黒船 入矢(くろふね いりや)の場合(2/3)

 昨日の朝、女バス(女子バスケットボール部)の部室に仕掛けていたビデオカメラを回収するため、俺は早朝の学校を訪れていた。

 合鍵で部室を開け、更衣室の奥に仕掛けたビデオカメラを手に取る。


 何が撮れているか楽しみだ。


 俺は満面の笑顔で部室を出た。


「動かないで!」


 カギをかけていると、後ろから声を掛けられる。

 朝日もまだ登らない薄暗い部室棟。

 慌てて振り返ると、そこには俺がカメラで撮りたかった一番の目標、女バスの部長が腕を組んで立っていた。


 彼女は俺の名前も知らない。

 もちろん俺も彼女の名前なんか知らない。

 でも彼女の下着姿は何度も見たことがある。

 俺と彼女はそういう関係だ。


「な……なんだ?」


「なんだじゃないわ! 今更衣室から出てきたわよね?! 名前と学年とクラスを名乗りなさい!」


 バカなのかこの女は?

 この状況で俺が名乗るとでも思っているのだろうか?


 姿は美しいけど、やっぱり生きてる女はダメだ。


 俺は「はぁ~」と大きくため息をついて、そんな俺に毒気を抜かれた様子の女の隙をついて、一気に反対側へ向かって逃げ出した。


「まっ……待ちなさい!」


 ほんとにバカだ。

 この状況で俺が待つとでも(略


 俺は渡り廊下を駆け抜け、そのまま西校舎の方へと向かった。写真部の部室まで逃げれば、俺のカメラの隠し場所はいくらでもある。

 ネットにつながる端末もあるから、ネットストレージにデータをコピーすることも可能だ。

 そうすれば、俺が掴まったって痛くも痒くもない。


 いざとなれば、画像をネットでバラまくぞと脅してやればいい。

 今までの女はそれでどうにかなった。

 今恐れるべきは、コピーを取る前のメモリを奪われることだけだ。


 全力で逃げた俺は、だが、普段運動しかしていないバカ女の走力を甘く見ていたことに気づいた。


 簡単に追いつかれ、襟首を掴まれる。

 俺と女はもつれるようにして転び、廊下に転がった。


「……え? 入矢いりや……くん?」


「は?」


 俺の上に馬乗りになり、女バスの部長は俺の顔を見つめていた。

 女は、俺の事をずっと好きだったと、もしかして入矢くんも私の事を好きだから盗撮したのかと、顔を赤らめながらそう言った。


 これはいい。どうやらこの場は切り抜けられそうだ。


 そう思って適当に話を合わせようと思ったが、次に発せられたバカ女の一言で俺は自分でも驚くほど突然にブチ切れた。


「……入矢くんが、私と付き合ってくれるなら……あの……今回の事は誰にも言わない。それに言ってくれれば、盗撮なんかしなくても……」


 付き合ってくれるなら?

 誰にも言わない?

 盗撮なんか?


「……ふざけんな」


「え?」


「ふざけんなつってんだよ! 付き合ってくれたら誰にも言わないだと?! 脅しか?! この俺を、お前みたいな体が美しいだけのメスが脅してんのか?! しかも、盗撮だと?! 盗撮の良さも分からない……芸術も理解できない下等生物が! 俺と付き合いたいなんてよく言えたな!」


 突然の俺の剣幕に……たぶん、他の人から見たら所謂いわゆる逆ギレにしか見えないだろうこの状況に、女は俺から離れて目を泳がせた。


「え、あの……ごめんなさい。脅すつもりなんか無くて……」


「俺はお前みたいにバカな言葉を撒き散らすメスが大嫌いなんだよ! 俺が好きなのはな、クソ女! お前の均整のとれた綺麗な体だけなんだよ! 俺と付き合いたいなんて夢みたいなことは――」


