甘尾 小丸(あまお こまる)の場合(2/3)

 小丸は川縁へ降り、手を洗っていた。


 食事をして栄養を取り、我慢していた涙を流してすっきりして、自分以外の生き物と触れ合ったことで、かなり気持ちは立ち直っている。

 冷たい川の水で手を洗い、ライダーのハンカチで手を拭くと、バッグから取り出したライダーの絆創膏ばんそうこうをすりむいた膝に貼った。


 かっこいいライダーの絆創膏を貼っただけで、無限の力が湧いてくるような気持ちになる。

 気持ちも新たに立ち上がった小丸は、ついでにバッグから取り出した変身ブレスレットを左手に巻いた。


 完全装備。もうこれで彼はほぼライダーだ。

 敢然と顔を上げ、もう一度消防署を目指して歩きはじめる。


「きゃあ! やゃぁぁぁ!!」


 その小丸の出鼻をくじくように、女の子の悲鳴が響いた。


 周囲を見回すと、少し上流の方で、小丸と同じくらいの年齢の女の子と祖父と思われる老人がゾンビに囲まれていた。

 老人は左足に怪我をしている様子で、もう逃げるのを諦めたように女の子を抱きかかえてうずくまっている。


 ライダー気分になっていた小丸は、思わず叫び声をあげた。


「やめろ! かいじんども!」


 ゾンビたちは突然の大声に振り返り、老人と女の子を襲うのを止めた。

 小丸は変身ブレスレットのスイッチを押す。


――ぴぴぽぽぴぽ! ぎゅんぎゅんぎゅん!


『レディ!』


 電子音が鳴り響き、カードスロットのLEDが輝いた。

 右手に持った虹色のレアな変身カードをスロットに突っ込む。


「へんしーん! ハイパーりゃイダーモード!」


――どぅぎゅるるるるるる!! ぎゅわぁぁぁぁぁ! っばしゃーん!!


『ハイパーライダーモード! キドウシマシタ!』


 いかにもと言った感じの合成音声が響き、ついでライダーのオープニングテーマソングが鳴り始める。

 河川敷に流れるその音質の良くないテーマソングに、ゾンビたちは我先にわらわらと群がった。


 変身ポーズをとった小丸は、群がるゾンビに向かって「とぅ!」とライダーキックを放つ。

 しかし、悲しいかな幼稚園児のキックは、大人の体格を持つゾンビには全くダメージを与えられなかった。


 逆に弾き飛ばされて、小丸は地面に転がる。

 覆いかぶさるようにして口を大きく開けたゾンビに追われ、立ち上がろうとした彼は、また足をもつれさせて転んだ。


 転んだ先は川。

 流れは緩やかなのだが、しっかり護岸工事された川は側溝のように深い。

 あっという間に川の中央付近まで流された小丸の腕で鳴りつづけるライダーのテーマソングに引き寄せられ、ゾンビたちも次々に川へ落ち、なすすべもなく沈んでいった。


「おじいちゃん! ねぇ! あの子助けて!」


 小丸に命を救われた形になった老人に向かって女の子が叫ぶ。

 しかし、走ることも出来ないほどの怪我を足に負っている老人に、溺れる小丸を助けることは出来そうも無い。

 ここであの子供を助けに向かって、もし自分も溺れるようなことになれば、孫娘の友里ゆうりが一人になってしまう。そう考えると、とても助けに向かうことは出来なかった。


 女の子と老人が見つめる中、小丸はもう沈みかけていた。

 むやみやたらに手足を動かしたが、水圧で体を締め付ける衣服は体の自由を奪い、秋口とは言え冷たい水は、彼の体力を奪う。

 ライダーのテーマソングが終わるのとほぼ同時に、彼は手足を動かす力も失せ、ゆっくりと冷たい川に沈んでいった。


――ばっしゃん!


 周辺に居た全てのゾンビが入水じゅすいし終え、水面で溺れていた小丸も沈み始めた静かな水面に、突然水しぶきが上がった。

 迷いなく、沈みゆく小丸へ向けて、その赤茶色の柴犬はぐんぐん水を掻く。

 最後に浮かんでいた小丸の幼稚園バッグが水面に没しようとするギリギリに柴犬は追いつき、水中の小丸の服を引っ張った。


 その中型犬のどこにそんな力があるのだろうと驚くほどの素早さで、柴犬は水面を引っ張り、岸で待っていた老人の協力を得てその体を引き上げる。

 人工呼吸をするまでも無く意識を取り戻した小丸の横で、犬はぶるぶるぶるっと体を振るい、川の水を周囲にまき散らした。




 近所の家から調達した乗用車の運転席には、先ほどの老人が座っていた。

 リアシートを見ると、小丸と友里、そして柴犬がバスタオルと毛布にくるまって座っている。


 左足に怪我をしていても、右足と両手が動けば車は運転できると言う事で、彼らは無人の家から乗用車を拝借し、小丸の父が居るであろう消防署へと向かっていた。

 お礼を言われ、暖かい車の中でバスタオルと毛布に包まれた小丸は、友里と柴犬に挟まれて、ポカポカした気持ちになりながらすぐに眠りに落ちる。


 もう免許を返納してから10年以上も経つ老人の、ゾンビの少ない場所を選びながらのゆっくりとした運転ではあったが、わずか2~3キロほどしか離れていない消防署への車での移動は、数分ほどの旅のはずだった。




