11.
「やー、いい車でしょ? V型八気筒。後輪駆動。ほんとのこと言えばエーエムジーが好みなんだけどさ。さすがに社用車に外車は使わせてくれなくてね。仕事中はこっち乗るしかないし、私のはほとんどガレージで寝てるわ」
「そんなことより、この車いったいどうなってるんですか!? 運転手もいないのに走り出すなんて」
「運転手ならいるよ。最初からずっとね」
「それってどういう」
「そうだねえ、説明が難しいな。見せちゃった方が早いか。ミオ、環状経由で西行きに。しばらくは周りに合わせて走って」
彼女はフロントガラスの右側に取り付けられたマイクに話しかけた。ポーン、という電子音が鳴って、マイクに取り付けられたリング状のLEDがぐるりと青く光って応答する。
周囲の交通に合わせてウィンカーを出して、早すぎることも遅すぎることもなく、スムーズに流れに合流する。
「彼女はミオリって言うんだ。未だ織り上げられてない、って書いて、未織」
「彼女……?」
「うちのセクレタリみたいなもんだよ。君も使ってるでしょ?」
そりゃそうだ。OGOの端末を使っていれば、セクレタリを使ってない人なんていない。メッセージチェック、予定、ToDo、ナビ。あらゆる場面で、ユーザのことを助けてくれる。
「それと同じだよ。人のように話を聞いてくれて、人のように喋る機械があるなら、人のように自動車を運転するやつがいたっておかしくないでしょ」
そんな言葉で納得できるはずがない。だけど、現にこの車は誰の操作も受けず、見事に街を泳いで見せている。
車は街の北側にあるランプから環状道路に乗る。さっき通ってきた東西を横切る高速道路とは違って、この道路は街の中にあるし、ミニトやバスも走ってる。
この道路は時計回りにしか走ることができないし、西のジャンクションでは西へ、東のジャンクションでは東へしか乗れないから、西へ向かうにはほぼ一周しないといけない。
「あ、そうだ。高速で思い出した。君さ、タクシー降りてから居住者パスで改札通ったでしょう? 次回からはその場で乗車券を買うことをすすめるよ」
私は言葉を失った。
なぜ彼女は、私が通ってきたルートを知っている?
「もちろん、誰も気にしてないって状況ならいいんだけどさ。確かに私たちはあらゆる移動者の軌跡を追跡してる。でも、ある人物が今どこにいてなにをして、なんてことに普段興味ないからさ。でもね、自分が監視されてるかもって状況でそれをやるのはちょっと軽率だねえ。いや、気持ちはわかるよ。習慣の力って怖いわ」
「でも通信は切ってあって――」
「君は追跡の方法が端末の位置情報だけだと思ってる?」
そう返されてしまえば、ぐうの音も出ない。そんなことは、この街に住んでいれば誰でも知ってることだった。
「病院の監視カメラにきっちり認識されてるんだ。君のうつむきがちに歩く癖は、顔認識を避けるためのものだよね? 実際それは迷信みたいなものだ。逆に不審な行動と評価されて注目されることもある。あと、少しでも追跡を避けたいならショートヘアはちょっと不利だね。まあどのみちそんなに認識精度下げるものでもないんだけどさ。そして何より、君の学校の制服は案外目立つんだよ」
「君が仲のいいお友達と秘密の地図を共有して、ささやかな遊びをしていたくらいなら、誰もそのことを咎めたりしない。実際君たちはこれまでちょっとしたやんちゃを楽しめてきたわけだ」
彼女は前を向いたまま、言葉を続ける。シフトレバーに載せられた左手がコツコツとリズムを刻む。
「今も昔も、君は単なるアマチュアだ。だからなんの問題もなかった。実のところ君はうまくやってる方だ。カネの流れに気を使ってる。あれが一番追跡しやすいからね。下手を打つ奴は無数にいる。君も知っての通りね」
実のところ、けっこううまくやったと思っていた。
他の人たち、少なくとも同級生たちにはできないことを、やって見せたという自負があった。
「でもまだまだだ。私は君にそれ以上のものを期待している。だからこうしてアドバイスしてる」
でもそんなのは単なる都合のいい幻想にすぎない。当然だ。
その事実を指摘されただけだというのに、泣きそうなくらい、ただひたすら、理不尽なまでに、悔しかった。
車が街を出る。ジャンクションの高高架を通って、そのまま高速道路へ。高層ビルの列が切れて、遮るもののなくなった夕日が眩しい。
「さて、本題は目的地についてから話すとして、これまでの経緯について何か質問はあるかい?」
「じゃあ……この車、どれだけ飛ばすんですか」
「おっ、そこ気づいちゃう?」
「身近にこういうのに乗ってる人がいましたから」
故郷では遠出をするにも自動車を使う人が多い。”パサート”の人々なんかはまさにそのいい例だ。
そういう人はだいたい、こういうふうに車を改造をする。うるさくて、乗り心地が悪くて、とびきり速く走る車に。
私も何度かひどい目にあっている。
「いいねえ。これを見た人間の反応は大きく分けて三つ。一、無反応。二、大興奮。三、正気を疑う。でも本当は二つだけなの。つまり、こいつの異常性に気づいてしまう変態か、そうでないか。じゃ、試してみよっか。ミオ、十秒後に運転を戻して」
さっきと同じポーンという電子音が響いた後、ポン、ポンというさっきより短い音に合わせて、赤い光がマイクの外周をぐるぐると回る。
彼女はセンターコンソールからスポーツブランドのロゴが付いたサングラスを取り出した。シフトレバーをニュートラルからドライブへ切り替え、ハンドルを握り直す。
その間に、運転席の電動シートが動作し運転用の姿勢に調整され、フロントガラスには速度と回転数が投影される。
赤い光が十回マイクのリングを回った後、緑の丸い輪へと変わる。
その瞬間、ばかみたいに大きな音とともに、身体がシートへと押し付けられた。
「あはははは、やっぱこの瞬間が一番楽しいわ!!」
彼女の歓声とともに、エンジンが唸りを上げて、ものすごい勢いでギアが切り替わっていく。悲鳴を上げる暇もない。フロントガラスに投影されたスピードは既に200km/hを越えている。
車は西へと向かう。私の故郷の方へと。
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