迷宮雑感〜或る作家によるダンジョン探訪の記

佐々木匙

潜ると言う事

 地下迷宮ダンジョンという物はまずかび臭く、じめじめとして、いやだ。


 私は何度も断るつもりでいたのだが、編輯へんしゅうがまあまあと押し切ってしまった。護衛はキチンとつけますから、飯田先生お願いしますと言う訳だ。私は自ら飯田逢山などと号しておきながら、先生などと言われると大変むずかゆく変な顔になってしまう、その隙をやられた。


 仕様がないのでこうして臭気にえながら今、上野公園の地下に潜っている。第一階層のあたりはもうあらかた掘りつくされ、怪物もそう大きな物は出ないと言うが、それでもそれなりの犬程度の大きさの物は時折襲いかかってくるものだから、恐ろしい事この上ない。帰りたい、と思った。何度も思った。


 今しがた小鬼ゴブリンをわっと斬り伏せたのは、傭兵の高見君である。彼は東北の出とかの無口な好青年で、返り血をいとわぬ。怪物と見るや即座に剣を振り、一撃でえいやと両断し仕留める様には恐れ入った。そこらの剣道の試合などとは違う、腰の入った見事な剣技であった。


 ただし、先生、小鬼ゴブリンは宝をよく隠し持っていますから、などと言っては両断された死体を漁る様には少々閉口した。怪物と言えど生き物である。殺すのは良い。葬れとは言わぬ。そのまま放ってやる訳にはいかないか、と言うと変な顔をされる。傭兵の生活の前には作家の感傷は無為に終わる。


 さて、怪物の接近が遅く、或いは毒等を持った危険生物であった場合はどうであろうか。そこに魔法が役立つ。今ひとりの傭兵、冴子嬢は魔法の得手である。遠くに認めた犬人コボルドの群れなどを火球ファイアボールで焼き尽くす様は、地下にも美麗の花火ありといった趣で大層心強かった。


 この冴子嬢、モダンな簡単服ワンピースの代わりに法衣ローブまとったなかなかのお喋りで、本来ならば女学校を出て職業婦人に成りたかった、などと聞かせてくれる。そうして流れた結果この魔法職を選んだのだと言う。才気煥発さいきかんばつの乙女の自由なる活躍の場が地下にばかり開けているとすれば、これは我が国の由々しき課題ではないかと考えざるを得ない。


 これらの戦闘の間、私が何をしていたかと言えば物陰に隠れ、息を殺して目ばかりは爛々らんらんと、出歯亀の体でジッと見守っていた。何が出来る筈もない。戦闘は厳粛な儀式である。担い手が慣れ、多少形骸的になろうともだ。私は、保険にと着せられた似合わぬ革鎧レザーアーマーの中で、それこそ亀の如く四肢を縮こめるばかりであった。


 地下に出ると言うと小鬼ゴブリン犬人コボルド骨人スケルトンと、亜人獣人死人の類。流石の高見君と冴子嬢で、これらを奇襲すら許さずに忽ち退治していった。何でも、普段はより深い、第七階層のあたりを探索できる実力の持ち主と聞いた。しかし無為の徒を守り剣を振るうには、普段の何倍もの力が要る事であろう。我が身のつたなさを嘆くばかりである。


 そうして半ば引っ張り回されているうちに、やがて足元は、ずるずると湿った苔と土と石の混淆こんこうから、誰が敷き詰めたか石畳の乾いた地面に変わっていった。足音が違う。ここからは特別ですから、と高見君がどこか厳粛な面持ちで頷いた。特別って何だい、と問い返す間もなかった。淡い光が見えた。


 そこには、ごくほのかな紫色の光を放つ、人の頭程の大きな宝石が安置されていた。薄藤うすふじである。竜胆りんどうである。半色はしたいろである。光は濃く薄く、あえかに色を変えた。高見君が洋燈ランタンに布を被せると、いよいよ狭い部屋は石の光のみに満たされた。これはどう言う物かね、と尋ねる声もかすれるように思えた。


 これは祈りの部屋と言って、一階層にひとつある、大事なところです。ここで祈りを捧げることで、探索者は傷を癒し、さらに進む事が出来るのです。冴子嬢が小声で言った。その様子から、この場が彼らにとり、重要なだけでなく神聖なな物なのだと言う事が察せられる。ああ、触れてはいけませんよ、と言うので私は手を引っ込めた。


 そうして彼らは祈りを捧げる。何に対してか? それは、彼らにもわからぬのかも知れぬ。八百万やおよろずの神のひとつか、それとも天にひとつきりあるというあの神であるのか。私も真似事で手を組み祈った。道中の無事だの、原稿の進捗だの、次は小説の依頼が良いだのと手前勝手な祈りを捧げた。


 それで良いのかは果たしてわからぬ。わからぬなりに、彼らの哲学の一端に触れた気になり、私は気が大きくなった。それで、この石は誰も持って帰らないのか、などと聞いて二人に酷い目で睨まれた。この場は公共のものである事、そもそも何らかの力により石を動かすは叶わぬ事を教えられた。私は更に恥じ入った。


 編輯が用意した道筋はそこまでであった。探索者にしてみれば初心中の初心向け、鼻歌を歌って帰る事の出来る程度の道程であったろう。私にとっては何度も身を竦める恐怖の道筋でもあったが。少しは慣れた筈の帰りすらそうだった。ごく小さな火蜥蜴サラマンダーの息に、私は少しばかり手に火傷をした。


 それで、帰り着いてこの原稿を書いていると、編輯が家にニヤニヤとやって来て、先生、如何ですか。今度は怪物退治モンスターハントと言うのは、等と言ってくる。否、私は身の程を知ったよ。地下迷宮ダンジョンの事は探索者に任せておくが宜しい、と凛と答えた。答えた筈が笑われた。たいそう不可思議な事である。編輯という生き物は、根性が蒟蒻ででも出来ているのではないか知らん。



 一度、地下にふっと小さな黄色い花を見つけた。地下迷宮ダンジョンにも花は咲くかい、と尋ねると、ええ、時々咲くようです。光が弱いので、なかなか育ちませんが、との事だった。花は弱々しくも、懸命にその茎を伸ばしている様に見えた。そして誰も、その花を踏みつけた様子は無かった。


 私はあの花に、彼ら地下に生きる者達の誇りの様な物を見る。それは、徒らに他所人が足を踏み入れ、汚す物ではない。あなた方はひょっとして笑うかも知れないが、きっとそうなのだ。

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