レーヌ・スターリング

『おとなしくしてくれたら、あなたに危害を加えるつもりはないわ』


 つい昨日殺されかけたばかりの相手にそんなことを言われて、信じられるやつがいるだろうか? ――いや、いないはずだ。言われた通りに大人しくしていたら、最後の最後で『あれは嘘だ』とか言って結局殺されるやつ。マンガや映画でチョイ役が呆気なく殺されるあのパターンだ。

 しかし逃げ出そうにも、レーヌにがっちりと体を押さえつけられていて、全く身動きが取れない。抵抗しても無駄、あるいは逆効果。僕は、女の子一人押し返せない自分の非力さを呪った。

 まさかこんなに早く動いてくるなんて思ってもみなかった。それに、レーヌの標的がロザリーだとしたら、僕一人でいるときに襲ってくることはないだろう――そう考えて、のほほんとしていたのだ。ミヤビ様の『気をつけて』という言葉、その意味を、僕はあまりにも軽く捉えていたのかもしれない。

 だが、問題はそれだけではなかった。


 むにゅっむにゅっ


 僕の体に押し付けられた、レーヌの豊満なバスト。その感触が、僕の男の象徴にダイレクトに作用し始めたのだ。絶体絶命の状況で何考えてるのかって? いや、これ、生理現象だから! 不可抗力だから!


「……ん?」


 彼女の下腹部の下でムクムクと盛り上がる僕の分身に気付いたのか、レーヌは僕の顔から体、そして下腹部へと視線を移すと、


「ひゃっ!?」


 と奇妙に上ずった声を上げ、頬を染めてスカートを押さえながら僕の上から飛び退いた。さっきまでレーヌの腰で押さえつけられていた場所に、学生服の黒いズボンを突き破らんばかりの見事なテントが姿を現す。ようやく体の自由を取り戻したというのに、僕はあまりの恥ずかしさで動くことができなかった。

 レーヌはそのまま数秒間僕のテントを凝視していたが、その正体に気付いたらしく、咄嗟に両手で目を覆ったかと思うと、何やら意味不明なことを言いだした。


「あっ、あの、ごめんなさい……そんなに、その、硬くなるものだとは思ってなくて、何かの武器を隠し持っていたのかって、びっくりして……」


 フォローしたつもりなのか何なのかわからないが、そんなこと言われたら余計恥ずかしくなっちゃうじゃないか。つーか何だよこの状況は……。

 レーヌは両手で目を覆っていたが、指の間はスカスカで、隙間から僕の股間を見ているのがはっきりとわかる。恥ずかしさのあまり、僕も無意識のうちに、


「ぼ、僕の方こそ、なんか、ごめん」


 と謝罪の言葉を口にしていた。すると、彼女は小さく吹き出し、肩を揺らしてクスクスと笑いながらこう言った。


「ふふっ……モーリスくんが謝る理由なんて、どこにもないのに」


 言われてみれば、確かにその通りだ。昨日も今日も、襲われたのは僕の方なんだから。

 でも、レーヌが笑ってくれたことで、気まずさや恥ずかしさが幾分和らいだような気がした。


「そ、そうだよね……おかしいなあ。ハハハ……」


 僕たちはそのまま、下半身のテントを見ながら、しばらくの間笑いあった。



!i!i!i!i!i!i!i!i!i!



 それから僕たちは、近くの公園に移動して、屋台で温かい飲み物を買い、並んでベンチに腰掛けた。


 灌木や広葉樹がたくさん植えられたこの公園は、春から夏にかけては緑豊かな憩いのスポットとなるのだけれど、真冬の今は裸木となって枯れた枝を曝し、物寂しい雰囲気を漂わせている。夕暮れ時の空は赤く染まり、沈みかけの太陽は僕たちの影を長く長く伸ばした。

 辺りを見回すと、白い息を吐きながら身を寄せ合う学生服姿のカップルが何組か、僕たちと同じようにベンチに座って喋喋喃喃と語り合っている。そうか、こんな寒空の下で公園をうろつくのはカップルだけか……。ロザリーの甘い笑顔がふと脳裏をよぎり、僕は気を引き締め直した。


