Ride 1

 私立陽丘ひおか高等学園(二年)期末試験結果、と題字のされた紙が掲示板へ大々的に貼ってある。ホームルーム前にチェックしてしまおうと生徒が溢れていた。鐘乃魅希も後ろの方に混ざってそれを眺めた。みんな一様にモスグリーンを基調とした制服に身を包んでいる。

 自分の名はすぐに見つかった。上から数えて二番目。一年からだいたい定番の順位である。

 陽丘学園は平均よりも少し高いレベルの学校だ。普通科のみで、総生徒数は五三〇人。魅希にとってはそこそこ近い場所にあり、バイク通学OKのところならどこでも良かった。本当は学力に関しては気にしていなかったのに、偏差値の低いところへ行くなら学費は出さないと母にきつく言われてここに決めたのだ。

 一位には伊波梨緒いなみ りおと書いてある。これまたいつもの定位置だ。

 スパルタ教育のせいで魅希は勉強が得意で、小中学校はいつもトップだった。進学とともにバイクに熱を上げ、なまけているのが原因でずっと二位なのだと思っていたが、どうもそうではないらしい。これは完全に実力の差としか言いようがなかった。

 当人が見上げるようにして掲示物を見ている。天然パーマのショートカットなのに前髪だけは双眸にかかるほど長かった。半分近く隠れてしまった表情からは、この結果をどう感じているかはうかがい知れない。髪をどかし、赤縁メガネを外してあげたくなる。

 彼女とはタイプも違うし、話も合わなさそうで接したことがなかった。おまけに試験結果など魅希には関心がない。だから声をかけたのは気まぐれというやつだった。

「また負けちゃった。どんな勉強したらこんないい点とれるの?」

「え、あ……」

 言葉を成していない言葉を残し、梨緒はそそくさと教室へ入っていってしまう。だいぶ戸惑っていたようだ。あちゃー、と魅希は額に手をやる。いきなり話しかけてビックリさせてしまったらしい。もう少しくだけた日常会話からすれば良かった。

 後悔していると舌打ちが聞こえてくる。

「嫌な感じッスよねー。ちょっと勉強できるからって」

 スポーツ万能で学力も高く、バイクを乗りこなしたり色々と目立つせいで魅希にはファンがいた。なぜか同性のヤンキーっぽいのにも好かれることが多い。少女はそのうちの一人だった。パーマをふんだんにかけ、化粧も濃い。あまり友達にはなりたくない人種である。

「ちょっとできるぐらいじゃ負けないと思うけど」

「ハハハ、そッスよねー。あ、でも魅希さんも一年のときに一位になったじゃないッスかー」

 適当なことを言っているのは丸分かりだ。きっと口から先に生まれたに違いない。好意を持ってくれているのはありがたいけど、薄っぺらい関係には興味がなかった。それに去年の終盤に期末試験で勝てたのはまぐれだと思っている。おそらく不調だったか、あるいはケアレスミスをしてしまったのだろう。

 セーラー服の襟元に付けた校章が窓から射す日光を反射してピカピカしている。毛玉みたいなネコヤナギをモチーフにしたそれは陽丘学園のシンボルだ。まぶしさに目を細めながら魅希は薄っぺらい相づちを返したのだった。




 昼の学食はいつだって賑わいを見せる。体育館を一回り小さくしたぐらいの広さがあるのに長机はほとんど埋まっていた。

「ねぇねぇ、今度どっか遊びいこうよ。番号教えて。いいでしょ? ね? ね?」

 髪をロングのウルフカットにした細身の青年が下級生をナンパしている。少女は、え~でもぉ~、と困っているようだった。

 魅希はわざと間に入って少女に笑んでみせる。

「コイツとしゃべると妊娠するから気をつけてね」

「ちょ、魅希ちゃん、人聞きの悪いこと言うなよぉ!」

 すると、ヤダァ、と言って彼女は逃げていった。その後ろ姿を名残惜しそうにした青年──我孫子夜駒あびこ やこまがこちらへ抗議の目を向ける。

「あともうちょっとで落とせそうだったのに酷いなぁ」

「女のコなら、ほら、そこにもいるじゃない」

 券売機に並んでいるのは綺麗な長い髪にピンクのリボンをした少女だ。日本美人という感じで後ろ姿のみでも美しさが放たれている。

 夜駒は瞳の中にハートを散らし、まるでそうするのが当然かのように自然に肩を組んだ。

「どうだい、俺と夜のツーリングに行かないかい?」

「ワタクシとですのー?」

 振り返ったその顔はすっかり白骨化した物だった。ウゲッと悲鳴した夜駒が即座に離れる。騙されてやんの、と魅希は腹を抱えて笑ってやった。さすがの夜駒も彼女は守備範囲外なのだ。

