国守 匠(くなもり たすく)の場合(2/2)
夏曰く、ゾンビの視力は皆無に等しい。
夏曰く、ゾンビは音に反応する。
夏曰く、ゾンビは頭をつぶせば動かなくなる。
夏曰く、ゾンビに噛まれたものはゾンビになる。
夏曰く……夏曰く……。
彼女のゾンビに対する知識は(意外にも)完ぺきだった。
映画のゾンビほど動きは遅くなかったが、彼女の指示通り、音をたてないように静かに移動して、一撃で頭を砕く。
そんな作戦は功を奏し、僕は何人もの人間をゾンビから救うことができた。
正義の味方だ。これだ、これこそ僕のなりたかったもの。
「匠! 急ぎすぎ! それじゃあ『いい気になって突っ走って
「だって! ほら、また違う人が襲われてる! 助けなきゃ!」
息が切れていたけど、僕はもう止まれない。
数か月とは言え体は鍛えてきた。僕は思ったよりゾンビと戦える。
小さな女の子を抱えてうずくまった女性に襲い掛かろうとしているゾンビの後頭部へ、僕は助走をつけて金属バットをフルスイングした。
ばしゃんと頭がはじけ、ゾンビが倒れる。
後ろから走って追いついた夏が、階段の防火扉を閉め、カギを掛けた。
「……これでたぶん、2階から上は確保できたんじゃないかな」
女性に手を貸して起き上がらせた僕は、荒い息を吐きながら頷く。
夏は女性と女の子を安心させるようににっこりと微笑むと、屋上へ向かう非常階段を指差した。
「これでしばらくは大丈夫。屋上で自衛隊のヘリを待つよ」
「自衛隊? 助けが来るんですか?!」
もっともな質問だ。
ここまで夏の言う事はほぼ全部正解だったとはいえ、こんな状況を自衛隊も国も想定している訳がない。
絶対に救助が来るとは言い切れないし、来るとしても時間がかかるかもしれない。
僕も夏もまったく確証は持っていないのだが、なぜか彼女は自信満々で親指を立てた。
「大丈夫! 日本の自衛隊を信じなよ!」
……自衛隊を半年も経たずに辞めた身としては心が痛い。
いや、僕みたいなのが我慢しきれないほど過酷な訓練をやっているのだ、だからこそ自衛隊は信頼できる。
逆説だけど、僕が証拠だ。
「来ますよ。大丈夫です」
それに、ここで不安を煽っても何の役にも立たない。
僕は夏にならって、なるべく安心させるような笑顔でそう言って笑った。
たぶんこの建物の中で最後の生存者である僕たちは、今まで救助した人たちと同じように非常階段を登る。
女性の肩越しにこっちを見ていた女の子が、突然「あっ」と大きな声を上げたのはその時だった。
ゾンビの生き残りが居たか?!
僕は咄嗟に金属バットを構えて後ろを振り返る。
しかし、そこに居たのはゾンビではなく、1匹の小型犬だった。
「ココアちゃん!」
女の子の声に、その犬は「キャン!」と答えたが、金属バットを構える僕を見て走り去る。
手を伸ばして追いかけようとした女の子をしっかり抱きかかえて、女性は「ダメよ! 今はココアを探しに行く時間は無いの!」と一生懸命なだめていた。
「キミの犬?」
「うん! ココアちゃん、1人だと寂しくて泣いちゃうの!」
その会話を聞いて、先頭を歩いていた夏が慌てて振り返った。
「匠! ダメだよ!」
今回も彼女はたぶん正しい。
でも僕は……正義の味方は小さい女の子のお願いを聞かない訳には行かないし、子犬の命も放っておけない。
僕は女の子と夏に向かって親指を立てると、その場で歩みを止めた。
「先に行ってて。僕もすぐにココアを連れて屋上に行くから」
夏の返事は分かっている。
でも僕はその声を聞かずに、今来た道を一気に駆け戻った。
大丈夫。このフロアのゾンビはだいたい倒したし、僕は夏にゾンビの倒し方を教えてもらっている。
それに、夏が見つけてくれた最強装備、金属バットとヘルメットもあるのだ。
「ココア! ココアどこ!」
「キャン!」
真昼間とは言え、広い建物の奥は非常灯しか点いていなくて薄暗い。
その奥まった一角、「わんにゃん広場」と言う看板の向こうから、さっき聞いたココアの泣き声が僕に答えた。
「ココア~……おいで~」
そういえば、こっちの方は見回りに来ていなかった。
確かペットショップを兼ねた動物と触れ合えるエリアだったはずだ。
そう考えて踏み出した僕の足元に、鈴と綿毛のついたペット用のボールが「ちゃりりん♪」と音を立てて転がった。
「なんだいココア、遊んでほしいの?」
