Ride 13

「じゃじゃーん、見て見て、これ」

 朝のホームルーム前に我孫子夜駒が机にステッカーを置いてくる。黄色地に縁の線は赤く、丸みを帯びた形の星マークだった。

「知り合いに発注して作ったんだ。デザインは梨緒ちゃんがしてくれたんだぜ」

 伊波梨緒も鐘乃魅希の席の傍に立つ。どうかな、と緊張した面持ちで反応を待っていた。

 いいんじゃないの、と言おうとして言葉を引っこめる。んん? 眉間にシワを寄せて注視すると光の加減で星の中にドクロマークが浮き出た。

 あっ、と梨緒が口元を手で押さえる。

「それは麗華ちゃんがどうしてもって……」

「こういうことすると珍走団みたいになっちゃうでしょ!」

 廊下から中を覗きこむ藤堂麗華がチラリと見えた。魅希はイスを立って教室を飛び出る。不穏さを感じたらしい相手は背を向けて全力で走っていた。それを猛烈に追いかける。

 登校し、廊下を歩む同学年の生徒らに、どけどけどけぃっ、と警告して走り抜けた。だいたいの生徒は固まるか壁際に避ける。それなのに焦点の合わない目で絶叫する者が真ん中に突っ立っていた。また例のモスキートドラッグとかいう麻薬の使用者だろう。麗華はその脇をスルリと抜ける。なぜか青年はこちらへ向かってきた。

「邪魔よっ、ボケナスッ!」

 ジャンピングキックで一蹴し、麗華を追う。

「一番族っぽいのは魅希様だと思うですわ!」

「じゃかましいっ!」

 彼女に跳びついて羽交い締めにする。捕獲完了。左右のこめかみにゲンコツをセッティングしてグリグリとしてやる。麗華こそが諸悪の根源だ。彼女が余計なことをしなければ、あるいは普通の走り屋チームとして見てもらえた可能性がある。

 麗華は手足をバタバタさせて痛がった。

「魅希様、皆さんが見てますのっ! ワタクシ、恥ずかしいですわっ!」

「うっさい! この前はよくもアタシのバイク改造してくれたわね! これでも食らえっ!」

 さらにチョークスリーパーをしてエビ反りにさせる。しっかり痛めつけておかなくては、また調子に乗って暴挙に出る。彼女の言葉など聞き入れたくなかった。

 ──て、え? 皆さん?

 半ば取り囲むようにして生徒が注目している。魅希が目を向けただけで彼らは視線を逸らした。目が合ったら殺されるとでも思っているかのようだ。

 ヒソヒソと話す声がそこかしこから聞こえてくる。ヤンキーだとか暴走族だとかバケモノだとか好き勝手に言われていた。聞き捨てならないのは、モスドラも魅希が取り仕切っているのではないかという疑惑だ。これといって悪事は働いていないのに、どうして善良なる自分がそんなふうに言われないといけないのか。不条理さに心が荒んでくる。

 麗華から体を離し、フラリと立った。ヘッヘッヘッ、と悪い笑い方をする。

「どうしてもアタシを悪者にしなきゃ済まないみたいね。ハハハハ、こりゃ傑作。どうせアタシはバケモノヤンキーですよーだ。だからなにー? 文句あるってのー?」

 壁になった生徒に吠えて道を開かせる。彼らから離れて振り返った魅希は、バーカバーカ、と小憎らしさを満載にして言ってやった。

 二年二組に帰還すると梨緒が頭を撫でてくれる。机に顔を突っ伏して不幸な境遇の自分を恨んだ。どうして普通の学校生活を送れないのか。ほんの少し腕力があってバイクを縦横無尽に乗り回し、異性とのケンカに勝ち、暴走族を潰し、餓鬼に対抗したりしただけなのに酷すぎた。

 梨緒がポンと手を打つ。

「もし魅希ちゃんがモスドラについて調べて解決したら、みんなきっと見直してくれるよ」

 涙目になった瞳のみを出すように顔を上げる。

「友達一〇〇人できる?」

「できるできる!」

 魅希はスッと上半身を起こして背筋を正した。顔つきをキリッとさせる。

「さぁて、犯人捜しでもしましょうか」

「心変わり早っですわぁっ!」

 どこからともなくツッコミとともに飛んできた麗華が勢い余って開いた窓から落下した。そんなものにかまっている暇はない。自分には友達一〇〇人を作るという──もとい、モスドラの犯人を見つけるという使命があるのだ。

 そうはいっても、どこから調査を開始したらいいものか。この手の話は夜駒に聞くと良さそうである。先程まで教室にいたのに見受けられなかった。

 あそこ、と梨緒が指差す。彼が校庭へ出ていた。

「さっき誰かに呼び出されたみたいだよ」

 校門に人だかりができている。

 気になって行ってみたら主に女子の集まりだった。可愛い可愛いと言って写真を撮りまくっている。その中心には他校の制服を着た少女がいた。半袖ブラウスに青紫のベスト、襟元にはリボンがついていて、スカートは青紫基調のチェック柄だ。

