野鐘 来斗(のがね らいと)の場合(2/3)

 体を沈め、その反動を利用してゾンビを反対へ向かって飛ばす。

 別のゾンビ2体にぶつかったそいつは、面白いように転がった。


 仰向けになってじたばたするゾンビの眼窩へ、次々に警棒を突き立てる。

 それだけでその恐ろしい生きている死体リビングデッドは、動かないただの死体へと姿を変えた。


……沢渡さわたりのおばさまじゃない?」


「……ちがうよ。ゾンビだ」


「……そう……ね」


 家に近づくにつれ、知った顔が増えてきたゾンビを見ないようにして、ぼくらはやっと我が家の門をくぐった。

 家の庭を横切り、桃花は自分の家へと走る。

 ぼくも道場の前を通って母屋の玄関を開けた。


「ただいま!」


 わざと大きな声で、外の出来事と家の中は関係のない世界だと自分に言い聞かせるように。

 子供のころから毎日暮らしていた家へと、ぼくは突き進んだ。


「……来斗らいとか……?」


「じいちゃん!」


 廊下を進み、リビングを素通りして、奥の和室の引き戸を開ける。

 そこには朝家を出るときに見た道着のままのじいちゃんが、血の海の中に座っていた。

 肩口は噛み千切られたような傷があり、道着はどす黒く染まりつつある。

 じいちゃんの座る畳の前に、いつもは床の間に飾ってある刃渡り55センチほどの白鞘しらざやの御神刀が置かれているのが見えた。


「じいちゃん?! これ? どうして?!」


「静かにせい」


 駆け寄ろうとするぼくを制して、じいちゃんは厳しい顔でこっちを見る。

 稽古の時と同じ、一切の親しみをも感じさせない、真剣のような表情。

 脚が踏み出せなくなってごくりと唾を飲み込んでいると、ぼくを見つめるその顔に、一瞬いつもの優しいじいちゃんの表情が浮かんだ。


「わしは誤った。もう人間ではない、バケモノだと知っておっても、あやつらにとどめを刺すことは出来んかった」


 じいちゃんはちらりと奥の間へ視線を向ける。

 普段は物置代わりに使っている小さな部屋から、今日何度も聞いたあの唸り声が聞こえた。


「じいちゃん?」


「聞きなさい、来斗らいと。お前の両親は……わしの娘と息子は、人を喰らうバケモノになってしまった。閉じ込めはしたが、わしも傷を負った」


 じいちゃんの首から、血がドロドロと流れる。

 それでもじいちゃんは、落ち着いてぼくを見ていた。


「じいちゃん! 病院に行かなきゃ!」


「落ち着きなさい。わしは家長として自分の家族の命に責任を持たねばならん。少し早いが、来斗らいと、お前ももう17じゃ。世が世なら家督かとくを継いでも不思議はない。お前ならできる」


「無理だよ! なに言ってんの?! ぼくまだ高校生だよ?!」


「……あまり年寄りに無理をさせるでない。わしはもうバケモノになりかけておる。ほれ、こんな傷なのにもう……痛みすらないんじゃよ」


「やめてよ……死なないで……ぼくを置いていかないでよ……」


来斗らいと……強くなれ。お前が守らねばならないものを守れ。わしにはできなかったことじゃが……お前ならできるよ」


 じいちゃんは御神刀を鞘から抜き放ち、その場でくるりと背を向ける。

 ぼくはじいちゃんの背中に手を伸ばしたけど、どうしても止めることはできなかった。


けェい! 来斗らいとォ!」


 体にビリビリと響くじいちゃんの声と同時に、隣の家から聞き覚えのある悲鳴が糸を引く。

 ぼくは涙を拭いてじいちゃんに背を向け、幼馴染の待つ隣の家へと駆け出した。


  ◇  ◇  ◇


 小さなころから何度も入ったことのある桃花ももかの家。

 冷たいドアノブを回し、電気もついていないリビングへと向かう。

 開け放たれたドアの向こうに視線が開けると、目に入ったのは桃花のお父さんとお母さんの後ろ姿だった。


来斗らいと! パパたちが……」


 おじさんたちの向こう、ソファの後ろに身を隠していたのは桃花。

 ぼくの名を呼ぶその声に、ぼくより先に反応したのは、おじさんたちだった。


「ヴぁあアぁぁアアぁ……」


 桃花や桜子ちゃんをあんなにかわいがっていたおじさんが、口からどす黒いよだれを垂らして襲い掛かる。

 ぼくは背後からおじさんとおばさんの腕をつかむと、体を沈めて腕をひねりあげた。


 関節の動きを制限されて、おじさんたちは動きを止める。

 しかし、痛みで打ち倒すことのできるはずの柔術の技は、本来の半分も効果は無いようだった。


 関節の動きや、生体反応を利用した技は使える。でも、痛みを使った技はほとんど効果が無い。

 ぼくは改めてゾンビに対する攻撃方法を頭の中で整理し、組み立て直した。


 歯をむき出しにして、今度はぼくに襲い掛かろうとするゾンビ。

 つかんでいた腕を肩の上から背中の方向へ回し、体重をかけて傾ける。半回転したゾンビの腕を絞るように下からすくい上げると、2体のゾンビは勢いよく後方へ一回転してリビングの床に倒れた。