腰をかがめてボールを拾う。
低くなった視線の向こう、地上50センチほどの高さに、突然複数の赤い光が瞬いたように見えた。
「ヴぁあぁぁァァん!」
「ヴァヴぅぅゥゥあぁァ!」
威嚇するような唸り声。
僕は無意識に金属バットを横なぎに振った。
ガツンと衝撃があり、「ギャン!」と言う悲鳴が上がる。
転がった犬、そこから飛び散った血液。その向こう、暗い影の中から薄暗い明かりの中に、次々と犬や猫……のゾンビが姿を現した。
「キャンキャン!」
動物ゾンビの向こう側でココアが吠える。ココアの泣き声に反応した動物ゾンビが、一斉にココアの方を振り返った。
いけない。ココアはゾンビに対抗する手段を持っていない。
僕は手に持ったボールを「ちゃりりん♪」と鳴らしながら「おい! こっちだ!」と叫ぶ。
ボールを床にころがし、両手でバットをしっかり構えた僕の方に向かって、最初の犬ゾンビが飛びかかった。
子供のころによくやった野球のバッティングと同じだ。
人間の頭と違って、動物ゾンビの襲い掛かって来る高さはちょうどいい。
フルスイングで1匹目の犬ゾンビをかっ飛ばし、僕はバットを構えなおした。
「つぎっ!」
一匹、二匹、三匹……。
まるでシートノックでもしているように次々と、犬ゾンビや猫ゾンビを潰してゆく。
10匹ほどのゾンビを倒すと、周囲はやっと静寂に包まれた。
「はぁ……はぁ……ココア、おいで」
肩で息をしながら僕はココアに手を伸ばす。
部屋の隅で震えていたココアは、バットを投げ出した僕の腕に飛び込んできた。
やったぞ。僕はやり遂げた。
僕は
ココアを抱き上げて
「キャン! キャン!」
腕の中で、興奮したようにココアが吠える。
ゾンビはもう居ないだろうけど、用心するに越したことは無いので、僕は優しくココアの頭を撫でた。
「ココア、静かにして――」
――ガリリッ
突然、ふくらはぎに鋭い痛みを感じて僕は膝をつく。
床に視線を向けると、そこには血だらけの肉片を大事そうに抱えてもぐもぐと口を動かすハムスター……のゾンビが居た。
手に持った肉片は僕のふくらはぎから滴る血痕と繋がっている。
僕は痛みをこらえて、振り上げたブーツのかかとをハムゾンビに振り下ろした。
ぐちゃ、とつぶれたハムスターから足を引き、よたよたと立ち上がる。
出血も思ったより多くないし、肉が
急いで夏の所へ戻らなくちゃ。あの小さな女の子が喜ぶ姿も早く見たい。
僕は非常階段へと急いだ。
あれ? でも、待てよ。
僕はもしかして、ゾンビに噛まれてしまったのか?
――夏曰く、ゾンビに噛まれたものはゾンビになる。
そうだ。僕はもうゾンビになりかけているんじゃないか?
こんな小さな傷で? いや、夏の言う事は正しかった。今回も、たぶん正しい。
ほら、だんだん視界も暗くなってきた。
――夏曰く、ゾンビの視力は皆無に等しい。
やっぱり夏は正しい。あぁ、僕はもうダメだ。
……でも、せめてココアだけは……女の子に返してあげたい。
僕は闇に埋もれそうになる思考を何とか繋ぎ止めながら、非常階段を登った。
屋上へ続くドアを少しだけ開け、ドアの隙間から漂ってくる人間の旨そうな匂いに抗いながらココアを放して、すかさずドアを閉める。
ドアの横にあった角材で扉が開かないように塞ぎ、僕は疲れ果ててドアにもたれかかった。
「匠! (あーーーーー)どう(うううーー)して! たす(うああーーー)く!」
夏の声かな?
ハウリングしたみたいな金切り声に紛れてて良く聞こえない。
どんどんと叩かれるドアの振動にシェイクされ、僕の意識はそこで途切れた。
◇ ◇ ◇
「ココアちゃん! ……きゃあああ!」
「ヴぁあぁァァん!」
ドアの向こうでは小さな女の子の悲鳴を皮切りに、次々と犬のゾンビに襲われる人々の絶望の叫び声が上がる。
完璧に不意を突かれた形で、次々とゾンビを増やし、逃げ出すための唯一の扉すら匠に閉じられた屋上の――匠と夏が命懸けで救った――人々が全員ゾンビになるまで、1時間もかからない。
もちろんその中には、この短い時間の間に匠が思いを寄せるようになった、
そんなことも知らず、自らの理想である
――国守 匠(くなもり たすく)の場合(完)
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