四人での初任務

「しかし、チトセシティってさ、中心部から郊外に出るとホントにガラッと風景が変わるよね」


 黒いセダンに揺られながら、助手席のミヤビ様が言った。

 窓の外を眺めると、かつて工業地帯で働く労働者たちが多く暮らしていたマンションやアパートが林立している。だが、壁に大きな罅が入っていたり、窓ガラスの大半が割れていたりと、人が住んでいる気配はあまり感じられない。通行人も全くいないわけではないが、チトセシティの中心部の賑やかさとは比べ物にならなかった。


 シャダイ王国の中で最も栄えた都市である首都チトセシティだが、そもそも『チトセシティ』という呼称は、一つの都市の中に複数の区域が存在する複合都市の総称として使われる言葉だ。チトセシティの中に明確な境界線や行政区分があるわけではないが、教育、商業、工業、港湾地区といった具合にそれぞれ施設がまとめられていて、前回の任務で行った廃倉庫群などは、工業地区と港湾地区の境目に位置していた。

 化石燃料の枯渇はシャダイ王国、そしてチトセシティの経済活動全体に大きな影響を及ぼしたけれど、特に被害が深刻だったのが工業分野だったことは前にも述べた通り。他にも、船舶の燃料費の高騰によって港湾地区、貿易の縮小によって商業地区がそれぞれ深いダメージを被り、マナ・チャージの技術が確立されるまで、シャダイ王国は出口の見えない不況に苛まれていたのだ。


 運転席のレイさんが、笑いながらミヤビ様に答える。


「メイダンだって似たようなものじゃないか。特区から一歩出れば、外の街並みの荒れっぷりはこんなものじゃないよ」


 シャダイ王国では十八歳にならなければ車の運転免許が取得できないが、二人の出身地メイダン首長国連邦では、十六歳でも免許を持てるらしい。メイダンの免許証は本来シャダイ王国では使えないけれど、今回は超法規的措置としてレイさんに運転免許が交付されていた。


「そうだけどさ、メイダンの場合、特区とそれ以外のエリアがくっきり区別されてるじゃない? チトセシティの場合、同じ都市の中でこれだけ違うんだもの」

「チトセシティのこの辺りは、昔、海沿いの工業地帯で働く人々が暮らす住宅街だったの」


 後部座席、僕の左隣に座ったロザリーが、二人の会話に割って入る。


「でも化石燃料の価格が高騰して、工業地帯にあった工場の大半は経営が悪化し、閉鎖に追い込まれた。当然、そこで働いていた従業員達は失業。地方からチトセシティに来ていた人々は実家に帰って行ったけれど、帰る家のない人やここで生まれ育った人たちは、路頭に迷うことになった。貧しくなり、住民の大半が去ったかつての住宅地や工業地帯は、治安が悪化し、テロ組織――つまりグリーンフォレストの温床になり始めたの」


 ロザリーは車の窓から外の景色を眺めながら続けた。


「環境保護を訴えるグリーンフォレストの主張は、確かにとても耳障りがいい。我々人間の経済活動を支えてきた化石燃料は、遠くない将来に枯渇してしまう。エネルギー問題を解決するため、私たちシャダイ王国は未知のエネルギーであるマナを資源として使おうとしているけれど、マナに関する研究は十分とは言えない。マナというエネルギーの正体、そしてマナを使うことのデメリットがまだよくわかっていない状況にも関わらず、私たちはマナ・チャージをライフラインの一部として普及させようとしている――いえ、少し話が逸れた。とにかく、荒廃してその日暮らしの生活を強いられているこの地域の住民たちの耳には、グリーンフォレストの掲げる理想が崇高なものに聞こえたんでしょう。住民の一部がグリーンフォレストに同調し、彼らをこのチトセシティに引き入れて、この工業地帯はテロの温床となってしまった。それ以来ずっと、シャダイ王国はテロの脅威と戦い続けている。マナ・チャージ技術の発展による経済成長が彼らの生活水準を向上させ、治安が改善されるまでには、まだまだ時間がかかるようね」


