君よ知るや地底の星

 門番を務める人狼ワーウルフは、明らかに常の個体よりも一回り大きく、荒々しい空気を纏っていた。鼻面に皺を寄せ、辺りを警戒している様などは鬼武者の如しである。我々は物陰からそっとその様子を伺う。こちらは、一寸法師か何かにでもなった気持ちであった。


 高見君が小さく頷く。私は手汗を拭い、メイスを握り締めた。我々三人は物陰を飛び出し、一心に、真っ直ぐに、人狼ワーウルフ目掛けて駆けて行った。




 高見君と冴子嬢に相談を行うと、迷宮ダンジョンの封鎖にいては、探索者の間では以前から密やかなる話題になっていた物らしい。元々放って置かれていたのが不思議なのですよ、と乾いた物だった。


「君らは、どうするね」


 高見君は眉をぐっと寄せ、冴子嬢は口を曲げる。生業を失う上に、冴子嬢に至っては将来の夢さえも失くす羽目になるのである。仕方の無い事と言うは簡単であるが、残酷極まりない。しばし、沈黙が辺りを薄暗く染めた。


 私は話題を変える事とし、懐から一枚の硬貨を取り出した。例の拾い物である。


「調べて貰ったが、この金貨は、現在、主だったどこの国でも使われてはいない様だ、との事だったよ」


 それは、と高見君が何やら言いかけ、冴子嬢が止める。


「これは何処どこから来たのか、君達は知ってはいるのではないかとにらんでいる。金髪の探索者と同じところではないかね。それは、迷宮ダンジョンの下の――」

「そこまでご存じでしたか」

「仮説だよ。妄想と言っても良い」


 だから、本当の所を聞かせてはくれないか、とせがんだ。冴子嬢は渋い顔ながら、ゆっくりと話を聞かせてくれた。それは、実に驚くべき物であった。


おっしゃる通りです。この迷宮ダンジョンは全部で二十階層――発見されたと言う十五階層よりも、実際はもっと深くまで人が踏み入っています。そうして、その探索者は知りました。迷宮ダンジョンには、外があるのです」


 外、と聞いて私はいささか驚きにえなかった。てっきり、地下深くに人の棲む場があるとばかり思っていたのである。


「そこは、こちらと変わらぬ、緑の草が生え、青い空に日が昇り、人の棲む土地なのだそうです。伝聞ですけれどね」


 冴子嬢はそうして、一度口をつぐみ、後を高見君が引き取った。


「大抵の探索者は、その土地を目指して迷宮に潜っています」

「君達もかね」

「おれ達は、少し諦めていました。冴子には道場の夢もありましたし。ただ、封鎖の話を聞いて、居ても立っても居られなくなった」


 私は初め、その外の土地とは、単に到達点ゴールとしての価値なのだろうと考えていた。だが、話を聞くうちに、どうやら違うのではないかと思えてくる。彼らは、つい住処すみか此処ここからの脱出口としてその土地を目指しているのではなかろうかと。少なくとも、高見君はそんな口ぶりであった。


「おれは、迷宮ダンジョンが無くなれば、何処にも行くところはありませんから。潜るしか能が無いんです」

しかし、迷宮ダンジョンはもう……」

「封鎖の前に、下に行きます。昔の仲間に誘われているんです。同じ様な探索者を集めて、外まで行かないかと」


 それは、随分と危険な賭けに思えたものだが、高見君の目は真っ直ぐに前を向いていた。


「冴子君もかい」

「ええ」


 彼女は毅然と頷く。


「一緒に行くと、約束しました。道場が作れないのなら、どこに行ったって同じですものね」


 私はこのふたりの関係性につき、これまで敢えて何も書かないようにしていた。彼らは高潔で、礼儀正しく、何もかもが邪推に過ぎぬと感じていたからである。だがこの時、私は、ああ、そうかと思った。思って、それきりである。ただ、少しばかりこそばゆく、嬉しくは感じた。


