最初はおそらく冒険者あるあると戦前テイストを掛け合わせた全く新しいダンジョン飯だったはずなんですよ、ノリとして。
キャラが命を得、世界が色彩を纏うにつれ、その背後に実はあったものが、覆いかぶさってきてしまった…これは路線変更ではなく必然だし、同時に、きっと作者自身にとっても未知の開拓だったんじゃないでしょーか。
おそろしい事ですが、感動します。ええもう言っちゃいますよ、「感動した」って。他に思いつかないもん。とりあえず一話二話読んだよって段階の人には信じられないでしょうけどね。
とある重苦しい要素が内在しますが、基本的には優しい世界なので、ご安心を。スチャラカ冒険譚のつもりで読み進めて、ほんでやられてください。
本来ならば、絶体に噛み合わないはずの要素が噛み合い、それゆえに面白い。大正風味が好きな人はダンジョン探索系に興味を引かれるだろうし、ダンジョン系が好きな人は大正風味に興味が出るだろうと思える、そんな怪作です。
なんといっても、まず目を引かれるのは大正感が非常に強い文体。良い意味で「似非大正」といった空気なので、太宰とか芥川とかそういった堅い文章にに目を引かれる人はどんぴしゃりだろうし、かといって「そう言う文体が読みにくくて……」という人にも進められるくらいの読みやすさ。まずは、この奇跡のバランスを楽しむためだけに読んでも良いと思います。
ただし、当然ギャップ感による笑いもある。<プリースト>のルビには思わず笑いが零れること請け合いです。まずは、「亡者に寄せて」まで読んでみてはいいのではないかと。
<ダンジョンがある日本>という、異世界探訪物としての面白さもたっぷり詰まっていて、ある層にしか響かないだろうけど、ある層の敷居が広い今作は、万人向けと言って良いと思います。
まずは、一読。そう言うしかない読み味です。
「――東京市地下ニ大迷宮出現セリ」
現代から見れば『文豪』と呼ばれるであろう昭和初期の時代の作家先生が、東京の地下に突如出現したRPGなどによくある『ダンジョン』を探索する、紀行文形式の作品です。
当時の作家を意識した文体を用いて西洋ファンタジー風のダンジョンを潜る様は、現代との文化のギャップもありとても面白くてクスリと笑えます。
レザーアーマーに身を包んだ作家先生がダンジョンを探索し、ファイアーボールなんかが飛び交う中ゴブリンを相手どる! ……そんな話を編集につつかれながら原稿を書き上げる様子が浮かんでくる、とても斬新且つ親しみやすいお話になっています。
昭和初期を意識した文体ということで古い漢字表現などはあるものの、Web用に読みやすく開かれた文章に配慮が行き届いた振り仮名と、読みにくさは感じません。
この時代特有のロマンや、ダンジョン探索といった題材が好きな人にオススメしたい作品です。
どういう話なのか、それはタイトル・キャッチコピー・あらすじ紹介を見れば一目瞭然。もう題材の取り方からして面白い。
ダンジョン要素はウェブ小説ではありふれているようだが、一方の「戦前の帝都東京」というロケーションがその文体に活かされており、ここが本作独特の魅力を放っている。
つまり大正レトロな文体なのだが、「※新字新仮名遣いにて掲載」という親切な但し書き通り、旧漢字などはほぼ登場せず、難読漢字には現代語のルビが振られており、雰囲気を保ちながらも非常に読みやすく平易な文章を綴られているので「大正レトロ? 堅苦しそう」と思った方は、臆せず開いてみて欲しい。
もう一つの見どころは、ダンジョンなんて縁のない、インドア派小説家の先生が「仕事だから」と革鎧とメイスで探索に挑まされるギャップだろう。護衛二人に守られながらの物見遊山なダンジョンアタックとはいえ、彼のおっかなびっくりの探索行と、それを経て冒険への愛を高めていく姿は微笑ましく、それだけに物語の締めくくりが切ない。
見果てぬ地平への希求は、人類が二足歩行を覚え、遠くを見渡せるようになったその時からあるのでしょう。それはただの逃避ではなく、さりとてそこには「向こうへ行く者」と「残される者」が存在する。
彼らが見たものはなんだったのか? 確かなことは、この物語では、飯田逢山の小説がその実在を保証してくれるということだ。読者諸氏には、ぜひ極上の取り合わせと、それが描く紛れもない冒険譚をご賞味いただきたい。