 ロザリーがチトセシティとグリーンフォレストの現状について説明している間、二人は複雑な表情を浮かべていた。

 何故ならば、二人の出身国であるメイダン首長国連邦は世界シェア七割に迫る最大の産油国であり、シャダイ王国が苦境に陥った直接の原因は、メイダンが石油価格を大幅に引き上げたことなのだ。化石燃料が潤沢だったうちは資源の輸出で暴利を貪り、埋蔵量の枯渇が世界的な問題になってから突然輸出価格を釣り上げる。しかも、メイダンは化石燃料の埋蔵量に関するデータを隠し続けていたため、資源を持たない国々は事前に対策を立てることができなかった。メイダンは国際社会で強く非難されたが、万が一資源の輸出を止められでもするとさらに状況は悪化するため、実効力のある制裁などは課せられなかった――らしい。社会科の授業でそう教わった。


 と、いきなり難しい世界情勢の話から入ってしまった。順番が前後するけれど、僕たち四人は、レイさんの運転する車で、チトセシティの郊外、グリーンフォレストのアジトがあると思われる一帯に向かっている。理由はもちろん、前回と同じく偵察任務だ。

 ただし、この間の廃倉庫群の任務と違い、今回ははっきり場所がわかっていないため、まずはアジトの場所を探るところから始めなければならない。警察が動くと警戒されるし、軍を出すわけにもいかないので、ロザリー達アルビノの力を貸してほしい、というわけだ。

 グリーンフォレストの構成員には若者が多く、僕たちが潜入すれば、よりスムーズに情報が引き出せるかもしれない。ダイヤモンド侯爵はそう言ったが、決して簡単な任務ではないだろう。なのに、何故僕まで頭数に入れられているのかは相変わらず謎である。


 前回はロザリーの能力で姿を消しながら敵のアジトに潜入したけれど、今回は任務の性質上同じ手を使えない。そのため、僕たちは郊外の雰囲気に馴染めるよう、わざわざ妙な変装をしてここまでやって来たのだ。


 ロザリーは金髪のウィッグの上につばの広い黒いキャップを被り、デニムパンツにデニムジャケット、スニーカーという出で立ち。普段の赤いカラーコンタクトと違い、今日は目立たないライトブラウンのものを付けている。見慣れたドレス姿の方がずっと似合っているとは思うけれど、これはこれで、なかなか新鮮でいいな、と思った。


 ミヤビ様は、小麦色の肌にピンクの髪。いつもはおだんごヘアのミヤビ様だが、今日は高めのツインテールに結んでいる。へそ出しの白いタンクトップに、お尻が半分ぐらい見えてるんじゃないかと思うようなダメージホットパンツ。脚こそ黒いロングブーツを履いているけれど、体の表面積のうち隠れている部分のほうが少ないんじゃないだろうか。

 メイクもギャルっぽいし、いつものミヤビ様とはまるで別人。何もそこまで徹底的にやることないと思うんだけど。ていうか、季節はまだ思いっきり冬なのに、寒くないんだろうか? 目のやり場にも困るし。


 レイさんは髪色こそオレンジのままだけど、髪にハードなワックスをつけてハリネズミのようにツンツンに立てている。耳にピアスを下げ、大きく胸の開いた黒いシャツの上に黒いジャケットを羽織り、だぼっとした黒いワイドパンツで固めたその姿は、優男風のいつもの雰囲気とはガラリと変わり、まさにヤクザかヤンキーそのものといった感じだった。


 で、僕はというと。

 メンズファッションの店でミヤビ様の着せ替え人形になって小一時間試行錯誤したものの、何をどう着ても不良っぽい感じを出せず。苦肉の策として、とりあえず黒いジーンズと黒い革ジャンを着込んで、さらに真っ黒なデカいサングラスをかけることにした。

 僕の最終的なコーディネートが決まった時の、店員の笑いを噛み殺した顔が未だに忘れられない。その時はミヤビ様も既に今のギャルっぽいファッションになっていたから、店を出て二人で街中を歩いている間、すれ違う人々の視線が僕たちに集中した。

 恥ずかしかった。

 これ、もしかして、変装に凝り過ぎて却って目立ってしまうんじゃないだろうか?


