大和 武志(やまと たけし)の場合(3/3)

 その日、すっかり忘れていたテレビのアンテナを、俺たちは設置することにした。


 二階のベランダにあるテレビのアンテナにケーブルを継ぎ足し、真っ直ぐに立てたアルミのパイプの先につなげて、元の場所に固定する。

 これだけで5メートルほど高く伸びたアンテナは、本島のテレビ局の電波をよく拾った。


「映った! 映りましたよ、大和やまとさん!」


「これでもう映画の残りを気にする必要もなくなるな」


 はしゃぐ真奈まなを横目に、俺は次々とチャンネルをザッピングする。

 国営放送のニュースが映し出されたとき、俺の指と真奈の動きは止まった。


『次のニュースです。昨日発表された通り、明日未明、鹿翅島しかばねじまへ向けて第五回目の救助隊が派遣されることになり、本日、自衛隊越中島こしなかじま駐屯地で壮行式が執り行われました。今回の派遣は、事件当日に行われた第一回から第四回の救助隊以降初めての派遣となります。国保こくぼ防衛相の講話によりますと、これは、これまでの救助人数から推測される最後の大規模な派遣になると思われ――』


――ピッ


 真奈の手が伸び、テレビのスイッチを切る。

 俺が顔を上げると真奈は顔をそらし、ブルーレイの収めてある棚へ、そそくさと向かった。


「おい、真奈――」


「――しょ……小学生はニュースなんか見ないんですよ! ね、やっぱり映画見ましょう! ほら、大和さんの好きな『広島抗争編』の続き! わたしあれが見たいです」


 棚の扉を開け、映画を探しているふりをしながら、それでもタイトルも見ずに指を滑らせる真奈の手を握る。

 ハッとして身を固くする真奈の体をくるりと回し、俺は腰をかがめてまっすぐに目を見つめた。


「真奈、救助隊が来る。お前は明日――」


「――明日はお料理教えてくださいね! わたし絶対上手になりますから!」


「聞けよ、真奈。救助隊が来るんだ。最後かもしれん。だから――」


「――大和さんは……」


 そらしていた目をこちらへ向け、真奈は意を決したように口を開く。


「大和さんは、わたしが邪魔ですか?」


「そうじゃない。そういうことじゃないんだ――」


「――じゃあ! ここに居させてください! 料理も覚えます! お掃除だって、洗濯だって、何でも上手にできるようになりますから! わたしを……真奈を大和さんの家族にしてください!」