 藤堂麗華にロックオンされたのを魅希はすぐに察する。数メートルの距離を人外なダッシュ力でゼロに縮めてきた。そこを正確無比なカウンターパンチで撃沈させる。

 バカな二人を無視して空いたイスを確保する。テーブルへ弁当を広げ、いただきますをした。

 黙々と食べていたら麗華と夜駒が対面のイスに座った。揃いも揃ってトレーに載せたのは冷やし中華だ。二人の間で熱い火花が散った。割り箸を同時に割ったのがスタートの合図になったらしい、ものすごい勢いで麺が口内へ吸いこまれていく。ズゾ、ズゾゾッ。

 途端、互いにむせてせきこんだ。

「アホだ、アホがここに二人もいる」

 マイペースに弁当を食しながらその光景を見守る。

 皿が持ち上がり、大きく傾けられた。ラストスパートだ。残った麺の切れ端や具の残り、汁までも口の中へ滑りこんでいく。

 ドンッと乱暴に皿が置かれた。

「はい、完食ですわ! ワタクシの勝ちっ!」

「いいや、俺の方が早かったね」

「ワタクシですわっ!」

 再度、双方の間で火花がバチバチ炸裂する。どちらも負けを認めたくないらしい。

「ね、魅希ちゃんはどっちだと思う?」

「さぁ、麗華じゃないの? どうでもいいけど」

 魅希の判定で麗華は得意げにフフンと笑った。対して夜駒はテーブルを叩いて悔しがっている。なにが悲しくて学校の昼休みに早食いをしないといけないのだろう。

 揚げすぎて黒くなったカラ揚げを食べる。自分の昼食はバイト代で買った食材の手作り弁当だ。正直、料理は苦手だった。昔から大雑把な部分があり、腹に入ってしまえば同じという考えに至っている。

 食費や洋服、生活用品、学校で使う物などなど、ほとんどを自分のお金でまかなっていた。これはせめてもの母への反抗だ。なかなかお金が貯まらず、金欠気味なのは我慢するしかない。

 高校を卒業したら就職して家を出ていく。そうして全てから解放される、バイクとともに。

 放課後になっても日はまだまだ高かった。

 暑さもバイクを走らせれば消え失せる。このまま当てもなくどこか遠くへ行ってしまおうかと思わずにはいられない。

 その横を蛇行したバイクが抜き去る。ピンク色のロケットカウルに無意味に長い竹槍マフラー、三段シートの長い背もたれの裏には「愛羅武勇あいらぶゆう」がペイントされていた。まんま族車である。こんな恥ずかしいバイクに乗っているのは一人しか思い当たらない。

「どけどけどけですわぁーっ!」

 麗華が無謀な運転で車を煽っている。いずれ事故に遭う日も近そうだ。

 あ。後方にいた魅希には脇道から飛び出した車の影が見えていた。調子に乗って手足をバタバタさせる麗華の横へフロント部が激突し、ハデに跳ねられる。続いて、バイクごと横転した彼女は無残にも後方の車に次々に轢かれまくった。

「思ってたよりも早く事故ったわね」

 言っている場合ではない。いくらガイコツ化した麗華といえどもこれだけの車に轢かれたらタダでは済まなさそうだ。路肩に停車して、信号が赤になるのを見計らい、彼女へ駆け寄った。

 これは酷い。各関節があちこちに散らばっていて動かなかった。

 合掌していると骨がカタカタと震え始める。それらがセーラー服の方へ集まっていき、やがて元通りにくっついた。スクッと半身を起こした彼女の頭部は上下が逆さまだ。むんずと掴み、正位置にする。

「あぁ、ビックリしましたですわ」

「バケモノね」

「第一声が酷すぎますわぁーっ!」

 涙して脚にすがりついてくる麗華を引きずりながら族車を起こす。こちらもあまり損傷はなさそうだった。念のため何度かセル始動をしたら無事にエンジンがかかった。

 ぶつかってきた車の方も大したヘコみはなさそうである。

 問題はそこではなかった。ゴツイ高級車のわりに出てきたのはヒョロヒョロの中年男でオロオロしている。どうしようどうしようと慌てるばかりで警察や救急車を呼ぶどころか大丈夫かどうかも訊いてこない。麗華にも非はあれど、大人であればそれぐらいの対応をするのが普通であろう。いくらパニックになっているからといって少々常識がない。

