Ride 16

 テレビのニュースで海岸沿いの埠頭倉庫が映った。ヘリで空撮された映像とテロップが表示される。異変に気づいた漁港関係者が第一発見者だ。半狂乱した男達が発見され、暴力団と判明した。警察の調べで獅道会と分かり、事実上の組壊滅となったらしい。

 八〇インチある液晶テレビの電源を鐘乃魅希がリモコンで消す。リビングには外国ドラマで出てきそうな長テーブルがあった。そこへノートを広げ、いま分かっていることを書き連ねている。傍には東原兵太の撮った写真もあった。

 我孫子夜駒の家は広すぎて落ち着かない。藤堂麗華の家とはまた違った金持ち具合だ。デザイナーの手がけた家で、オシャレさもある一戸建てだった。一般的なワンルームぐらいの広さがある玄関にオブジェとしてバイクが飾ってあったのにはドン引きした。どの部屋も天井が高く、その内の一部屋で何人かが暮らしていけそうな面積がある。

 テーブルには魅希と夜駒、兵太と澄井涼斗がいた。

「まぁ、そんなわけでアルマハト製薬と獅道会は繋がってたわけね。これをネタに会社の転覆を狙えないかしら」

 兵太はコーラを飲み、鼻で笑う。

「無理だぁね。その程度のことじゃ上手く誤魔化されて終わり。もっと明確に悪質なデータなんかがないと意味ないよ。そんなことも分からないのかね、君は」

 言っていることはもっともだが一言多くて肥満な腹を殴っておく。彼が腹部を押さえてうずくまった。大企業を潰すには世間の人々の力が必要だ。風評次第で傾く会社だってある。この手のことに関連する職で知り合いなのはフリージャーナリストの兵太のみだった。

「じゃあこれは知ってる? アルマハト製薬の真の社長は女だ、て」

「ほほ~、まさかあんなゴツイ奴が女だったとは、天才ジャーナリストのオイラでも気づかなかったなぁ。すると名前も偽名か……?」

「んなわけあるかっ! 真の社長が別にいるのよ!」

 涼斗から聞いた情報だった。魅希は兵太の写真から二枚をピックアップする。一枚は大山康徳だ。これが表の社長である。もう一枚は、麗華の事故のときが初対面で、伊波梨緒の記者会見にも来ていた美女──高科真理子たかしな まりこだった。写真の彼女はスパゲティを食している。兵太が偶然写したものの中にあったのだ。見当外れすぎるのもたまには役に立つ。

「真理子が社長というのは社内でも一部の役員しか知らないらしいわ」

 社員は彼女を見かけても関連会社の社長かなにかだと思っているとのこと。涼斗のことも同じで、社員ですら知らないことは数多くあるようだった。

「涼斗から見て彼女はどんな人間?」

 涼斗は彼女の写真を手にする。

「虐待されてた僕は真理子さんに引き取られたんだ。僕の頭脳と頑丈な体が気に入ったみたい。両親に優しくされたことがなかった僕は、初めて優しさに触れた。実験材料にだって喜んでなったよ。その結果、副作用で当時のまま年齢を重ねられなくなったけどね。それでも彼女は愛情を持って接してくれたんだ、優しい人だよ」

 虐待を受けていたのであれば、両親に殺されていたかもしれない。そう考えると母の温もりを感じさせてくれた真理子に殺されようとそれはそれでいいということなのだろう。

「それなのにアタシ達に手貸してもいいの?」

「すごく迷ったよ。でも、もういいんだ。僕の他にクローンはまだ一〇人いる。真理子さんが可愛がってくれるのは僕だけど僕じゃない僕だ。記憶も全部リンクしてるのに、嫉妬しちゃったんだよね。僕だけなにか欠陥があるのかもしれない」

