一九五〇年の迷宮雑感

 庭の梅の花も綻び、鮮やかな緑の色をした目白がチイチイと飛び交う頃となった。私は綿入を脱ぎ捨て、そうしてふと思う。そうだ、久しぶり、実に約二十年ぶりにあの迷宮ダンジョンの話でもしようではないか、と。


 あの迷宮ダンジョンと言うと、皆さんもうお忘れではないだろうか。かつて存在した東京地下の大迷宮についてである。私は以前、今は亡き『新幻想』誌にいておよそ一年にわたり、この迷宮ダンジョンに潜りし体験談を綴った。


 体験談と言っても、事実と反する事も書いた。読者の皆さんが気軽に迷宮に向かっては大変だから、敢えて恐ろしく書いた事もある。関係者の名前は全て偽名とした。また、単純に面白さの為に曲げた事もある。これらを一々あげつらってはキリがない事でもあるし、私も年であまり覚えてはいないのだから、そこは目をつむって頂く事にしたい。


 ただ、ひとつ書いておきたいのは、私は編輯へんしゅうこと大河原君には心から感謝していると言う事だ。彼が我が連載をあくまで小説と言う体で掲載してくれたお陰で、私は当局からの追及を免れる事が出来た。


 大河原君とは戦時を挟んで今も行き来があり、先日の訪問の際は、昔は先生には良く色々な事を書かれましたと笑っていた。私は、当時は何も思わず面白可笑おかしく書き連ねていた物だが、何だか急にスッカリ済まなくって、ここに言い訳をする機会を設けたくなった。これが、この文を書き出したひとつ目の理由である。


 大河原君には三十三人ではなく三人のお子さんが居り、猫は六引く五の一匹で、これはそろそろ猫又となる頃。鸚鵡おうむは昔はたった一羽居たのだが、疎開のごたごたで逃げられてしまったのだそうだ。鳥はあれで長生きと言うから、井の頭公園辺りにでも元気で居るかもしれない。




 家内はこれもまだ達者で、時折私の保護長靴プロテクトブーツを取り出しては丁寧に磨いている。空襲の際、この長靴が実に重宝した。落ちている瓦礫も釘も気にせず歩けるのだ。靴は頑丈に越した事はないと思った。


 硬革鎧ハードレザーアーマーメイスは家で焼け出されて仕舞ったが、一枚、写真が残っている。私が庭で、重装備でしゃちほこばっている様である。若い人に見られては、何の仮装と思われるかも知れない。


 大きな空襲があり、上野公園には仮の火葬場が設置され、そうして焼いた遺体を埋葬せねばと言う段にあたり、人々は驚愕に目を見開いたと言う。軍の立ち入り禁止区域になっていた筈の迷宮ダンジョン入り口が何処にも見当たらない。地下に伸びる階段も何も無いのだと言うから不可思議である。その報は、急を要する空襲被害の報に隠れて大きなニュウスにはならなかったが、小さな囲み記事を見た時、私は、嗚呼ああ、と思った物だ。これでもう、どうあっても、あのふたりとは会う事が叶わなくなった、と。


 そう言えば、今日はその空襲の日付である、とふと思い立ち、それが理由のふたつ目である。




 実を言うと、四階層の英山坊えいざんぼう殿とは一度再会をした事がある。迷宮ダンジョン封鎖後、何とも心が耐え難く、ひとり上野の街をうろうろとしていた時に声を掛けられた。はじめ洋装姿であったからわからなかったが、良く良く見れば御坊である。何でも、不死者から集めた財宝でどうにかやっているらしい。


 高見君と冴子嬢らの集団移動の話をすると、からからと笑い、まあ、拙僧は現実主義でありますからな、との事であった。然し、どこか瞳の奥に、彼らへの羨望が見えた様な気もし……否、これは詮索であるかも知れぬ。


 彼とはそれきりで、戦後どの様にしていたかは丸でわからない。上野の冒険横丁はじきに寂れ、更に空襲で焼けに焼けて仕舞った。跡にはヤミ市が立ち、今ではアメヤ横丁と呼ばれている。




 さて、最後にひとつ、私の重い腰を動かし、この文を書かせしめた要因を見せたい。それは手紙であり、私はこれを丸写しにすれば良いのであるから、楽である。文を一々考える必要がない。


 大河原君が社の郵便受けに入っていたと渡してくれたその手紙は、この様な物であった。




 拝啓 飯田逢山いいだおうざん先生


 そちらがどの様な季節であるか、私は存じません。しかし、先生にかれましてはどの様な気候であろうとも、お元気でいらっしゃる事と存じます。


 こちらが落ち着くまでに時間がかかり、また、物質転移テレポートの魔法の準備がありましたので、ご連絡が遅くなりました事、お詫び申し上げます。更に、物質転移テレポートは時間軸にも影響が出るとの事ですので、この手紙が届くのは随分と先になって仕舞うかも知れません。私と高見が移ってからおよそ一年と半になります。勿論もちろん、こちらの暦でですが。


 そうです。私達は迷宮ダンジョンの踏破に成功致しました。そうして、外の世界でどうにか暮らしています。仲間には犠牲が何人か出ましたが、ともあれ私達ふたりは無事に生きております。そうして、如何どうにか剣と魔法の仕事を見つけ、暮らしていく事が出来ています。


 先生。私達は色々な人と迷宮ダンジョンに下り、探索を行いましたが、中でも先生との冒険はごく強く心に残っております。先生は、一番私達に近く寄り添って下さった方でしたから。雑誌の切り抜きは今も大事に保管してあります。時折、故郷の文字を忘れない様、繰り返し読む様にしております。最終回を読む事が出来なかった事、それが心残りです。


 先生。今居るこの世界は、結局、あの時に夢見た様な理想郷ではありませんでした。争いがあり、差別があり、それ程元の日本と変わらぬ様に思える事もあります。そもそもあの迷宮ダンジョン(こちらからは雲つく高い塔に見えます)は、この世界から他所よそに行きたいと願った人が建築した物であるのだそうです。どこの世界も、きっと変わりないのでしょうね。


 それでも、私達はどうにか生きています。先生、私達が生きていると言う事、あの日本に生きていたと言う事を書き残して下さり、有難う御座います。私は、その事が何より嬉しいのです。


 長くなりましたね。一度ペンを置きます。またお手紙を書くかもわかりません。書かないかも知れません。高見にも何か書く様に言いましたが、字が下手なのが嫌なのだそうです。よろしくお伝え願う、とだけ言付ことづかってあります。


 それでは、奥様、大河原さん共にお元気でいらして下さい。きっと、もうお会いする事も無いかと思いますが、ご自愛の程、お祈りを申し上げます。


敬具 高見冴子




 この手紙は、私が受け取った中で最も遠方より届いた、そして、最も幸福な手紙である。この手紙を以って、我が迷宮ダンジョン探訪の記を、およそ二十年の時を経て完結としようと思う。


 私がかの迷宮ダンジョンより持ち帰った、希少なる財宝のひとつを、こうして読者諸氏と分け合う事が出来る事を、私はただ、只管ひたすらに嬉しく思う。

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迷宮雑感〜或る作家によるダンジョン探訪の記 佐々木匙 @sasasa3396

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