毒と薬
巣があるらしいのですよ、と高見君は言う。奥の方、誰も探査したことの無い辺りに棲み着いているのだそうです。
何の巣であるか。
久々の
大体、
「
二人は地図を広げる。簡単ながら見易い図の、西区画は途中で空白となっている。ここが例の
「通路に出る
縄張り意識であろうか。そもそも、考えてみれば彼らの巣の近くに突然現れ暴行を働くのは我らの側である。正当な反撃ででもあろう。
「正直なところ、あまり無理をする事はお勧めしない
冴子嬢は思案顔である。私を心配してくれているらしい。有難い事であるが、編輯と締切とが私を駆り立てる。踏破は遠い目標としても、何か話の種を持ち帰らねばならぬのだ。
まあ、ゆっくり進んで行こうじゃないか、そう言うと、神妙な顔でふたりは頷いた。
五階の難敵は、まず何を置いても
毒を食らうとどうなるか。カッと傷口は腫れ上がり熱を持ち、次第に全身が
ですから、
この仕事を、何とした事か、私は怠った。否、怠る心算は無かったのだが、結果としてその様な事となった。痛恨の極みである。
時折訪れる
さて、どうするか。高見君は優勢とは言え人狼に手一杯であり、こちらの窮地に気づく余裕もあるまい。冴子嬢はそれを隙を見て援護せんと杖を握り締めている。こうなれば自分でどうにかする以外にあるまい。私は邪魔にならぬ程に下がると、腰の袋から預かっている薬草類を取り出した。
さて、ここで問題が生ずる。私は結局、これらの薄紙に挟まれた薬草類を見分けるのに成功出来ずにいたのだ。どれも同じ程度の大きさの、どれも緑色の、どれも軽く芳香のする葉である。それぞれ身体の麻痺と、昏睡と、軽い毒に効くそうだが、はて、毒には何を用いるべきであったか。それなりに値の張る物であるから、無駄遣いしては勿体無いし、何より身体にも悪かろう。頭を捻っていると、なんだか思考がボンヤリとしてきた。熱が生じているのであろう。これはまずいと慌てる。
「先生、百合です。百合の葉に似た薬草です」
冴子嬢が鋭く声を掛ける。高見君の剣が閃き、人狼の片耳を削いだ。続けて小爆発が鼻先で起こり、敵は目を塞ぐ。
百合は、私のわかるごく少ない花のひとつである。水仙と時折間違えるが、まあ大抵は当たる。透き通る様に白い、
「平行脈です。細くて何本も筋の通っている葉です」
目も霞んできたが、どうにか私はその葉を掴み取った。手当の仕方は教わっている。半分に千切り、片方は口に突っ込み、もう片方は揉んで、
これが、不味い。
再び涙が湧いてきたが堪える。味が何であろう。匂いがきつい。高見君は勇ましく難敵と勝負しているのである。苦い。冴子嬢の機転に感謝をせねばならぬ。つんと染みるような薬の味がする。
舌が痺れているのは、毒の所為か、薬の所為か。壁に寄りかかり、どうにか息をしているうちに遂に高見君の剣は人狼を薙ぎ払い斃した。冴子嬢が駆け寄って来る。てきぱきと荷物から消毒の道具を取り出し、包帯を巻いてくれた。
「だから言いましたでしょう、区別はつけて下さいって」
済まない、と何度も謝っている内に、スッと嫌な熱は引いてきた様に思う。傷もやがて治る事だろう。
この話は、飯田逢山渾身の失敗談として、笑い伝えて行って頂きたいと思う。冴子嬢もひとつ反省し、薄紙には
笑い話には、さらに後日談がある。
私は
私はやや得意になり、家内にこう話しかけた。
「おい、これは百合の葉だろう。筋がこう、何本も通っている。これに似た薬草をこの間食う羽目になったよ」
家内はしゃがみ込んでその葉をつくづくと眺めた。そうして可笑しそうにしながら私の言を訂正する。
「あら、これは違いますよ。鈴蘭だわ。小さくて可愛らしい花を付けますよ」
家内によると、鈴蘭は可憐だが、猛毒の持ち主でもあると言う。これは益々取り違えは大変だ。毒と薬を間違えてはもう、どうにもならない。
思うに、人生の苦難たるものはこの、毒と薬との取り違えによって発生するものが殆どなのでは無いかとふと思う。
諸氏よ、学び給え。あなたが我が笑い話を踏み台にし、教訓とし、世の毒と薬との区別をつけ、少々なりとも苦難を乗り越えていくことが叶うならば、それは、物書きの数少ない有為となる場面なのであるから。
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