 彼が寂しげに顔を伏せる。魅希がその小さな手を握った。

「それは欠陥じゃないわ、自我ってやつよ。アナタだけ成長したのね、きっと」

「成長? 僕が?」

 その響きにキョトンとした彼は次第に表情をほころばせた。副作用で成長の止まっていた心身が一歩前進を見せたのだ、嬉しくないわけがない。

 夜駒が康徳の写真を指差した。

「どうして高科真理子はわざわざ大山康徳に社長を任せてるんだ?」

「大山はただの人形だよ。いつでも首のすげ替えが可能なオモチャさ」

 呼び捨てにする彼に違和感を覚えたが、本来は年齢的に上なのだろう。

「真理子さんの実年齢は一四〇歳だから、いつまでも若いままでいたらおかしいじゃん? だから適当に見繕った人間を社長に置いてるんだよ」

「ふ~ん、なるほどねぇ──て、一四〇歳っ!?」

 驚愕のあまり魅希はイスから落ちそうになった。写真の彼女はどんな贔屓目に見ても二〇代半ばあたりだ。声も肌も若々しかったのを覚えている。

「ど、どうやって?」

「詳しくは僕も知らない。けどあらゆることをやってるみたい。細胞の老化を逆行させたり、培養した新しい内臓を移植したり、色々だよ」

 世の女が聞いたら我先にと食いついてくるだろう。魅希もいまはいいとしても、いずれ年老いていくのかと想像すると悲しくなってくる。せめてバイクには老人になっても乗っていたい。

 兵太が安っぽい腕時計を見てイスを立つ。

「オイラ、バイトだからそろそろ帰るよ」

「いい歳してバイトしてたんかいっ! もういいわ、勝手に行ってらっしゃい」

 彼はドタドタと玄関へ行く。この先、本当にあの男が役に立つのか不安だった。いないよりはマシぐらいに考えておいた方が良さそうである。

 もう夕飯時だ。よし、と夜駒が隣接するキッチンへ入っていく。カウンターがあり、エプロンをするのが見えた。念入りに手を洗う様からしてプロっぽい。

「アンタ、料理できんの?」

「女のコにパスタ作ってあげるとポイント上がるんだ」

 そんなことだろうと思った。なんとも不純な動機だった。

 彼は材料を手際良く用意し、調理をしていく。しばらくキッチンでその作業を眺めた。涼斗は向こうのソファーでゲームに熱中している。

「涼斗だけど、アンタ預かってね」

「えっ!? 昨日だって泊めたのに」

「しょうがないでしょ。アタシの家は親だっているし」

 夜駒の家はめったに両親が帰ってこない上に財力があり、家も広い。一人ぐらい預かるのは容易だろう。

 夜駒は嫌そうにする。

「俺、ガキッて苦手なんだよなぁ。うるさいし、わがままだしさぁ~」

「ガキッぽいアンタがなに言ってんのよ」

 パスタを茹でる彼のオデコにデコピンをしてやった。

 彼は、しょうがないなぁ、としょぼくれる。

 テーブルにアサリ野菜パスタが並べられる。見た目も色鮮やかでレストランの品だと言われてもおかしくなかった。三人でいただきますをし、フォークに巻きつけたパスタを口にする。アサリの風味と野菜のシャキシャキ感が美味しさを引き立たせていた。意外な才能だ。手が止まらなくて魅希はペロリと平らげてしまった。

 コラッ、と夜駒が涼斗にゲンコツをする。彼の皿には器用に野菜だけ残っていた。

「好き嫌いしてっと大きくなれねぇぞ!」

「ヤダよ、マズイもん」

「この野郎、せっかく人が作ったもんを。魅希ちゃんを見習え!」

「ヤダヤダヤダッ野菜嫌いっ!」

 涼斗がテーブルを離脱し、逃げ回る。それを夜駒が追いかけた。

 食後の麦茶を飲みながら二人のケンカを高みの見物する。こうしてると兄弟に見えた。お似合いじゃん、と頬杖をついて微笑する。

 翌日、彼が新生活をするにあたって買い物をすることになった。魅希が家に帰ってからもケンカばかりしていたらしく、二人で買い物に行くのは嫌だという。仕方なく魅希も付き添うことになったのだ。もともと涼斗を連れてきたのは自分だからこれぐらいはいいだろう。

 学校も夏休みに入り、時間はたっぷりあった。

 バイクだと買った物を運びにくいということで今日は電車だ。都心の駅で待ち合わせをしていると二人が引っ掴みながら改札を出てくる。

「朝から仲がいいわね」

「そう見えるかい? こっちは人見知りな猫でも飼ったみたいだよ」

 夜駒の顔中に生傷があった。ウルフカットの髪もボサボサ具合に拍車がかかっている。

 涼斗はというとキップ売り場をジッと見ていた。そこには券売機の前で何度も液晶画面をタッチする老人がいる。目も悪いようで画面に近づいたり遠ざかったりしていた。都心の駅ということもあって後ろには列ができていた。早くしろよ、と後ろのガラが悪い若者が野次る。