 ビシッと言ってやろうとしたら後部座席から若い女が現れた。茶がかったロングの髪は一部が丁寧に編みこまれていて後ろで結っている。切れ長の瞳にとがった印象の鼻、それと端正な顔立ちと白い肌がハッとさせるような美を形作っている。

 青紫のロングワンピースを正し、ハイヒールのかかとをアスファルトへ突き立てるかのように地へ降り立った。

 女は外気を嫌悪するが如く、左手に備えたハンカチで口元を覆う。

「急いでるって言ったはずよね?」

「ですが社長、大事故を起こしてしまっ──!?」

 ビンタにより運転手の顔が強制的に左を向いた。

 痛みよりショックの方が大きかったように見える男を女は冷たく見据える。

「もういいわ、アナタはクビね。この場はしっかり片づけておきなさい。私は別の車を呼ぶわ」

 ケータイでどこかへ連絡したあと右の手首を返し、腕時計を確認する。

「まったく、忙しいときに」

 彼女はこちらを一度も見ずに立ち去ろうとしていた。

「ちょっと、オバさん」

 魅希が引き止めると、こめかみに青筋を立てた彼女が振り返る。

「オバさんですって?」

「轢いておいてすみませんでしたの一言もないわけ?」

 睨みつけてやると運転手が割って入ってきて、それは私が悪くて、とかばおうとした。それを押し退けて前へ出る。彼女の身長は自分とほぼ同じで、平均より少々高いぐらいだ。威圧感が強いのは背負っている立場によるものだろうか。きっと運転手は急かされ、プレッシャーを与えられ続けたのだ。結果、さっきの事故に繋がったと見るのが自然である。

 女は気にしたふうもなかった。

「あら、私にはそこの下品なバイクが蛇行運転をしていたように見えたけれど?」

「だからって一時停止しないで脇道から突っこんでくる方が悪いでしょ」

「そんなことはどうでもいいのよ。運転をしていたのはこの使えない男よ、私には関係がない」「それはアンタが急かしたから──」

「文句があるなら警察に言いなさい、お嬢ちゃん」

 傍らに別の高級車と思しき車が停車した。今度は引き止めても無視され、問答無用にドアが閉められる。車は黒い排気ガスとムカムカを残して去っていってしまった。

 まるで相手にされていない。

「なにあの態度! 信じらんないっ!」

 地団駄を踏んでも気は紛れない。いまだかつてあんなにもムカつく人間がいただろうか、いいやいない。魅希史上で初のタイプだ。一発ぐらい殴ってやらないと怒気はおさまりそうになかった。このイライラ、どこで晴らすべきか。

 警察を混ぜた運転手とのやりとりで会社名はアルマハト製薬と判明した。アルマハト製薬といえば有名すぎるほど有名で、アルハイルミッテル《AHM》という万能薬を開発した会社だ。万能薬は海外でも話題になっているが、いまのところ国内でしか流通していない。

 魅希は胸中でほくそ笑んだ。それだけ大きい会社の人間であれば見つけやすい。いつか機会があったら今日の恨みをぶつけてやろうと決めた。ウフ、ウフフフ。

 腕を突かれて我に返る。振り向けば幼さの残る少年があどけない表情でこちらを見上げていた。髪が銀色に近い色で珍しい。外国人とのハーフかなにかだろうか。

「お姉ちゃん達、大丈夫? そっちのガイコツのお姉ちゃん、だいぶ轢かれたみたいだけど」

 どうやら一部始終を目撃していたらしい。

 魅希は視線の高さを合わせるように屈んだ。

「うん、大丈夫よ。このコは不死身みたいなもんだから」

「そうなんだ、それなら良かった」

 無邪気に笑顔を見せた彼が、バイバイ、と言って歩いていく。直後に鳴ったケータイに出た少年は楽しげに会話を始めた。母親が相手かもしれない。テレビ電話というわけでもないのに身振り手振りを加えて一生懸命に話している。

 微笑ましい一場面にほんの少し魅希の心は和んだのだった。

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