6.

 白い大理石調のタイルが貼られた広い玄関ロビーで整列してから、もう既に数分が経過している。

 大きな窓ガラスの向こうは夏空が広がっている。このあたりには高層建築がないから、ロータリーにも直接日光が当たるのだ。

 前の方ではさっきからずっと教師たちが何かを話し合っている。多分バスが戻って来れないことについてだろう。

 基本的にはバスもミニトと同じように、ユーザーから呼ばれたところへ走っていく。特に大型車は台数が限られているから、数時間ただ停車させておくような非効率な真似はしない。その間にこなせる仕事へと向かわせる。ちなみに、そのアルゴリズム構築はこの街の上級職のひとつだ。

 問題は、学校がむやみに拘束時間を延長するのはまずいということだ。予備校に通っている生徒も多いから、バスが戻って来る時間が読めない以上は、ここで解散としてほしいという声が上がるのは必至だろう。


「みずっちどしたん、なんか職員の人と随分話し込んでたみたいだけど。ひょっとして、デートのお誘い? えーいこのモテモテ王子様め!」

 久子がいつもように調子のいい軽口を叩く。

「そんなわけないでしょ。ただちょっとふらっとしただけだから」

「大丈夫なの? 少し休ませてもらえば?」

 悠乃の声からは、私を気遣ってくれていることがわかる。彼女はいつだって真剣で、いつだって優しい。

「ほんとに大丈夫。寝不足だったのがいけなかったみたい」

「ならいいけどさー」

 仁望は黙って私たちの会話を聞いている。その瞳には、うっすらと疑惑の色が見える、気がした。

「今日金曜だしさ、わたしとひさちゃん、とみちゃん、みずちゃんで、この後カラオケでも行こっかって話してたんだけど、ちょっときびしそう?」

「そうだね、ちょっと遠慮させてもらう。三人で楽しんできて」


「でも、瑞月も帰れないんじゃないの? 外渋滞してるだろうから」

「とみちゃん、なんでそんなことわかるの?」

「ここへ来るときに橋の上で渋滞してたでしょ? それで、さっきメトロが止まってるって通知がなったじゃない。そのせいで、このあたりから動けないんじゃないかなあ。先生が話し合ってるのもたぶんそのせい」

 なんだ。仁望だって気づいているじゃないか。やっぱり私なんて全然普通なんだ。あの人は私を買いかぶっている。そう思うと、少し気が楽になった。

「確かめてみよ。えーと、マップマップ……うわ、本当に渋滞してる。ひとみーすっごい!」

「とみちゃん、よく気づいたね、そんなこと」

「たいしたことじゃないよ。それに——」

 仁望がこちらを向く。疑いの目はまだ変わっていない。

「瑞月も気づいてたんじゃないの?」

「どうしてそう思うの?」

「んー。なんとなく、かな」

「とみちゃんのなんとなく、がまた出ちゃったね」

「ちゃんと説明しろよなー」

「なんとなくって言ったらなんとなくなの。仕方ないでしょ」


「みなさん聞いてください」

 パンパン、と手を叩きながら教師が声を張り上げる。その音で私たちの会話は中断された。

「先ほどみなさんの端末にも通知があったかと思いますが、今、メトロが止まっています。その影響でこの辺りの道路が渋滞していて、バスがここへ戻って来ることができません。いつ来るかもわからない状況です。ですので、本日はここで現地解散とします。最初に入った会議室を開放していただけることになりましたので、ミニトを待ちたい人はそこで待機してください。人数確認が終わったクラスから解散としますので、学級委員は点呼を始めてください」

 男子生徒の歓声が上がる。街の南の方へ遊びに行くならここから歩いたほうが早いのだ。

 もうすでに前の方から学級委員の子が人数確認を始めている。


 委員の報告を受けた担任が解散を告げた。クラスは外へ歩いて行くグループと会議室へ向かうグループとに分かれていった。

 みんなは歩いてメトロの駅まで行くのだろう。一度カバンを降ろしてブレザーを脱いでいる。

 地下街やビルの中を通っていける区画とは違って、この辺りを歩いて移動すると夏の気候をもろに味わうことになる。

 学校の周りなら建物の外でも手放せないブレザーも、この暑さではただの荷物にしかならない。

 さて、私はどうするべきか。


「私、やっぱりここで休ませてもらうことにする」

「付き添わなくて大丈夫?」

「大丈夫だって。すぐにミニトも復旧するだろうから、それ乗って帰るよ」

「そう。じゃあ気をつけてね」

「みずっちの分まで絶唱してくるからさー!」

「体に気をつけてね。また寮でねー」

 ブレザーを腰にくくりつけて手を振る久子を先頭にして、みんなは玄関の方へと去って行った。

 私はカバンを背負い直すと、会議室へと居残る生徒たちの後に続いた。



 少なくない数、たぶん、半分以上の生徒が、会議室に残っていた。そのほとんどがノートを広げて、予習復習に励んでいるようだった。

 私も、勉強をするふりをするためにノートを手にとって、会議室のパイプ椅子に座る。

 この学校で使うノートは、画面カバーの内側が電子ペーパーになっている、10インチのタブレットだ。教科書を左側の電子ペーパーに写して、右側のカラー画面にペンでノートを取れるし、二画面が必要ないときにはカバーを本体の裏側までフリップすればただのタブレットとして使える。必要があればハードウェアのキーボードをつなぐこともできる。この学校の売りの一つになっている優れものだ。

 これを使いだしてからというもの、紙とペンなんてほとんど使っていない。

 

 ケータイといっしょに、ブレザーのポケットに入れていた名刺を取り出す。さっきは確認しなかった裏面をみると、小さなICタグが貼り付けられているのが見えた。

 一般的に言えば、出どころのしれないICタグを読み込むことは大きな危険を伴う。この街に来ていの一番に叩き込まれるルールの一つは、不審なデータへ不用意にアクセスしないということだ。

 だが、相手は私の弱みを知っている。アカウント削除や退去処分、退学に持ち込まれることはないだろうけど、それでも停学くらいは十分にありうる。そこまで直接的に手を下せる相手が、そんな回りくどいことはしないだろう。


 念のため、ケータイをセキュアモードにする。こうしておけば、被害は限定的になる。もっとも、一般に開放されていないシステムの機能を使われていたらおしまいなのだけれど。

 意を決して、私はタグをケータイにかざす。

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