毒と薬

 巣があるらしいのですよ、と高見君は言う。奥の方、誰も探査したことの無い辺りに棲み着いているのだそうです。


 何の巣であるか。人狼ワーウルフである。頭部は禍々しき狼、首から下は毛深き人の身体を持つと言う生物が、この階層には彷徨うろついているのである。


 久々の迷宮ダンジョン探索である。否、これまでも我々は何度もこの五階に挑んでは中途で上へと立ち戻っていた。熟練ベテランの探索者たる高見君と冴子嬢は人狼ワーウルフと互角に渡り合うのだが、私がいけない。大怪我をする前に立ち返っては上階で回復を行い、四階は四階で不死者アンデッド共に追われては上へと戻り、次は亀と駆け比べを、と中々に難儀をしていた。我々はまだ、五階の祈りの部屋にすら到達していないのである。


 大体、編輯へんしゅうもいけない。五階層に到達したとの報を知らせて、さて寂しいがこれで迷宮ダンジョンともおさらばであるか、としみじみしていたところを、いえ私は五階層を踏破してはどうかと言う心算つもりだったのですが、等と後出しである。それならば先に六階層まで行けと言えばよろしいのだ。


しかし、ここは難所ですよ。我々も簡単に行けるところではありません」


 二人は地図を広げる。簡単ながら見易い図の、西区画は途中で空白となっている。ここが例の人狼ワーウルフの巣であろう。


「通路に出る人狼ワーウルフも難敵ですが、さらに、階段に繋がる部屋の前に一際強いのが見張りと陣取っています。ある程度怪我を負わせれば治癒の為に撤退しますから、運が良ければ素通りが出来ますが、そう上手くはいかないでしょうね」


 縄張り意識であろうか。そもそも、考えてみれば彼らの巣の近くに突然現れ暴行を働くのは我らの側である。正当な反撃ででもあろう。


「正直なところ、あまり無理をする事はお勧めしないエリアです。ここでたおれた探索者があまりに多いので、四階は不死者アンデッドあふれているのですし」


 冴子嬢は思案顔である。私を心配してくれているらしい。有難い事であるが、編輯と締切とが私を駆り立てる。踏破は遠い目標としても、何か話の種を持ち帰らねばならぬのだ。


 まあ、ゆっくり進んで行こうじゃないか、そう言うと、神妙な顔でふたりは頷いた。




 五階の難敵は、まず何を置いても人狼ワーウルフであるが、他にもあれこれと厳しく、煩わしい。代表たる物が毒蛙ポイズンフロッグである。この黄色と紫色のだんだらになった模様の大蛙は、大した怪我は負わせぬものの、人の傷に毒液を浴びせて来る。


 毒を食らうとどうなるか。カッと傷口は腫れ上がり熱を持ち、次第に全身がだるくなる。やがて武器を握る力も落ち、動きも鈍くなる。そうして弱ったところを人狼ワーウルフなりに襲われればひとたまりもない。


 ですから、毒蛙ポイズンフロッグを見かけたら先ず何よりも先に叩き潰して下さい。高見君は自ら率先して蛙をなますにしながら、そう指示をくれた。人狼ワーウルフにはとても敵わぬ私の、この階層での大事な仕事である。


 この仕事を、何とした事か、私は怠った。否、怠る心算は無かったのだが、結果としてその様な事となった。痛恨の極みである。


 時折訪れる不死者アンデッドかわし、人狼ワーウルフと高見君の力強き撃ち合いに手に汗握り、それとて辺りを警戒する事は決して忘れてはおらぬ心算であった。だが、気づいた瞬間には、先に負った腕の傷が灼ける様に熱くなっており、慌て背後を振り向くと、小馬鹿にした様な顔の蛙が槌の届かぬ遠くへとぴょこぴょこ跳ね逃げていくところであったのだ。傷にはべとりと嫌な粘つきの液が掛かり、酷い染み方をする。涙が出るかと思った。


