22.

「馬鹿野郎、どうして連れて来たりしたんだよ!!」

 閉ざされたドアの向こうからは怒鳴り声が聞こえる。

「だって、こんなところほっつき歩いてるガキなんてメッチャ怪しいじゃねーすか。敵のスパイっすよスパイ」

「んなわけあるかこのアホが! 詰めるにしてもだなあ、通りの物陰とかでやんだよ! ここが割れたらどうすんだ!」


 あの後私はナイフを突きつけられたまま路地を歩かされた。誰ともすれ違わず、助けを呼ぶ余地もなかった。

 あるドアの前で突然中に押し込まれる。倉庫と事務室の中間みたいな部屋を横切って、今いる小部屋――というよりは物置に近い――に閉じ込められた。

 ドアの鍵がかかり、足音が遠ざかったのを聞いてからも、しばらくは何もできなかった。


 身体の震えが止まらなかったからだ。


 ケータイを取り出したのは、しばらく経って、恐慌状態から脱して、その上で、近づいてくる足音がないことを確かめてからだった。

 けど、当然のように圏外だった。非常通報を起動してもだめ。公衆ネットワークの方もパスワードがかかってないものはない。

 バックパックの中も探してみたけど、やっぱり通報装置はなかったし、助けになりそうなものもなかった。

 そもそも、ここがどこだか見当もつかない。おそらく大した距離は歩いてないけど、ビルの谷間を歩いてる時に方向感覚なんてないし、このあたりは全く歩いたことがない。


「あーもうコイツはよお、いったいどうすりゃいいんだ。ガキを殺すのはリスクがデカすぎる。しかし解放するにしてもここを放棄しなきゃならねえ。クソッ、せめてあのお方が到着してからなら」

「何悩んでるんですか、さっさとやっちまえばいいんですよあんなガキ」

「うっせー誰のせいだと思ってやがるこの野郎、まともに考えられないなら少し黙ってろ」


 ドアの外では、いつの間にか別の男が部屋に入ってきて、それからずっと言い合いを続けている。

 八方塞がりだった。一体どうしてこんなことになってしまったのだろう。そりゃあ、私の不用意さが悪いのはある。でも、それってここまでひどいことになるほどのものだろうか。

 泣き出しそうになるのを必死でこらえる。



 ブッブッ。


 突然、ケータイの通知が鳴って心拍数が跳ね上がる。バイブレーターの音に気付かれなかったかと思ったけど、彼らは相変わらず口論に夢中で、こちらの様子に気づいた様子はない。

 もしかして、位置によっては電波が入るとか? 私は、ポケットから取り出す前に手探りでサイレントモードにしてから、一縷の望みをかけて、スマートフォンを取り出す。

 しかし、通知の内容は電子タグリーダーのものだった。おそらくはミニノートに挟んだままのアレが反応したのだろう。私は脱力した。


 失意に打ちひしがれて、どうにかなりそうだった。閉じたまぶたの上から手を当てて深く息をする。少しだけ落ち着いたところで、私はまたケータイのロックを解除する。

 こうなったらもうヤケクソだ。あそこまで威勢のいいことを並べたんだ、そのゆかいなこととやらの力を見せてもらおうじゃないか。どうせどのみち、他に何かできることもない。


 私は、タグの読み込みを開始する。


 タグの読み込みには少し時間がかかった。読み込みが終わった後、開かれたのは標準のメッセージアプリだった。


> インターネット接続なし 

> 位置情報なし

> Fallbackモードで動作します...

>

> お困りですか (y/n): y

> 非常事態にありますか?(y/n): y

>

> しばらくお待ちください..........


 しばらくの間があってから、長い文字列がメッセージにて送信されはじめた。英数字と記号がランダムに合わさっているように見えるそれは、おそらくは何らかの暗号で、当然人が読めるものではない。

 驚いたことに、メッセージはちゃんと送信されているようだった。メッセージの上限文字数を越え、何通にも分割されて、画面が埋め尽くされていく。

 一体どうやって。私は画面の上端を見る。さっきまで圏外だった通信状況が、弱いながらも通信可能になっていることに気づく。

 ただし、それは異常な形でだ。


 私のケータイは、ちょっと特殊なモデルだ。

 伯母の職場のような電波状況の悪い場所に出入りする人や、国外での使用が多い人向けに、古い通信方式が使えるタイプのモデルが、数は少ないけど用意されている。通信インフラが貧弱な環境にある郊外の住人は、そういったモデルを選ぶことが多い。私もその一人だ。

 実は都心にも古い形式を受け入れる基地局が残ってるんだと、“兄さん”に聞いたことがある。私有地の中に置かれた特殊な局や、立ち入りができなくなってしまった場所にある基地局が、未だに稼働しているのだという。

 でも、沢山の無線通信が飛び交う状況で古い方式の通信を始めてしまうと、周囲の機器に対する妨害になってしまう。そのため、都心部では自動で通信方式にロックがかかって使用できなくなる。手動での解除もできない。

 そのはずだった。

  

 今目の前で交わされている通信は、まさにその形式で行われていた。


> 現在位置を推定しています..........

> 周囲の利用可能なネットワークを走査しています..........

> 支援リソースの割り当てが完了しました

> - Address: xxxx:xxxx:xxxx:xxxx:xxxx:xxxx:xxxx:xxxx

> - Negotiation method: Ultrasound

>

> あなたはそこから逃げたいですか?(y/n):


 私は迷わずyを送信した。


> 指示に従ってください。

> ケータイをポケットにしまって、すぐに動き出せる用意をして、周囲をよく見て


 最後にそれだけ表示してから、ひとりでに画面のロックがかかった。

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