一九五〇年の迷宮雑感
庭の梅の花も綻び、鮮やかな緑の色をした目白がチイチイと飛び交う頃となった。私は綿入を脱ぎ捨て、そうしてふと思う。そうだ、久しぶり、実に約二十年ぶりにあの
あの
体験談と言っても、事実と反する事も書いた。読者の皆さんが気軽に迷宮に向かっては大変だから、敢えて恐ろしく書いた事もある。関係者の名前は全て偽名とした。また、単純に面白さの為に曲げた事もある。これらを一々
ただ、ひとつ書いておきたいのは、私は
大河原君とは戦時を挟んで今も行き来があり、先日の訪問の際は、昔は先生には良く色々な事を書かれましたと笑っていた。私は、当時は何も思わず面白
大河原君には三十三人ではなく三人のお子さんが居り、猫は六引く五の一匹で、これはそろそろ猫又となる頃。
家内はこれもまだ達者で、時折私の
大きな空襲があり、上野公園には仮の火葬場が設置され、そうして焼いた遺体を埋葬せねばと言う段にあたり、人々は驚愕に目を見開いたと言う。軍の立ち入り禁止区域になっていた筈の
そう言えば、今日はその空襲の日付である、とふと思い立ち、それが理由のふたつ目である。
実を言うと、四階層の
高見君と冴子嬢らの集団移動の話をすると、からからと笑い、まあ、拙僧は現実主義でありますからな、との事であった。然し、どこか瞳の奥に、彼らへの羨望が見えた様な気もし……否、これは詮索であるかも知れぬ。
彼とはそれきりで、戦後どの様にしていたかは丸でわからない。上野の冒険横丁は
さて、最後にひとつ、私の重い腰を動かし、この文を書かせしめた要因を見せたい。それは手紙であり、私はこれを丸写しにすれば良いのであるから、楽である。文を一々考える必要がない。
大河原君が社の郵便受けに入っていたと渡してくれたその手紙は、この様な物であった。
拝啓
そちらがどの様な季節であるか、私は存じません。
こちらが落ち着くまでに時間がかかり、また、
そうです。私達は
先生。私達は色々な人と
先生。今居るこの世界は、結局、あの時に夢見た様な理想郷ではありませんでした。争いがあり、差別があり、それ程元の日本と変わらぬ様に思える事もあります。そもそもあの
それでも、私達はどうにか生きています。先生、私達が生きていると言う事、あの日本に生きていたと言う事を書き残して下さり、有難う御座います。私は、その事が何より嬉しいのです。
長くなりましたね。一度ペンを置きます。またお手紙を書くかもわかりません。書かないかも知れません。高見にも何か書く様に言いましたが、字が下手なのが嫌なのだそうです。
それでは、奥様、大河原さん共にお元気でいらして下さい。きっと、もうお会いする事も無いかと思いますが、ご自愛の程、お祈りを申し上げます。
敬具 高見冴子
この手紙は、私が受け取った中で最も遠方より届いた、そして、最も幸福な手紙である。この手紙を以って、我が
私がかの
迷宮雑感〜或る作家によるダンジョン探訪の記 佐々木匙 @sasasa3396
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