 俺は体を起こし、床に転がった盗撮用カメラを拾うと、逃げる体勢を作る。


「――死んでから言え!」


 叫びざま、俺は上靴をきゅっと鳴らして廊下を走り出した。

 角を曲がり、誰も居ない早朝の西校舎をひた走る。

 女は少しの間呆然としていたが、それでも俺を追いかけてきた。


 しつこい。


 だが、次の角を曲がれば、もう理科準備室を兼ねた写真部の部室まですぐだ。

 そうしたら、このデータをネットストレージにアップして……。


「ヴぁあぁあアぁあぁ……」


 最後の角を曲がった途端、俺は誰かにぶつかって派手に吹っ飛ぶ。

 本日2回目の転倒。

 俺と一緒に転がったカメラの無事を確認していると、俺にぶつかった誰かの手が、俺の肩にかかった。


「あ、悪い、ちょっと急いでて……」


 そこにあったのは、頬肉の無くなった口から覗く血まみれの歯。濁った眼。

 その変わり果てた顔からは想像できないが、身に着けている衣服から考えると、生活指導の体育教員か誰かだろう。


 そいつは俺に向かって、その血まみれの口をぱっかりと開き、噛みつくように覆いかぶさろうとした。


入矢いりや君あぶない!」


 俺を追いかけていた女が、ラグビーかレスリングのようなタックルを教員に決める。

 そのまま壁にどすんとぶつかった教員は、だが、そんなことを気にも止めていないかのように、女の肩にかぶりついた。


「きゃあぁぁぁぁ!」


 俺はと言えば、その隙に部室へと滑り込む。

 あらかじめ起動しておいたPCにメモリを突っ込み、データを複数のネットストレージへアップロードするマクロを実行すると、やっと一息ついた。


 その間にも廊下からは激しく争う音が聞こえる。

 俺は一番でかい一脚を手に持つと、そっと部室のドアを開けた。


 女に覆いかぶさるようにして廊下に転がっている教員をよく観察する。

 ……これ、所謂ゾンビってやつか?

 見た目、動き、唸り声。

 どれも典型的で由緒正しいロメロのゾンビにそっくりだ。


 俺は女を今まさに食い殺そうとするゾンビの写真を何枚か撮影し、少し迷った末に、脊髄せきずいへと力いっぱい一脚を突き刺した。


 ずぶりと皮膚を破り、脊髄を傷つけて脳に埋まってゆく一脚の感触は何とも言えない。

 俺はゾクゾクと体を伝う快感に、思わず少し内股になった。


 どさりと転がり、ぴくぴくと痙攣しているゾンビの下から、首筋に噛み傷のある女が体を抜く。

 少しはだけたセーラー服の下の裸を思い出し、やはりこの女は俺が知る限り最高の体をしたメスだと確信した。


「……助けてくれて……ありがとう。……でも、これ……なに?」


 やはりバカだ。

 こんなもんゾンビに決まってるだろう。

 それに助けてくれて……だと?


 俺は単に、その美しい体がこれ以上傷をつけられるのが耐えられなかっただけだ。

 そして、俺は助けた訳じゃない。

 この女はもう既に……ゾンビに噛まれていたのだから。




「……と言う訳だ。お前はもう助からない、すぐにでもゾンビになる」


 部室に入り、校庭側の窓から外を確認すると、やはり既にそこには何匹かのゾンビがうろうろとしていた。

 俺はカーテンの隙間を閉じて女の前に座って説明を終える。

 女は無い頭で一生懸命何かを考えている様子だった。


 もう痛みも無くなっているのだろう、紫色に変色し始めた首の傷をちょっと触り、ぬちょ……と糸を引く自分の血に驚いている。

 俺は、その紫色のまだらになっている皮膚に性的な興奮を呼び起こされ、股間の位置を直した。


「私は」


「なんだよ」


 自分の股間を触っている所に急に声を掛けられ、俺はぶっきらぼうにそう答える。

 女は俺の声に身をすくませて、うつむいた。


「私は……死ぬのね」


「そうだろうな。ゾンビ状態を死んでいると定義するならな」


「じゃあ、あの、入矢いりや君はさっき『付き合ってほしければ死んでから言え』って言ったよね? 死んだ私なら……好きになってくれる? 恋人にしてもらえる?」


 ……想定外の質問だった。

 ゾンビになったらさっきの教師と同じように止めを刺して、写真を撮ろうとは思っていたけど、そうか、恋人か。

 俺の理想に近い、均整のとれた美しい体。

 バカなことを二度としゃべれない口。

 それでも、人形のような、死体のような無機物ではなく、いて、動く……恋人。


「……分からないけど……ゾンビなら、俺はお前を好きになれる……と、思う」


「本当?! ……嬉しい」


 なんだコイツ?

 俺はやはりこの馬鹿な女の考えることは理解できない。

 それでも「美しいゾンビと恋人になる」と言う可能性は俺に新たな興奮を呼び起こさせた。

 俺は女の両手両足を重い机に縛り付け、そいつが恋い焦がれるような眼で俺を見つめながらゾンビに成り果てるのを、ただゆっくりと待った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る