 僕が今こうしてレーヌと一緒にいるのは、昨日のことを許したからではないし、ミヤビ様の忠告を忘れたわけでもない。ただ、目の前にいるレーヌ・スターリングという女の子は、ミヤビ様が言うほど恐ろしい女には見えなくて、それならば少し話してみる価値はあるのではないか、と考えたからだ。

 

 ベンチに座ってしばらくの間は、お互いに言葉を発することなく、紙コップから飲み物をすする小さな音だけが虚しく響いた。ちなみに僕が買ったのはホットコーヒー、レーヌはホットココアだった。

 レーヌのホットココアが半分ほどなくなったころ、彼女はこう切り出した。


「昨日は、本当にごめんなさい。謝って許してもらえることじゃないかもしれないけど……」


 彼女の口から謝罪の言葉が聞けたことで、僕はほんの少しだけ安堵した。話すとは言っても、もしもここで『私たちはロザリーの命を狙っている』なんて直接言われたらどうしようと思っていたからだ。


「ミヤビ様たちから聞いたよ、君たちスターリング一族のこと。マナの力に目覚めたアルビノの生きた心臓を狙っているって」

「そう……確かに私たちは、父の代までは、そういうことをしていました」

「父の代までは……?」


 そういえばミヤビ様も、『レーヌの代になってからは大人しくしていた』なんて言っていたな。


「父は二年前に癌で亡くなりました。父が生前、何人かのアルビノを殺したことも事実です。でも同時に、父は内心では葛藤を抱えていました。これからの時代、本当に私たちスターリング一族はこのままでいいのだろうかと。科学がそれほど発展していなかった昔は、スターリング一族の操る呪術の力は絶対的なものでした。しかし、ここ数十年で科学技術は飛躍的な進歩を遂げ、我々の呪術などでは太刀打ちできないほどの大きな力を持っています。私が生まれ育った地域は、このシャダイ王国と比べれば遥かに後進国。もし近代的な軍隊に狙われたら、我々はひとたまりもないでしょう」


 たしかに、レーヌの部下たちが使っていた武器は刀や手裏剣などの前時代的なものばかりで、銃や爆弾といった火器の装備は全くなかった。


「だから、父は私に呪術以外にも様々な教育を施しました。そして、父は死ぬ間際、私にこう言い残したのです。『スターリング一族のしきたりを守る必要はない、お前はお前の人生を歩みなさい』と」


 いかに残虐な呪術師といえども、子を持つ父親として、娘の将来を想う気持ちは変わらない。時代が移り変わり、自分達がの代々信奉してきたものが次第に陳腐になっていく中で、彼女の父親は変化の必要性を痛感していたのかもしれない。


「父の死後、私はスターリング一族の古いしきたりを捨て、普通の人間として生きて行こうと決意しました。ここにやってきたのは、私たちより遥かに進んだ文明を持つシャダイ王国に移住して、より高度な教育を受けるため。でもそのタイミングに合わせて、九年前、ロザリー・アルバローズが起こしたものと酷似した爆破事件が起きました。私の部下たちはこれを知って色めき立ち、史上最高の資質をもつと言われるロザリー・アルバローズの心臓を狙うべきだ、と私に迫ったのです。そうすれば、我々を取り巻く環境も一変するかもしれないと。私だって、見知らぬ土地にやってきて、たった一人で生きていくことはできない。彼らの勢いに押される形で、私はあなたたちを襲ってしまった――失敗したら、それで諦めてくれるんじゃないか、という淡い期待を持ちながら。それが全てです」


 なるほど。

 レーヌの話を一通り聞き終えた僕は、我知らず深いため息をついていた。それならば、ミヤビ様の『レーヌの代になってからは大人しくしていた』という話とも符合する。皆それぞれに複雑な事情を抱えていて、根っからの悪人なんてどこにもいないのだ。


