24.
「おい、インスペクタ取ってこい。プローブフルセットでだ」
しゃがれた声に、若い方の男がへーいとやる気のない調子で応えて、私から遠ざかっていく。必要な何かを後ろの物置から探すのだろう。
「んじゃ、嬢ちゃんには自己紹介してもらおうじゃないの。そこ立ってもらおうか。両手は掲げて見せたままだぞ」
顎で指されたとおりに、私は立ち上がる。男はさっきまでの姿勢から右へと回り、机を背にして椅子に腰掛けたまま、スラックスのポケットを探っている。私はそれに向かい合って立っている格好だ。
「ええと、あれ、ペンどこやったかな、っと。ああ、クソッ、背広ん中か。嬢ちゃんはそこ動くんじゃねえぞ。逃げたら命は保障しねーかんな」
男は立ち上がると、私の前を通り過ぎ、部屋の右側の壁にあるコートハンガーに吊るした上着のポケットに手を入れている。
私が顔を上げると、妙なことに気付く。
部屋の端にある大きなディスプレイの電源が入っている。
画面には大きく、青いリングが映る。明るさは控えめだけど、ドライブのときに見たリングと同じ、あの青色。リングの内側には、場違いなほどコミカルなアイコン。人差し指を立てた私語禁止のマーク。
ちらりと横を見る。男がそれに気づいている気配はない。背後からはガサゴソとものを探す音が続いている。
画面がリングごと消えると、次は左向きの大きな矢印、アニメーションつき。そして部屋の見取り図。部屋の真ん中辺り、ちょうど私が立っているあたりから、左の通路へと矢印が伸びる。そのまま矢印は突き当りのドアを通り過ぎて、まっすぐ画面外へと消える。
そして最後に、赤いリングが時計回りに走り出す。真ん中の数字が十から九、八、七と減っていく。
私は、これが指示だと確信した。そして、それに従う覚悟を決める。
カウントダウンは変わらないペースで進んでいく。
五、四、三、二、一、そして。
ゼロになった。
私は走り出す。
「あっ、おい!」
足音への反応が遅れたのを一瞬だけ横目に見る。その後はもう、振り返る余裕なんてない。
人ひとりがやっと通れるくらいの暗い通路を、棚から飛び出した段ボールにぶつかりそうになりながら、私は全力で走る。
「逃げても無駄だぞ! ドアは全部ロックされてるかんな!!」
男の声が後ろから追いかけてくる。無視してとにかく前へ走り続ける。
さっきの図の通りに、行き止まりのドアが見えた。私はそれに両腕でぶつかる。すこし足に力を入れるだけでドアはあっけなく外へと開き、目の前には、人と人とがかろうじてすれ違えるくらいの細い道が、ビルの間にまっすぐ続いている。
「おい、なんで鍵かけてねーんだ、アホじゃねえのか。早く鍵開けろ!」
「バカなこと言わねーでくださいよ、あれ自動ロックっすよ」
男たちが喚いている声を尻目に、私は外へと飛び出す。
一瞬だけ振り返ると、白く塗られた金属製のドアは、すでに閉まっていた。背後からドンドンと叩く音が聞こえる。
それに構わず、私はまっすぐ逃げ続けた。
何分走った頃だろう。何十秒? 何十分?
どれくらい逃げ続けたのかわからなくなったころ、ビルの軒先に掲げられた電光掲示板が点灯しているのが視界に入った。
怪しい店先によくある、安っぽいディスプレイ。そのオレンジ色の光が、左向きの矢印を表示している。その動きは、さっきディスプレイに写ったのと同じアニメーション。
その下で立ち止まり、矢印の方向を見る。その先には今いるのと同じくらいの細さの道があった。
考えるより先にそちらへと逃げ込む。
通路は一本道で、これはすぐに一回、右へ九十度曲がり、そこで行き止まりになった。ドアの類もない、完全なデッドエンド。
引き返す? でも、そうするには、私の息も足も限界だった。
私は立ち止まり、ふらふらと壁に背中をつける。
途端、ケータイに着信。
ただでさえ上がっている心拍数が、今度はゼロになるかと思った。
ポケットの奥から手間取ってようやく取り出したケータイを、震える手が落としそうになったのをかろうじて受け止める。
発信者は通知を拒否している。このケータイは未通知を拒否する設定だから、こんなことありえないはずだった。
私は、通話に出る。
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