太田沢 姫(おおたざわ ひめ)の場合

◇コメディ◇ヒューマンドラマ

太田沢 姫(おおたざわ ひめ)の場合

 今日は、朝からソンビだったの。


 太田沢おおたざわ ひめは、その日の日記にそう記すことになる。


 サークルの飲み会の翌日。

 昼近くまで寝ていた彼女のサークル用グループSNSには、沢山の未読メッセージが書き込まれていた。


『姫! 無事でござるか?!』

『各員に告ぐ! マルナナマルマル時までにサークル室へ集合せよ!』

『糖質カロリーさんがやられた!』

『糖質ぅぅぅぅ!!』

『バスターミナルゾンビだらけwwwww』

『ヤバい! ゾンビのたいg』


 上記のようなメッセージに加えて、大量のスタンプと時々ゾンビの写真や動画まで。

 朝の7時以降は姫の生存を確認するメッセージが数十分おきに表示されるだけになっていたが、それでもその未読メッセージ数は3ケタを軽く超えていた。


「朝の5時半からSNSに100件以上のメッセージとか、いくら姫の事が好きでもさすがにひいちゃうぞ」


 あくびをかみ殺してそう独り言を言いながら、『今起きちゃったー。どうしたの? ゾンビなの?』と書き込む。

 送信ボタンを押して1秒もかからずに、グループSNSの画面は『ぶひぃぃぃ! 姫ぇぇぇ!!』『姫ちゃん無事やったん!?』『姫殿下! 無事でござったか!』などと言うメッセージで埋まり、姫は興味なさそうにウィンクしているアニメキャラのスタンプを一つ返した。


「ゾンビかぁ。そういえばもうすぐハロウィンよね」


 スマホをベッドに放り投げて、姫は部屋のカーテンを開く。

 この鹿翅島しかばねじまでは一番高層のマンション、『ハイタワーレジデンス鹿翅しかばね』の最上階である20階の部屋の窓からは、他に高いビルもそんなに無いため、周辺の様子が良く見えた。

 確かに、ゾンビらしき人影が往来をうようよ歩いている。


「ほんとだー。すごーい、ゾンビだー」


 スケスケのワンピースのようなネグリジェを無造作に脱ぎ捨て、シャワーを浴びると、彼女は気合の入った甘ロリ服に身を包んだ。

 メイクエプロンをつけ、念入りに化粧をする。

 1時間ほどかけて姫の顔を描き上げると、彼女は満足してニッコリと笑い、メイク道具を片付けた。


 その間にもSNSは何度もメッセージを表示している。

 ちょいちょいと小指でメッセージを流し、姫は困ったように眉をしかめた。


「迎えにって……姫のおうちの場所、サークルの人には教えてないはずだけどなぁ」


 そう独り言をいう彼女を待ち構えていたかのように、部屋のインターホンが音楽を奏でる。

 カメラのスイッチを入れると、1階ロビー前の映像がモニターに映し出された。


 ゾンビ、デブ、ガリ、ゾンビ、厨二、マッチョ、ガリマッチョ。


 教えたはずも無い家の場所を知っていたサークルのメンバーたちに、姫は少しの戦慄を覚える。

 その躊躇する一瞬の間に、モニターに映っていたゾンビ2体は、黄色いトラックスーツを身にまとったガリマッチョのヌンチャクと、全身黒づくめで無意味に眼帯と包帯を巻いた厨二のバタフライナイフで倒されていた。


「すごーい、どうして姫のお家知ってたの?」


 ロビーのロックは解除しないまま、彼女はインターホンに向かって口を開く。

 その声を聞いて、ロビー前に集まったサークルのメンバーから喜びの歓声が上がった。


「ねぇねぇ、姫びっくりなんだけど、どうして?」


「ぶひひ……それはもちろん尾行……」


 答えようとした萌えアニメTシャツを着たデブの口が慌てた仲間に塞がれる。

 デブを引きずり倒し、赤いバンダナを頭に巻いてケミカルウォッシュのGジャンを着たガリが代わりに前に出た。


「拙者たちは姫の事なら何でも知っているでござるよ! それより軍曹殿が盗聴した警察無線によれば、救助のヘリが30分ほどでバスターミナルに着く予定でござる。姫もご用意を」


 軍曹殿、と言うのは全身迷彩柄の衣服に身を包んだ、この秋口だと言うのにタンクトップ一枚姿のマッチョの事だ。

 ちなみに、細い方のマッチョはジーくん。厨二はメギド。引きずり倒されたデブはバタビン。今喋っているガリは……なんと言ったか?