 さて、どうするか。高見君は優勢とは言え人狼に手一杯であり、こちらの窮地に気づく余裕もあるまい。冴子嬢はそれを隙を見て援護せんと杖を握り締めている。こうなれば自分でどうにかする以外にあるまい。私は邪魔にならぬ程に下がると、腰の袋から預かっている薬草類を取り出した。


 さて、ここで問題が生ずる。私は結局、これらの薄紙に挟まれた薬草類を見分けるのに成功出来ずにいたのだ。どれも同じ程度の大きさの、どれも緑色の、どれも軽く芳香のする葉である。それぞれ身体の麻痺と、昏睡と、軽い毒に効くそうだが、はて、毒には何を用いるべきであったか。それなりに値の張る物であるから、無駄遣いしては勿体無いし、何より身体にも悪かろう。頭を捻っていると、なんだか思考がボンヤリとしてきた。熱が生じているのであろう。これはまずいと慌てる。


「先生、百合です。百合の葉に似た薬草です」


 冴子嬢が鋭く声を掛ける。高見君の剣が閃き、人狼の片耳を削いだ。続けて小爆発が鼻先で起こり、敵は目を塞ぐ。


 百合は、私のわかるごく少ない花のひとつである。水仙と時折間違えるが、まあ大抵は当たる。透き通る様に白い、喇叭ラッパの様な花だ。然し葉はどうであったか。私は植物図鑑ではない。再び腕を組んで唸る。熱は頭を苛む。立っているのも何となく苦しい。


「平行脈です。細くて何本も筋の通っている葉です」


 目も霞んできたが、どうにか私はその葉を掴み取った。手当の仕方は教わっている。半分に千切り、片方は口に突っ込み、もう片方は揉んで、消毒薬オキシドールで拭った傷跡に当てて包帯を巻くのだ。兎も角私は薬草を口に放り込んだ。


 これが、不味い。


 再び涙が湧いてきたが堪える。味が何であろう。匂いがきつい。高見君は勇ましく難敵と勝負しているのである。苦い。冴子嬢の機転に感謝をせねばならぬ。つんと染みるような薬の味がする。


 舌が痺れているのは、毒の所為か、薬の所為か。壁に寄りかかり、どうにか息をしているうちに遂に高見君の剣は人狼を薙ぎ払い斃した。冴子嬢が駆け寄って来る。てきぱきと荷物から消毒の道具を取り出し、包帯を巻いてくれた。


「だから言いましたでしょう、区別はつけて下さいって」


 済まない、と何度も謝っている内に、スッと嫌な熱は引いてきた様に思う。傷もやがて治る事だろう。


 この話は、飯田逢山渾身の失敗談として、笑い伝えて行って頂きたいと思う。冴子嬢もひとつ反省し、薄紙にはしっかりと効能を書いてくれる様になった。




 笑い話には、さらに後日談がある。


 私は迷宮ダンジョンより外に出て帰宅し、数日の後に家内と近所を散歩していた。すると、道端に枯れかけた緑の葉がある。平行脈である。筋の通った、あの薬草よりは幅の大きい葉だ。


 私はやや得意になり、家内にこう話しかけた。


「おい、これは百合の葉だろう。筋がこう、何本も通っている。これに似た薬草をこの間食う羽目になったよ」


 家内はしゃがみ込んでその葉をつくづくと眺めた。そうして可笑しそうにしながら私の言を訂正する。


「あら、これは違いますよ。鈴蘭だわ。小さくて可愛らしい花を付けますよ」


 迷宮ダンジョンの内外でこうも恥をかいては、私の行き所はとうとう無くなってしまうのではないかと思った。


 家内によると、鈴蘭は可憐だが、猛毒の持ち主でもあると言う。これは益々取り違えは大変だ。毒と薬を間違えてはもう、どうにもならない。


 思うに、人生の苦難たるものはこの、毒と薬との取り違えによって発生するものが殆どなのでは無いかとふと思う。


 諸氏よ、学び給え。あなたが我が笑い話を踏み台にし、教訓とし、世の毒と薬との区別をつけ、少々なりとも苦難を乗り越えていくことが叶うならば、それは、物書きの数少ない有為となる場面なのであるから。

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