 私立南神泉みなみしんせん女子高等学園の制服である。学力がそこそこ高く、金持ちのお嬢様が集う女子高だ。魅希も進学するにあたって志望校の一つに考えたことがあった。受験しなかったのは同性ばっかりで面倒臭そうだったからだ。変に派閥みたいなのを作って群れているのは想像がつく。

 夜駒が到着すると少女はみんなに謝って帰らせた。金髪のサイドテールが揺れる。二重の目で、瞳がカラーコンタクトにより茶色になっていた。付けまつ毛もバッチリで、唇はピンクのグロスを塗っている。自信がオーラとなって周りに満ちているようだ。

 魅希は近くの植えこみの物陰に隠れて様子を見る。

 近づいた夜駒に彼女が目を輝かせた。

「久しぶりー、コマちゃん」

「なにしに来た」

 女子に接するいつもの彼らしくなく、ぶっきらぼうだ。ポケットに手を突っこみ、目も合わせない。本当にあのナンパな夜駒なのかと疑いたくなるほどの別人っぷりだった。

「私ね、最近モデルしたりして、ちょっとテレビにも出たんだよ。観てくれた?」

「知らねぇよ。用事がないならもう行くぞ」

 踵を返す彼の腕を少女が掴む。その瞳は潤み、いまにも泣きそうだった。

「ねぇ、また昔みたいに私達付き合えないかな」

 問いかけに、夜駒は手を振り払うことで返答した。さっさと昇降口へ行ってしまう。聞く耳を全く持っていなくてぞんざいすぎる。過去になにかあったにせよ、あまりにもあんまりだ。

 少女が悲しげにし、トボトボと去っていく。

 見るに忍びなくて、つい学校を出て肩を叩いていた。彼女が驚いたふうに跳び退く。

「ごめんごめん、ビックリさせちゃって。夜駒に用事で来てたんでしょ?」

「うん、そうなんだけど、フラレちゃった」

 警戒するようだった表情は夜駒の名を出すことで和らいだ。

「よりを戻すためだけに朝っぱらから来たわけじゃないんじゃないの?」

 女の勘がそう告げている。単によりを戻したいのなら時間のある放課後にでも張りこんでいた方がいい。朝なのは差し迫った悩みがあるからなのではないかと踏んだ。

 彼女はグロスを塗った唇をちょっと噛む。それから意を決したように話し始めた。

「実は、私の友達がヤクザに目をつけられて追い詰められてるの。それでコマちゃんならケンカも強いし頼りになるから、助けてくれるかも、て」

「警察には行った?」

「弱味を握られてるから友達にはなるべく警察には行かないでって釘を刺されてるの」

 厄介な問題だった。警察にも駆けこめないとなると自分らでどうにかするしかない。

「元カノがそんな大変な目に巻きこまれてるのに、アイツはホント使えないわねぇ」

「ううん、悪いのは私。私が気の迷いで浮気しちゃって、嫌われちゃったんだ。コマちゃんは優しくて強くて一途で、すごくいい人よ」

 優しくて強いはともかくとして最後らへんは彼のイメージと一致しなかった。恋する乙女は盲目というやつであろうか。うーむ、と唸ってしまう。

 現在の彼がただのナンパ野郎だとしても彼女にとっては心強い存在なのだろう。

「確かに浮気は悪いことだから、ちゃんと謝った方がいいわね。アタシもアイツとちょっと話して協力するように言ってあげる」

「本当に!? ありがとうっ! ね、名前と番号教えて! 友達になろうよぉっ!」

 友達、という単語に魅希は敏感になっていた。もちろんこれしきのことで友達になれるとは思っていない。だが、上手い具合に仲を取り持ってあげて親しくなればチャンスはある。それに番号を教えるぐらいはどうってことはなかった。

「私、原越千秋はらこし ちあきって言うの」

「あれ? ひょっとして有名人?」

 夜駒との会話でもテレビがどうのと言っていたが名前を聞いてピンと来た。クラスメイトの女子がファッション雑誌を片手にその名前を出していたのだ。女子高生モデルとして名が知られていて、新しいモノ好きな若い男女に人気があるらしい。

 彼女は笑い飛ばし、可愛らしい笑顔を作った。

「いまはまだ全然。これから有名になりたいって思ってるの」

 魅希には千秋がキラキラ輝いているように見える。自分とはかけ離れたところに住んでいる感じさえした。バイクに乗って満足しているのが小さく思えたのだった。




 大通りを夜駒の黄色いレーサーレプリカバイクと併走する。千秋を手助けするよう説得するのが目的だ。彼はいつになくドライな応答ばかりで「別に」とか「嫌だ」とかしか言わない。浮気についてかなり根に持っているようだ。当然といえば当然だが、はいそうですかとすんなり諦めるわけにはいかなかった。

