甘尾 小丸(あまお こまる)の場合(3/3)
消防署はいつもと違うように見えた。
消防車と救急車が止まっているのはいつも通りだけど、その止まり方が違う。
行儀よく並んでいるはずのその大きな車は、まるでバリケードでも作っているかのように、駐車場を囲んでいた。車の隙間は鋭いトゲが突き出した
これではどこからも消防署に入れそうには見えなかった。
周囲にはゾンビはいないものの、2人は途方に暮れ、柴犬は疲れ切ったようにその場に寝そべって、尻尾をゆらゆらと揺らしていた。
少しの間周りをウロウロした後、小丸は消防車に近づいた。
「……そうだ、うんてんせき」
「なぁに?」
「うんてんせきから中をとおって、はんたいがわに出られるんだよ」
小丸は何度も消防車に乗ったことがある。
いつもは父親が抱き上げて乗せてくれるのだが、乗り方は知っていた。
赤いボディの銀色の鉄板をよじ登り、消防車のドアを開ける。
ドアに鍵はかかっておらず、中を確認した小丸は手を伸ばして友里がそこに上るのを手伝った。
「あ、わんわん……」
手を伸ばしても柴犬は寄ってこない。それどころか、小丸が犬を車に乗せようと近づくと、「ヴぁあぁ!」と唸って一目散に走り去った。
追いかけようとしたが、友里を一人で置いて行く訳にもいかない。
それに自分の足では柴犬に追いつくのは無理だと、小丸は理解していた。
もう一度消防車によじ登り、運転席のドアを内側から閉める。
反対側の窓から薄暗い消防署の中を覗いてみたが、中はよく見えなかった。
「ちょっと待ってて。ぼく、見てくる」
そおっと助手席側のドアを開け、薄暗い駐車場内に降りる。
消防署の入り口は内側からロープでぐるぐる巻きにされ、ドアノブをひねる事すら出来なかった。
駐車場内をウロウロするが、他には出入り口も無い。諦めて消防車に戻ろうとした小丸に、頭上から声がかかった。
「動くな! お前は人間か?」
咄嗟に顔を上げて天井を見る。
そこには、もう設置している消防署もほとんど無くなった、緊急出動用の登り棒が、2階から床まで突き通っていた。
そのてっぺん、2階の床に当たる部分から、強い光の懐中電灯が小丸の顔に当てられる。
あまりのまぶしさに、小丸は両手で目を覆った。
「おい! 人間か?! 返事をしろ!」
「に……にんげん! にんげんです!
「甘尾? ……
声は2階へ向かって「
知っている人だ、と小丸は思った。父に連れられ、何度か家に食事に来たことがある顔だった。
「すごいな、1人でここまで来たのか?」
「あの、ぼく、ママがかいじんになってもえちゃって……あの、ゆうりちゃんのおじいちゃんもかいじんになっちゃって、あと、ゆうりちゃんといっしょに逃げて、わんわんが道を……」
安堵と、緊張と、疲労で、小丸は目の前がくらくらした。
怪人と間違われないように、ちゃんと説明しなければならない。友里のことも、ちゃんと助けてもらえるように。そして、出来れば逃げてしまった犬の事も。
息が切れそうになりながら、頭に思いつく朝からの事を次々と説明してゆく。目の前が白くなって行き、小丸の体はぐらりと傾いた。
倒れそうになった彼を、背中から力強い手が抱きとめる。
ひょいと持ち上げられた小丸は、そこに朝からずっと思い焦がれた父親の顔を認めた。
小丸を抱きしめる手と反対側には、友里がしっかりと抱えられている。
「パパ!」
「小丸! すごいぞ! よくここまで来れたな!」
「パパ! パパ! パパぁぁ! うあああ~ん!」
せきを切ったように泣き出す小丸につられて、友里も小丸の父親にしがみついて号泣する。
それは小丸の父、英雄が救助してきた十数人の人々が、2階へとロープで引き上げ終わるまで続いた。
その後も消防士たちは何度か街へ生存者を探しに出向き、更に10人以上が救助された。
午後には救助のヘリが現れ、生存者は屋上のヘリポートから順次本島へ搬送されてゆく。
その間、小丸と友里は英雄の腕にずっと抱きしめられていた。
「こまるくん……ほんもののおじいちゃんと、こまるくんのママは?」
友里がぽつりとつぶやく。
小丸は「ごめんね」と目を伏せた。
「わんわんも……?」
「わかんない」
怪人なんて居なかったのだと、死んでしまったのは本物の母親で、本物の友里の祖父だったのだと、ここにたどり着くまでに2人は理解していた。
それでも何らかの返事が欲しくて、友里は思わず聞いてしまったのだ。
2人をここまで導いてくれたと言う不思議な柴犬も、ゾンビに噛みついた際に感染してしまったのだろう。
いままでの話を聞いていた英雄は、黙って2人を抱きしめる。
それきり黙って座っていた3人の頭上に、最後の救援ヘリのローター音が近づいた。
「
「署長は?」
「もうお待ちです」
「わかった」
2人を両手で抱き上げ、英雄は立ち上がる。
屋上のヘリポートへ向かった3人は、救命胴衣を着けられ、大型のヘリに乗り込んだ。
署長が点検をし、一番最後にヘリに乗り込む。
「あ……」
「あ……」
窓から島の風景をぼんやりと見ていた小丸と友里が同時に声を上げた。
「どうした? 2人とも」
「わんわん」
窓に寄り掛かるようにして、2人は地面を指さした。
英雄も覗いてみるが、かなりの高度を飛んでいるここからは、犬の姿など確認できるはずも無い。
子供特有の感覚なのかもしれないなと、彼は2人を抱きしめ直した。
しかし、2人は体をひねって腕から逃れる。
そのまま自分の膝に貼ってあるライダーの絆創膏を剥がすと、窓に近づいた。
「パパ! まど、あかないの?」
「あかないの?」
「ああ、あぶないからね」
「これ、わんわんにあげたい!」
「わんわんにあげたいの!」
もし柴犬が怪我をしても、すぐに治るように。
どんな時でも、勇気が出るように。
そう言って2人はライダーの描かれた絆創膏を英雄に差し出した。
そう言われても、飛んでいる最中にドアを開けるわけにもいかない。
困り果てた英雄に、コクピット横の席に座っていた本島の自衛隊員が「貸してください」と腕を伸ばして絆創膏を受け取り、コクピット脇の窓を少し開いて、それを宙に投げ捨てた。
「血の付いた汚染物質を本島へ持ち込む訳にはいきませんからね」
笑った自衛隊員に、英雄は頭を下げる。
小丸と友里は、窓に張り付いて宙に舞う絆創膏の行方を追った。
ヘリは海上へ出て島を離れ、本島へ向かって一直線に飛び去る。
不気味な唸り声以外何も聞こえなくなった鹿翅島に、カラフルな絆創膏がふわりと舞い落ちた。
一匹の犬のゾンビが、地面に落ちている絆創膏の匂いを懐かしそうに嗅ぐ。
そして、それを咥えると、ゆっくりと歩み去った。
――甘尾 小丸(あまお こまる)の場合(完)
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