 トコトコと歩んだ涼斗が老人に声をかけた。

「オジィちゃん、ICカードにチャージするんでしょ? こうやるんだよ」

「おぉ、すまないねぇ。ありがとう、坊や」

 老人は頭を下げ、アメを彼に渡す。忙しなく行き交う人々の間を老人がゆったりとしたペースで改札へ向かった。

 戻った涼斗へ、偉いね、と言ってあげる。彼は心配そうに老人の背中を目で追った。

「あれ、小学校時代の一番仲良しだった友達なんだ。何回も会ってるのに覚えてないみたい」

 順調に年を取れば涼斗も同じように老人になっていたのだ。自分は子供のままで、周りの知り合いがどんどん大人になっていくことになにか思うところがあるのだろう。

「年を取らないっていいことばかりじゃないよね」

 そう言う彼にいつもの元気さはなかった。

 すると夜駒が彼の手からアメを一つ奪って頬張った。文句を言おうとするのを夜駒は銀髪頭に手をやって阻止する。

「俺がいつか年取る方法を教えてやるよ」

「ホント!?」

「ああ。なんせ俺はもうお前の兄貴みたいなもんだからな」

 涼斗は嬉しそうにし、ニヤける。

「生きてきた年は僕の方が多いよ?」

「関係ねぇよ。どんなに長く生きたって、どんなに頭が良くたって、お前はまだ子供のままだ。大人が手助けしてやるのは当然だべ」

 うん、と返事をした涼斗が夜駒と同じくアメを食べた。

「でも夜駒兄もまだ子供っぽいよね」

 なんだと、とまたケンカが始まる。この二人はいつまででもこんな感じの付き合いをしていきそうだ。ケンカするほど仲がいいというのはこのことを言うのだろう。

 二人は当てにならず、どこへ行こうかと一人思案していたら知っている顔とバッタリ会った。

 伊波梨緒はオレンジのTシャツに緑のキュロットを着ている。

「梨緒、買い物?」

「うん、そう。ちょっと色々必要な物ができちゃったの。魅希ちゃん達も?」

 事情の説明はハネウマメンバー全員にしていた。こちらの様子から察したらしい。

 肯いた魅希はなんとなく彼女の頬を撫でた。

「また落ち着いたら一緒にツーリングしよう。次は海行こう、海!」

「そうだね、行きたい」

 言葉とは裏腹に梨緒の表情には陰りがあった。頬にやっていた手を掴んでくる。

「いつもありがとうね。私が強くなれたのは魅希ちゃんのおかげだよ」

「急にどうしたの? そんなこと言われたら照れるじゃん」

 梨緒はいつも恥ずかしげもなくストレートな気持ちを伝えてくる。言われるこちらが赤面してしまうのはいつものことだった。

 またね、と告げた彼女を見送る。魅希の胸の奥になぜか物寂しさが去来した。その原因は間もなくして分かることとなる。




 涼斗の生活に必要そうな物はだいたい買い揃えた。衣類はもちろん、歯ブラシなんかもある。ゲームもねだられていて夜駒は買っていた。早くも兄として板についてきている。

 休憩を兼ねて子供のアミューズメントコーナーにあるベンチに腰かけた。涼斗に小遣いを渡すとゲーム機に飛んでいく。そういうところは丸っきり子供だった。

 ペットボトルのジュースを開けた夜駒が一口飲む。

「アイツの髪と眼、もともとはあんな色じゃなかったんだってよ」

 彼の髪は銀色で、眼は色素の薄い茶色だった。

「実験を繰り返したせいでああなったんだと。あんな子供によくやるよな」

「真理子は非情なのよ。目的のためならたぶんなんでもやるわ」

「ギャフンッて言わせてやりてぇよなぁ」

 涼斗がお菓子を獲るゲームで大量にゲットしたらしい。パンパンに膨らんだ袋を持って、こちらへ嬉々として見せていた。

 夜駒がそれに手を振って応える。

「考えたんだけどさ、アイツのことずっと住まわせてやろうと思うんだ」

「ずっと? 両親の許可は取れたの?」

「全然帰ってこないし、バレやしないよ。それにいずれ俺もあの家出ていくし、そうしたら自分で養ってやるんだ」

「ガキは嫌いって言ってたくせに」

「なんか放っておけねぇんだよ、アイツのこと。話し聞けば聞くほどさ」

 その気持ちは分からなくもなかった。幼少の頃には実の両親に虐待をされ、真理子に引き取られてからはいいように使われて実験体にされた。副作用で年も取れず、同級生が老人になっていくのを横目に生きる──それはあまりにも凄惨すぎる人生である。

