上野冒険横丁案内

 読者諸氏に理解して頂きたい事は、ず我が迷宮ダンジョン探索の実際は一進一退、非常に緩慢な物であると言う事である。編輯へんしゅうから受け取る諸君らの手紙には、次の階層はだかだの、早く進んではどうかだの、反則的手段チートは使わぬのかだの、興味津々である事は良いが、あまりに性急では無いか。


 物事は全てが語られる通りに順調であると思って貰われては、困る。それは、諸君らの人生にいてと何も変わらぬ。同じ事であるのだ。我に七難八苦を楽しませ給え。


 先に記して置くが、今回の本稿においては、階層を先に進むと言う事は起こらぬ。下準備、地均じならし、箸休め、そう言った出来事の記録となる。不平不満の民はサッサと頁をめくり、謎めいた探偵小説だの華やかなる恋愛小説だのを楽しむのが、互いの為にも良かろう。




 迷宮ダンジョン顕現けんげんに伴い、様変わりが起こった街と言えば上野である。公園から御徒町おかちまち方面に寄った通りの一画は、探索者のたむろする市となり、尋常の住民は中々寄り付かぬ、伏魔殿とも例えられるべき地帯と化した。これがおおよそ共通の見解であろう。る調査にれば、この地域は恐るべき盗賊組合シーフギルドによる支配下にあるが故にかえって平穏であるとも言うが、どうであろうか。私は幾人か、金を求める浮浪児に出会った。


 私と高見君、冴子嬢、そして編輯はこの上野の一地域、何とも怪しき店屋の数々の集まり、連なる横丁に参上した。何故編輯までもが付いて来て居るのかと言うと、此度こたびの目的は装備の刷新であり、私の装備に関しては経費で落とす必要があったからである。


 この編輯、始めばかりは物珍しさと心細さの混淆と言った顔で辺りを見回していた物の、段々と空気に馴染んだか、店屋街に着く頃には何だか一端の組合ギルド員か何かであるようなふてぶてしい顔をしていた。成る程、私の時間を奪う事に関しては、彼は凄腕の盗賊シーフである。


「先生の革鎧レザーアーマーでは、やや心許なくなって来ましたから、先ずは防具の店で新調します」


 高見君は幾つかある看板の内、ひとつを目掛けスイスイと進んで行く。やがて我々は、ぷんと革の臭いのわだかまる一軒の店へと辿り着く。店主は眠たげな目をした中年の男であった。


「革防具の専門店です。ここで硬革鎧ハードレザーアーマーに買い換える心算つもりで居ました」

「もう少し強そうな物にはして貰えないのかい」


 少々残念に思う。硬かろうが、結局は革である。金属鎧プレートメイルとはいかぬものの、高見君が如き鎖帷子チェインメイルや、或いは薄片鎧ラメラーアーマー等、私には憧れが幾つかあった。


「金属は重いですから、先生は出来るだけ素早く逃げられる様にした方が良いでしょう。その内逃げるばかりではいけなくなれば、それはその時考えます」


 ハッとした。何だかズルズルと惰性で、進める深奥まで進んでいこうでは無いかと言う話になってしまっている。これは編輯の謀略であるか。それとも私の惰弱が招いた事態であるかも知れぬ。編輯は澄ました顔で、では領収書をお願いします等と言っている。


 誰がと言うよりはあの恐ろしい世間と言う物が、私を、寄ってたかって薄暗い闇の只中に叩き込もうとしているかのような、昏い錯覚を覚えた。私は何が何だかわからぬまま、堅固なる硬革鎧ハードレザーアーマーを手渡され、試着する羽目になった。


 鎧は確かに硬く、生半なまなかな矢など止めて仕舞えそうな程であった。代わりに少々窮屈だ。家内に拠れば最近は迷宮で運動して、少しばかり顔が引き締まったそうであるから、これは私の体型に難がある訳ではなかろう。紐を緩めて貰うと、今度はしっくりと来る。これは良いね、と言うと、冴子嬢が、良くお似合いです、と笑ってくれた。鏡の前でぐるりと回ると、何だかさらに強くなった様な気がする。


「これは良いね。腕力まで上がった様だ」

「いえ、特にそう言った追加の効能は有りません」


 無いのだそうだ。


 それから、冴子嬢の細々とした道具の買い物に少々付き合う。何でも次の階層辺りからはこう言った準備が肝要となるのだと言う。様々な草を見せられて、これが身体の麻痺に効きますだの、毒を得たら直ぐにこの葉を噛みますだの教えられたが、草は草である。どれも緑色をしている事位しか判別が付かぬ。挙句、まあ、その時に私が言いますから、と呆れた顔をされた。


 私は生来の野菜嫌いである。出来る限り、あの匂う草を食らう羽目にはなりたくない。


 盗賊シーフが如き編輯は、面構えとは反対に、財布が軽くなった事よ、という情けない顔をしていた。それでも、先生、酒場に行きましょう等と言う元気は残っていた物らしい。


「酒場に何があるね」

「酒があります」


 それはそうであろう。何、打ち合わせの名目で経費で落としますとも。これも経費、あれも経費、と飲む前から妙な勢いになっている。私は麦酒ビイルを少々たしなむ程度であるから、酒呑みの気持ちはわからぬ。


 高見君が、『羽ばたく飛竜ワイバーン亭』等と号された、小綺麗な酒場に案内してくれる。少々割高だが、その分迷惑な酔漢の少ない良い店であると言う。成る程、酒場にも種類と客層の差がある様だ。壁には何やら書かれた紙が幾枚か貼られている。あれは何かと尋ねると、探索者へのちょっとした依頼であるのだと言う。


 酒場とはその様な斡旋業者に似た機能を持った場でもあるのかとまた感心した。編輯よ、酒場には酒がありますなどと禅問答をしている場合ではない。


「私も依頼を受ける事が出来るかねえ」

「出来ますけれど、上の階層の礼金は雀の涙ですよ。大方を酒場が持って行きますから」


 斡旋業者は中々の遣り手である様だ。何処もかしこも、経済と言う物は変わらぬのかも知れぬ。仕方なし、仕方なしと頷いた。家内に何か土産でも買うのは自腹にする事にしよう。


 さて、そうこうしているうちに、可愛らしい女給が麦酒ビイルのグラスを人数分、それと良い匂いのする煮込み料理の皿を運んで来た。我々は厳かにグラスを手に取り、乾杯を交わした。


「先生の連載が末長く続く事を祈って」


 等と編輯は言う。それは一進一退がいつまでも続く様にと言う事かね、と小煩こうるさく絡んでみる。いや、先生の進歩の具合ですと、いずれおれ達の深度を更新してしまうかもわかりませんよ、と爽やかに高見君は笑う。どちらにせよ、薬草の効能は早めに覚えて下さいね、と冴子嬢はこだわり顔である。


 時に、探索者の酒場は、出会いと別れの場であると言う。こうして出会った我々の縁は、どうやらもう少々続く様であった。


 読者諸氏、刮目かつもくせよ。伏魔殿たる横丁の隅にも縁の花は咲く。その色はささやかなれど美しく、ただし、葉の区別は遺憾いかんながら未だ勉強の身である。

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