 真剣な目だ。

 四十年近くも生きてきて、こんなにまっすぐで真剣な目は見たことが無いほど、真剣な目だった。


 確かに親戚もおらず、家族も全員ゾンビに成り果てた真奈が本島へ戻っても、つらいことが多いかもしれない。

 それでも。


「……それでも、真奈はまだ小学生だ。学校に行って、友達を作って、少しずつ大人にならなきゃいけない」


「真奈は……もう、大人です」


「ああ、そうかもしれんな。でもな……俺は違う。この年になっても、俺はまだ一人前の大人になっちゃいないんだ。だから、真奈の家族には……まだなれない」


「でも……じゃあ、一緒に島を出ましょう?」


「分かってるだろ? 俺はこの島を出たら犯罪者だ。どのみち一緒には居られんよ」


 俺の境遇については、任侠映画を見た後にぽつぽつと話してはいた。

 映画のストーリーと合わせることで、なんとなくではあるが理解は出来ているのだろう。


 真奈はまた目をそらし、足元を見つめた。

 うつむく真奈の頭にぽんと手を乗せ、俺は立ち上がる。


 真奈はこぼれそうになる涙を我慢していた。


「だから、真奈。俺が大人になるまで、少し離れて暮らさないか」


「……少しって……どれくらいですか」


「そうだな。真奈が小学校も中学校も、そして高校も卒業するくらいか」


「長すぎます!」


「そうでもないさ。七年なんてあっという間だ。そのころになっても真奈がまだここに住みたいって言うなら、いつでも戻って来ればいい」


 真奈の頭に手を乗せたまま、俺は自然に笑ってそう言うことが出来た。

 しばらくそのままの時間が流れる。


 やがて、真奈は顔を上げた。


「その時には……真奈を家族に……お嫁さんにしてくれますか?」


 真奈の言葉に、俺は息をのむ。

 家族になるってのはそっちの話だったのか。

 真奈を養子にするくらいのつもりでいた俺は、頬の傷がひくひくとひきつるのを感じた。


「お……お嫁さんってなぁ、真奈。俺はお前の親より年上なんだぜ?」


「恋愛に年なんて関係ありません。約束してくれないなら、真奈は絶っっっ対にこの島を出ませんから」


 ヤクザの俺が引くくらいの怖い顔で、真奈が笑う。


 小学生の女の子特有の、一時の気の迷いだろう。

 中学、高校と学年が進み、同じ年頃の男と付き合うようになれば、すべては笑い飛ばせるような話のはずだ。


 俺は真奈の頭から手を離し、ため息をついた。


「……わかった。約束だ。その時、まだ真奈が俺と結婚したいって思っていたなら、結婚しよう」


 四十路よそじも間近のヤクザが、小学生相手に何を言っているんだ。

 俺は居心地悪く、頬の縫い傷をポリポリと指で掻いた。


「じゃあ、約束の……キス、してください」


 真奈は目をつむり、顔を上に向けて唇を突き出す。

 女の子とは言っても、やっぱりまだ子供だ。

 タコみたいなその格好に、俺はやっと余裕を取り戻した。


 真奈のおでこに手を乗せ、前髪を掻き上げる。

 ぴくっと体を硬直させる真奈に向かって体をかがめ、俺は唇の先で、おでこに軽く触れた。


「……大和さん……大好きです」


「……ああ、分かってる」


 両手を首に回して抱きつく真奈の背中を、俺はぽんぽんと優しくなでる。

 分かってる。

 真奈が俺を好きでいてくれることも、それが一時の気の迷いであることも。


 そして、俺が真奈を大切に思っていることも。


  ◇  ◇  ◇


「忘れもんはないか?」


「大丈夫です」


「そうか、じゃあ念のためもう一度トイレに行っておけ」


「もう! 子供じゃないんですよ!」


「いいから行っておけ。他の場所じゃ水も流れないんだぞ」


「あ、そっか。は~い」


 真奈まながトイレに行っている隙に、用意したリュックの底へ、百万円の束を5つビニール袋に包んだものを忍ばせる。

 もともとはオジキたちが餞別として置いて行ってくれたものだが、どうせ鹿翅島しかばねじまでは日本の金を使う場所なんてないのだ。


 真奈が大人になるまでの資金としては足りないだろうが、それでも、俺がもっているよりは役に立つだろうと思った。


「おまたせしました」


「よし、行くか」


「……はい」


 俺たちは買い物に行く時と同じように、ガレージの自転車に乗る。

 晴れ渡った秋空の下、自転車は快調に坂を下った。


 テレビの情報によれば、第一回の救助隊が中央広場へ降りたときには、大量のゾンビがヘリコプターのローター音に引き寄せられ、現場は大変なことになったらしい。

 その反省を踏まえて、二回目から四回目の救助隊は、バリケードで囲まれた消防署の屋上で行われた。

 今回も、救助は消防署で行われる。


 俺たちは昨日のうちに調べておいた消防署へと、自転車を向けた。


「へぇ、案外生き残ってるもんだな」


「ほんとだ。思ったより人が多いですね」


