魔法に就いて

 幼い頃、未だ十二階のそびえる浅草に、奇術の興行を見物に行った事がある。妖しげな合羽マントを羽織った欧風の術師が、手の中から次々と花や布を取り出す様が、子供心に何の琴線に触れたか、私はぐずぐずと泣き出して仕舞ったと記憶している。帰り道、父は私を肩に乗せ、何、あれは見え方の具合だ、上手く摩り替えて大仰に見せているのだ。詰まらん物だよ、等と言い聞かせた物だ。


 魔法と言うのはしかし、あの奇術や手妻とは異なり、実在する力である。読者の皆さんのほとんどは目にする事も無い現象であろうが、例えば我が頼もしき護衛であるところの、冴子嬢の手元より生ずる赤熱の火球ファイアボールは、確かに迷宮の怪物に大きな火傷を与えしめ、或いはそのまま焼失させて仕舞う。それでは何故斯様かような力が世の為と流出し、例えば不逞ふていの輩が電撃で以って殺人事件を起こしたりと言った事が起こらないかと言うと、三つの理由があるそうである。


 ひとつは、どの様な理屈であるか、かの迷宮ダンジョンの他所の場所では魔法の力を使用する事があたわぬという事だ。この理屈に就いては私は冴子嬢より様々な説明を受け、その場では成る程と頷き、またわかった心算つもりでいたものの、こうして時間を置くと何をどうわかっていたのかまるで不明である。


 ここで物分かりの良い顔をして迷宮ダンジョン壁内に存在する或る物質が云々、帝大の調査では云々とまことしやかに述べる事は可能であるが、不明である事はそのまま不明であるとしておく。これは私の物書きとしてのささやかなる矜持でもあり、本原稿の締め切りが迫っており、隣室の編輯へんしゅうの咳払いに脅迫をされている心持ちである為でもある。編輯には貰い物の羊羹を出させているが、その程度の甘味で寛容になる様な人間では無い為、筆は先を急がねばならぬ。


 さて、ふたつ目の理由、これは魔法の在り方及び操り方が明らかになった際、その教導技術は発見者により独占されたからである。今日、魔法職となり迷宮内でその力を遺憾なく発揮する為には、或る道場へ赴き、幾許いくばくかの金銭を積み上げて、その秘蹟を学ぶ必要があるのだと言う。何処となく胡乱な話ではあるが、現に冴子嬢はその道場の出であると言うのだから仕方がない。


 何でも、冴子嬢の迷宮に潜る理由のひとつは、将来に於いて彼女流の魔法道場を設立したい、その為の修行と資金捻出の意味があると言う。青雲の志である。断固たる口調で語る彼女の夢が、見事果たされん事を!


 三つ目の理由はこれも詳細は不明であるが、魔法の使用に適した人間とそうでない人間が存在する、と言う事らしい。私も好奇心から確認をさせて貰ったのであるが、見事に不可であった。学生時代には貰った試しのない成績であるので、少々落ち込んだ物だ。私とて、メイスに自らアイシクルなどの属性付与エンチャントを行い、魔法剣士として戦いに挑む空想などしないでも無かったのであるが、才能が無いのであれば致し方なし。


 さて、この様な条件を潜り抜け今魔法職として見事に活躍を見せる冴子嬢は、即ち選ばれた精鋭、と言う事となる。実際彼方此方あちらこちら集団パーティーに引く手数多であったと言うが、現在は気の合う高見君と共にこうして護衛を主に行っている。


 お嫁の行き手もあれだけあれば良かったのですけれどね、と短く断髪した髪を掻き上げ笑む様など、洋装して銀座でも歩けばさぞかし、と言う程の美女である。何でも、父上を亡くして女学校を中途で辞め、仕事を移り移って迷宮ダンジョンに辿り着いたと言う。


 だが、むざむざ探索者なぞに身を落としてだの、勿体無いだのと言う人あらば私はこの貧弱なる腕でもって幾らでも戦う心算でいる。彼女は彼女の志を以って、困難なる己の道を切り拓かんとするひとりの戦士である。闘士である。私は彼女の幸福なる意志の貫徹を願って止まぬ。


 さて、本日の私の筆はいささ饒舌じょうぜつで、ぐに話が逸れて仕舞う。魔法に就いて、と言う主題もどこか忘れがちだ。私は魔法の世に流出せぬ理由を述べ、我らが魔法職の冴子嬢に就いて述べた。それでは最後に私が実際に迷宮にて体験した魔法の話をしようではないか。