 僕たちが乗っている車は、黒のセダンタイプだ。車体も大きめでごつごつしていて、なかなか威圧感のあるフォルム。もちろんレイさんの車ではなく、ダイヤモンド侯爵がどこからか用意してくれたものだ。高級感があると郊外では浮いてしまうからと、わざわざ傷や汚れまでつけられている。

 見るからに中古車。それも、かなり年季の入った車という感じ。もしかしたら本当にただの安い中古車かもしれないけれど。

 古ぼけた黒いセダンは、寂れた郊外の街並みに上手く溶け込んでいて、通行人とすれ違っても振り返られることは皆無だった。


 空は宵闇を越えて刻一刻と暗さを増している。

 かつて多くの人々が暮らしていた団地の高層マンションに、点々と明かりが灯り始めた。しかし、道路脇の街路灯はほとんど壊れていて、車道の見通しはあまり良くない。


「さて、そろそろかな」


 レイさんは、スマートフォンの地図アプリで現在地を確かめながら、車のヘッドライトをつける。

 目的地は、この付近にあるナイトクラブだ。公安警察の情報網では、住宅街のどこかにグリーンフォレストのアジトがあることはわかっているのだけれど、具体的な場所が掴めていない。ただ、この近辺にあるナイトクラブのうちいずれかが窓口となって、そこに集まる若者をグリーンフォレストに斡旋しているらしい。

 今回の任務の主な目的は、その窓口となっているナイトクラブを探し当てることであり、あわよくば、アジトの所在につながる情報を得ようというものだった。こういうの、スパイみたいな特別な訓練を受けた人がやったほうがいい気がするんだけど、本当に大丈夫なんだろうか……。

 容疑がかけられたナイトクラブは三軒あり、目的の情報を得るためには、一軒一軒回って探りを入れてみるしかない。


 数分後、車は暗い路地を抜けて、一軒のナイトクラブに辿り着いた。

 辺りの暗さに目が慣れてしまったせいか、極彩色のネオンがやけに眩しく、目が痛いほどだった


「ここが、この近辺では一番規模の大きいナイトクラブ、『スリープレスナイト』ね」


 ミヤビ様が、助手席から眩いネオンを見上げながら言った。このギャルっぽい格好をしながら真面目な口調で話されると、違和感がありすぎる。僕は思わず吹き出しそうになったけれど、この先の任務の難しさを想像して、気を引き締めた。

 店の前には、ガラの悪そうな男女がゲラゲラと大声で笑いながら屯している。ハンロ高校で言えば、ラニなんかは結構ラフなファッションをしている方だと思うけれど、やっぱり本場のヤンキーは違うな、という印象を受ける。チトセシティの中心部ではまず見かけることのない風体だ。

 『スリープレスナイト』は思ったより大きい建物で、クラブの脇には広い駐車場があり、既に十台以上の車が停まっていた。車を駐車場に停めると、ミヤビ様がバックミラー越しに僕たちを見る。


「聞き込みはあたしたちがするから、ロザリーは不機嫌そうにムスッとして、男に話しかけられてもひたすら無視しておいて。モーリスは……誰にも声かけられないだろうけど、とりあえずあんまりキョロキョロしたり挙動不審な行動をとらないように。じゃあ、行くよ」


 車を降りると、レイさんは眼つきを鋭くし、ワイドパンツのポケットに手を突っ込んで、肩をいからせて歩き始めた。ミヤビ様は仏頂面で――それはいつものことか――レイさんの腕にべったりと絡み付き、いかにも不良カップルみたいな雰囲気を醸し出しながらナイトクラブの入り口に近付いて行く。

 僕たちはどうだろう。二人とは同い年のはずなのに、僕とロザリーは、どうにも垢抜けない、場違いなカップルのように見えるはずだ。

 でも、あんまりキョドってはいけない。僕は反り返るぐらいに胸を張ってみた……いや、これで格好がつくなら苦労はないよなあ。

 すると、緊張を察したのか、並んで立っていたロザリーの小さく冷たい右手が、不意に僕の左手を包み込んだ。


「モーリス、落ち着いて。大丈夫。私があなたを守るから」

「ロザリー……」


 本来ならロザリーを守らなきゃいけないはずの僕が、ロザリーにこんなことを言わせてしまうなんて。我ながら情けない。

 僕はロザリーの手を強く握り返して、気合を入れた。


「ううん、君を守るのが僕の役目だよ。行こう、ロザリー!」

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