寿司と毛皮

 編輯へんしゅうが四谷の我が家を菓子折片手に訪ねて来るので話を聞いていたところ、また地下迷宮ダンジョンに潜ってはとの話を頂き、私は丁重に断った。人生にいて探索者の真似事なぞ一度で十分です、真剣で働いている人の邪魔になる、と断った筈が、何がどう巡ったのであろうか。私はまたもやどうにも似合わぬ革鎧レザーアーマー姿で地下へと放り出された。


 放り出されたと言うのはひとつの比喩で、両脇には馴染みの傭兵高見君に冴子嬢が私を守護してくれてはいるのであるが、しかしあの編輯の口の上手さ舌の回り様には呆れるばかりである。編輯たる職務を志すにあたっては、舌を二枚三枚と重ねる修練が必要であるのかも知れぬ。私はこの不器用な舌一枚で結構。


 さて、あなたが少なくとも東京市民であるのなら、よもやこの地下迷宮ダンジョンの成り立ちについて知らぬ事はあるまい、と思うのであるが、念の為と言う言葉がある。私が知る限りの知識をここに短く記そう。


 東京市地下ニ大迷宮出現セリと報道が行われたのは、あの大震災のしばらく後の事である。猛烈なる地盤の振動により、都内各地に地割れが生じ、やがて時が経っても戻らなかった。その深淵を探査したところ、明らかに人為的なる大大迷宮の姿があらわになったのである。顕と書いたものの、迷宮ダンジョンはおよそ十五階層の深さまで達すると確かめられており、さらに奥深くまで階段が続いている事が判明されていると言う。これは高見君より確かめたので、最新の確かな話であろう。


 ともあれ、迷宮ダンジョンは姿を現した。そうして、震災の混乱によりこの土地の調査は、政府機関を差し置き探索者と呼ばれる傭兵の類に任される事となり、今に至る。


 探索者が何処いずこより湧いて出たか、それは知らぬ。それぞれの事情が、それぞれの歴史があろう。私は高見君の精悍せいかんながら純朴げな顔立ち、微かに残る津軽訛りにその事情の一片を見た様な気もしたが、或いは気のせいであるかもわからぬ。彼は気さくに簡易的な食事の調理法等を見せてくれた。好青年であると言えよう。


 この度の遠征は、初心の一階層はおおよそ辿ったのであるから、では二階層まで降りてはどうか、出来れば怪物モンスターの一匹二匹などほふってみては、と言う物である。ペンを握り日を暮らす作家にとり、それは大いなる重労働である。加えて、手を血で汚せとは何たる注文であるか。だが、同時に私は少々浮ついていた様にも思う。私は以前、高見君の見事な剣技に舌を巻いた。憧れたのだ。子供が御伽草子の桃太郎さんに憧れる様な物である。


 二階層の怪物モンスターは、獣の類が多いですから、気負う事はないでしょう。高見君が背を押す様に教えてくれる。ただし、すばしこいですから、確実に仕留めないといけません。冴子嬢が付け足した。一階層の小鬼ゴブリンの類はどうもいけない、ばちが当たりそうだと考えていた矢先であった。矢張り、新人の探索者は躓き易いところであるらしい。誰しも人型を倒すには鍛錬と覚悟が必要であるのかも知れない。楽々と二階層に連れて行かれる私は、呆れる程優雅な先生様なのだろうと苦笑に至った。


 かび臭き(と言うのも陳腐な常套句である)地下迷宮を、我らは進む。先には見逃していたのだが、一階層には壁の彼方此方あちらこちらに矢印が描かれ、ごく進み易くなっている事が見て取れた。して見れば、実際ここは初心中の初心中の初心向けなのであろう。前回の踏破の興奮が、急に萎む心地がした。私はまだ彼ら探索者の所業の何割何分をも知ってはいない。


 祈りの部屋の前を通り過ぎ、やや歩けば階段である。踏破者の足跡にて階段中央部は綺麗に磨かれていた。こう見ると、矢張り人工の趣の強い場である。


 一体何者がこの迷宮ダンジョンを建造せしめたのであるか。巷にはやれ平将門の怨念だやれ渡来の人間の技だと様々な憶測が出版されているが、私はどの説も判断がつかず、ただふわふわと空想を弄ぶのみである。大体が、わかってしまっては、詰まらないではないかとすら思う。我が東京が、謎めいたラビュリントスをその下に抱えている、それだけの事で十分だ。


 等と独り合点していたところ、階段を滑りかけては後ろを行く冴子嬢に腕を取られた。気まずいところを見せてしまったと思う。さて、降りきってしまえば二階層である。見た目は一階層とそれ程変わらぬ。だが、生態系や構造がまるで異なるのだと聞いた。


