イギリスでの修行編

第3話戦艦三笠がイギリスで進水する

私は戦艦三笠。まあ、大日本帝国海軍が如何に成長してそして滅んでいきそして海上自衛隊へと改変された姿をすべて見届けたわけだけどそんな私もまた若かった頃があったわけでして・・・その話はこれから生まれてくる艦艇たちに語ることにしているわ。

「今日はかがさんたちですか」

「はい。三笠大姉さま。私もかつての空母だった記憶をとある人から受け継ぎました。あの人はこうも言ってました。これで俺の役目は終わった。残りの余生は君たちの活躍をみせてもらおうと」

かがからそれを聞いて私はいう。

「そうですか。あの人とは私も何度かあったことがありましたがね。かが。貴方もまた日本の防人として任務をはたすのですよ」

「心得ております。それでは本日のレクチャーをお願いします」

「そう。いい覚悟ね。それじゃあ今日は私が生まれた頃の話から行くわね」


そして三笠は語る自分の生い立ちを・・・


私は戦艦三笠。私が生まれたのはイギリスにある。バロー=イン=ファーネス造船所で私は建造され進水したわ。え、どうして日本の戦艦なのに自国じゃあなくて英国で生まれたかって?

それはあの当時の日本にはまだ戦艦を作れるだけの技術力がなかったからなのよ。

私が生まれたのは1900年代。その頃の日本はまだ明治維新から30年前後だったので商船を作れるようにはなったけれど軍艦。とくに戦列艦などの船はまだだったわね。国産できるようになったのは1910年代の比叡(2代目)からになるわね。

まあ、私もあわや流産しかかったこともあった。そういう意味では時の政府や海軍のお偉いさんには感謝しているわね。

あの当時清国今の中国との戦争に勝った。そしてロシア、ドイツ、イギリスがあからさまな干渉をおこなってせっかく獲得した遼東半島を手放す羽目になったの。いわゆる三国干渉という事件だったわね。で、それをみた海軍はロシアに対抗するべく

装甲巡洋艦6隻戦艦6隻のいわゆる六,六艦隊計画が生み出されたわ。で、私はその最終艦としてイギリスに発注され私が作られることになったけれど。

その時政府から予算が降りず時の海軍大臣たちが独断専行で手付金を払ったと聞いているわね。あれを聴いたときはおどろいたけれどね。

そして1901年に私は無事に進水したわ。そこから艤装工事や公式試験をへて引き渡されるわけだけどね。

それは後に話しましょう


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