16.

「まあ、こういうゆかいなことをして遊べるわけよ」

「もうちょっと予告とかしてくれませんか」

 結局、湾岸線に乗ってからは行きと同じようにして東へと駆け抜けた車は、ようやく街の中、環状線へ戻ってきた。

 今日だけでいったいどれだけ寿命が縮む思いをしたことか。

「やだなー、驚きがなきゃ楽しくないじゃない。まあそれはさておき、具体的な業務内容としてはうちの部署のやることだから、情報の取得、分析とその装備に関する仕事だね。あんまり外に出せる情報がないからふわふわした説明になっちゃうけど。でも楽しいことは間違いない。私が保証する。……で、どう?」

「どうと言われても……」

 さすがにこの状況で決断できてしまう人間は、頭のネジが何本かぶっ飛んでいると思う。

「そりゃ決められるわけないよね。実質説明なんか全くしてないようなもんだし、どんな条件が飛び出してくるかもわからないし。泥酔してる間に書いた署名のせいで、中東で戦闘機に乗る羽目になった人とかいるし……嫌だな、冗談だよ。そんなこわい顔しないでって」

「冗談にしてもさすがに性質わるいです。本当に勧誘しようと思ってますか?」

 もちろん、と即答するその言葉の軽さがより一層私の不信感を煽る。

「やるやらないの返事はあとでいいから、それより率直な感想を聞かせてほしいな」

「そりゃ、光栄な事だとは思います。でも、何に対してかもわからないのに期待されてるって言われても実感がわかないですし。正直――」

 行きの運転彼女がしたことは違法行為だ。あれだけ派手に速度オーバーしてつかまらない事も十分不思議だったけど、それでもただの暴走行為に過ぎない。

 これは常軌を逸している。明らかに違法な指示に従う自動運転なんてありえない。”ゆかい”にしては強力すぎる。

 その力を、私はいらないと思った。

 私には関係のない、不要なものだと。

「……よくわからないです」

「なるほどね、率直だ」

 こんな回答にもならない返事でも、彼女は納得したらしい。

「とにかく、気が向いたら連絡してよ。条件についてこっちから連絡するから、そこに返信してくれればいい」


 この期に及んで、勧誘という体を崩さないことに拍子抜けした。

 彼女は私を脅迫できたはずだ。

 校舎を抜け出しているかどで学校へ突き出すぞ、くらいならまだいい。いや全然よくはないんだけど。

 改札を通らずに外へ出ることは決して褒められた行為ではない。法律には違反していないかもしれないけど、この街のルールには反している。なにかやましいことをしているのではないか、私は不正乗車してるわけじゃないけど、それを疑われても当然の状況だ。

 だからこそ、そういうが露見することを恐れて、一回遊びに行けるくらいのお金をタクシー代として支払ってまで、ここへ来たのだ。

 それなのに、彼女はその手札を切らなかった。話を始めるための話題の一つでしかないみたいにしか扱わなかった。

 彼女の意図がわからなくて、戸惑う。


「さて、そろそろ時間か。会社戻らないと」

 車は西のジャンクションの近くで環状線を降り、そのまま学校の方へと向かう。このドライブがおしまいというのは本当らしかった。

「まだ仕事あるんですか……あんなのんびりしてて良かったんですか」

「正直あんまりよくない。もー全っ然よくない。まーた上司にどやされるからなー。これだって仕事のうちでしょうに」

 でもね、と彼女は続けた。

「私たちが進捗を得るための一分一秒を犠牲にして、たとえ一万回無駄足を踏んだとしても、それでたったひとりを見いだせたなら、取りこぼすことが無ければ、この仕事はそれでOKなんだ。今回はそのラッキーな方」

 彼女はそう言ってため息をつく。

「まったく、箱入り娘の世話を焼くのは大変だよ」

「はい?」

「気にしないで。こっちの話」

 ウィンカーの音がして、そしてなめらかに車が止まる。学校からワンブロック離れたあたりの、デッキ最上層だ。

「わかってるとは思うけど、地下駐車場通るルートなら問題なく部屋まで戻れるから。でもまだ九時前だし、真正面から帰っても大丈夫でしょう」

「どうしてそんなうちの学校の事情に詳しいんですか」

「心配しなくてもそんなやばいことはしてないって。全体公開の情報だけでもわかることって多いんだよ、案外ね」

「そういう範疇を超えてると思うんですけど……」

「そこはほら、こういう立場に立つと見えてくるものもあるってことで」


「ああ、そうだ。すっかり忘れてた」

 ドアを開けようとしていた私を、彼女が呼び止める。

「何でしょうか」

「そのタグの話。私の説明が足りないことは事実だからね。ゆかいなことを少し体験させてあげよう。期間限定、機能限定の体験版ってところだけど、それでもそうそう経験できないことだから、思いっきり楽しむといい。そうすれば――」

「そうすれば?」

 その時の彼女の表情は、まるでおもしろい悪戯を思いついたときのようだった。

「この仕事の魅力が少しはわかると思う」


 ドアを開け外へ出る。街は昼の熱気を逃さない。早く部屋に帰りたかった。

「それじゃあ瑞月さん、また今度。ドライブ楽しかったよ」

 彼女はハンドルにもたれかかりながら、組んだ腕の右手を手首で振っている。

「失礼します。……コーヒー、ごちそうさまでした」

「いい返事、期待してるからね」

 私がドアを閉め、歩道に上がったところで車は走り去っていった。

 過ぎ去った嵐のように、跡形もなく消えた。

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