10.
そこは駐車場だった。
コンクリート打ちっ放しのがらんとした空間。かつて、手動運転の自動車がこの街の主要な交通手段だった頃の名残。
でも、ちょっと見ればここが不自然なことに気づく。
もう誰も使っていないはずなのに駐車場の電気がひとりでに点いたこととか。ホコリまみれになっていないこととか。
マップアプリに表示された目的地は地下三階だった。随分大きな駐車場だ。もしかしたら、隣のビルのぶんもあわせて車を引き受けていたのかもしれない。
フロアの移動は車道のスロープを使えばいいとして、その前に一つだけ確かめたいことがあった。ただの個人的興味だけど、これくらいの回り道は許されてもいいだろう。
建物の壁に沿って歩くと、二回角を曲がったところで目的のものを見つけた。
うん、やっぱり。最初に入ったビルにもつながるドアがあった。
とはいえ、地下の機械室に入れたかどうかまではわからないから、判断ミスだったとは言い切れないだろう。
満足した私は来た道を戻って、スロープの方へと向かう。
目的地にたどり着いた。上二つのフロアと同じような駐車場だ。
そこに、一台の自動車が止まっていた。赤色が鮮やかな高級ブランドの車。
ゴールの目印にしても、さすがにあからさますぎない?
時計を見る。期限二分前。結構ギリギリになってしまった。
正面から近づく。車の四隅にはセンサーが埋め込まれている。たぶん、映像と三次元形状を見るためだ。自動運転車にはお決まりのやつ。職場見学でのミニトの説明でも話が出てきていた。
ヘッドライトをひと睨みしてから、運転席側へと回る。前後のドアガラスをフルスモークにするのって違法じゃなかったっけ?
そんなふうに分析しながら、車の後側へと回った私はドン引きした。マフラーがやたら太い。
こういうのは郊外ではよく目にする。騒がしい排気音で周囲を威圧したい人間か、サーキットみたいな速度で道を走る人間か、どちらにせよまともな感性の持ち主ではない。
助手席に近づいたところでドアロックの外れる音がした。好意的に解釈すれば、これに乗って待っていろということだろうか。
警戒しつつ、ドアを開ける。中を覗き込んで、どうやら人が隠れているということはなさそうだった。微かにあの人の香水の匂いがする。
追加のメーターが3つ取り付けられているのは、こういう車にはよくあることだ。目を引いたのは、エアコンの吹き出し口の上に取り付けられた大きなディスプレイだった。ただの高機能なナビゲーションシステム、というわけでもあるまい。
ふと、助手席側のダッシュボードに、付箋が貼り付けられている事に気づく。
「もう通信を入れても大丈夫だよ><b」
そこまであの人は予想していた、ということなのか。なんか悔しいからケータイはそのままにしておく。
バックパックを下ろして、革張りのシートに乗り込む。念のためドアは開けたままだ。
体重をかけた瞬間から、ポーン、ポーンという音が断続的に鳴り響く。
ああそういえばそういう仕組みだったなと思い至って、シートベルトを締める。
しかしアラームはまだ鳴り止まない。ドアを閉めないのが気に入らないのだろうか。というか、あの人は今もどこかでこの光景を監視しているのか。
念のため窓を開けてからドアを閉める。誰もいないところで車内に閉じ込められるなんてのはごめんだ。
さて、あと何分待てば彼女が現れるのだろうかと思った瞬間。
ひとりでにエンジンがスタートした。思わず、身をすくめてしまう。
獰猛さを一切隠す気のない大きな乾いた音が、閉じた空間に反響する。
どこかでモータの動くかすかな音がして、そのまま車はひとりでに走り出した。
街の外を走れる自動運転車は、運転手がいなければ走り出すことはない。
遠隔操縦にしても隊列を組んで走るトラックくらいしか許されていない。
つまりこの車は、確実におかしなことをやっている。少なくとも違法だ。
私はというと、もう半ば諦めの境地で、おとなしくしておくことにした。動揺しすぎて疲れてしまっただけかもしれない。
走り出してもドアロックがかかっていないのは、閉じ込めるつもりがない、という意志表示なのだろうか。
どちらにせよ走り出してしまえば逃げ出すことは難しいんだけど。
出口へ向かってぐるぐるとスロープを登る。
車が通り過ぎたところから電気が消え、背後から闇が迫ってきているみたいだ。
ループを三回回ったところで、正面にあるシャッターが開いているのが見える。
車は、減速することもなくその下をくぐって、駐車場を出た。
ヘッドライトの青白い光が、薄暗い車道を切り開いていく。
歩行者デッキの下は、真昼でも手元に明かりがないと心細くなるくらい、照明が少ない。
すれ違う車が少ないのは、ここがミニトのコースから外れているからだろう。
時折、眩しそうにこちらを見ている路上生活者たちの姿が映る。通行量の少なさは彼らがここにたどり着いた理由の一つだろう。
カッコンカッコンとウインカーの音がして、車が第二回層へのスロープを登り始める。
そういえば、この車は対向車もいないのに律儀に法律を守っている。おかしな話だ。この車の存在自体が違法そのものなのに。
運転自体はとても滑らかで、下手したらさっき乗ったタクシーよりもうまいかもしれない。ただ、段差を乗り越える度にガタガタと震えるのが乗り心地を悪く感じさせている。
スロープを抜ける。階層が変わると一気に周囲が明るくなって、目が眩む。暗い中で方向感覚を失っていたけれど、どうやら東区角の繁華街に戻ってきたらしい。
交通量が増え、バス、ミニト、手動運転車が入り乱れる中を、なにも難しいことなどないかのように、スムーズに駆け抜ける。
ウィンカーの動作音と同時に、車が減速し、左へと幅寄せを始めた。
前方を探してみると、歩道の木陰になっているあたりに、車道の方を向いて柵に寄りかかっている姿が見えた。深い灰色のスーツを身に纏った、すらっとしたスタイルの良い女性。
ドリンクを傾けていた彼女は、目の前に車が止まると、その前を横切って、運転席のドアを開けた。
「やーやー、おつかれさん。通信戻してよかったのに。書いといたでしょ? ま、車が動いた時点でたどり着けたことはわかったんだけどさ」
コーヒーチェーンのロゴが入ったプラカップをカップホルダーに収めてから運転席に収まり、シートベルトを締める。
「あんな説明であそこへ来られると思ったんですか?」
「そりゃあ、ある意味テストみたいなもんだから。そうそう簡単に突破されてたまるかって話よ。ところで今日、時間ある? まあなくてもつきあってもらうんだけどさ。ねえ、おねーさんと一緒にドライブしない?」
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