 俺たちが消防署が見える場所に到着したのは午前9時。

 10時に来る予定の救助隊を待って、すでに消防署の屋上には10人以上の人間の姿があった。

 それに加えて、消防署の周囲にもゾンビの数が多い。


 消防車と有刺鉄線で作ったバリケードを越えればゾンビは入って来ないとはいえ、あそこにたどり着くだけでもなかなか骨の折れることになりそうだ。

 俺は肩をぐるぐる回して槍を手に取り、自転車を降りた。


「行くぞ、真奈」


「え? まだ、もう少しいいじゃないですか」


「もういつヘリが来るか分からん。ヘリが来たらローターの音で、今どころじゃない数のゾンビが集まって来るだろう。今しかないんだ」


 真奈は頭のいい子だ。

 俺の言っていることが分からない訳はない。


 それでも、自分の気持ちを整理するのに少しの時間がかかり、俺はそれをじっと待った。


「……わかりました。おねがいします。大和やまとさん」


「よし、離れずについて来いよ」


 槍を構えた俺の背中に、真奈がぴったりとくっつく。

 深く深呼吸して、ゾンビのうろつく大通りへと、俺たちは足を踏み出した。


 普段よりは多いとはいえ、さばけない数ではない。

 予想の範囲を超えることなく、ゾンビを刺し殺しながら、消防署へと進む。


 中間地点を越え、真奈を無事に送り届けられると確信を持った俺の頭上に、遠くからヘリの音が聞こえてきた。


「まずい。急ぐぞ」


「はい」


 ヘリが消防署の屋上にたどり着きでもしたら、周囲のゾンビが群がってくるのは目に見えている。

 だが、それにはまだ数分の猶予があるはずだった。


「おーい!」

「ここだー!」

「助けてくれー!」


 消防署の屋上で、逃げてきたヤツらが大声で叫び始める。

 その声はヘリの音より何倍も、ゾンビの食欲を刺激した。


――ぞわっ


 空気が振動した。

 周囲のゾンビたちが、一斉に消防署を目指す。

 さらに悪いことに、俺たちとは別の方角から、けたたましい音を立てたバイクがゾンビを引き連れてやってきた。


 バイクは消防車の前にスライドして止まり、乗っていた男は叫び声をあげながら消防署へと逃げ込む。

 ほんのわずかの差でそこにたどり着いた俺たちの見ている前で、その男は通路がわりになっている消防車のドアのロックピンを下ろした。


「なっ?! バカ野郎! まだ人がいるんだ! 開けろ!」


 ドアを殴り、叫んでも、男は意に介さずに奥へと走り去る。

 畳み掛けるようにヘリが到着し、俺たちの周囲はゾンビで満たされ始めた。


「大和さんっ! ゾンビが!」


「くそっ! 開けろっ! 真奈を! 真奈を中に入れろ!」


 寄ってくるゾンビを蹴り飛ばし、刺し殺し、消防車のドアを殴る。

 しかし、頑丈に作られた消防車のドアが、殴ったくらいで開くことはなかった。


「大和さんっ! 逃げよう!」


「ダメだ! これが最後の救助隊かもしれないんだぞ!」


「だって!」


 周囲はもうゾンビの海だ。

 槍を振り回し、周囲に空間を作る。


 そこにできた奇跡のような一瞬に、俺は真奈の体を持ち上げた。


「大和さんっ?!」


「真奈っ! 生きろっ!」


――ぶんっ


 普段の力の何倍もの力が出た。

 大きく弧を描いた真奈は、かわいらしいスカートをひらめかせ、ふわりと消防車の屋根の上に着地する。


 それを見届けた俺は、頭を両手で抱え、ゾンビの海の中へと突っ込んだ。


「いやぁぁ! 大和さんっ!」


 真奈の絶叫が響く。しかし俺はゾンビの海を抜け、自転車にたどり着いた。

 真奈を安心させるように、大きく手を振り、自転車にまたがる。


「俺は大丈夫だっ! 行けっ! 生きるんだ、真奈っ!」


 うなずいた真奈が消防署の中へと飛び降りるのを見て、俺は小さく笑い、その場に崩れ落ちた。

 腕やわき腹に、いくつかの噛まれた跡がある。


 ゾンビから受けたこの小さな傷が致命傷であることは、今まで見てきた経験で分かっていた。


 だが、もしヘリから真奈が俺の死体を見つけたら、心配するだろう。

 俺は最後の力を振り絞り、もう一度自転車にまたがった。


 飛び去るヘリに向かって、小さく手を振る。

 救助隊の人間に見つからないように。

 真奈にだけ分かるように。


 疲れた。

 さっさと家に帰って風呂に入ろう。


 そしてブルーレイで『広島抗争編』を最初から見るんだ。


 明日の朝飯は、トーストにトマト、カリカリのベーコンと、それから……半熟の目玉焼きサニーサイドアップ


 真奈に、……作り方を、……教えて、……やらないと……な。


 そして俺の意識は、暗闇に沈んだ。


――大和 武志(やまと たけし)の場合(完)

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