亡者に寄せて 弐

 さて、四階層に到達した我々は、修験者プリースト英山坊えいざんぼう殿の協力を得、踏破に挑む事と相成った。祈りの部屋にて心身共に回復せし四人の戦士は、意気軒昂いきけんこうと重い扉を開いたのである。


 嗚呼、何たる事か、目の前に続く通路には死臭芬芬ふんぷんたる亡者の群れ。我々はぐにまた扉を閉じた。


 がりがりと扉を掻く嫌な音がする。しばし四人は顔を付き合わせ、方策を練る。さながら列強連合軍作戦会議の趣である、と勇ましく書いたは良いが、私は主に成る程、成る程、と首を上下に動かす運動に従事していた。私は未だ初級ビギナーの探索者である。危機の切り抜け方を知らぬ。先達ベテランに任せるのが良い。


 きびきびと案を練る冴子嬢、口数は少なくとも的確な一言を放つ高見君、流石の慣れた戦地と見え、手製の詳細な地図を取り出す英山坊殿の声を半ば聞きつつ、私は心を彷徨わせていた。


 この階層の怪物モンスターは、亡者である。恐らくはこの階層で命を落とした、我々と同じ立場であった亡者である。私は躊躇ためらわずに骨を砕き、肉を破り、束の間にせよ動きを奪った。我が命の危機であったからである。然し、改めて思う。その所業の無慈悲なる事、そして迷宮ダンジョン探索の苛烈なる事を。


 私は、幸運だ。経費にて雇った、強力なる護衛が居る。彼らは不死者アンデッドの大群にまみえども、決して悲観はせずに立ち向かう術を考えている。彼らは、強い。肉体の強健さと精神の強靭さとは、時に相乗する。


 だが、ひとつ間違えれば、私はあの亡者達の側に属するかも知れぬ者だ。私は、弱い。何の因果かこの様な地下に叩き込まれ、彼らと肩を並べ生き残って居るが……。


「先生、大丈夫でしょうか。だお疲れですか」


 不意に肩を叩いたのは高見君であった。私は無益な空想より目を覚ます。半分とは言え耳は傾けていた。作戦は把握している。私は首を縦に振った。問題無い、と言う意味合いである。


「私がまず魔法で攻撃します。一網打尽に出来ればそれで良し。倒せぬ者、漏れた者を英山坊さん、高見君に一体ずつ潰して貰います。それでも未だ動く様であれば、先生、お願いします」


 冴子嬢が念の為とてもう一度説明をしてくれた。つまり私は介錯の介錯と言う事になる。


「英山坊さんには、出来ればもお願いしたいのですが」

「構わぬよ、それが目的であるからして」

「そうして、もし押し負けそうになればその前に退却してこの部屋に戻ります。回復をしながら様子を見て進みましょう」


 祈りの部屋には怪物モンスターは滅多に進入しないのだと言う。何か不可思議なる力の作用もあるらしいが、どうも多くの怪物は扉を開けると言う動作に習熟していないのだと言う。死して後、ドアーさえ開けられぬ様になるとは、何とも物悲しい気持ちにさせられる。


 さて、再び我らは敵の大海のさなかに飛び込んでいった。途端に、冴子嬢の雷撃雨ライトニングサンダーボルトほとばしる。稲光は群れの幾らかを焦がし尽くし、幾らかを半身黒焦げに変えた。だが、不死者アンデッドは痛みも無く、苦しみも無く、茫洋ぼうようとした顔のままで歩んで来る。高見君の剣閃けんせんが走る。先の部屋で英山坊殿により、改めて聖属性付与エンチャントを行われた物だ。首がごろごろと地面に飛んだ。そして英山坊殿は、何やら印を結び、祝詞のりとであるか経であるか、何かを口中にて呟く。目が見開かれた。


