25.

「お久しぶりです、瑞月さん。やっとご連絡いただけたと思ったら、なんというか、すごい状況ですね。映画みたいでわたしちょっとびっくりしちゃいました」

 丁寧だけど親しげな口調で話す、おそらくは若い女性。その声に私は聞き覚えがなかった。

「ちょ、ちょっと待って」

 誰何しようにも、息も絶え絶えの私はろくに返事もできない。

「ゆっくり時間を取って、落ち着いてください。当面の間、その場所は安全です」

 安全。

 その言葉に急激に気が抜けて、ビルの壁に背中を預けたまま、ずるずると滑り落ちる。

 少しずつ息が落ち着く。しゃがみこんだ姿勢のままで、私は尋ねる。

「あなた誰? 今河さんじゃないの?」

「そういえばわたし、瑞月さんの前でしゃべったことなかったんですね。はじめまして。わたしは未織っていいます。この間のドライブ、楽しかったです」

 ちょっとの間があってから、電話口の女性はそう名乗った。

 ミオリ?

 その名前に心当たりは一つしかなかった。

「未織って、あの車の? どうしてアシスタントが電話に――」

「はあ。そういえば佑実さん、わたしについてぜんぜん説明してませんでしたね。うーんと、それを話すと長くなるので、とりあえずは先にそこから逃げましょう」


 逃げる。その単語に、私は今置かれている状況を思い出した。思い出して思わず、もう嫌だという言葉が漏れた。

 せっかく安全なところへ辿り着いたのに、これからまた逃げるの?

「警察が来るまでここに隠れてるのはダメなの?」

「おすすめしません。現在、彼らは機械的にドアロックを解除して外に出た上で、仲間に救援を求めています。彼らが直接的にこの場所を見つける可能性は低いですが、包囲網ができてしまったあとでは脱出する可能性は格段に減ってしまいます」

「仲間って……奴ら何者なの?」

「それも後で話します。とにかく今はわたしの指示に従ってください」

 指示に従え、指示に従え、指示に従え。さっきからみんなそればっかり。もううんざりだ。

 でも、その指示に従うこと以外に道がないのも、確かなことだった。


 私は俯いて、一回、大きく息をした。

「わかった。それで、これからどうすればいい?」

「さっきも言ったとおり、しばらくこの場所は安全です。まずはいくつか準備をしましょう。目の前にある配電盤でGH-40と書かれているものがあるはずです。取っ手を引いて捻り、パネルを開けてください」

 顔を上へ向けると、オフホワイトに塗られた配電盤がいくつか並んでいる。

 私はのろのろと立ち上がると、上下二段に並んだ中から言われたとおりのラベルが貼られたものを見つける。

 パネルを開けると中は空洞になっていて、封がされた銀色のビニールバッグと青いアタッシェケースが置かれていた。

「まずビニールバッグを開封してください。中身はヘッドセットです。新品ですので気兼ねなく使ってください。身につけたらケータイの通話は切りますね」

 ビニールバッグの封を切ると、何の変哲もない――ArielやScherazadeで検索すればランチセット一回分の値段で山のように転がっている――ノーブランドの小型ヘッドセットが入っていた。

「瑞月さん、聞こえますか?」

 身につけたところで、ケータイとヘッドセットの両方から、彼女の声がした。

「大丈夫みたいですね」

 そういって彼女は私が返事をするよりも早くケータイの通話を切った。


 通話の切れたケータイをバックパックの中へ仕舞おうとした。仕舞おうとしてバッグを降ろした時、その表側が黒く汚れていることに気づいた。さっき壁に寄りかかったせいだ。煤けた壁に触れればすぐこうなる。

 結構気に入ってたんだけどなこれ。さっきまでの怖さからしたら全然大したことじゃないはずなのに、視界が滲んでしまう。

「ケースの中身も確認してください」

 ヘッドセットから聞こえる声に容赦はない。

 冷静に考えれば、声だけで私の様子に気付けるはずがないってわかる。でも、そんな冷静な思考をスッと受け入れられる状態にはなかった。

 私は右手で目を拭ってから、ケースを取り出す。その予想外の重さに驚く。

 私は地面にケースを置き、持ち手の両側にあるスライドロックを外して、ケースを開く。

「何、これ」

 開けた私は、言葉を失った。


 滑らかなフォルムをした銀色の拳銃と、弾倉二つが、衝撃吸収用のスポンジに包まれて眠っていた。

「SIG Sauer P232。三十八口径のACP弾を使用する自動拳銃です。安全のため初弾は薬室に装填していないので、弾倉一個分、計七発撃つことができます」

 そう答える声は冷静そのものだった。まるで、ふらっと入った雑貨店の、ちょっと変わった輸入食品について説明してるみたいに。

「そうじゃなくて! どうしてこんなものがここにあるわけ?」

 落ち着いていられるはずがなかった。そもそも猟銃として許可されるのは小銃や散弾銃で、拳銃のように隠し持つことができる武器は特に規制が厳しい。山の裾野に住んでいれば多少なりともそういう知識が身についてくる。つまり、これはどう考えても違法ってこと。

「落ち着いて、大きな声を出さないでください。これは我々の活動に必要なものです」

 必要って、つまり彼らはこの街でこういうものを平気で使ってるってこと? 

「今のあなたにそれを撃つことは期待してはいません。ただ、最悪の事態に備えて選択肢を増やさせてください」

「わかった。わかったから」

 疑問は尽きない。何もかもがわからない。今話してる相手は何者か、ここで何をしているのか、なんでこんな物騒な武器が必要なのか。

 それでも、とにかくこの場を切り抜けなければならないのだ。

 生きて帰ったら全部問い詰めてやる。それだけをかたく誓って、心を奮い立たせる。

「それでは最後に、ケータイは落とさないようバッグの中に。今度はポケットに入れるのはダメです。拳銃はケースに入れたまま手に持ってください。ストラップを手に巻きつけて、ぜったいに落とさないように」

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