8.
水路の側壁にへばりつくような通路を歩く。下を流れる水は淀んでいて、正直なところ、一刻も早く抜け出したい。
一つの駅の内側に存在する以上、この街へ出入りするためには、改札を通らなければならない。基本的には。
だが、例外はある。そんな非正規ルートの一つが、今まさに歩いている道だった。
ほとんどの場所では、駅の境界線上にはちゃんと駅舎がある。だから、改札というゲートを通らなければ、中と外とを行き来することはできない。
警備する側からしても、ゲートを通る人だけを気にしていればいいから、効率がいい。
でもこの辺りは、盛り土の上を走る線路が、ただ駅の外と中とを区切っているだけに過ぎない。貨物列車を含めれば頻繁に列車が走る路線だとは言え、他の場所に比べたら不法侵入へのハードルはかなり低い。さらに、この通路みたいに、線路を横切らずに済むルートがいくつか存在する。
こういったルートの存在が、この辺りの治安悪化を招いている理由の一つでもある。
さっきの扉に鍵がかかっていないのも、たぶんそういう理由だ。
通路を渡りきった先にはさっき降りたのと同じような階段がある。そこを登った先、フェンスの向こうは片側二車線の広い国道だ。
これで無事、駅の外へ出られたことになる。真っ当なやり方でないルートにしては、なんともあっけない。
車通りが途切れたところで、怪しまれないようすばやく歩道に出る。
広い道路の向こう側は街の外の意味での住宅街だ。一軒家が並んでいる。
駅の外へ出たとはいえ、この辺りはまだまだ活気のあるエリアだ。駅の外にも人はたくさん住んでいるし、多くの企業やお店があって、経済は回っている。
ただ、中と外ではそのあり方がややかけ離れているというだけなのだ。
ヒューッという汽笛、ファンの大きな風切り音、そしてカンカンという金属音がずっと続く。遠くの街へと走る貨物列車はとても長い。街の中では聞くことのなくなった音のひとつ。
遮るもののない故郷では、よく夜中にこの音が響いていた。
炎天下の国道をしばらく歩くと、大きな建物が見えて来た。上の方には赤十字が掲げられている。もちろん、それは病院だ。私の目的地でもある。
信号で道路を渡って、線路側から住宅街側へ。正面玄関から堂々と病棟に入る。
涼しい。何よりも先に、思考がそれでいっぱいになる。
カバンからフェイスシートを取り出して、顔の汗を拭う。そうして、しばしの間、文明の利器の恩恵に与る。
冷房のないところを数十分歩くなんて、街の中にいたらそうあることではないのだ。
しかし、あんまりのんびりはしていられない。
私は電話を探す。電話といっても普通の電話ではない。ええと……。
あった。
病院には大抵、タクシー会社へ直通する専用電話が置かれている。こんなところへ来るのは、たいていの場合、移動力に乏しい人々なのだから、ニーズを考えたら当然だ。
駅の外ではタクシーもまだまだ現役。ミニトと比べたら随分値が張るけれど、それでも街の外、特に田舎での暮らしでは欠かせない交通手段の一つだ。
故郷を去ってからも、アプリのアカウントだけはずっと取っておいてある。今は通信を切ってあるから使えないけど。
受話器を取るとすぐに応答があった。駅からそう遠くないこともあって、到着は数分後。そしてせいぜい十分もあれば、街の中へ戻れる、とのことだった。
待っている間、病院に併設されているコンビニで買い物をすませる。チェーンのカフェもあったけど、先の行動が読めないし、やめておく。
ミネラルウォーターを念のため2本と、軽めの保存食。できれば、必要になってほしくはないんだけど。
ボトルを傾けて汗が引くのを待ちながら、自動ドアの前で近づいて来るタクシーを探す。
来た。
白いセダンが信号を曲がって、ロータリーに入って来る。周囲に待ち客はいないから、間違えようもない。
正面玄関の前に止まった車へすぐさま乗り込む。
「すみません、駅のサービスエリアまでお願いします」
その言葉を受けた運転手がメータを操作し、そしてエンジンが唸りを上げて走り出す。
このエンジン音も、もはや街の内側ではあまり聞かないものだ。
距離が短いし、道も太いから、駅の外の渋滞に巻き込まれることはない。高速道路にミニトは入れないから、駅の中での混乱に巻き込まれる心配もない。
腕時計を見る。期限まではあと四十五分。
なんだ余裕じゃないか。ある程度は予想していた結果とはいえ、多少のあっけなさは感じる。
「お嬢さん、学生さん? お知り合いの方の調子がよくなられました?」
突然、運転手が話しかけて来た。下手に答えて怪しまれてもやだし、適当に話を合わせておく。
「ええ、そうなんです。どうしてわかったんですか?」
「いや、やけに嬉しそうだったもんですからね」
その言葉で初めて、私の顔が笑みを浮かべていることに気づいた。
「……そんなに嬉しそうでしたか?」
「そりゃあもう、いい表情でしたよ。お嬢さんべっぴんさんですからね、同級生の男子なんざイチコロでしょう」
「もう、お世辞はよしてくださいよ」
おどけた調子で返事をしながら、私は軽いショックを受けていた。
半ば理不尽とも言えるこの状況を、私は確かに楽しんでいたのだ。
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