「それで、行くのか」

「ええ。間違えれば死にますし、成功しても、きっと帰るのは一苦労ですから、結果がお知らせ出来ないのが残念です」


 ですから、どうか私達は達者でいると、そう思っていて下さい。冴子嬢はそう言って笑った。芙蓉ふようの花の如し、と言う例えが頭に浮かぶが、私は芙蓉の花を知らぬ。


 それから、我々は門番を如何どうにかする為の作戦会議へと移った。彼らは、私を外へは誘わなかった。それは、私が戦闘にいて役立たずである為でもあったろうが、単純に見抜いていたのであろう。私が現実世界のしがらみに引かれるばかりである事を。あるいは、私に帰る場所が用意されている事を。


 私は外の世界、此処とは似て異なるであろう世界に、引き裂かれる程強く憧れた。然し、踏み切る迄には至らなかった。家内の、編輯へんしゅうの、これまで関わった人々の顔が浮かんだ。と言って、ふたりを恨む気持ちも無い。その世界は、恐らく、彼ら追われる目をした若者達の行き場なのであろう。


 何処までも旅をしなさい。私は内心でそう思った。己の受け入れられる場所を作るのだ。決して諦めぬよう。陳腐な言葉である。彼らはもうとっくに覚悟を決めているのであるから、贈る必要の無い言葉だ。私は、ただ心の中で祝福を送り続けた。




 高見君の剣が、何度も人狼の硬き肉体に叩きつけられた。私は隙を見て只管ひたすらに殴りつける。火球ファイアボールが飛ぶ。作戦とは言った物の、結局は総力戦である。やがて、門番は大きく吠え、膝をつきかける。そろそろであろう。私は態と後ろに跳び退り、退路を空けてやった。人狼ワーウルフは、闇雲に腕を振り回しながら、空いた道を駆け、やがて姿を消した。


 ホッとした顔で高見君が笑う。我々も疲労困憊ひろうこんぱいながら、笑みを返した。そうして、目の前の扉を眺める。


 この扉の向こうに、六階層への階段があるのだと言う。この扉を開ける為に、私はこれ迄進んできた。無益な殺生を、時に楽しいとすら思いながらやって来た。何だか、済まない様な気がした。ここで開けずに逃げ帰って連載はしまい、そんな情けなさが自分には合う様な気すらした。


 業を煮やしたか、高見君が私の手を持って扉に当てる。私は観念した。観念し、力を込めて扉を開いた。そうして、先の階段に飛び込む。


 少しばかり下ると、暗い狭い、湿った道の中、突然冴子嬢は洋燈ランタンに覆いを掛けた。何をするのかね、と言おうとしたその時に、ふと真っ暗な視界の彼方此方にボンヤリ光る物達があるのに気づく。


 それは、淡い青スカイブルーであり、静かな紫ヴァイオレットであり、深い赤ガーネットであり、澄んだ白スノウホワイトであった。


 とりどりの色彩は、星空の如く、我が視界を埋め尽くした。良く見ればそれは、壁に埋もれた鉱石であった。それが蛍の様に淡く輝いているのだ。


「この階段は、五階層を抜けた人への、御褒美と言われています」

「先生、突破おめでとう御座います」


 ふたりが笑ったのが、空気でわかった。私は軽く涙ぐむ。鉱石の空がにじみ、ぼやけた。


「元気で」


 私は今更、そんな事を口に出す。


「元気で居てくれたまえ。何処に居ても、必ず」


 はい、若者達は、我が頼れる護衛ふたりは、真っぐに声を上げた。


 私はもう一度天井を見上げる。空の星ほど強い光ではない。燐光りんこうとも言うべき、頼りのない灯りである。しかし、照らす光さえあるならば、それはきっと良い道だ。


 私はもう一度、何とも知れぬ神に祈った。今日限り別れる身の上のふたりに、ささやかなる幸いあれ、と。




 さて、この美しい光景をもって、我が連載を終えるのが良かろうかと思う。読者諸氏、目を閉じ給え。そうして、まぶたの裏に頼りなき石の灯りを宿し給え。この光景を描く為にこそ、私はこれ迄只管ひたすらに苦労を重ねて来たのだと、今はそう言える。


 高見君と冴子嬢は、それから上野より姿を消した。迷宮ダンジョンはご存知の通り立ち入り禁止とされている。早晩、人々の記憶からも消えて行くであろう。


 だが、どうか、この東京地下を、一作家が不恰好な構えで駆けて行った当記録が、誰かしらの心にボンヤリ燐光の如く残る様。私はそれを願って止まぬのだ。

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