国守 匠(くなもり たすく)の場合

◇ホラー◇ヒューマンドラマ

国守 匠(くなもり たすく)の場合(1/2)

 金曜の明け方、日課のライヴカメラ巡回をしていた僕は、おかしな動きをするホームレスに気づいた。


 バスターミナルの端っこのベンチで、正体なく眠っているサラリーマンおっさんにふらふらと近づいて行く。

 僕はわくわくしてライヴ動画の録画ソフトのボタンを押した。


 カバンでも盗むか、それとも財布に手を出すか?

 とにかくこの動画を警察に持っていけば、また犯罪者を一人減らせる。僕は正義の味方だ。


 しかし、このホームレスは、おっさんの腰のあたりにある財布にもカバンにも目もくれず、一直線に顔に覆いかぶさった。


「おえぇぇ、ホモの痴漢?」


 思わず声が出る。

 ヘッドホンを外し、誰にも聞かれなかったかと周りを見回した僕は、ネットカフェの中が静まり返っていることを確認すると、ヘッドホンをかぶりなおして画面に視線を戻した。


 画面の中で暴れるおっさん。殴られても、蹴られても、意に介さないようにおっさんに襲い掛かるホームレス。

 置き引きとかのレベルじゃない!

 これはこれで事件だ!


 食い入るように見つめる僕の目の前で、ついにおっさんはホームレスに引きずり倒され、覆いかぶさったホームレスはおっさんの顔にキスしまくっていた。


「……やっぱホモ? 力ずくで?」


 クリックして拡大。リアルタイムでノイズ処理。自宅の非力なPCではこうは行かないけど、ネットカフェの最新PCは、そこそこ綺麗におっさんとホームレスの顔を映しだした。

 ホームレスの口がぐわっと開き、剥き出しの歯でおっさんの頬に齧りつく。

 毟るようにほお肉を引きちぎって、口をもぐもぐと動かすと、ホームレスがおっさんの肩肉を引きちぎった辺りで、おっさんはゆっくりと立ち上がった。


 血まみれの顔、ぶらぶらしている片腕。

 今度はおっさんも、ホームレスと同じようにふらふらと歩き出す。

 おっさんの肩肉を飲み込んだホームレスは、何事も無かったかのように、おっさんとは逆方向へと歩き出した。


「なぁ、おっさん、それなんて映画?」


 半個室のブースで、息をするのも忘れて映像に見入っていた僕のヘッドホンがずらされ、見知らぬ女の子が声をかけて来た。

 女の子は確かにこっちを覗いている。

 僕は周囲を見回し、自分を指差して首をかしげて見せた。


「おっさん以外におっさん居ないじゃん」


「……こう見えてもまだ19歳なんだけど……」


 僕は高卒で自衛隊に入り、訓練とか集団生活とかがつらすぎて半年ももたずに辞めた。

 実家に舞い戻り、でも、家にも居づらくてネットカフェこんなとこに入り浸っている。

 確かに一か月くらい剃ってない無精ひげや、3か月くらい切ってない伸び放題の髪は見苦しいかもしれないが、ハゲでもデブでもない20歳前の青年を捕まえて「おっさん」はないだろうと、僕は憤りを覚えた。