 彼をしつこく追走し、踏み切りで止まる。息をついた夜駒はこちらを困ったように見た。

「魅希ちゃんはアイツのことをなんにも分かってないからそういうことが言えるんだよ」

「そりゃそうだけど、浮気に関しても彼女は反省してるみたいよ。それに、よりを戻すのが今回の目当てってわけじゃないんだしさ」

「よりを戻すのだけが目当てだったらどんなにいいか」

 そう言う彼の真意は読み取れなかった。妙な言い回しである。

 踏み切りが開き、夜駒はギアを一速に入れた。

「とにかく、もうアイツには関わらない方がいい。俺も魅希ちゃんに迷惑かけたくないんだ」

 バイクの加速性能をフルに活かし、スタートダッシュをした。数秒で彼の背が豆粒みたいになっている。魅希も慌ててギアを爪先で踏み、クラッチを繋ぐ。

 反対車線に梨緒がいた。黒塗りの高級車の脇で体格のいい中年男と話している。あれはアルマハト製薬社長の大山康徳だ。二人は楽しげに談笑しているようだった。

 気にはなったものの、いまは夜駒と話すのが先決だ。梨緒には後日訊いてみることにしてバイクを前進させた。




 下駄箱で上履きに履き替え、階段へ行く途中の掲示板に「ストップ! モスドラ!」という見出しのポスターが貼ってあった。蚊に血を吸われて暴れる人間がコミカルな絵で描かれている。ようやく学校にもモスドラの存在が認知されてきたのだ。それだけ校内で暴走する者による校内暴力が頻繁に起きているということだった。しかし国の対応は遅く、法整備は進んでいないようである。検査で証拠を挙げられないのがネックになっているのだろう。ニュース番組では単純所持で逮捕できるようにするかどうか議論が交わされていた。

 なにか視線を感じると思ったらみんながジロジロ見ながら通りすぎていく。例によってモスドラの関係者だと疑っているのだ。疑う側はズルい、対象がそれっぽければ疑えるのだ。疑われた側は否定に足る材料を突きつけなければならない。そして魅希にはいまそれがなかった。

 それにしてもそんなに敵視しなくてもいいのになぁ、と二学年のある三階へ上がる。

「はいはい~、安い安いモスドラはいかがですかですわ~」

 なにもないところで魅希はズッコケてヘッドスライディングをする。廊下に机を並べて叩き売りをする麗華がいた。

 彼女の前で起きるとそこには梨緒と緋劉もハリセンを持っていた。叩き売りスタイル。下の階でいつもに増してキツイ目を向けられたのはこういうわけだったのだ。ハネウマの三人がこんなことをしていたらリーダー扱いされている魅希は首謀者にされてしまう。

「もぉっ、梨緒までなにやってんのよっ!」

「だってだってだって、麗華ちゃんが恐いんだもん~!」

 梨緒は涙をしながら彼女を指差す。

 案の定というか予想通りというか、発端は麗華だ。

「梨緒を毒牙にかけるんじゃないわよっ!」

「ワタクシはヌード写真を売るかモスドラを売るか選択を迫っただけですわ」

 ハリセンを奪って思いっきり頭部へ叩きつけてやる。

 梨緒はシクシクと泣いた。

「無理矢理に脱がそうとしてきて、力強くて、私断れなくて……」

「おーよしよし恐かったねぇ。コイツは富士の樹海に埋葬してくるから心配いらないわよ~」

 麗華を容赦なくボコスカ殴ってゴミ袋に詰めこんでおく。ジタバタ暴れるから踏んづけて黙らせた。前から信用ならなかったが、モスドラを売るなんてとんでもない奴である。

 あと一人、緋劉が愛想なくペンペンと机を叩いていた。

「アンタは脅されたんじゃないんでしょ?」

「俺はバイク修理をして金欠になったからだ」

 うっ。途端に強く言えなくなってしまう。それは先日、魅希が彼のバイクをめちゃくちゃにしたせいだった。本来は魅希が弁償しなくてはならないのを彼は請求しないでくれている。

 いいや、ここで負けてはダメだ。

「そ、それにしたって、有害なモスドラを売るのはどうなのよ」

「心配するな、これは偽物だ」

 小ビンには蚊が一匹入っている。観察してみると眼は紫ではなかった。そこら辺に涌いた普通の蚊である。それなら良かったぁ、と言おうとして良くはないだろうと自分にツッコム。売っているメンバーが魅希と関係性があって問題ありなのだ。

「偽モスドラが出回れば疑って買う人もいなくなる作戦ですわ」

 ゴミ袋から顔だけを出した麗華がもっともらしいことを言う。確かに、使用者がいなくなったら自分を非難してくる生徒も減りそうだ。一理あるのがムカついた。

 梨緒が遠慮がちに口を開く。

「麗華ちゃん、儲けたお金で本物を買ってまた売ろうって言ってたよね」

「れぇ~い~かぁ~?」

 鬼の形相で見ると彼女は袋のまま跳ねて遠ざかっていっていた。その後頭部にダイビングキックを見舞ってこらしめてやったのは言うまでもない。

 麗華みたいなのを増やさないためにも早急に本当の売人を捜す必要があった。

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