「桃花!」


「来斗!」


 幼馴染のもとへ駆け寄り、腰に手を回して立ち上がらせる。

 まだ床でじたばたしているゾンビを大きく回り込んで、ぼくらは二階にある桃花の部屋へと逃げ込んだ。


 ゾンビは階段が苦手だ。それにこの部屋は内側からカギがかかる。

 ぼくは桃花をベッドに座らせ、落ち着くのを待った。


「来斗……どうしよう……パパたちが……」


 やっとそれだけを言って、桃花はまた言葉に詰まる。

 ぼくは、その細くて小さい肩を抱き寄せた。


「桃花、よく聞いて。はもう、おじさんやおばさんじゃない。ぼくの父さんたちも……ゾンビになってしまった。じいちゃんも」


 ぼくの胸に顔を押し付けたまま、桃花は静かに話を聞いている。

 肩を抱く手に少し力を入れ、彼女が震えないように、ぼくはしっかりと支えて話をつづけた。


「ぼくらには……家族の命に対する責任がある。おじさんとおばさんを――ぼくの家族も――ゾンビと言うはずかしめから解放してあげなくちゃいけない」


「それは……パパやママを……殺すっていうこと?」


「それは違う。おじさんやおばさんの体を勝手に操るゾンビと言う辱めから解放してあげるんだ。それは、家族がやらなくちゃいけない」


「……無理よ……私にはできないわ」


「大丈夫、ぼくが全部やってあげる」


来斗らいとが? ……だって、家族がやらなくちゃいけないんでしょ?」


「うん、そうだね。だから、……家族になろう。桃花」


 じいちゃんが言っていた。

 お前の守るべきものを守れって。

 家族が全員居なくなったぼくが守らなければならないもの。

 それが桃花だって、今気づいた。


 何度もうなずき、ぼくの胸にすがって泣きじゃくるこの女の子を、ぼくは一生かけて守ってゆく。そう心に決めたんだ。

 やっと桃花の嗚咽が治まりかけたころ、階段の方から「ずるり……がた」と言う音と「ヴぁあぁぁァァ」と言う唸り声が近づいてくるのが聞こえた。


「いいね?」


「……うん、お願い」


 部屋の鍵を外し、ドアを開け放つ。

 薄暗い廊下の向こうから、2体のゾンビが行儀よく順番に並んで近づいてきた。


 まず、ぼくに襲い掛かるゾンビの腕をつかみ、一気に床まで引き落とす。

 一回転して仰向けに寝転がったゾンビの眼窩に警棒を突き立てると、そのゾンビはびくんと痙攣けいれんし、おじさんの遺体になった。

 屈んだ状態のまま、もう一体のゾンビの足を刈り、反対の腕でお腹を押す。

 廊下に向かって、こちらも仰向けに倒れたゾンビの眼窩に同じように警棒を突き刺すと、こちらも動きを止め、おばさんの遺体となった。


  ◇  ◇  ◇


 桃花の部屋に、おじさんとおばさんは、仲よく並んで眠っていた。

 シーツをかけてあるので姿は見えない。

 だからこそ、祈りをささげる桃花とぼくには、二人のいつも通りの笑顔が思い浮かんだ。


「……これからどうしよっか?」


 顔を上げた桃花がぽつりと漏らす。

 ぼくは彼女の手を引いて、そっと立ち上がらせた。


「生存者を探して……大人と合流した方がいいと思う」


「生存者……? いるのかしら」


「居るさ」


「……?!」


 突然、桃花は両手で口を覆い、ぼくを見つめる。

 彼女が何に衝撃を受けているのか分からずに、ぼくはただ彼女の言葉を待った。


「ああ! 来斗らいと! 桜子が! 桜子を探しに行かなくちゃ!」


 そうだ、桜子ちゃんのことをすっかり忘れていた。

 今朝、学校へ一番乗りするんだと、早朝から小学校へ向かった桃花の妹。

 可能性は高いわけではないけど、生きているかもしれない。


 ぼくらは手を取り合い、小学校へと向かうことにした。


 いつものように、ぼくの家の庭を横切り、近道をする。

 その時、母屋の方から例の唸り声が聞こえた。


「……桃花、ちょっと待っててくれないかな。やり忘れたことがあった」


「うん。気を付けて」


 彼女を庭に残し、ぼくは土足のまま奥の和室へとまっすぐ向かう。

 部屋の中には、おじさんたちと同じようにシーツにくるまれた2つの遺体と、自ら腹を裂き、喉に御神刀を突き立てたまま両腕で這いずり回るじいちゃんの姿をしたゾンビの姿があった。


 ぼくはゆっくりとゾンビに近づく。

 父さんと母さんの命に対する責任を果たし、自らの命にも責任を果たそうとした、勇敢で尊敬できるじいちゃんのもとへと。


「じいちゃん……ぼくが……野鐘のがね家の家督かとくを継いだぼくが……ちゃんと責任を果たすよ」


 じいちゃんに教わった野鐘のがね流柔術の技を使い、ぼくに向かって歯をむくそれの眼窩がんかへと右手の指を突き立て、そしてそっとまぶたを閉じさせた。

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