「ウッソ?! 19? マジで? ウケる! いっこ差じゃん」


 ぎゃははとでも笑いそうな勢いで、女の子は笑う。その声は、静かなネットカフェの中でうるさいほどに響いた。

 ギャルか、ヤンキーか、とにかくこんな時間にネットカフェに居るような女の子にはかかわらない方が良いだろう。

 僕は女の子を無視してヘッドホンを付け直すと、ライヴカメラの映像へと視線を戻した。


 ベンチの周囲には血だまりが出来ていたが、おっさんもホームレスももう居ない。

 僕は次々に別のライヴカメラへと接続を変え、ホームレスを探した。


「シカトしてんじゃねーよ」


 ヘッドホンをはぎ取られ、さらにいきなり髪の毛を掴まれて、僕は首をがくんと後ろに引っ張られた。


 え? うそ? 本当にこんなことする人いるの? なにこれ怖い。


「ゾンビ映画好きなんだよ。でも今のは見た事ねーから教えろって言ってんの」


「ゾ……ゾンビ……?」


「どう見てもゾンビじゃん。人間食ってるし、感染してるし。ゾンビ映画100本見たあたしが言うんだから間違いないって」


 ……確かに。言われてみればその通りだ。

 でもこれは映画じゃない。

 僕が、これはライヴカメラの映像だと告げると、女の子はちょっとかわいそうな人を見るような眼で僕を見た。


「はいはい。ピチピチJKとお近づきになりたいのは分かるけど、そう言うの面白くねーから」


「いや、別にお近づきには……」


 この会話中も、彼女は僕の髪の毛をずっと掴んでいる。

 いつまでも掴まれっぱなしと言うのは痛さ以上になんとなく屈辱感がひどいので、その手を放してもらおうと思い、僕は彼女の手首を掴んだ。

 うわぁ、何年ぶりだろう? 女の子の手。やわらかい。


「な……なんだよ、結構……積極的じゃん……」


 全く初対面の男に話しかけたり、人の髪の毛をいきなり掴んだりと傍若無人に振る舞っているくせに、彼女は僕に手首を掴まれると、ちょっと腰が引けて目が泳ぐ。

 その赤らめた頬を見て、なぜだかこっちも頬が熱くなった。


 ヤバい、こちとら男子校で女の子に対する免疫なんかないのだ。

 しかも改めて顔を見ると、結構……いや、かなり可愛い。


 その可愛い顔の向こうに、さっきライヴカメラで見たばかりの、ゾンビの顔がふらりと現れた。


「ヴぁァァ……」


 ゾンビは何のためらいもなく女の子の首に歯を立てようとする。

 僕は掴んでいた女の子の手首を咄嗟に引っ張り、椅子の上で抱きしめる様にして彼女を受け止めた。


「ばっ……おい! あっあたし、そっそんな安い女じゃ……ね……ねぇから!」


 彼女の体から匂い立つ甘い香りが僕の鼻腔をくすぐり、思わずにやけそうになった顔を彼女の手がぐいっと押しのける。

 僕は頭を斜めに傾けながら、なおも襲いかかろうとするゾンビの腹へ、力いっぱい前蹴りを叩きこんだ。


「ヴぁァっ!」


 ゾンビは唸り、その声を聞いて彼女も振り返る。

 僕らの見ている前で、蹴りを食らったゾンビはよだれとも血とも見える液体を吐き出しながら、隣のブースの壁にどかんとぶつかって床に倒れた。


「き……きゃあぁぁぁぁぁぁ!!」


 一瞬呆然とした彼女は、すぅっと息を吸ってから、今までの言動に似合わない、女の子らしい悲鳴を上げて僕の胸に抱き着く。

 甘い香りと柔らかな胸の感触に、僕はくらくらして彼女を抱きしめ直した。


「お客様! どうなさいま……した?!」


 悲鳴を上げる女子高生と、それを抱いている無精ひげの男、そしてその前に倒れている血だらけのゾンビ。

 それを交互に何度も見た店員は、後ずさりしながら「誰か! 警察! 警察呼んで!」と叫び始めた。


 何度も「警察! 警察!」と叫ぶ店員に、背中から何かが襲い掛かる。

 僕が蹴飛ばしたのとは別のゾンビ。


「あーお客様?! 困ります!! お客様?!」

「ヴァぁあアァァあぁぁ!!」


 もつれあうように倒れた店員はパニック状態に陥っていて、抵抗らしい抵抗も出来ないまま喉を食い破られた。

 真っ赤な血が噴き出し、周囲にムッとするような鉄錆の臭いが充満する。


 ごぽっ……ごぽぽっ……。

 詰まった下水道のような音を立てて店員が倒れると、その匂いと騒ぎを聞きつけた数人が半個室ブースから顔を出し、それに倍するゾンビが別のブースから姿を現すのが、見たくも無かったけど良く見えた。