 階段の近辺を歩き、手頃な獲物を待ちましょう、とそういう事になった。さて、ここで高見君の如き幅広い洋剣を手に戦えれば格好もつくのであるが、私が先に渡されていたのは小ぶりなメイスであった。何でも、慣れぬ者でも取り回しが利き易いとの事だ。腰に吊るすと重みがあり、ふらふらと重心が定まらなくなる。はなはだ頼りない事この上ない。矢張りペンよりも重たい物を持つべきではないのかと弱気の虫が出た頃。


 来ます。高見君が小声で呟いた。軽く、犬か何かのような乾いた足音が聞こえて来る。やがてひょこりと物陰から現れたのは、大鼠ラットであった。


 大鼠ラットと言って、そう可愛らしい物ではない。大きめの犬程もある、ごわごわとした毛皮の鼠だ。前の歯は長く伸び、爪は鋭く、醜い。おまけに素早く飛びかかっては手首を噛み千切らんと襲って来る。私は何度かかすり傷を得、脳天にメイスを叩き込む機会を見失っていた。


 仕方がないとて高見君である。彼は手間取る私の横から進み出ると、鼠の脚を斬り捌いた。たまらず湿った床に転がる難敵に、私は南無三、と唱えながら槌を振り下ろす。硬いものが砕ける、嫌な音と感触がした。そこで私はメイスの利点を知る。返り血が飛んで来ないのである。


 その代わりに、あの手応えは一生こびり付いて離れぬのだろうと思った。尋常小学校の頃、友人のT君を誤って強かに打擲ちょうちゃくしてしまった時と同じ、悔いの感触があった。大鼠はばたばたと痙攣けいれんし、やがて動かなくなった。勝利である。いささか不格好なれど。


 やりましたね、と傭兵ふたりはホッとした顔で私を褒めた。彼らにしてみればこの様な雑魚にこれ程の時間をかける事など馬鹿らしいの一言ではあろうが、私は興奮し、探索者としての階梯レベルが上がった様な気すらしていた。呑気な物である。


 高見君は慣れた手つきで大鼠ラットの毛皮を剥ぎ、また鋭い爪を断ち落とした。冴子嬢は私の名誉の負傷を見、少々険しい顔で軟膏を取り出す。放っておくと破傷風になりますから、とやや染みるその薬を塗ってくれた。秘蔵の薬草か何かかね、と聞くと、いいえキップパイロールです、との答えに変な顔をしてしまった。探索者の身をも守る市販薬の力よ、としておく。


 それから私は数匹の大鼠ラット蝙蝠バットを殺戮した。はじめは興奮したが、段々と気持ちがしょげて来る。何だ、結局のところ無益な殺生ではないか、と言う気がして来るのだ。私は段々腰を入れてメイスを振れるようになった。それがどうした事だ、と頭の一部が冷めているのである。これは良くない、と私は中途でそろそろ引き返そう、と提案をした。提案はあっさりと受け入れられる。


 帰りは楽な物だった。私は一階層でも骨人スケルトンを一体粉々に打ち砕いた。南無阿弥陀仏、と唱えながら、矢印に従い地上に戻った。



 半ばへとへとになって帰宅すると、家内がお疲れ様です、と手拭いを持って玄関に迎えに来た。


 今日は殺生をしたよ。と言うと、あら、蛇鶏バジリスクか何かですか、等とぼんやりした事を抜かす。馬鹿め、蛇鶏バジリスクなぞと言うのはもっとずっと下の層に住むのだぞ。お前の夫がそんな猛者である筈があるか、よく見てみろこの貧弱な腕を、と言ってやり、何だか情けなくなって来た。


「鼠や蝙蝠だよ」

「まあ、小さくて大変そう」

「それがうんと大きいのさ。この位はある(私は両手を広げた)」

「そんな鼠が出たら困りますねえ」


 どうも家内は、夫が九死に一生を得たと言うのに惚け顔である。


「それより、臨時の金が入った。寿司でも食いに行こう」


 私はあの鼠の毛皮だのを換金した金を示した。家内は原稿料と勘違いしたようで、もうそんなに貰えるのなら有難いお仕事です事、等と言う。訂正も面倒で、そのままにした。


 途中、蚊が飛んではしきりに刺そうとするので、パチンと叩いて殺して仕舞った。この殺害と、あの迷宮での殺害は等価であるか否か。寿司の材料である魚と鼠の死は等価であるか否か。どこかいびつな計算である様で、私はいて考えを止めた。


 キップパイロールを塗られた手傷は直ぐに消えた。鼠の毛皮代も、寿司と家内の足袋たびを買ったところで尽きて仕舞った。

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