ロザリーとレーヌ
翌日、つまりバスジャック事件から二日後の朝。いつも通りに教室に入ると、ラニがこちらに駆け寄ってきた。
「おい、モーリス!」
「や、やあ、ラニ。おはよう」
声をかけてきたのはラニだけで、他のクラスメイト達は普通におしゃべりを続けている。廃倉庫群の一件で数日間の入院を経て帰ってきたとき、みんなが僕の体を気遣ってくれたことを考えると、今日は反応が全く違う。僕がバスジャックに巻き込まれたこともきっとみんな知らないだろうし、そもそもチトセシティでバスジャック事件が起こったことすら誰にも知らされていないのではないだろうか。
クラスの中で事情を知っているのは、ミヤビ様とレイさん、そしてレーヌの三人だけだが、三人ともそれぞれ秘密を抱えている身だから、バスジャック事件のことは学校では間違っても口にしないだろう。
「モーリス、お前昨日休んだだろ、どうしたんだ? やっぱりまだどっか体の調子が……」
「ああ、うん、まあ……一応、もう少し病院に通わなくちゃいけなくてさ、昨日は通院日だったんだ」
しばらく通わなくちゃいけないのは事実だから、これはあながち嘘ではない。ただし、通う先は病院ではなくマナ研究所の医務室だし、昨日は通院日というわけでもなかったけれど。
「そうか……なんか昨日の放課後、街中が騒がしかったからさ、またテロか何か起こったんじゃないかって思って、気になってたんだ。でも、ニュースでも何も取り上げないし、ありゃあ何だったのかなと思って。どっかで花火でもやってたのかな?」
「そ、そうなの? 騒がしかった? 僕は全然気付かなかったな……」
実のところ、爆風や音は遠くの人にも聞こえていたはずだし、本当に情報統制は完全なのだろうか。いや、バスジャック事件があったことだけならいいんだけど、ロザリーが暴走しかけたことまで噂として広まったりしないだろうかと、つい不安になってしまう。人の噂も七十五日とは言うけど……。
教室を見渡すと、ミヤビ様とレイさん、そしてレーヌの三人は既に自分の席についていた。ミヤビ様はむすっとした表情で足を組み、レイさんの周りには女子生徒、レーヌの周りには男子生徒。もはや見慣れた光景だ。ミヤビ様がちらりとこちらを見たが、特に言葉を交わすこともなく、僕はそのまま自分の席に着いた。
隣の席のレーヌは、群がった男子生徒たちとずっと話をしていて、とても僕が話しかけられるような雰囲気ではなかったけれど、それが却ってありがたかった。いったい彼女に何と声をかけたらいいのか、僕には全然わからなかったからだ。
スピネル先生が入って来て、いつもと変わらない朝のホームルームが始まる。レーヌの周りに屯していた男子たちも自分の席に散っていき、僕とレーヌの間を隔てるものは何もなくなった。ホームルームは一瞬で終わり、一時間目の授業が始まるまでの空き時間。
レーヌはぽつりと呟いた。
「一昨日はありがとう」
「えっ?」
振り向くと、隣のレーヌは無表情のままずっと正面の黒板の方を眺めていて、僕とは目を合わせようとしない。周りに気を遣っているのだろう、彼女の声は僕にしか聞こえないような小さな声だった。
「怪我……大丈夫?」
「うん、まあ……レーヌは? どこも怪我はなかった?」
「全然。ちょっとかすり傷があったぐらいだけど、貴方に比べたら……」
「そっか、よかった。色々あって、気付いたら姿が見えなくなってたから、心配したんだ」
「ありがとう。優しいのね」
「いや、そんな……」
「ロザリーのため?」
「……え?」
レーヌの横顔に、ほんの少し影が差したように見えた。
「ロザリーと仲良くしてほしいから、私に優しくするの?」
「そんな……」
ここで僕は、ロザリーに吊るし上げられたあの時、彼女に言ったことを思い出した。
『もし彼女を傷つけられたら、きっと僕は君を二度と許せなくなる……それでもいいのか……?』
レーヌはきっと、激昂して暴走しかけているロザリーから僕を助けようとしてくれたのだ。それなのに、僕はあんな冷たいことを……。
極限状況でどうしようもなかったとはいえ、あの一言が、レーヌを酷く傷つけてしまったのかもしれない。
「レーヌ、あの時はごめん……君は僕を助けようとしてくれていたんだよね。僕はただ、君とロザリーを戦わせたくなかっただけなんだ」
「……わかってる」
「君を二度と許せなくなるなんて……ひどいことを言ってごめん」
「もうやめて。そんなに謝らないでよ……それじゃ、私がまるで……」
ようやくこちらを振り向いたレーヌの瞳はほんの少し潤んでいて――。
と、その時。
「おはよう、モーリス」
突然頭上から降ってきた声に、僕は体が縮み上がるほど驚いた。
噂をすれば影。声の主を見上げると、そこにはロザリーが立っていたのだ。
ロザリーは僕に微笑んで見せたあと、レーヌに向き直って言った。
「それから……レーヌさん、と言ったかしら。一昨日は、取り乱してしまってごめんなさい。貴女にも、一度ちゃんと謝っておきたくて」
あの時起こったことを考えれば、『取り乱した』ってずいぶん上品な表現だな、と僕は思ってしまった。
ロザリーは僕たちの机の横に立ち、穏やかな笑みを浮かべている。けれど僕にはわかる。ロザリーの瞳の奥は、全く笑っていなかった。
僕とロザリー、そしてレーヌの間に、にわかに緊張が走る。ロザリーとレーヌの視線が交わり、火花が散りそうなほど激しく衝突したのち、レーヌは静かに答えた。
「……いいえ、ロザ……ジュエラー・シンハライトさん。こちらこそ、その……」
「謝罪は必要ないわ、レーヌ・スターリングさん」
そう言い放ったロザリーの口調には、寛容とは程遠い冷たさが込められていて、二人の間に埋めがたい深い溝が刻まれてしまったことを、僕は改めて痛感した。レーヌもそれに気付いたのだろう、さっと表情を強張らせ、そのまま口を噤む。
僕が二人の間を取り持とうとして行ったことが、結果として完全に裏目に出てしまった。いったい何が間違っていたんだろう。どこで間違ってしまったんだろう――。
とにかく、その場の険悪な雰囲気に耐えられなかった僕は、どうにかして話題を変えようと考えた。
「そ、そういえばロザリー、学校に来るのは久しぶりだね。体調はどう?」
「ええ、だいぶいいわ。今日は、伯父様に呼ばれて来たの。みんなに話があるからって」
「みんな……?」
「そう。私と、モーリスと、あちらの二人……そしてレーヌさん、貴女もよ」
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