5.


Yumi Imakawa

Chief Engineer

Ogdoad Inc.


 氏名、役職、会社名、そして連絡先だけ書かれた名刺を見てもわかることは少ない。

「櫛部さん、私たちがどうしてこんなことをしているか、わかる?」

「わたしの名前、どうして……」

「そりゃあ、見学する生徒のリストくらい受け取ってるから……なーんて、んなわけないよね。私は、君目当てでここに来たんだよ、櫛部さん」

「本社の方から話しかけられるような心当たりなんて――」

「ほら、歩く歩く。みんなに置いてかれちゃうよ」

 そう言われてしまえば、歩き始めるほかない。

 仁望たちは相変わらず先の方を歩いている。通路の終わりはまだ見えない。

 

「たとえば、の話なんだけどさ。いまここから自分の部屋まで移動する時、君さんならどうする?」

 真横を歩く彼女の表情をうかがうことはできない。

「質問の意図がわかりません。待つ以外あるんですか?」

「君の大切な知人が事故に巻き込まれたとしたら? ことは一刻を争う。それでもお行儀よく待ち続ける?」

「なら学校の方へ向かって走ります。直線距離で言えば4kmもないですし、一時間もしないうちに、メトロかミニトが復旧するでしょうから」

「直線距離で語れないのがこの街なんだけどね。そんなことは百も承知か。まあいいや。じゃあ次の質問。君の学校の校舎を正面から強行突破する以外で真夜中に抜け出すことはできる?」

 間違いなく、私は試されている。でも、一体何を?

「できません。通りへ出る出入り口は九時には鍵がかかります。非常階段は鍵がかかってますし、どちらにせよ監視カメラがありますから」

「なるほどなるほど」


「櫛部さん、君は嘘つきだ」

 鋭く打ち付けるような口調だった。驚いた私の心拍数が上がる。

「たとえば、君の学校の校舎の地下、部活動のために二十四時間開放されているシャワーブースの近くに、職員用と書かれたドアがある。その物置には奥にもう一つドアがあって、そこには地下駐車場へ続く階段がある。地下駐車場の第二階層まで降りて、出口とは反対の方向へ進むと薄汚れたドアがある。その向こうはもう隣の雑居ビルだ。どうしてこんな構造になっているのか、いやはや、まったくもって見当がつかない。ところで――」

 この廊下はどうしてこんなに長い。

 仁望たちはなぜ、私の方を振り返ってくれない。声をかけてくれさえすれば、すぐに走って追いつけるのに。

「君はこのルート、知ってたよね?」

 動悸が止まらない。この人は、どこまで私のことを知っているのか。屋上の件ならまだマシだ。もしあのこと・・・・を知られていたら――。

「……そんなわけないじゃないですか。どうしてそう思うんです?」

「いや、わかるよ。誰だって校則違反なんて自分から認めたくはないものだからね。安心していい。私は君を告発しに来たわけじゃない。君の学校に、夜間外出禁止なんて校則はない。だから、君が咎められる理由はどこにもないし、そもそも私は学校の関係者じゃないからね。君が屋上に出てること・・・・・・・・・・だってそうさ。立ち入り禁止とは言うけれど、そのことで処分を受けた生徒は今までひとりもいない」

 落ち着け。動揺した素振りを見せたら、相手の思うつぼだ。それに彼女が自ら言ったとおり、私のことを今すぐどうにかできるわけじゃない。

「……みんな抜け穴の一つや二つ、こっそり隠してるものじゃないですか?」

「まあ、そうかもね。私もそういうことに見覚えがないわけじゃない。」

「それってどういう――」

「ラウンダバウト」

 ああ、そうか。

 たった一つの単語。私達・・の宝物、そして、あやまち。

 それだけで、私が最初から詰まされてしまっていたのだと理解した。

 何よりも決定的な事実を、相手は掴んでいた。


「どうして、それを……」

「生徒の間でもほとんど知られていなかったみたいだけど、あのサイトはなかなかよくできていたよ。みんな抜け道の一つや二つ知っている。確かにその通り。それをまとめてみんなで共有しようというアイディアも、ありきたりだけど悪くはない。アクセス方法を校舎内の抜け道においたのも良かった。参加者は物理的にフィルタリングがかかるから不必要に広がらない。ことが露見すれば自分にも累が及ぶことになるわけだからね。一蓮托生ってわけだ」

 罪状を読み上げられる容疑者は、ちょうどこんな気分なのだろうか。自分がどんな刑罰に処されるのかをただ黙って待つことしかできない人間の気持ちというのは。

「機能は必要十分なだけ整っていたし、設計も悪くない。なにより、運営者を隠すやり口が巧妙だった。あと引き際の判断もいい。開設から半月も経ってないのに閉鎖を予告して、本当に実行した。考えの足りない連中がやらかし始める前にどろん、だ。卒業生でも、高等部生でもなく、入学したばかりの中等部生ひとりで・・・・・・・・あれを運営していたと知ったら、みんなさぞ驚いたことだろう」


 突然、彼女が歩みを早めて、私の目の前でターン。

「これが君の疑問に対する答えだよ。私たちがこんなことをしているのは、万に一つの可能性を取りこぼさないためだ。ちょうど、君のような」

 彼女が顔をぐっと私に近づける。香水だろうか、なんとも表現し難い香りが、ふわっと漂う。

「見学時間のあとで会えないかな? 場所と時間は名刺の裏に書いてあるから」

 完全に私のことを打ちのめしたつもりでいるのだろう。それだけ告げると、私のことなんて忘れてしまったかのように、早足で去っていく。

 長かった見学通路は、ようやく終わるところだった。

 出入り口のホールで、仁望たちが待っている。


 耳元で囁かれた言葉が、まだ頭のなかで響いている。

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