 買い物も一通り済んでショッピングモールを出た。両手は買い物袋で塞がっている。あとは帰るだけだった。夕飯はなにを食べるかなんて話しながら大通り沿いを歩いていく。

 魅希はその足を止めた。反対車線側に黒塗りの高級車があった。窓から顔を出すのは真理子だ。傍らに荷物を持った梨緒がいる。梨緒、と呼んでも周囲の雑音に掻き消されて声は届かない。車のドアが開き、彼女は乗りこんだ。車が出発する。

「いまの、梨緒ちゃんと真理子だったよな」

「絶対そうよ、アタシが見間違うもんですか」

 胸騒ぎがした。駅での彼女の別れ際の言葉が気になりだす。

「真理子さん、梨緒お姉ちゃんのことは前にスカウトを検討してたみたい。会社に迎え入れるのを決定したのかもしれないね」

 涼斗が小さくなっていく高級車を見つめながら言った。

 少し話をしに行っただけだと思いたかった。アルマハト製薬の怪しさは梨緒にも伝えていた。それなのにどうして行ってしまったのだろう。

 魅希はハッとなった。居ても立ってもいられず、駅へ向かう。夜駒と涼斗がどうしたのかと訊いてきても応える余裕がなかった。

 電車に乗って行った先は病院だ。彼女の父親が入院しているはずの場所だった。

 受付で訊くとすでに彼は退院したらしい。しかも奇跡的に完治したというのだ。末期ガンだと梨緒から聞いていた。それなのに短期間で完治はあり得ない。

 魅希の勘は当たっていた。すぐに病院を出る。次に足を向けたのは梨緒の家だ。まだ一度も行ったことはなかったが住所は教えてもらっていた。

 二階建てのアパートだ。築五〇年は経っていそうな建物で、階段や手すりの金属部分がところどころ錆びている。伊波という表札があった。ここだ。インターホンを押す。

 梨緒の友達だと言うと両親は快く迎え入れてくれた。どうやらハネウマメンバーのことを毎日のように話していたらしい。

 二人とも魅希の親よりも一回りは年上に見えた。梨緒は少し遅くに生まれた子供なのだ。彼女が親思いであることも語ってくれた。親子で愛情を分かち合っているのがうかがえる。

「ここにアルマハト製薬の関係者がスカウトに来ませんでしたか」

「来ました来ました。梨緒は入社を希望していたから、それはもうビックリでしたよ」

 父親は年を取っているが病気は本当に治ったらしい、ハキハキと応える。

「あのコがスカウトを受けた条件って、お父さんの病気を万能薬で治すことじゃ……?」

「よく分かりましたね、その通りですよ。希望する会社に入れて病気も治せて幸運だって言ってました。後日、退学届けを出さなくてはいけないのは悲しんでましたがね」

 なぁ、と父親が妻に語りかけ、二人は笑顔で幸せそうに話しだす。

 梨緒はアルマハト製薬について迷いは持っていただろう。しかし、父親を助けるためならどんな会社でも入ると決めたのだ、一般家庭では手が出せない価格の万能薬AHMアルハイルミッテルを提供してもらうのが条件で。

 両親はアルマハト製薬に感謝している。限りなく黒に近い組織だとは魅希は言えなかった。娘をそんなところに行かせたと知ったら心配させてしまう。自分らでなんとかしないといけなかった。自分にとって一番大事な友達を胡散臭いところに置いておけない。

 夜駒の家に帰ってハネウマを召集し、作戦会議を開くことにした。麗華は鬱陶しいものの、戦力にはなる。梨緒が涼斗みたいに酷いことをされないとも限らない、急ぐ必要があった。

 その前に晩ご飯だ。腹が減っては戦はできぬ。時間がもったいなくて魅希が弁当を買い出しに行くことにした。

「どうしてアンタもついてくんのよ」

「いつでもどこでもワタクシは魅希様と一緒ですわ」

「鬱陶しいっちゅーに」

 夜駒の家の門を出てコンビニのある方へ歩を向ける。腕に絡みついてくる麗華を引き剥がそうとしてもタコみたいに引っ付いて離れなかった。

 もしもし、と男の声が背後で聞こえる。

 二人して振り向いた。火花が散った。瞬間、目の前が真っ暗になって意識が途切れる。なにが起きたのか魅希には分からなかった。

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