7.

 タグから読み込まれたのは単純プレーンなテキストだった。内容は時刻と座標だ。

 まずは指示された座標を検索してみる。マップアプリが示したのは、この街の中区画の一角、ちょうど駅の中心あたりだった。ビジネス街の一角。学生にはあまり縁のないエリア。

 ここからのルートを検索した私の眉間の皺が寄る。検索結果は、この場所へ到達できるルートは存在しないというものだった。

 そんなこと、ありうるのか。少なくともこんな表示は初めて見た。


 近くにあるコンビニを目的地にすると、ちゃんとルートが表示される。ただし、到着予想時間は不明だ。これは渋滞のせいだろう。

 指定の時刻はおそよ一時間後の午後五時。ミニトのサイトへ行って復旧予想時間を確認すると今から三十分後で、待ち時間と移動時間を考えれば、間に合いそうにない。

 歩いてもギリギリ到着できると思うけど、目的地へすんなりたどり着けるとは限らないから、結構危うい。

 

 前傾していた姿勢から、思いっきり背もたれに寄りかかる。頭の後ろで手を組んで、目を瞑る。ため息がこぼれた。

 そもそも不可能な課題を出した?

 いや、そうじゃない。私は考え直す。

 おそらくこれは一種のテストだ。私の能力を見極めるための。そして彼女はこのあたり一帯が渋滞するのを予想していた。その上でこの時間制限をつけたんだ。それなら、この時間でたどり着ける手段がある、と考えるのが自然だ。 


 しかたがない。久しぶりにを使おう。ナビに頼れないなら、自分で考えるしかない。

 私は体を起こすと、机の下に置いたカバンの隠しポケットから、緑色の小さなノートを手探りで探し出す。その表紙はハードカバーなのに端がボロボロだし、中紙もくせがついて膨らんでいる。

 このごろはこのノートを開くこともほとんどなくなった。それは少しずつであっても、私がこの街を受け入れつつある証拠なのかもしれない。

 であるならば、この小さなノートを肌身離さず持ち歩いていることが、私の小さな反抗の証だ。

 私は紙とペンを使わない。ほとんどであって、まったくではない。

 部屋へ戻れば、クローゼットの奥にこれと同じノートが数十冊並んでいる。

 この街を行き交うあらゆるデータは追跡されている。それなら、自分の内に秘めておきたい事柄は、データにしてはいけないのだ。


 ノートを開くと、簡略化された地図が、ページいっぱいに描き込まれている。どのページも無数の消し跡、取り消し線、注釈であふれている。

 更新しているのは私だけれど、大元になっているのはかつてが街中を歩き回って作り上げた地図だ。

 このノートに書かれているのは、地図といっても、単体で成り立つようなものじゃない。どちらかというと抜け穴集に近い。だから、これ単体では何の役に立たない。

 この地図を使えるのは、私と仁望、ふたりだけだ。

 ページを行き来しながら、頭の中に街を思い浮かべて、役に立つルートを考える。

 実のところ、開く前からおおよそのあたりはつけていた。多少の出費は覚悟しなきゃいけないけど、確実さを取ろうとすれば、他のルートは選びづらかった。


 よし、決まった。私は全部の荷物を元どおりにバックパックへしまう。

 椅子に座ったまま、スニーカーの靴紐を締め直す。いざという時、足元がおぼつかないことほど、不安なことはない。だからローファーはあまり好きじゃない。ぬかるんだ地面なんてないこの街でも、生まれ育った土地の習慣は、そう簡単には忘れられない。


 生徒全員がここを出ないと帰れないのであろう教師たちに挨拶して、会議室を出る。

 自動ドアが開いた瞬間、もわっとした熱気が建物の中になだれ込んで来た。正直ミニトが復活するまで建物の中で待っていたいという弱音が湧いてくる。

 そんな気持ちを振り払って、外へと足を踏み出す。施設の敷地を抜けて、広い二車線道路の歩道を南へ向かって歩き出す。

 こんなことになるなら、帽子のひとつでも持って来ればよかったな。



 西を広域鉄道、東を河川、北を高速道路に囲まれたこの南西区画は、古くから駅の一部であるにもかかわらず、孤立しているせいで周囲の発展から取り残された場所のひとつだ。

 正直に言ってあまり治安は良くない。最近は、安い家賃でベンチャー企業が集まってるという話もあるけど、それはもう少し北、高速道路沿いの方の話だ。

 ライブハウスが多いのもちょうどこの辺りだ。さっき歓声を上げていた男子生徒の幾らかは、この辺りでライブを見に行くのだろう。


 周りの家々も、この街で一般的な高層マンションではなく、二、三階建ての低層アパートが多い。

 この辺りのアパートには特徴があって、それは違う建物の同じフロアが橋で繋がっていることだ。

 雨に濡れず、上下移動なしで移動できる、高層ビル街の歩行者デッキや地下街への憧れから、お隣同士のアパートが通路を繋げたのが始まり、と聞いているが、本当のところは定かじゃない。


 立ち並ぶアパートのうちに、青い壁と赤い屋根を持つ二階建てを見つけると、その敷地に入る。カン、カン、カン。金属製の簡素な外階段を登る。

 そのまましばらく二階の外通路を歩く。人の家に立ち入ってるみたいで、なんとも変な感覚だ。この辺りの住人からすれば、他の道路と変わらない、ただのひとつのルートに過ぎないのに。

 狭い廊下ではすれ違うのも苦労しそうだが、時間が時間だからか、他の人間の影は見えない。

 時々、道路を跨ぐために上り下りする部分がある。たぶん、法律かなにかのせいだけど、律儀にそれを守ってるのがすごい。

 慣れてくると、子供の頃に夢見た秘密基地みたいで、ちょっと楽しい。

 とはいえ、ここに暮らすには色々と不安があるんだけど。

 

 延々続いて来た通路もようやく終わりまでたどり着いた。

 階段を降りると、そこはちょっとした公園のようになっていた。別に遊具があるわけじゃなく、テニスコート半分くらいの広さに、木陰と色あせたベンチがあるだけだ。

 この広場の西側は金網でできたフェンスが張り巡らされている。その向こうで少し高いところを広域鉄道の線路が走っていて、その下を水路が横切っている。

 つまりここは、街の外縁なのだ。

 子供の姿はない。時間的にはいてもおかしくないけど、暑さのせいだろうか。好都合ではある。


 念のため、もう一度周囲を見渡してから、金網に設けられた扉を開く。鍵はかかっていない。

 フェンス自体は錆びついているのに、蝶番が音を立てることはない。普段から使われている証拠だ。

 コンクリート製の階段を下る。

 その先にあるのは、体育館の側壁にあるキャットウォークのような、細い鉄板でできた通路だ。

 詳しい経緯はよくわからないけれど、恐らくはメンテナンス用に作られたものだろう。錆びついてはいても、手すりまでついたしっかりしたものだ。転落の心配はしなくていい。

 列車が通らないことを祈りながら先へと進む。線路を列車、特に貨物列車が通ると、長い間とてもうるさいのだ。

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