 ……突然の「ドンっ」と言う衝撃に、小丸と友里は目を覚ました。


 隣で毛を逆立てた柴犬が前を見ながら低く唸っている。

 前を見ると、車のボンネットは電信柱に食い込むようにひしゃげ、エンジンルームからは煙が上がっていた。


「おじいちゃん? 大丈夫?」


 友里が目をこすりながら老人に声をかける。

 それに答えたのは「ヴぁあぁァ!」と言う例の唸り声だった。


「きゃあ!」


「あ! かいじんだ!」


 シートベルトで体を固定されているために、こちらを振り向くことが出来ない老人のゾンビから体を離して、小丸は友里の手を引く。

 それでも老人を心配して手を伸ばした友里がゾンビに引っかかれそうになったところを柴犬がゾンビの腕を噛みちぎり、何とか逃げることが出来た。


 小丸は何度も「おじいちゃん!」と泣き叫ぶ彼女を無理やり引っ張って、命からがら車の外へと逃げ出した。


 車の衝突の音に集まり始めたゾンビから隠れ、小丸たちは近くの家の塀と庭の木の間に滑り込む。

 柴犬も尻尾を振りながらついて来て、大人しくそこに座った。


「しずかにして、ゆうりちゃん! おじいちゃんは、かいじんと入れ替わっちゃったんだ! ほんもののおじいちゃんを助けにいこう!」


「……あれはおじいちゃんじゃないの?」


「うん、にせものだとおもう」


「じゃあ、おじいちゃんはどこにいるの?」


「わかんないけど、僕のパパにきけばぜったいしってる!」


「なんで?」


「パパは消防士で、すごくつよくて、せいぎの味方だから!」


「すごい! じゃあ、こまるくんのパパのとこいこう!」


「うん!」


 話は決まった。

 知らない人の家から出て、柴犬が先頭を切って走る方向へと小丸たちは急いだ。


 柴犬の危機察知能力により、物陰に隠れてゾンビをやり過ごし、時には知らない人の家の庭を横切ったりしながら、彼らの冒険は1時間以上にも及ぶ。

 疲れ果てた小丸たちは、小さな公園のゾウの形をした滑り台の上で休憩を取った。

 柴犬は雑草を食べて何かを吐き出したりしていて、2人と同じように疲れている様子だった。


 老人から渡されていたビスケットを2人と1匹で分け合う。

 それを一口かじると、友里はぽろぽろと涙を流した。


「もうやだ……。つかれたよぉ。おうちにかえりたいよぉ」


「もうちょっとだよ。もうすぐパパにあえるよ」


「ゆうりのパパじゃないもん! もうやだ! 足いたくてあるけないもん!」


 パパぁ~と泣きだす友里の背中をさすりながら、小丸の目にも涙が溢れそうになる。

 しかし、溢れそうになった涙をぐっと堪え、小丸はバッグの中から、少し湿った最後の絆創膏を取り出した。


「ゆうりちゃん。ぼくの大事なライダーのぺったんあげる。足いたいの、すぐになおるよ」


 怪我も何もしていない友里の膝に色鮮やかなライダーの絆創膏を貼って、小丸は安心させるようにニッコリと笑った。

 消防士の父に普段から言われている「男は女の子を守らなくちゃいけないんだぞ」と言う言葉が頭に浮かぶ。

 今ここにはライダーも父親もいない。だから女の子は自分が守らなければならないのだと心を決めて、小丸は友里に背中を向けた。


「ゆうりちゃん、はい」


 背中を向けて両手を後ろに伸ばし、小丸は身をかがめる。

 不思議そうにその背中を見ている友里に向かって、小丸はもう一度両手を伸ばした。


「おんぶ、はい」


 大人が見ていたら「危ない」と止めただろう。

 すべり台の上、しかも小丸は友里よりもちょっと小さいのだ。


 しかし、友里は喜んでその背中に乗っかり、2人は予想通り絡まりながらすべり台を滑り落ちた。


 子供の体の柔軟さと、奇跡のような幸運で、無傷のまま下の砂場にぺたんと着地する。

 きょとんとした表情でお互いに顔を見合わせていた2人は、柴犬に「わん」と吠えられると我に返り、声を出して笑った。


「こまるくん、いこう!」


「足いたいのだいじょうぶ?」


「うん! ライダーのぺったんでなおった!」


「やった! じゃあ、いこう!」


 2人は手をつなぎ、柴犬に導かれて道を進んでゆく。やがて小丸は何度も見たことのある国道沿いのコンビニと手書きの看板を見つけた。

 そこは、父親を迎えに来た時に待ち合わせをする消防署からほど近いコンビニで、看板では消防士たちが自分で描いたつたないライダーが、見るものに火の用心を訴えかけていた。


「ゆうりちゃん! 消防署!」


 嬉しそうに叫んだ小丸は、友里の手を引き消防署へと走った。

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