「おい! みんな! 逃げろ! ……ゾンビだ!」


 我ながらなんと下手な誘導だろうか。

 僕の芝居がかったその声に、あるものはスマホで動画を撮りはじめ、またあるものは「カメラどこ?」などときょろきょろし始める。

 しかもその弛緩しきったような状況は、更に数名がゾンビに襲われて倒れるまで続いた。


 事ここに至って初めて、さすがにこれがドッキリのたぐいではないと何名かが気付きはじめる。

 僕は、女の子を肩に抱えると、周辺のゾンビを何体か蹴り倒し、何か武器は無いかと周囲を見回した。


「なに……してんのよ?」


「いや、武器がないかなと思って」


 女の子を抱えたまま、すぐそばで襲われかけている人の足を払って転ばせ、ゾンビに空振りさせる。

 よろめいたゾンビの腹を蹴って吹き飛ばし、僕は何事も無かったように起き上がってくるゾンビにため息をついた。


「バッカじゃないの?! ゾンビは頭潰さなきゃ死なないの。そんなことも知らないの?」


「って言われても、こっちは素手だし……」


 自衛隊で半年体は鍛えてきたが、素手で頭蓋骨を砕く練習はさすがにしてない。

 89式小銃バディとまでは言わないが、せめて9mm拳銃の一つでもあればなぁ。


「……良いのがあるよ! あっち……いや、その前に下ろしなよ」


 肩の上で、女の子がじたばたと暴れる。

 さっきの可愛らしい悲鳴が嘘みたいだ。


 僕は女の子を床におろし、もう一匹よってきたゾンビを転ばせると、自衛隊時代から愛用している鉄板入りのブーツで、そいつの頭を思いっきり踏みつけた。

 しかし案の定、たわみはするもののそう簡単に頭蓋骨はつぶれない。

 全体重を乗せて、2度、3度と踏みつけると、ゾンビの頭はやっと「ぐしゃ」と歪んだ。


「ぉうぇ……」


 最悪の感触だ。

 僕は血と脳髄にまみれた半長靴2型をパーテーションにこすり付けながらそこから離れた。


なつよ」


 吐き気を堪える僕に女の子がそう言って手を差し出す。

 僕は思わずその手から身を守るように体を引いた。

 なんだこれ、殴られ続けた子供の条件反射みたいじゃないか、かっこ悪い。


「名前。尋常ひろつね なつ。よろしく。さっきは助けてくれてありがと」


「あ、あぁ。僕は国守くなもり たすく


「じゃ、こっち」


 今の会話のどこに「こっち」へつながる「じゃあ」があったのかは知らないが、夏は握手した手をそのまま引っ張って、『すぽーっつ!』と言う看板が掲げられた建物の方へ向かう。

 途中何匹かのゾンビを蹴り飛ばしたが、『100円で15分遊び放題!』の看板の下、渡り廊下から見る明け方の街には、ゾンビがうじゃうじゃいるのが見えた。

 どうなってるんだ。家族は大丈夫なのか?


「あそこ! 匠、ほらバッティングセンター」


「バッティングセンター」


 いきなり呼び捨てにされた僕は、何の抑揚も無く、ただ夏の言葉を繰り返す。

 確かにバッティングセンターだ。

 だけどこの緊急事態にバッティングセンターって……。


「金属バットよ! 金属バット! 対ゾンビ戦では最強の武器でしょ! 決まってんじゃん!」


「金属バット」


 繰り返す僕に嬉々としてバットとヘルメットを渡して、夏は自分でもヘルメットをかぶった。

 フレアのミニスカ、時期としてはまだちょっと暑そうなスカジャン、厚底のスニーカーにポニーテール。そこにくすんだ藍色のヘルメット。

 ポニテのせいでヘルメットは少し浮いていたし、全体のコーディネートとして言いたいことは沢山あったが、本人が満足気だったから、僕は黙っていた。


「ゾンビはだいたい脳を狙ってくるから、ヘルメットは必須!」


「脳を」


 なんでこんなに楽しそうなんだ?

 不思議なほどテンションの上がっている夏の顔を見て、僕もとりあえずヘルメットをかぶる。

 ちょっとキツ目のヘルメットを夏が両手で押し込んでくれた。


「行くよ! とりあえずこの建物の中のゾンビを掃討して、居場所を確保!」


「金属バットで?」


「あったりまえじゃん! 最強装備よ!」


 僕はこの強引で(外見は)可愛い女子高生に背中を押され、鹿翅島しかばねじまで唯一の総合アミューズメント施設内のゾンビを掃討すると言う任務に就いたのだった。

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