、肛門のシワの数まで数え合った仲ですのにっ!」
「数え合うかぁっ!」
後ろ回し蹴りを炸裂させると麗華はベンチごと転倒したのだった。
水泳の授業が終わり、着替えて二年二組に戻ると校内放送が流れる。梨緒を職員室へ呼ぶものだった。彼女は不安そうにしている。
「アタシ、ついていってあげよっか」
「いいの? そうしてくれると助かるよぉ」
「平気平気。アタシは慣れっこだから」
あまり自慢にならないことを胸を張って言ってみせる。
職員室には教師の面々以外に見知らぬ大人が何人も集まっていた。
「アナタが伊波梨緒さん? ちょっとお話を聞かせてちょうだい」
「伊波さん、こっち向いて!」
「今回こういう結果を受けて、いま率直に感じることは?」
知らない者に囲まれて彼女は困惑したようだった。彼らはカメラやマイクまで用意している。教師がそれを引き離し、別室へ移動することになった。なにがなんだか分からない。とにもかくにも彼女を取材したいらしかった。
心配で魅希もついていくことにする。過程で大人同士の会話から満点がどうのという単語が耳に入ってくる。
梨緒はおびえた子羊みたいに小さくなっていた。
「センター試験の模試で全教科満点だったの」
「嘘!? 梨緒、すごすぎでしょ!」
まだ高校二年の時点で高得点を記録するのも並ではないのに満点とはやりすぎだ。報道陣が駆けつけるのも無理はない。それにしてもどこから嗅ぎつけてきたのだろうか。
空き教室にイスを並べ、黒板の前に長机を設置する。即席の記者会見場のできあがりだ。各社がカメラやマイクをセッティングするといよいよそれっぽくなる。
席には校長と担任、梨緒が座った。教師一同も壁際で野次馬みたいになっている。授業は自習だ。魅希もそこに混ざって彼女を見守った。
梨緒がオドオドと自己紹介をするとカメラのフラッシュが連続して焚かれる。
「静粛に。マネージャーの藤堂麗華ですわ。質問は一社一つまで、不適切な発言があった場合は即刻退場。うちの梨緒も忙しいので時間も一五分ですわ」
なぜか麗華が進行役をしていた。いつからマネージャーになったのやら。大人達はザワつきながらも、いまは梨緒のことで頭がいっぱいらしく、さほど気にしていないふうだった。
挙手があり、ありきたりな質問がいくつも放たれる。校長も担任も大したことを言えていない。曰く、成績優秀で素晴らしい生徒でうんぬん。梨緒は声が小さく、言葉がたどたどしかった。ひたすらに萎縮している。TVで放送されると思うと緊張せずにはいられないだろう。
そろそろ時間が差し迫ってきた頃、スラリと長い左腕が綺麗に上げられた。とがった印象のある美女だ。茶がかったロングの髪を編みこんで後ろで結っている。グラマーな肉体を肌にピッタリと張りつくようなスーツで包んでいた。
魅希は彼女を知っていた。麗華の事故で高級車から出てきた高慢な女である。
麗華が彼女を指す。起立すると、その魅惑的な雰囲気にみんなが釘付けになった。どんな質問が出るのか、魅希を含めて待ち望んでいる。
「伊波梨緒さん。アナタは世界を変えたいと思っていますか」
内容の規模の大きさに場内がどよめいた。梨緒も面食らったらしく、大きな瞳をパチクリさせている。しかし、背筋を正した彼女は真剣な眼差しとなった。先程までのオドオドした態度はなくなっている。
「私は世界中に蔓延する病気を安価な方法で治すのが夢です。夢を現実したいです。そういう意味では世界を変えたいと思っています」
先日、彼女の言っていたこととほとんど同様のものだった。
女はほくそ笑み、ありがとう、と言って着席する。余韻で空気がピリついた。興味本位で群がっていた大人達が静まり返っている。
麗華の進行で会見は終了となった。各々が最後の回答を考察したり話したりしながら空き教室を出ていく。魅希はその人波に流されないように梨緒の方へ足を向ける。
そこには例の女がいた。梨緒の頬へほっそりとした手を添えている。
「頭のいいコは美しいわ。美しいコは好きよ、頑張ってね」
それだけを言い残して女は帰っていった。
教師らも梨緒を一通り絶賛して受け持ちの教室へ戻る。残った魅希は彼女に付き添って廊下を歩いた。お疲れ、と背中を叩いてやる。
彼女は精神的にすっかり憔悴していて、大きな溜め息をついた。
「あぁ~、もう頭真っ白だよぉ~。私、変なこと言ってなかった?」
「大丈夫よ、立派なもんだったわ。特に最後はビシッと決まってた」
テヘヘ、と梨緒が照れている。
「そ、そうかな。あの女の人に質問されたら、なんとなく気持ちが引き締まったの。社名も名前も言わなかったけど、あの人は記者の人じゃなかったのかな」
「たぶんアルマハト製薬の関係者よ」
「そう、なの?」
カメラのフラッシュが発されてまぶしさに一瞬目をつぶる。
茶髪のロン毛を掻き上げた兵太だ。チッチッと指を振る。
「違うね。オイラはあれをアルマハト製薬社長の愛人とみたね」
「アンタって麗華レベルの神出鬼没さよね」
兵太も記者会見に参加していたようだ。
「根拠はあるの?」
「ない。たまにあの美人を見かけることがあるだけだ」
太い腹を張って堂々とする兵太。そんなことだろうと思った。
彼の横を素通りする。
「ちょっ、待てよ。いまオイラがろくなこと知らないって思っただろ?」
「実際そうでしょ」
「待ってろ、いまオイラの秘密ノートを特別に公開してやる」
薄汚いバッグから手帳を出す。
「聞いて驚くな。社長の大山康徳はなんと高校時代にラグビーで全国大会優勝した経験があるんだぞ! それも二回だ!」
どうだ参ったかと言わんばかりに丸い鼻を高くしている。
魅希は冷めた目を継続した。
「本当にろくでもない情報しかないのね」
社長の経歴など少し調べれば分かりそうなものだ。しかも、わりとどうでもいいことだった。その程度しか知らないのにどうして自信満々なのか神経を疑う。
梨緒に、行こう、と言うと彼はタラコ唇をニヤつかせた。
「そんなこと言っていいのかなぁ? オイラ、君の盗まれたバイク見つけちゃったんだけど」
瞬間、魅希は兵太の首を締め上げて壁に叩きつける。
「どこで?」
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