 姫は思い出せずに頭をひねった。

 まぁガリでいい。直接話しかけなければ問題にもならないだろう。


「……姫? 大丈夫でござるか?」


「あ、うん。今からいくねー」


 インターホンのスイッチを切り、姫は外出の用意をする。

 エレベーターから出た姫がロビーの外を見ると、さっきまでは居なかったゾンビの死体が、3つ4つ増えていた。


「ごきげんよう」


「ぶひひ、姫、乙!」

「姫殿下、相変わらずお美しゅうござる」

「……姫、俺が必ず守る。安心しろ」

「ヒトマルヒトゴ、姫回収完了!」

「姫、今日もかわええなwww」


 姫の挨拶に、それぞれがコミュニケーション取れているのか取れていないのか、微妙な返事が返ってくる。

 彼女は彼らを引き付けてやまない笑顔で頷くと、真っ白なレースの日傘を開き、肩に担いだ。


「じゃ、行こー」


 バスターミナルはここから徒歩10分程度の距離だ。

 姫を中心にして周りを囲むように散開したサークルメンバーを引き連れて、彼女は散歩を開始する。

 数十メートル進む間にも、ナイフやヌンチャクや金属バットや特殊警棒で、次々とゾンビが倒されていた。


「いい天気ー」


 手のひらをいっぱいに広げて口を隠し「ふわわぁ」とあくびをした姫の後ろで、ズジャアァっとゾンビが地面に打ち倒され、軍曹が金属バットで頭を潰す。


「全くもってその通りでござるな」


 バンダナのガリが相槌を打ち、その向こうでジーくんがヌンチャクでぼこぼこにしたゾンビの頭を踏み抜き、「ほちゃぁぁぁぁぁ」と悲しげな表情で震えた。


 サークルのメンバーが次々とゾンビを倒すのを退屈そうに見ていた姫は、少し離れた場所でイケメンがゾンビに襲われているのを発見し、大声を上げた。


「たいへん! みんなー! あの人を助けてあげてー!」


「御意!」


 なぜかバンダナのガリが返事をして、「さぁいくでござる!」と指示をする。

 一人「俺は誰も命令も受けない」とナイフをしまったメギド以外のメンバーは「応!」と声を合わせると、イケメンに群がろうとしていたメスのゾンビを吹き飛ばした。


「ねぇあなた、大丈夫?」


「……助かったよ、美しい人」


 駆け寄る姫にそう答えたイケメンは、さも当然のように姫の腰を抱き、寄り添った。

 姫は頬を染め、ガリに命じて救助が来ると言う情報をイケメンに教える。

 彼女の手を握り「一緒に逃げよう」と瞳を見つめるイケメンに、姫は「えぇ」と答えた。


「……解せぬ」


 つぶやくバンダナのガリ。

 メギドが「おい、俺の姫に……気安く触るんじゃねェ」とイケメンの肩に手を掛けると、引き伸ばされたセーターの襟ぐりから、チラリとゾンビの噛み傷がハッキリと見えた。


「やめなさいよぉ! あたしのイケメンちゃんにひどいことしないで!」


「大丈夫だよ、美しい人。僕はやっかまれるのには慣れてる」


 2人の世界に入り込む姫とイケメンを置いて、ガリはサークルのメンバーを集め、イケメンの背中にゾンビに噛まれた跡があることを報告する。

 今はまだゾンビ化していないが、それは時間の問題だ。

 我らがサークルの姫をゾンビから救わなければならない。


「イケメン、排除すべし!」


 彼らに結論が出るのはすぐだった。

 シュプレヒコールを上げて、それぞれの武器を構え、姫とイケメンを取り囲む。


 その姿を見た姫は、イケメンの手を取り、逃げ出した。


「なんでぇ~?」


「そいつは危険でござる!」


「ぶひぃぃぃ! 姫ぇぇぇぇ!」


「俺が……殺す!」


 それぞれが殺意を口に上らせバラバラに追う。

 裏路地に入り込み、何とか追っ手を撒いたと思った姫が、道に張られたワイヤーに足を取られたのはその時だった。


「きゃっ!」


 一緒に倒れた姫とイケメンを見下ろすように、ワイヤーの端を持った軍曹がゆらりと姿を現す。


「目標捕獲。これより殲滅にかかる」


 金属バットを振り上げ、イケメンの頭部にゆっくりと狙いをつける。

 その間に、姫はグループラインにあるメッセージを流した。


――グシャ


 金属の棒が頭にめり込み、血が噴き出す。

 思わず目を瞑った姫の目の前で、金属バットを持った軍曹がどさりと倒れた。


「ぶぶぶ……ぶひひ……姫、これマジだよね? ぶひ……ログ残ってるからね」


 軍曹の脳漿にまみれた特殊警棒を片手に、もう一方の手でSNSの表示されたスマホを見せながら、バタビンが立っていた。


『助けて! 助けてくれた人の言うこと何でも聞いちゃうから! おねがい』


 姫のアイコンから出た吹き出しには、そう書いてあった。

 彼女はバタビンに向かって何度もうなずく。

 それを見て「ニチャア……」と笑ったバタビンが、次の瞬間、軍曹の死体の上に崩れ落ちた。

 背中に突き立ったバタフライナイフを引き抜いて、メギドが立ちふさがる。

 そして、さらにそれを押し倒すように、ジーくんが倒れ込んだ。


 一番後ろで「バチバチっ」と火花の散るスタンガンを手に持って立っていたのは、未だに名前もあだ名も思い出せない、バンダナのガリ。


「ふふふ……悪いな皆の衆。姫の処女は拙者が頂くでござるよ……」


 そう言ってよだれを拭いたバンダナのガリに、イケメンが飛びついた。


「ヴぁあぁぁァァアアぁ!」


 ゾンビと化したイケメンは、何度もスタンガンの電撃を受けながらもバンダナのガリの首を噛み千切る。

 無心にそこに積み重ねられた死体を食い漁るイケメンゾンビの後頭部、脊髄の部分を狙って、姫の鋭い日傘の先端が「ずぶり」と差し込まれた。


「イケメンでもゾンビはやだぁ」


 真っ白い日傘が赤黒く染まってゆく。

 姫はもう一度体重をかけて傘を奥深くまで差し込むと、イケメンゾンビが動きを止めたのを確認して、にっこりと笑った。


 護衛は居なくなってしまったが、バスターミナルはもう目と鼻の先だ。


「救助に来る自衛隊の中に、イケメン居るかしら?」


 そう呟いてイケメンから日傘を引き抜くと、姫はバスターミナルへ向かって、散歩を再開した。



――太田沢 姫(おおたざわ ひめ)の場合(完)

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