映画時代と十月日記

 十月十二日


 浅草にて映画『大迷宮』を観賞す。


 これが実にまずい。俳優の演技ではない、女優なぞはなかなかの綺麗所なのだが、話と何より画面がまずい。どこぞの小さな洞穴でもって迷宮ダンジョンでございとは全く笑わせる。主演男優は随分な背高なので、どうもいつ頭がつかえるか、気懸りで仕方がない。話の方は大して起伏も無いのに、そちらでハラハラしているうちに映画が終わって仕舞った。


 家内なぞはそれでも、仲見世通りをぶらつきながら、「あのぬえの様な怪物モンスターが襲って来たところは良かったです事」等と喜んでいる。鵺ではない、蛇尾獅子キマイラである。ぎの縫いぐるみのような酷い有様であったが。私は苦虫を噛み潰しながら答えてやった。


「あんな強力な怪物モンスターが、たかだか二階三階に出てくるものか。映画では随分簡単にやられた様だが」

「あなた、本物を見た事があるの」

「だから、二階三階には居ないと言ったろうよ。良いか、蛇尾獅子キマイラと言うのは」


 そこまで言って、実際どの辺りに、どの様に棲息している物であるのか、私も特に知らぬと言う事に気がついた。


「……まあ、その、もっとずっと下の方だ。私もついぞお目にかからん」


 家内は生真面目に、そうでしたか、とうなずいている。素直な女で良かったと思う。蛇尾獅子キマイラの詳細については、いずれ高見君にでも聞いてみる事にする。


しかし、本当の迷宮ダンジョンはあんな物では無いよ。天井はもっと高い。通路は狭苦しくはあるが、偶にある広間なぞは、そこらの座敷よりも広い位だ」

「それは、あなたは本物をご存知でしょうけど、私は見た事がありませんもの」


 お前も来てみるか、と言いそうになり、止める。流石に危険な事であるし、あれは最近では、私ひとりのちょっとした楽しみでもある。何より、絣の着物の上に革鎧レザーアーマーを着けて迷宮ダンジョンに潜る、勇ましき家内の姿を想像し、思わず笑いそうになってしまったからだ。咳払いをして誤魔化したが、きっと私はおかしな顔をしていたと思う。


「何ですか。ちょっと探索にお詳しいからって気取ってらっしゃる」


 お陰で家内の機嫌を少々損ねて仕舞った。仕方ないので、然し音楽は悪くなかっただの、俳優は男前だっただの、どうにか良かったところを探し連ねて媚びへつらう事とする。これが現代の夫の情けなき実情である。


いずれ本物の迷宮ダンジョンで撮影でもあれば、私も少しは、あなたと冒険している気になれるでしょうにねえ」


 機嫌が直ると、まあ多少はいじらしいことも言う。私は、だが、その言葉に少々苦笑いした。


 撮影は、行われているのである。勿論今の『大迷宮』の物ではない。新しい、もっと大きな会社の映画だ。迷宮ダンジョン一階層を封鎖し、探索者を大勢護衛に雇い、万全の態勢での撮影なのだと言う。


 お陰で私は四階層を彷徨うろついて以来、迷宮ダンジョンの地下に潜れずに居る。入り口で差し止められて仕舞うのだ。


 ならば今回は連載も休止で良いではないかねと言うと、編輯へんしゅうは、いいえ、ページを空けては困ります。どうにか潜らず文をデッチ上げて頂きたい等と答えるのである。否、デッチ上げよとは言わなかったかも知れぬが、兎に角書け、書かねば只では置かぬと言う。恐ろしきは豚人オークの斧と編輯の執念である。


 そこで今、私は、かの今ひとつであった映画の話なぞして、茶を濁している。残りを如何いかに埋めるか、それが思案どころである。




 十月十七日


 新聞にて映画『地下迷宮ラビュリントスの女』撮影中止の報を知る。例の本場での撮影を敢行していた作品である。何でも安全性に問題ありとの事。咄嗟とっさに怪物による死亡事故でもあったかと身構えたが、そうではなく、足場の不安定による負傷との事で、まあ、一安心と言ったところだ。然し家内は心配顔である。


「あなた、中では転んだりはしませんの」

「それは、少しは転ぶし怪我もするともさ。だが、怪物モンスターと戦うのだぞ。それ位が何だ」

「女優さんは足を挫いたそうじゃありませんか」

「どうせ細い靴で歩いたんだろう。しっかりした靴なら大した事はない」

「それなら、革長靴レザーブーツを履いて行ったらどうかしら」


 世の妻と言う物は、これ程心配性なのであろうか。と言うよりは、心配の方向がずれているとは思わぬのだろうか。そもそも、夫が危険なる迷宮ダンジョン探索なぞに現を抜かしている事実は、家内にとって問題にはならぬのだろうか。深淵の謎である。そんな物は高いし、近所では売っていないだろう、と適当な事を言って、私は新聞をまくった。




 十月二十一日


 西郷さんの像から程近く、封鎖の終わった迷宮ダンジョン入り口は、その日も陰鬱に人を誘っていた。私は久々の硬革鎧ハードレザーアーマーメイスを装備し、やや緊張の面持ちで高見君と冴子嬢に合流する。二人の顔を見ると、何とも懐かしい気持ちがした。


「映画は残念だったが、中に行けるのは嬉しいね」

「中々良いお仕事ではあったのですけどね」


 二人も、撮影の護衛をしていたと言う話は先に聞いていた。楽しかったかいと聞くと、笑顔でうなずく。


「女優さんをあんな近くで見たの、初めてです。素敵だったわ」


 冴子嬢はやや興奮の様子であった。高見君は撮影の機材の方に興味津々で、ふたりの若者らしいところを垣間見た心持ちがした。


 では、中に行くかと足を運ぶと、高見君が目を瞬かせる。


「先生、どうしたんです、その靴は」


 私は少し面映くなり、頭を掻く。今履いている靴は、家内の寄贈物であり、頑丈で丈の長い、古びた保護長靴プロテクトブーツであった。革長靴レザーブーツの上に、金属板が貼り付けてある。上野の防具屋から流れてきた物を、近場の古着屋で発見したのだというから、これはまあ、防御の面では確かな物ではある。


 問題は、傷のついた硬革鎧ハードレザーアーマーに、着古しの袴に、古い保護長靴プロテクトブーツという格好がいささか珍妙であるということ位であろうか。鎧こそ脱いではいたものの、この格好で電車に乗る際には、誰かが足元を見ていないかと少々気を揉んだ。


 経緯を話すと、冴子嬢は即座に家内の肩を持ち、高見君すらも防御は大事です、と頷く。私の恥の行き所は何処どこにもなくなるのだった。


 しかしこの靴、実際に足場の悪い迷宮ダンジョンに入ると、確かに頑丈で歩きやすく、足を捻る心配も無い。大亀タートルから逃げる際にも中々に快適である。家内には密かに感謝を捧げなければならぬかも知れぬ。


 もし当連載が映画化の栄誉に浴した際には、俳優には全て長靴ブーツの装備を義務付けて頂きたい物だと思う。見栄えは多少悪くとも、事故防止、安全第一の観点では申し分なかろう。


 真の情愛は、相手の心身の無事を祈る、その心にこそ宿るものではないか。

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