ターンアンデッド!」


 手元の錫杖ロッドより、柔らかな光が一体の屍人ゾンビを包んだ。光に包まれ、動く死体はざらざらと砂と化し、迷宮ダンジョンの土と同化する。修験者プリーストの技である。


 私も負けては居なかった。メイスを振るい、ふらふらと動作の覚束おぼつかぬ亡者を一時的に葬る。最早、命に関して感傷を覚えている場合ではなかった。私は、浅ましい人間に成り果ててしまった、との思いも少しばかり胸を過ぎった。だが、それが何であろう。私は迷宮ダンジョン探索を選び、そうして今危機にあるのだ。


 白く半透明なる幽霊ゴーストがついと飛んできて、私の腕に絡みついた。ぞっと体温が奪われる心地がした。英山坊殿の死者回帰ターンアンデッドがそれを引き剥がし、幽霊を消滅せしめる。


 辺りを見渡すと、死屍累々とはこの事で、わずかな残党を高見君が正に屠らんとしているところであった。英山坊殿は死体のひとつひとつに死者回帰ターンアンデッドを試みている様だ。私は手拭い越しに息を吐きながら、その様を見つめていた。


 この迷宮で命を落とした者たち。ひとつの疑問が私の脳裏に浮かんだ。


「英山坊殿。彼らは、少しばかり数が多過ぎはしませんか」


 屈強なる修験者は、ちらりと私を見た。私はひとりの死者を見つめる。ほとんどが腐り落ちた髪の毛の名残り。それは、我々が如き黒の頭髪ではなく、淡い金色をしていた。


「下の階の死者も、この階にやって来る様でな」

「この死者は……」


 私が示そうとすると、彼は首を横に振った。


「わからぬ。何かが起こっているのかは確かであるが、拙僧にはわかりませんでな。拙僧の使命はこの階層の亡者を葬る事であると心得ておるのですよ」


 彼は修験者プリーストであり、厳密な意味での探索者とは異なるのかも知れぬ、とそう合点した。この疑問に関してはふたりにも後に尋ねたが、何やらはぐらかされた。ますます謎である。


 私の腕には懐炉カイロが当てられ、その日は一旦上に戻る事とした。英山坊は快く一階層まで付いて来てくれた。死者の魂の行方にのみ拘る、実に清廉の徒であった事よ、おまけに我が読者でもある、と私は清々しい気持ちで居たところ、高見君が少し笑って教えてくれた。


「あの人は、亡者の懐から優先的に物資を漁っていましたよ」と。


 何でも不死者アンデッドは生前の持ち物をそのままにしている場合があり、特に探索者の死体にはちょっとした金や売り物になる資材などを持つ者が多く存在するのだとか。


「用心棒代は要らないとは、そう言う事です。こちらも見て見ぬ振りをするのが礼儀です」


 私は開いた口が塞がらず、そうしてしばらくすると、より一層愉快で爽やかな気分となった。聖人でも何でもない、人並みの欲を持ったあの御坊が、大変、親しく思えて来たのだった。




 それから二日三日すると東京の盆の日で、私は家内を伴い、家の墓参りへと出掛けた。先程まで死体と相対していたと言うのに、今度は鎮魂に行くとは、何とも妙な気分である。それを見通したかの様に、迷宮ダンジョンでは不死者アンデッドが出たんですってねえ、と家内が言った。


「どんな感じでしょうか。死んだ方が蘇って来ると言うのは——」

「何、ろくな物ではない」


 私は心からそう言った。家内は少々不思議な顔をしていた。蝉の声がようややかましかった。


「お盆には魂が戻って来ると言いますけれど」

「それとは話が違うよ。御先祖様は戻って来ても我々を襲って来たりしないだろう」

「それはそうね」


 家内は昨年、親類を幾人か亡くしている。何か考えるところがあるのであろう。


「もし知り合いがそんな不埒ふらちな方法で帰って来て見ろ。私には修験者プリーストの知り合いが出来たのだから、直ぐに墓に逆戻りターンアンデッドだ」


 家内が笑って、あすこですね、と墓石を指差した。規則正しく墓石の林立する墓地はまるで迷宮ダンジョンの様で、我々は汗を掻き掻き、探索者の如く目当ての行き先を探した。

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