「あなたたちを襲ってしまったこと、深く反省しています。私がもっと気を強く持っていれば、そして私がもっと自立して生活できていれば、部下たちに押し切られるようなこともなかった。私、父が過保護だったせいもあって、故郷でもずっと屋敷の中で暮らしていたし、学校にも行ったことがなくて、勉強も家庭教師から教えてもらっていた。だから、本当に世間知らずで……一人では何もできないの」

「そういうことだったのか……。話してくれてありがとう。今日ミヤビ様の話を聞いて、君たちはなんてひどい奴らなんだと思っていた。でも、今こうして君と話してみて、印象はがらっと変わったよ。ちゃんと話し合えば、あの二人とも分かり合えるような気がするんだけど……」


 レーヌは小さく首を横に振る。


「それは……難しいと思います。父の代まで、我がスターリング一族は数え切れないほど多くのアルビノを殺してきたのですから。言葉だけでは解決できないものが、世の中には確かにある。私と彼らの関係も、きっとそうなんだと思います」

「そうかな……あの二人もいい人そうだし、君だって、心優しい女の子じゃないか。そりゃあ、今すぐには無理かもしれないけれど、ゆっくり時間をかければ、不可能ではないように思えるんだ」

「そうでしょうか……そうだといいのですが……」


 そう言って俯く彼女の瞳は、微かに揺れているように見えた。


 話を終えた僕たちは、公園の前まで戻ってきた。


「今日は話を聞いてくれてありがとう。昨日のこと、きちんと謝らなくちゃって思ってたんです。でも、どうやって話しかけたらいいかわからなくて、さっきはあんなことを……」

「ハハハ……気持ちはわからなくもないけど、いきなり口を塞いで押し倒したりしたら、普通は逆効果だよね」

「ふふ……そうだよね……何考えてたのかな、私。でも、色々話を聞いてもらえて、なんだか、すごく気分が楽になった」

「こんなことでよければ、いつでも話を聞くよ。君がもうロザリーの命を狙わないと誓ってくれるならね」

「優しいんですね、モーリスは……じゃあ、これで……」


 レーヌがそう言い手を振りかけた瞬間、彼女の背後に突然、スーツ姿の通行人が早足で通りかかった。


「きゃっ!」


 通行人と接触したレーヌはそのままこちらにつんのめり、僕の腕にしがみつく。スーツ姿の男はちらりと僕らの方を振り返ったものの、彼女に謝罪の言葉を述べることもなく、そのままスタスタと歩き去っていった。


「だ、大丈夫?」

「うん、平気……」


 気遣うような言葉をかけつつも、僕の目は、腕に押し付けられたレーヌの豊かな胸元に釘付けになっていた。腕を包み込む柔らかいバストの感触。シャツの胸ボタンは今にも弾け飛びそうなほどパツンパツンで、恥ずかしながら、僕の下腹部は再びもっこりとテントを張った。レーヌもすぐそれに気付いたらしく、さっと体を離しながら再び頬を赤く染める。


「あ、あの、ごめんなさい、色々と……」

「いや、これは、別に君のせいじゃなくて、その、単なる生理現象だから! 単なる!」



!i!i!i!i!i!i!i!!



『じゃあ、また明日、学校で』


 そう言い残して、レーヌは去って行った。

 彼女が本気でロザリーの命を狙っているわけではないことがわかって、僕はとてもホッとしていた。彼女がシャダイ王国での生活に馴染み楽しい学園生活を送ることができれば、部下たちの意見をはねつけることもできるだろうし、それはロザリーの身の安全にも直結する。

 そして、できることなら、彼女とミヤビ様たちとの仲も取り持ってあげたい。皆いい人なんだから、ちゃんと話せばわかり合えるはずだ。色々大変そうだけど、やってみる価値はあるだろう。


 念願叶って無事帰宅した僕は、部屋でベッドに横たわり、甘いハーブの香り――柔らかいバストの感触も時々――を思い出しながら、漠然とそんなことを考えていた。

 そうだ、このことを、ロザリーにも伝えておこう。僕はいそいそとスマートフォンを取り出し、『Sound True』のアプリを起動して、履歴からロザリーとの通話ボタンをタップした。

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