4.

 私はずっと考え続けている。

 

 さっきのアラート通知、そして道すがらの渋滞。どちらも決して珍しいことではない。この街に存在するほとんどが管理されているとしても、全てではない。多少のほころびはどうしても残る。

 でも、二つの綻びが同時に起こって、組み合わさったとしたら? 

 ラッシュ時間帯が近付いている。ミニトは需要予測に合わせて、帰宅する人々のために、駅から離れた、職場のある方へ向かっているはずだ。

 西と東の間には二つのメトロが走ってる。だから一本が止まっても、少なくとも街の中では身動きが取れなくなることはない。でも、今運転を見合わせているメトロは、街の西と南を結ぶ路線だ。これが止まると、東を経由して遠回りしないといけない。

 メトロが止まったら、ミニトに乗った客は最寄りの駅ではなく、動いているメトロの駅へと向かうだろう。ううん、それだけじゃない。メトロの駅で足止めをくった人々は、メトロで移動しようと考えるだろう。


 もし、渋滞がまだ解消していなかったら? ただでさえ詰まりがちな橋越えで、普段より多い交通が、残っている橋にミニトが殺到したら?

 いやいや、そんな馬鹿みたいな話、ありえない。いくら域外から来た車だからといって、交通を妨げる障害物があったら、検知されないはずが——。

 

「ねえ、君」

 見知らぬ声に呼びかけられる。同級生から取り残された私の周りに生徒は誰もいない。昨日からこんなことばっかりだ。自分のうかつさを呪いながら、私は声のした方を振り返る。

 そこにいたのは、いちばん後からついてきていた女性職員だった。会議室での説明の時も、他の職員と一緒に、後の壁際に立っていたのを思い出す。

 首から下げているIDカードは、私たちと同じゲストパスなので、どういう立場の人かはわからない。短く切りそろえられた髪はむしろ活動的なイメージ。いかにも仕立ての良さそうなグレイのパンツスーツが、長い手足をより引き立てている。それだけに、やや無骨なウォーキングシューズがものすごく浮いて見える。

「私、ですか」

「そうそう。そんな警戒しないでよ。注意とかそういうんじゃないから。いや、心ここに在らずみたいな様子だったからね。気になってさ。大丈夫? 具合悪い?」

「いえ、ちょっと考え事をしていたものですから」

「それ、もしかしてここについての話? もしよかったら詳しく聞かせてくれないかな」

 えらい食いつきようだ。心の中の警戒ゲージが一つ上がる。

「いや、たいしたことじゃないので」

「些細なことなんてひとつもありません。弊社は常に利用者の方々のあらゆる意見を伺い、日々改善に努めてまいります……っていうのは建前で、いやほら、私も退屈でさあ。せっかくの職場見学だってのに、この有様じゃあねえ」

 事故のせいで窓が閉じられた廊下は、たしかに見学する余地がない。説明に使うパネルの内容なら、一度転送してしまえば後からいつでも読める。

 観念した私は、これまでの経緯と懸念――外から来た車、メトロの運転見合わせ、それらが引き起こすかもしれないトラブル――について話した。うまい相槌に乗せられて、少し饒舌すぎたかもしれない。

「うん。その通り。君の認識は間違ってないよ。彼らは橋上の障害物を認識していない。しばらくメトロは動かないし、これから結構ひどい渋滞が起こるだろうね」


 足が止まる。動けるはずがない。この人、今、なんて……。

「問題が起きるってわかってて、放っておいたんですか?」

「いや、だってほら、私この現場の人間じゃないから。彼らがどんな失敗をしでかそうが、私には興味が無い」

 言葉も出ないとはこういうときのことを指すんだと思った。この人はいったい何を考えている――。

「それにまあ、これくらい大したことじゃないよ。メンテナンスの時期と確率的なアクシデントがたまたま重なって、ごく稀に発生するワーストケースの不具合がたまたま今日起きた。誰かが首になったりすることもない。システムの欠陥が見つかって、彼らにも、システム部隊にも取り組むべき仕事ができる。この街をより良いものにするためのやりがいある仕事だ。いや、めでたいめでたい」


 この人が話すのを聞いている間、私は目の前の相手に対する不快感がどんどんつのっていった。

 確かに私たちは、いろいろなものを彼らに委譲して、公開して、放任している。

 それでも、尊厳まで、売り渡した覚えはない。

 どんな権限があれば、一人の人間の怠慢で、私たちの暮らしを蹂躙できる。神様にでもなったつもりなのか。

「そんな怒らないでよ。こんな大それたこと、そう何度もやるもんじゃないよ。私だってこれで二回目だ。どんな場所にだって、少しは頭が切れるやつがいる。私たちがこんなことをするのは、相応の見込みがあるときだけだよ。ちょうど、今回みたいにね」

 見込みってなんだ。今回ってなんだ。なんのためにこんな――。

「ああ、そういえば自己紹介がまだだった。わたくし、こういう者です」

 その小さなカードに印刷された文字を見て、私は驚く。

 呆けたり怒ったり驚いたり、なんて忙しい一日なんだろう、なんて思ってしまった。

「まあまあ、そんな固くならないでいいから」

 その言葉を素直に受け容れられる人が居たら、たいした精神の持ち主だ。この街の総元締め、OGO本社の社員が目の前にいるのだから。

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