15.
私達がドアを開ける前からエンジンはすでにかかっていた。車内もよく冷えていて、まるで私達を出迎えてくれているようだ。
近くのゴミ箱へ二人分の空き缶を捨て、戻ってきた彼女は身を投げ出すようにして運転席に収まる。
「ミオ、南へ向かってから湾岸線で街へ戻って」
彼女の言葉から数秒経っても、車は発進する気配がない。
「どうしたの、ってああ、はいはい。わかったから。全く杓子定規なんだからさあ」
彼女がシートベルトを締めるとドアがロックされ、エンジンの回転数が少し下がる。ブレーキが解除されて、前方駐車からきれいにバック。
「一応確認するけど、OKってことでいいんだよね?」
何が、と思って右を向くと、彼女は私を見ていなかった。どうやらさっきのは私にではなく、まだマイクに向かって話しかけていたらしい。私が目を向けたときにはもうライトは消えていて、返事が何色だったのかはわからなかった。そもそも、質問の意図が何なのかについてもわからないのだけど。
車はそのまま、来たルートを戻る。崖沿いの暗い道を、太陽光発電と非常用蓄電池が一緒になった街灯が点々と照らしている。私達の他に車通りはまったくない。
助手席からはがけ崩れ防止のコンクリートブロックしか見えないし、そもそも暗くなって何も見えなくなりつつある。
行きは凄まじい速度でまったく余裕がなかったけれど、もし外を見る余裕があったら、結構いい眺めだったんじゃなかろうか。
このまま何事も無ければ数分で高速道路に戻るけれど、戻ったところで見えるのは高い防音壁だけだ。
交差点もなく、ただ道なりに右へ左へと身体を揺らす時間が続いている。
運転席の様子をうかがうと、彼女は腕を組み目を閉じて何か考え込んでいる。
まさかこの状況でBGMがほしいですなんて言えるはずもない。
端的に言って、気まずい。
ケータイの画面を見ると酔ってしまいそうなので、これまでの話について整理してみることにする。
彼女は私の出自、生活について知っている。少なくとも多少の調査はしてきた。
彼女は私に何らかの期待をしている。その内容が何なのかはわからないけど、脅迫するつもりではなさそう、たぶん。
彼女の目的はあの街に関連している。まあそれは当然か。でも、地図の話を持ち出したのは、おそらくポイントがそこにあるからだ。
彼女は十一月テロの被害者と関係している、これはただの憶測。
彼女の目的は何か。一体私に何を期待しているのか。
彼女たちにとって重要な何かを私が知っている? 正直心当たりがない。
パサートたちの話だってもう数年前の姿しか知らないし、
まさか学校の抜け道を知りたいわけでもあるまい。なにせ情報の元締めだ。ただ校舎に入るだけなら口実なんていくらでも作れる。
一番ありえるのは学校内で起きている何らかの出来事を把握するために使い捨てられるエージェント……なーんて、アクション小説の読み過ぎか。
と、やや暴走した妄想から我に返ると、緩やかに車の速度が落ちていることに気づく。見上げると前方には赤信号の交差点。
どうやらインターチェンジの入り口まで戻ってきたみたいだ。
彼女がバックミラーのあたりに手を近づけて、スイッチを操作すると室内灯が点く。赤っぽい光とはいえ闇に慣れた目には眩しい。
「さて、これが最後の話題。私が君に会いに来た理由だ」
彼女は運転席のサンバイザーに挟んであったカードを私に差し出した。
信号が青になり車はまた走り出す。明かりはまだつけられたままだ。
「それが身内用の名刺ね。ああ、裏に貼っつけてあるやつは後で説明するから」
本線へ向かってランプを駆け上がる中、私はその名刺に書かれた文字を読み取ろうとする――。
5th Specially Designated Analytics Department
Intelligent Agent Strategic Business Unit
Advanced Study Company
Ogdoad Inc.
裏側には見学中に渡された名刺と同じように、ICタグが貼り付けられていた。
「私はOgdoadの先進研究カンパニー、知的主体戦略事業単位の第五特任分析部ってところで働いてる。って言ってもわからんよね。身内でだって所属を名乗られても何やってるのかなんてわかんないもの。特任分析部の業務内容はあの街のあらゆる情報を取得することと、そのための装備品の開発。第五ってのはあの街のことね」
そのカードを一通り眺め終わったところでルームライトが消えた。走る速度に合わせて繰り返し電灯の光が車内と彼女の顔を照らす。
今回は無茶な速度を出さず、他の車の二割増しくらいの速度で走っている。まあ自動運転なのだから当然だけど。
通勤時間帯を外れたからか行きよりもずいぶん交通量が減ったみたいだ。
「さて、瑞月さん。君、うちで働いてみる気はない?」
「うちって、Ogdoadの本社でってことですか?」
もちろん、と答える彼女の顔に、ふざけている様子は見られなかった。
「学生だし、差し当たってはアルバイトってことで。時給はいくらくらいがいいのかな。そのへんは相場調べてから連絡するよ。弾むよー。少なくとも最低時給スレスレなんてことはしないから安心して。ああ、勤務時間もあまり無茶できないよね。インターンシップみたいな形態を想像すればいいよ。君の学校でもやってる子とかいるでしょ?」
たしかに、プログラムが得意な生徒は、将来自分をアピールするための材料、という名目で、小遣い稼ぎのために、インターンという名の実質アルバイトよくしている。
「はい、それはいます。でもそういう子たちみたいにすぐ仕事ができるような能力なんて私には――」
「そんなのハナから期待してないって」
「それならなおさら、どうして私なんですか?」
「期待できると判断されたから」
「期待――」
「将来、うちで活躍してもらえるって期待。とは言ってもこっちもあんまり説明もできないんだけどね。きっかけは行動ログのはずれ値だし、深掘りしてみればなかなかクセのあるところを隠し持ってて、面白そうなやつだなってことはわかる。でもそれがどうして向いているという判断につながるのか、未だに計算機の考えていることを噛み砕いて理解するのは難しい」
つまり、よくわからないけどこいつは有望そうだから予約しとこう、というわけか。それで納得がいくものなのだろうか。
高速を南に向かうと、温泉街としても知られる港町のあたりで海岸に沿って走る道路と合流する。街の中を通らずに湾岸の埋立地をまっすぐ突っ切るこの道は、無人トラックの隊列が行き交う東西物流の主要ルートだ。
そのジャンクションに差し掛かった車はやや減速し、ややきつめのカーブを走り抜けていく。
「もし断ったら? 私のことを学校か警察に通報しますか?」
「ないない、そういう事する気は全然ないって。ただ……」
「ただ?」
「こういう楽しい思いができる機会を逃す」
こういうってどういう、と聞く時間はなかった。
「ミオ、街まで高速巡航」
車が直線部分に差し掛かった途端、行きと同じように、ものすごい音を立てて車が急加速する。
前回と違うのはカウントダウンがなかったことと、彼女の手がハンドルから離れたまま、つまり自動運転のままだってこと。
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