13.

 西側に山のある土地では日が沈むのが早い。


 崖に沿って走る二車線道路に用意されたささやかな展望駐車場からは、目の前には太陽を隠しつつある山々、見下ろせばはるか下の方に細い川の流れが見える。

 この場所へ車を止めた途端、彼女はエンジンも切らずさっさと外へ出て行ってしまった。残された私は、仕方なしに後に続く。

 外へ出た瞬間に押し寄せる熱気と湿気が、クーラーで冷え切った身体に、今が夏であることを思い出させる。


 ちょうど校舎の屋上でするみたいに、手すりに寄りかかって、ここから見える景色をただ眺める。

 さっき降りたインターチェンジから察するに、今いるのは街の西側にある故郷の町から、さらにぐーっと北へと走ったあたり。

 かつては米を作っていたというこのあたりも、機械化するには土地が狭すぎたせいで放棄され、ただの荒れ地だ。

 私が子供の頃に廃線になった広域鉄道の後が、道路と並んで走っている。

 街の中では見ることのできない、美しい光景。


「はい、どうぞ。おごったげる」

 差し出された彼女の右手には缶コーヒーがあった。高速を降りた際、給油している間に無人スタンドで買ったらしい。手の内にあるのが私が好きな銘柄なのは、きっと偶然ではないんだろう。

「ありがとうございます」

 少し汗をかいた缶はまだ冷たさを保ったままだった。


 涼しさにはちっとも貢献してくれない風を体で受け止め続けてすでに数分が経過した。

 確かに目の前に広がるのは美しい光景だ。とはいえ、このままドライブしておしまい、というわけにもいくまい。

「それで」

 私は彼女に向き直る。私には問わなければならない理由がある。なぜ私の過去を暴くようなことをしてまで、私を試した理由を。

「こんなところまで連れ出した理由は何なんですか」

 彼女が私を見下ろす。

「そりゃ決まってる、君とふたりっきりでこの美しい夕日を眺めるため……いや、嘘じゃないって。半分くらいはこれが目当て。四分の一は私がドライブしたかったからで、残りは二人っきりで話をしたかったから」


「君はあの街の地図が不完全であることに気づいてるね?」

 こんなに大げさで、思わせぶりな演出をして、最初に出てくる言葉がそれ? というのが率直な感想だった。

「それくらい、初等部の子でも知ってるんじゃないですか?」

「そうだね。ナビはときどき変なルートを出す。理由を聞くと、この先で行き止まりになるとか、到着時間が遅くなるとか、事件が多発しているエリアを通るだとか、そういうもっともらしい理由をつける。あるいは、通れるルートが地図に反映されてなかった、ということもある。いやはや、使えないマップだなあ、ってね。でも本当の理由はそれだけじゃないと、薄々気づいているんじゃないかな?」

 それもまた、街の中で公然と通用する噂話だった。

「あなた達は地図を意図的に隠している」


「確かに、地図が不完全な理由の一つはそれだ」

 彼女はまた夕日に顔を戻す。その視線は、対岸の山々よりも、すでに半分が見えなくなった太陽よりも、はるか遠くへ向けられているように感じられた。

「おとなしくナビの提示するルートに従わない人間は、注目度が一つ上がる。もちろんそれだけでテロリスト予備軍扱いされることはない。さっきも言ったけど、抜け道の一つや二つ誰でも持っているし、君みたいに興味本位で歩き回る人間だって少なくはない。でなきゃタクシードライバーはみんな犯罪者だ」

 だけどね、と彼女は言葉を継ぐ。

「それは最大の理由じゃない」


「あの街が今の形になった最大のきっかけは君も知っての通り、十四年前この国じゅうにテロの嵐が吹き荒れたことだ」

 十四年前。

 日本史の試験で必ず問われる、そうでなくても、この国の住人なら誰でも知っている出来事。


「もとより破綻していたこの国のシステムの歪みが、国家的イベントを終えたことによる不景気という形を取り一気に噴出した。日々の暮らしに困窮し尊厳を奪われたと感じた人々は、自分たちが受け取るはずだった富を、喜びを、幸福を、全部奪っていったのは“奴ら”だと、怒りと憎悪の矛先を大都市へ向けた」

「誰かの思想信条、感情への共感と拡散が急速に拡大するプラットフォームの存在が果たした役割も大きかった。SNSへの書き込みはいつしか行進となり、人々の行進は日に日に過激さを増した。私だって入社してなかったけど、当時はうちの会社も随分方針を決めかねていたらしいよ」

「この国は銃社会じゃなかったけど、それでもやろうと思えば武器になるものはたくさんあった。鈍器、刃物、自動車、重機、毒物、そして爆弾。同調する者が増えれば選択肢も広まる。その時期に破産した企業が多かったのも、管理がずさんな物資の盗難、流出という形で一役買った。同盟国間の国際的な緊張から、諸外国による非公式な介入があったとも噂されている。少なくとも銃火器の流入については国外からの流入以外に説明のしようがない」

「どこにいても、犯罪やテロに巻き込まれる可能性を全く心配しなくてもよかったなんて、私には想像もできないね」

 彼女は矢継ぎ早に言葉を繰り出し続ける。

 その声はこれまでとかわらず抑揚に富んでいながら、どこか感情というものが抜け落ちているように感じられた。


「あらゆる大都市が暴力の標的になった。中でも最も犠牲者が多かったのは、二〇二六年十一月六日に発生した同時多発爆弾テロ事件、いわゆる十一月テロ。廃材と揮発油と爆薬をしこたま詰め込んだ大型トレーラーが街の超高層ビル、百貨店、歩行者天国の商店街に突っ込んだ」


 そして、話題がこの点にたどり着いて、ああ、やっぱりその話を持ち出すのかと、私はまるで他人事のように思った。


 戦後のこの国のあり方を大きく変化させた転換点は、今も多くの爪痕をこの国のあちこちに残している。目の前にある“切り捨てられた”地方もそのひとつだ。

 でもその爪痕というのは何も物理的なものに限ったものじゃない。

 一連の事件で多くの人が死んだ。当時、物心もつかない年齢だった私には実感がわかないけれど、それはもうほんとうにたくさんの人々が、命を落とした。


「そう、君のご両親の命を奪ったあの事件だ」

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