 二階層を恐る恐る巡っていた時の事である。我々は突如、野蟹シザースの群れに囲まれた。蟹と言って、大きさは大型の猫程、鋏は人の脚を挟める程もある。それがわらわらと迷宮の天井から床から現れ、我らを取り囲むのである。高見君が、これらにはおれの剣は効きません、と言い出した時には、私は眼前に死神の鎌デスサイズの迫る様を、革鎧レザーアーマーの下の背にヒヤリと汗の滴るのを感じた。そうして高見君は私の手を引き一歩下がる。反対に冴子嬢は前に出、スタッフを迷宮の湿った床に叩きつけた。


 ゴウ、と何かが通り過ぎたのを感じた。術師が強力な魔法を使用した時に生ずる、魔力風と言うのだそうだ。そうして起こった事は何か。空間に雷鳴が生じた。雲は無い。雷撃雨ライトニングサンダーボルトである。私は雷の光が真っ直ぐに何かを灼き尽くす場面と言う物は初めて見た。絶景と言う他無い。幾筋もの白い電気の残像が、野蟹シザース達をごろごろと地面に転がる黒焦げた残骸に変えて行った。幸いにも蹂躙じゅうりんから逃れた者は、恐れをなしたかの様にぞろぞろと横歩きに逃げて行った。彼らには彼らの巣が有るのだろう。


 さて、この戦いで私は少々脚に傷を負った。大した物ではないが、やや痛むため、警戒を続ける冴子嬢に対して傷が治るような魔法なぞ掛けてはくれないか、と軽い気持ちで声を掛けたのだ。すると高見君と冴子嬢は顔を見合わせた。


「先生、この迷宮内でも、治癒の魔法ヒーリングと言う物は未だ発見されていないのです」


 案外な言葉に私は耳を疑う。例の道場主も、遂に傷を回復せしめる技は生み出せなかったのだと言う。或いは、何某かが秘密で発見をし、秘匿していると言う事は有り得るそうだが。


 傷を癒す為には例の祈りの部屋に篭って石に頼るしか無いのだと私はその時知った。または軟膏キップパイロールや包帯で一先ずの治療とするしか無いと。


 魔法は万能の秘薬では無い。私は脚を引きずり引きずり、二階層の祈りの部屋を求めながら強く心に刻んだ。先の大魔法を使用した冴子嬢には、少々疲れが見える。魔法には精神の力が必要である。そうして、精神の疲労は肉体の怪我と違い、あからさまには見て取れぬ。迷宮の魔法職には、無理を押して戦い、物狂いになった者、酷い気鬱を呼び寄せた者、白痴と化した者等の話が伝わっていると言う。


 我々は祈りの部屋でしばらく休んだ。私の怪我は直に治癒し、疲労も快癒したが、高見君はより長くの休憩を選んだ。目を閉じて壁に寄り掛かる、冴子嬢の身を慮っての事であろう。


 冴子嬢は休みながら、子供の頃の話などを聞かせてくれた。彼女も矢張り、時と場所は違えど、奇術を見たのだと言う。気難しい子供であった私とは違い、彼女はその手妻に目を輝かせたのだとか。そうして長じた後、行く手の無くなった彼女が選んだのは魔法の道であった。


「種も仕掛けも無い、と言うのをやって見たかったのです。でも、何分不器用な物ですから」


 彼女はそう言う。不器用と言うならば自分もである。数々のはずかしき失敗の後、こうして筆を武器に戦う道へと転げ込んで来た。為に、私はどうあっても彼女を擁護せざるを得ない。


 やがて冴子嬢は無事回復し、我々は神秘なる部屋を後にした。我々は既に幼い子供ではない。父は私が作家として身を立て始めた頃に卒中で身罷みまかった。我々は傷ついた己の脚で、湿った地面を踏みしめ、歩いて行かねばならぬ。




 さて、その後の事はこうして私が無事帰還し、部屋で原稿に勤しんでいる事からも想像して頂ける事であろう。あとは最後に勿体ぶった締めの言葉を用意し、それを以って編輯に原稿を手渡すのみである。


 Be ambitious! との言葉を以ってこの稿を終わりにしよう。これは何も陽光に満ちた激励の言葉や、前向きの押し付けではない。この暗い夜道が如き現実をほのかに照らす為の、小さな洋燈ランタンの様な物である。冴子嬢であれば、光あれライトと呟き、掌に仄白く輝く光を以って道を明らかにするのであろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る